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ただあなたを守りたい  作者: 粉雪草
シスター見習い編
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ただあなたを守りたい シスター見習い編 6

ただあなたを守りたい シスター見習い編


―6―


「あれから一週間か……」

 ノイアは今まで読んでいた分厚い本を閉じる。

 グリア連合国との戦いを終えた彼女達はすぐに首都クロイセンを目指した。ジェイスを中心とした塔を守る騎士達は古い塔を破棄して兵力を二分。一部は都市マーベスタに、残りは新造の塔の守備のために派遣された。グリア連合国の第二派に備えての準備は静かに着々と進んでいる。

「早いよね。ハーミル……大丈夫かな?」

 ベッドに腰掛けているシェルがつぶやく。

 先ほどまで読んでいた本を腰掛けているベッドに置いてルームメイトに視線を向ける。シェルはそわそわと落ち着かずに窓の外に視線を向けている。

 視線の先にあるのは大聖堂。先ほどから落ち着かない理由は、正式なシスターになるための試験を行っている最中だからである。将来を担うと噂されているハーミルが試験に挑んでいる現在、首都クロイセンは張り詰めた空気で満たされている。新たな歴史を刻むかもしれない一瞬を皆が待ち望んでいるのだ。

「皆……どんどん先に行ってしまうな」

 ノイアはゆっくりと立ち上がり開いた窓枠に手を掛ける。ふんわりと優しい風が頬を撫でる。現実もこの風のように優しければいいと思う。試験に受かるのは絶望的だと言われている自分。いつか試験を受ける時が訪れるのだろうか。

 絶望的なノイアとは違い、ハーミルの試験は形だけのものらしい。あれだけの素質を持っていて落ちる事はまずあり得ない。試験の後は新造された塔への派遣が決まっているらしい。

「皆いなくなって寂しいね」

 シェルが溜息をつく。気が付けば6人になっていた今回の旅。急に二人だけになれば寂しさも込み上げてくる。だが、シェルが寂しがっているのはとある一人が姿を現さないからだろう。急に現れたと思えば、去り際も早い傭兵。別れの挨拶くらいはしてほしいものである。だが、いつまでも寂しがっている暇はない。特に余裕のないノイアには立ち止まる時間は皆無だ。

「寂しいけれど……私達もやるべき事をやろう」

 ゆっくりとノイアが振り向いて歩き出す。シェルは頷いてから後に続いた。



 渡された青いローブを緊張した面持ちで羽織るのはハーミル。緊張した面持ちではあるが、どこか嬉しそうな表情を浮かべている。しっかり者の印象が強いこの少女の素に近い年相応の姿を見たような気がする。

「おめでとう、ハーミル」

 教壇に立つ司祭アーバンが声をかける。ステンドグラスから漏れた光に照らされた表情はわが子が自立した姿を見るように柔らかい。

「はい……」

 ハーミルは頬を赤らめて微笑む。恥ずかしそうな、それでいて満ち足りた笑顔。

 受かる事が確実と言われていた彼女。だがこれだけ嬉しそうな顔をされればこちらまで嬉しくなってしまう。いつまでもこの柔らかく温かい時間を過ごしたいと思う。だが、この国にはそんな時間はない。すぐにでも彼女には次の指示を与えなければならない。アーバンは一度咳払いをしてから重い口を開く。ハーミルは場の空気が変わった事を感じ取り、表情を引き締める。

「――シスターの第二位、ハーミル・クロイス。すぐに塔へと出立せよ」

「分かりました。全力で務めます」

 司祭の言葉を受けてハーミルが恭しく礼をする。もう二度と会えないかもしれない。最大限の感謝を一度の礼に込める。新造された塔は首都クロイセンから北に三日ほどで辿り着く距離にある。ハールメイツ神国の中央。これから激化するグリア連合国との戦争の中心地になるであろう場所。

「我が国に勝利を……」

 司祭が瞳を閉じる。ハーミルはその言葉を聞いて背を向ける。視線の先、大聖堂のドアに背を預けて立っているのは副団長のセクメト。その隣には新たに護衛を任された騎士。

「参りましょう。勝利を掴むために」

 ハーミルは大聖堂のドアを開け放つ。可能であるなら、この場にもう一度立てる事を強く祈った。



「さて……部隊の再召集は終わったか?」

 男の渇いた声が響く。男の目の前に立っているのはグリア連合国の王アガレス。

「残り三日はかかる」

 鋭い眼光を男に向ける。本来であればすぐにでも牢に放り込みたい。だが自分がハールメイツ神国に負けたのも事実。国の中ではより強い者をと押す声もある。その声に後押しされて、今この男は目の前に立っている。

 男は刃物のような鋭利な視線を受けても反応を示さない。外見はアガレスと同じ褐色の肌に、黒い髪。だが印象はまるで違う。黒い髪を腰まで伸ばし、前髪の間から見える瞳は狂喜の色を含んでいる。

「まあいいだろう。行くぞ、クレサ」

 男は右隣に立っている若い少女につぶやく。黒髪を結い上げた幼さが残る少女。14歳という年齢のせいか身に纏う軽装があまりにも不釣合いに見える。

「はい。ガイラル様」

 クレサと呼ばれた少女は柔らかい笑顔を向ける。

 ガイラルと呼ばれた男は一度不適な笑みを向けて王に背を向ける。その後をクレサが一定の距離を開けて追従する。

「あんな幼い少女を連れて正気ですか?」

 王の側に控えていたフィッツがいぶかしむ。常にガイラルの右側を離れない少女。彼の右腕だとでも言うのだろうか。

「フィッツ……この国は力を示して成長した国だ。幼かろうが、女性だろうが強ければ上を目指せる。あの男が今も平気な顔をして歩けるのもこの国だからだろう」

「彼女は……強いのですか?」

「あの少女が本気を出せば、バルデスとほぼ同等の力を持っている」

 アガレスは少女の背を見つめながらつぶやく。

「バルデス殿ですか……」

 フィッツの顔が青ざめる。この国でアガレスとまともに戦える男の一人である。そんな力をあの小さな少女が持っているというのだろうか。フィッツは震えが止まらなかった。ガイラルがハールメイツ神国を倒せば、次の標的はまた自分達に向くだろう。味方である内は心強いが敵になれば脅威でしかない。

「フィッツ……味方を恐れるな。敵だけを見よ」

 アガレスは瞳を閉じる。フィッツは震える体を拳を強く握って堪えた。



 ブーツが歩を進める度に地に落ちた枝が音を立てる。薄っすらと天井の葉から漏れる光を浴びながら黒いコート姿の男が獣道を進む。ほどなく進むと開けた場所に出た。その場で黙々と素振りをしているのはブレイズ。ただ静かに、やるべき事だからやっているとその表情は語っていた。以前とまるで変わらない。ただ真新しい白銀色の甲冑を纏っている所だけはどこか新鮮だった。

「おっ……いたいた」

 陽気な声で話しかけるジュレイド。

「……」

 無言で視線だけを向ける。手は休めない。

「相変わらずだな。まあ、そのまま聞いてくれ」

 苦笑してジュレイドは素振りを続ける少年につぶやく。

「……なんだ」

「おっ……話してくれるんだねぇ。用事は特にないが。これから報酬を持って里帰りでもしようと思ってな。挨拶に来た」

 コートから袋を取り出す。軽く振ると金貨が音を立てる。

「挨拶をする人間を間違えている」

 溜息をついてブレイズが素振りを続ける。シェルかノイアに挨拶をすべきだろう。特に関わりが深かったシェルには顔を見せるのが筋だと思う。

「いや……合ってるさ。ノイアはうるさいし、ギルベルトの旦那はマーベスタ、ルメリアにいたっては無視だろう。あんたに伝えておけば……ちゃんと伝えてくれるだろう?」

 ジュレイドは儚く笑う。疲れたような、諦めたようなそんな表情を浮かべている。

「……本人にちゃんと伝えなくていいのか?」

 素振りを止めて青い瞳がこちらを向いた。迷いを感じさせない強い瞳。

「泣かれたら面倒だ。それに……あいつは俺には重い。住む世界も違う。今が……離れるにはいい機会なんだよ」

 ジュレイドは青い瞳から視線を外す。落ちた力のない葉がなぜか自分と重なる。自然と溜息が出た。こんな姿を他人に見せる時がくるとは夢にも思っていなかった。

「そう思うなら勝手にしろ。だが俺は信じている」

 ブレイズはゆっくりと剣を構える。

「何を?」

「ジュレイド……お前がまた戻ってきてくれる事を」

 少年は前だけを見て素振りを再開した。

「ふっ……本当に優等生だな。ま、悪い気はしないがな」

 ジュレイドは背を向ける。素振りの音が激しさを増していく。この場を去ろうと思った瞬間にもう一つ話がある事を思い出した。

「そうだ。ノイアがいろいろ悩んでいるみたいだったぞ。力にならないのか?」

 おせっかいだとは思ったが、最後くらいはいいだろう。

「――その必要を感じない」

「なぜ?」

 断言する少年に眉根を寄せるジュレイド。

「彼女は必ず前を向く。もし進むのを諦めるのであれば……その時は動こう」

 ブレイズは表情を変えずにつぶやく。そんな事はないと、この少年は確信しているらしい。

「いったい何なんだろうね……この二人は」

 ジュレイドは頭を掻きながら立ち去る。おそらく一生掛かっても理解できないと思う。だが、機会があるのならもう一度くらいはおせっかいを焼いてもいいかと思う。もしかすればそれだけ彼らの事を気に入っているのかもしれない。自分の中の変化に戸惑いながら、ジュレイドは獣道を戻っていった。



 大聖堂についた二人は意外な人物が訪れている事に驚いた。

「おお。ちょうど君の話をしていた所だ。何でもブレイズが指揮した部隊の最前列を駆け抜けたらしいな」

 騎士団団長はノイアに向けて賞賛の笑みを向ける。周りにいたシスター見習いが一斉に渦中の人物に視線を向ける。そんな信じられない物を見る目を向けないでほしいと思う。

「あの時は必死でしたから……」

 ノイアは苦笑いを浮かべるだけで精一杯だった。

「その事なのだが。 ノイアよ……そなたは騎士になるのか?」

 司祭アーバンの視線が緑色の瞳と重なる。今、一番聞かれたくない質問だ。だが、この質問からは逃げてはいけないと思う。拳を握りゆっくりと口を開く。

「私は……シェルを守るためなら……どちらの力も使います。ただチャンスがあるなら試験を受けたい!」

 これがノイアの出した答え。中途半端であるのは分かっている。だがこれが旅に出て見つけた答え。

「ふっ……では試験を受けるがいい。失敗して……まだ進む意志があるのなら騎士団はいつでも受け入れるぞ」

 アルフレッドはノイアの肩を強く掴む。ノイアは強く頷いた。

「ふう。困ったものだな」

 アーバンは溜息をつく。試験で不適格となったのならば指導役として残ってほしいと思っているのだが、その選択肢が頭から抜けているような気がしてならない。だがいかにもノイアらしいと思った。

「それでは私はこれで失礼する」

 アルフレッドはノイアの肩を離してドアへと向かう。ノイアはその横顔を見つめる。どこか張り詰めた横顔。自然と体が震える。また戦争になるのだろうか。

「……もう分かっていると思うが……また戦争になる。次はおそらく本命となるだろう。開戦する前に試験を行いたい。今は一人でも多くの正式なシスターが必要なのでな」

 アーバンはまだ幼さが残る少女を見つめる。

「え……もう?」

 シェルは目を見開く。試験はまだ一年先だと聞いていたのだ。それが今、目の前に迫りつつある。

「12歳で試験を受けた者はいるのですか?」

 ノイアも驚きを隠せない。震えながら司祭に問う。

「そんな例はない。だが……シスターの第一位サリヤ・メイル一人では光の壁を維持するのは困難だ。彼女に匹敵する神力を持つ者がいなければ今後の戦いを切り抜ける事は不可能」

 アーバンの顔には緊張が感じられる。それだけ緊迫している状態なのだろう。あの王がもう一度攻めてくる。しかも今度は首都を潰すつもりで。

「それなら受ける。いつまでもノイアのお荷物でいたくない!」

 シェルが胸の前で拳を握って叫ぶ。

 周りのシスター見習いがシェルを驚きの瞳で見つめる。以前の彼女なら怯えてノイアの背に隠れていただろう。そして、「一緒に受けよう」などと言ったかもしれない。だが、今の彼女は司祭を見つめ自らの意志で進もうとしている。

「分かった。では、試験は明日に実施する」

 司祭がシェルの瞳を受け止めて指示を出す。大聖堂は一瞬で張り詰めた空気に満たされる。ハーミルの次は「神に愛された者」とまで呼ばれたシェルが受ける。当然と言えば当然なのだが、この国が大きく動こうとしているように思えてならない。

「頑張れ……シェル」

 ノイアはシェルの細い肩を優しく掴む。優しく温かい手の平から力を受け取ったシェルはもう迷わない。

「うん!」

 シェルは強く頷いた。



 昼からの鍛錬を終えたノイアはいつもの場所へと足を運ぶ。何度通ったか分からない獣道。立ち止まる事などなかったこの道だが、今日は足が重い。ついには足が止まってしまった。

「――どうしたんだろう」

 ノイアは顔を落とす。足が石になったかのように動かない。止まっている場合ではないというのに。ブレイズは今も鍛錬をしている。グリア連合国との戦いでの功績を認められて隊長の候補にと押す声が増えたブレイズ。それでも彼は今日も淡々と己の腕を磨いているだろう。

「中途半端な私が止まってどうする!」

 ノイアは叫んで強引に足を動かす。体は重く感じるが何とか進んでくれた。二人の鍛錬の場。いつものように素振りをしているのは銀髪の少年。一度視線をノイアに向ける。そのまま視線を戻して素振りを続けると思った。だが、彼は素振りを止めてノイアを見つめた。

「なんて顔をしているんだ」

 ブレイズが眉を寄せていぶかしむ。そんな事を言われても自分では分からない。こちらが聞きたいくらいである。

「何かおかしいかな?」

 ノイアは務めて明るく笑う。笑えているのかは分からない。今はどこかおかしい。

「……」

 溜息をついてからゆっくりと歩を進める。冷たい甲冑に包まれた手がノイアの頬に触れる。月夜に照らされて輝いたのは一滴の涙。

「――そんな!」

 ノイアは驚いて瞳を拭う。なぜ涙が出たのか自分でも意味が分からなかった。最近はなぜか涙脆い気がする。以前は守るべき存在であるシェルの前でも泣いてしまった。自分はこんなにも弱かっただろうか。

「ごめん。泣いてる暇なんてないのに。皆に……追いつかないと」

 ノイアはブレイズの横を通り過ぎて深呼吸。祈りを捧げて障壁を展開させる。今まで泣いていたかと思えば急に鍛錬を始めるノイア。だが、この姿が一番彼女らしい。

「そうでないとな」

 ブレイズは微笑んで素振りを再開する。やはり張り合う相手がいないと鍛錬もはかどらない。特に何かをした訳ではないが、やる気になったのであれば問題はない。

 そんな想いを知ってか知らずかノイアは鍛錬に没頭し始める。先ほどの弱い自分を追い出そうと必死になっているようにも見える。

「なあ……」

 ほどなく素振りをしてからブレイズは背に声を掛ける。鍛錬中は話したくはないのだが、ジュレイドの事を話さなければならない。

「珍しいね」

 ノイアは祈りながらつぶやいた。二人が鍛錬中に話すなんて事は今までなかった。以前は名前すら知らなかったのだから当然ではあるが。

「すぐに終わる。ジュレイドの事だ」

「そういえば姿を見てないね。どうしたの?」

 黙々と鍛錬を続けながら会話をするのが彼ららしいが、話題に上がった人物の事はノイアも気になる。試験を明日に控えたシェルの耳に入れるかどうかも考えなければならない。

「ああ。今回の報酬を持って里帰りするらしい」

 ブレイズは淡々とつぶやく。

「そっか。また会えるよね」

 ノイアは戻ってくる事を疑っていないようだった。それはブレイズも同じである。やはりこの少女とは気が合う。何があっても道を違える事はないと思える。この背中を任せたいと思う唯一の人物。ブレイズの中でもやもやしていた気持ちが固まる。

「やはりお前は俺の友であり……同志だな」

 ブレイズは表情を引き締めて首肯。

「それは喜んでいいの?」

 ノイアはおかしくて笑ってしまった。おそらく異性として見られていない。でも、嬉しかった。今はこの関係が心地良い。こうして背を向き合い、信じあえるこの関係がノイアに力を与える。迷いを払ってくれる。

「ああ。これからもよろしく頼む」

「うん」

 二人はそれ以上話さなかった。淡々と鍛錬を続ける二人。ただ真摯に前に進もうとする二人を月夜の光が祝福するように照らした。



 大柄な男が城の廊下を進む。精悍な顔つきに整った黒髪が印象的な男。険しい表情は30代中頃という実年齢よりも年配に見える。ガイラルの腹心の部下であるバルデスである。

 窓の外を見つけるとうっすらと日が登りかけている。時刻は午前5時くらいだろうか。冷たい石で出来た通路を薄っすらと照らす光は、現在のバルデスの心を表しているかのようである。

 ようやくガイラルの部下だった騎士が城に集まったのだ。その報告のために早朝から報告のために早足で歩を進めているのである。待つなどという選択は頭にはない。ただ進むのみである。そんな単純な思考しかこの男の頭にはない。

 階段を上がり左に曲がった先には赤い絨毯が敷かれた通路が見える。急く気持ちを抑えながら大股で歩き、見えて来たのは3メートルはあろう巨大な木製のドア。

「……」

 無言で目の前にある木製のドアをノックする。

「開いてますよ」

 内側から少女の声が聞こえる。バルデスは無言でドアを開く。

 まず目につくのは王族が使う巨大なベッド。三人が寝ても余裕がありそうなベッドに眠っているのはガイラル。その隣では白いシーツで体を隠したクレサ。シーツ以外は何も身に纏っていないため視界に入る白く滑らかな肌が何とも艶かしい。ガイラルと彼女の関係はすでに知っているので何も言うつもりはない。ただ必要な事を述べるのみ。

「ガイラル殿は?」

 部屋に一歩踏み込んで我らが主を見つめる。

「集まったか?」

 ガイラルがゆっくりと半身を起こす。鋭い瞳がバルデスの瞳と重なる。やはりこうでなければいけない。牢に入ってもまだ衰えないこの狂喜を帯びた瞳。この国にはこの男のような強さが必要だとバルデスは考えている。アガレス王のやり方は甘すぎる。彼が健在であるうちはまだいい。だが、次も賢王と呼ばれるだけの逸材が現れる保障はない。いずれは新たな力に屈する時がくると思っている。ならば力でこの大陸全てを統一してしまった方がいい。力で抑えつければ、反発も大きいだろう。ならば反発する気が起きない様に、心が折れるまで叩きのめせばいい。それができるのはこの男だけだと確信している。だから従うのだ。

「はい……全て揃いました。出撃は明日」

 バルデスが唯一の主の瞳を見つめてつぶやく。

「見せてあげましょう。グリア連合国の本当の力を」

 クレサの言葉に二人の男が頷いた。



 朝日を感じて重い目蓋を開ける。シェルはゆっくりとベッドから半身を起こす。

「ノイア……作ってくれたんだ」

 視線を左に見える丸テーブルに移すと朝食が並んでいた。シュガートーストに、スクランブルエッグにウインナー、そしてサラダ。いつもの定番メニューだ。こういう時に冒険はしたくないので素直にありがたい。のそりと起き上がり丸テーブルに近づく。

「やっぱりノイアは温かいな」

 シュガートーストが置かれたお皿に敷かれている一枚の手紙。そこには「試験、頑張れ」とノイアらしい固い文字で短く書かれていた。短い言葉だけど気持ちは伝わる。今までなら試験の前くらいは一緒にいてほしいと思っただろう。でも、今は違う。ノイアには私が原因で止まってほしくないと思う。無理はしてほしくないけれど、ノイアが満足するだけ進んでほしい。

「だから……シスターになる。もう守られてばかりでは駄目なんだ」

 シェルは椅子に腰掛けて朝食のシュガートーストに齧り付く。その小さな体に少しでも力を取り込むために。



「やはり主戦場はここか?」

 執務室に低い声が響く。グレンは都市マーベスタ領主の机に広げられた地図を指差す。場所は新造の塔。グリア連合国から首都クロイセンへと向かう南下するだけで済む最短ルート。塔を攻略して光の壁を破壊。その勢いのまま首都を攻略する。もっとも理想的な勝ち方だ。

「そうなるでしょう。戦は相手の領地で行い……そして、短期決戦にするのが理想です」

 ギルベルトが顎鬚に触れながらつぶやく。決して地図からは視線を外さない。

「俺達はここにいてもいいのか?」

 ジェイスは頼みの綱である軍神を見つめる。

「機を見て……ジェイス殿には首都に向かってもらいます」

 地図を見ながらギルベルトはつぶやく。新造の塔ではなく、首都。その意味する所は光の壁が失われるという事だろうか。二人の騎士に緊張が走る。

「ここの守りはどうする。ここが攻撃されないという事はまずないぞ?」

 今まで黙っていた領主が口を挟む。首都への援軍を出させないために各地が同時に攻撃を受けることは容易に想像できる。こことて安全ではないし、突破されないための最低限の兵力は必要だ。

「ここは私が引き受けます。合図を受け次第……陣を魚燐に変えて敵陣の強引に突破して下さい」

 ギルベルトが二人に真摯な瞳を向ける。二人の騎士は軍神を信じて一つ頷いた。



 平原を幾多の馬が駆け抜ける。その先頭を走るハーミルの表情は固い。見ないようにしているがどうしても目に入ってしまう物がある。

 場所は首都クロイセンを出て北に向かった場所にあるノリアス平原。平原自体は平らで何の障害もない。だが各地には折れた剣、朽ちた甲冑、そして白骨が散らばっているのだ。行きと帰りで二度目通ったが慣れる事はない。この道を平然と走る事が出来る者は戦争というものに慣れすぎた者だろう。

「私の背に乗りますか?」

 左を並走する青年が問う。輝くような金髪に青い瞳の細身の好青年。細く小柄な体型ではあるが左手には大楯が握られ、背には大剣を背負っている。ハーミルの新しい護衛であるマイセルである。

「いえ……シスターの第二位である私が馬にも乗れないなどいい笑い種です」

 ハーミルは毅然と前を見つめる。

「それは分かりますが……無理をなさらないように」

 隣を並走する青年はうっすらと微笑んだ。

「……」

 ハーミルは横目でマイセルを見つめる。これは本心なのか、それとも無言で右隣を並走するセクメトと同じように己の昇進を考えているのだろうか。もやもやした思いが膨らむ。近くに来た者を信じる事ができない汚れた心。この心はいつか自分を破壊してしまうと思う。ハーミルはこのもやもやした気持ちを消し去るために意を決して隣の青年に声をかける。

「あなたも……私を利用するのですか?」

 ハーミルは青年に鋭い瞳を向ける。言葉に出した瞬間にはっきりと心の汚れを感じた。周りのせいにはできない。これが今の自分だ。

「私は昇進には興味はありません」

 マイセルはうっすらと微笑む。穢れのない笑みだと思った。これはシェルが浮かべる笑みに似ている。ハーミルにはもう二度と浮かべる事ができない微笑。

「では……なぜ戦う?」

 問うたのはセクメト。彼ははっきりと騎士団団長になるためだという事を認めている。ハーミルもそれは了承している。それ以外のために戦う理由。それはハーミルにも気になった。彼の言葉に耳を傾ける。どこかで期待している自分がいた。

「ただ国のために。それ以上でもそれ以下でもありません」

 微笑んで答えるマイセル。彼の表情は満ち足りていた。本当に昇進など考えていないのだろう。

「そうか。つまらん男だな」

 セクメトは興味が失せたらしく視線を外す。マイセルの言葉を聞いたもう一人は驚きで目を見開いていた。

「……」

 言葉を返す事ができない。自分の周りにいる者は自分を担ぎ上げたいだけだと思っていたが違う者もいる。彼はもしかしたらハーミルが心から願う人なのかもしれない。ただ純粋に自分の事を守ってくれる存在。

「確かにつまらない男かもしれません。でも……こういう不器用な生き方しか出来ない者もいるのです」

 マイセルは微笑んだまま視線を前方に向ける。もう話す事はないとその横顔が語っていた。

「……悩む必要なんてない」

 ハーミルが二人には聞こえないくらいの小声でつぶやく。今は一つの考えが頭を占めている。皆が担ぎ上げるのならそれでいい。だが、昇進させる人間は自分が選べばいい。彼女が上に上がってほしいと思える人間。それはただ国を想い真摯に歩む者。マイセルのような人間が騎士団団長に相応しいと思えた。この考えを聞けば彼は嫌がるだろうか。だが、いつか理解してくれると思う。そんな日が来ればいいとハーミルは信じたかった。



 ステンドグラスから漏れた光が幼さを残した少女を照らす。教壇までの真っ直ぐに伸びた道を常に前だけを見て進む。緊張しているのか喉は渇き、手には嫌な汗が浮いている。

「緊張するな、シェル。そなたなら間違いなく合格する」

 教壇に立つ司祭アーバンは優しく語り掛ける。強くなったとは言えまだ12歳の少女。念願のシスターになるための試験を受けるとあれば緊張するのだろう。

「はい」

 シェルは司祭を見上げて頷く。

「初めまして……あなたがシェライトちゃん?」

 司祭の隣に立っている女性が声をかける。180センチを越える長身とスラリとした体型が特徴的なシスター。ウェーブが掛かった茶色の髪を腰まで伸ばし、優しそうな笑みを浮かべている。シスターの第一位、サリヤ・メイルである。シスターの長であり光の壁を展開している首都の要と言っても過言ではない。

 試験の際は大聖堂に現れ、新たにシスターになる者を自らの目で見定める。彼女は合格だと思えば後は司祭に任せるのが常だ。

「はい。初めまして、サリヤ様」

 シェルはぎこちなく礼をする。これで合っているかどうかは分からない。ただノイアは位が高い者に出会った時は強引に頭を下げさせていた。今回もこれで間違いはないだろう。

「ふふ……聞いている話とはだいぶ違うわね」

 シスターの第一位は頬に手を当てて微笑む。噂では12歳という実年齢よりもさらに幼いと聞いている。今回の旅で成長したのだろうか。それは緊迫するハールメイツ神国に置いては喜ばしい事だと思う。

「試験は……何をするんですか?」

 緊張した面持ちで問う。試験の内容は見習いにも公開されてはいない。ただこの国を根底から揺るがす可能性があるらしく、試験を受ける者は相応の覚悟を持つようにとだけ言われている。

「簡単よ。私の代わりに光の壁の維持をするだけよ」

 サリヤは微笑んで天井を指差す。目の前の少女は目を見開いた。維持に失敗すればこの国は滅ぶ。それをただの見習いに行えというのである。おそらく他のシスターが影でサポートしてくれているのだろうが、国の命運を決める壁を維持しろというのはあまりにも重い。

「――ここで臆する者にシスターを名乗る資格はないわ」

 震えるシェルに容赦ない言葉が降り注ぐ。鋭い瞳が少女の青い瞳を貫く。

「……」

 シェルは無言で顔を落とす。もしサリヤが倒れる事があれば光の壁の維持をするのは自分かもしれない。国の存亡を背負い続ける。それは生半可な覚悟では成し得ない。国の歴史の中ではただの一瞬に過ぎない時間に臆する者にシスターを名乗る資格はないのだろう。これは神力と共に覚悟を試す試験だ。

「私は……挑む」

 短くつぶやいて顔を上げる。ここで逃げたら何のために見習いをしていたのか分からない。そして、弱い自分とお別れするにはいい機会だと思う。

「そう……よかった」

 鋭い眼光ではなく、シェルを迎えたのは優しい微笑み。

「お願いします」

 一度頭を下げて教壇へと進む。

 差し出されたのは温かな手。シェルはその手を取って瞳を閉じる。イメージするのは首都を覆う光の壁。温かな白い光が少女から溢れる。

「……頑張って。どうか……私を超えて下さい」

 サリヤは新たなシスターとなるべき少女を優しく見守った。



 場所は首都クロイセンを出て北西に向かった先にあるクレイア街道。草が無造作に生えた整備が行き届いていない道を馬が一定のペースで駆け抜ける。疾走する馬とは別に手綱を握る男はどこか覇気がない。

「確か……一日走ると休む所があるんだったけ」

 ジュレイドは他人事のようにつぶやく。首都クロイセンを出てからどうもやる気が起きない。どうしてもあの幼い少女の顔が頭から離れない。最後まで側で守ってあげられないのが心残りなのだろうか。

「傭兵の俺が? 金さえ貰えれば何でもよかったのにな」

 うっすらと微笑む。汚れ仕事で得た資金で薬を買う人生。それに疲れ、いつ死んでもいいと思っていたこの頃。だが、あの少女と出会ってから、生きる目的が出来たような気がする。あの小動物のような弱き存在を守り抜く。支え続ける。そのために引き金を引いた数日間。

「満たされてたなぁ……あいつらも嫌いではなかった」

 次に頭に浮かんだのは堅物二人。自分とは間逆の生き方をしていた二人。理解はできなかったが、その生き方は輝いて見えた。自分が幾ら手を伸ばしても届かない所にいたから。

(……俺が離れただけか……)

 声を出す気力も失われる。手綱を引いて馬を止める。自分はいったい何をやっているのか。次の仕事を探す訳でもなく、依頼されたから守った者が頭から離れない。

 気付いた時には馬を走らせていた。向かうのは首都クロイセン。

「本当に何をやってんだろうな」

 ジュレイドは自らの行動が馬鹿らしく思えた。だが、湧き上がる感情を止められなかった。自然と微笑んでしまう。

(……俺はまだ生きている。死んでなんかいない……)

 心の中から強い気持ちが溢れる。だから行く。今度も守るために。



 頬に汗が伝う。自分の失敗で国が滅びるかもしれない。極度の緊張状態が続き呼吸は荒い。だが、そんな事すら気にしていられない。目の前のシスターはこんな状態をずっと続けてきたというのだろうか。シェルの心の中には敬意と憧れの感情が浮かぶ。力があるのなら目の前の女性のようになりたい。そう強く願う。

「そんなに固くならないでいいわ。いざとなったら私がフォローするから」

 あまりにも緊張で固まっているシェルに優しく声を掛ける。旅を通して成長したといってもやはり12歳。国を背負えというのは無理があるのだろう。だが、シスターになるのであればこなしてもらわなければならない。

 シェルは幸い順応性があるのか言葉に反応して落ち着きを取り戻していく。安心したサリヤは二人のシスターを比べるために思考を走らせる。

 昨日、試験を行ったハーミルも同じように緊張していた。だが、どこか安定していた。完璧と言っても差支えがないほどに。それと同時に不安もある。どこか冷たい感じがしたのだ。この国の者に対する不審、疑いを心に隠し、それでも守ろうとする固い心。まるで亀裂が入った鋼のような心だった。冷たく、そして固い。それでいて脆い心。

 対して目の前にいる少女から感じるのは国を、人を想う温かさ。首都を守るだけでなく、内にいる者の心すら癒そうとする慈愛に満ちた心。緊張して力を上手く出せないようだが、目の前の少女には明るい未来を想像したくなるだけの希望がある。

「どちらも必要か……」

 サリヤはぽつりとつぶやく。まだ幼く安定感がないが、やはりこの子の力は今のハールメイツ神国には必要だと思う。司祭に視線を向けると納得したらしく一度頷く。

「――いいわ。あと一時間耐えられるならあなたをシスターの第三位にします」

 重い声がシェルの全身に染み渡る。だが、もう震えない。そして迷わない。今度は自分が皆を守る番。今までのただ甘えていた自分とはお別れをしないといけない。恐怖はある。だがノイア達は戦場という、もっと荒んだ世界で恐怖と戦っている。塔で見たノイアの涙は恐怖に震えた涙だった。自分があの場にノイアを立たせてしまっている。弱い自分のために辛い事も痛い事も平気な顔をして受け止めようとする。もうそんな事は止めさせたい。自分が首都をノイアを守り抜く。

「どうか……大切な人を……ただ守れますように」

 シェルが言葉を紡ぐ。小さな体から溢れたのは強い光。溢れた光は天へと登り光の壁を眩しく照らす。

「……底が知れないわね」

 サリヤは目の前の少女から溢れる光に震えた。いったい何がこの小さな少女にここまでの力を与えるのだろうか。シェルの力の根源を時間が来るまで考え続けるサリヤであった。



 溢れる閃光。

「――これがシェルの力」

 ハーミルは背を向いてつぶやく。力強く、それでいて優しい光。

「……戦場に立つ騎士には必要な光ですね」

 マイセルは首都の光の壁を優しく見つめる。離れていても心が安らぐ光。この光が輝き続けるのであれば戦い続ける事もできる。

「……」

 セクメトだけは無言で前を見つめ続ける。どれだけ力を持っていたとしても、上に立つのはハーミルでなければならない。それをこの戦いで証明する。何があっても。

「戦い抜きましょう。そして……生きて首都へ」

 ハーミルは視界に入った塔を見上げる。ここが自らの墓になるかもしれない。そんな弱気な心を追い出してハーミルは馬を走らせた。



 鍛錬を終えたノイアは緊張した面持ちで大聖堂へと向かう。焦る気持ちを抑えて大聖堂へと向かう坂を上る。結果なんて最初から分かっている。それでも気持ちを抑えられなかった。

「……」

 無言で立っているのは青いローブを纏ったシェル。

「……おめでとう」

 ノイアはただ微笑む。駆け寄って抱きしめたい気持ちを必死で抑える。

「今度は……私が皆を、ノイアを守る」

 はっきりと宣言するシェル。努めて無表情を貫き、平静を装っていても分かってしまう。

(……肩震えてるよ……)

 ノイアは心の中でつぶやいて、ゆっくりと坂を上る。涙を堪えるので必死だった。

「どれだけ……恐くても……私も戦う。私に出来る方法で!」

 懸命に叫ぶシェル。強くなっても全く変わらなかった。この気持ちは何があっても変わらない。

(やっぱり、私は……シェル。あなたを守りたい)

 決して言葉には出さない。シェルはノイアが戦うのを嫌がるだろうから。目の前に立ちゆっくりと柔らかい黒髪を撫でる。

 シェルが上目遣いで見つめる。たぶん何を考えているのか分かってしまっただろう。でも、この気持ちだけは曲げられない。何があっても。明日にでも始まる戦争。その中でこの命が失われる事があったとしてもこの少女だけは守れますように。ただそれだけを祈った。


ここまで読んでいただきありがとうございます。感想をいただければ幸いです。

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