ただあなたを守りたい シスター見習い編 5
ただあなたを守りたい シスター見習い編
―5―
「ここに来たということは……戦か?」
渇いた声が耳に届く。無機質な地下牢に座っているのは長身の男。不適な笑みを顔に張り付かせただ一点を見つめている。
「そうだ」
アガレスは男を見下ろす。男は視線を向ける事もない。
「そうか……お前は負ける」
男が淡々とつぶやく。まるで未来が見えているかのような言葉。そんな力をこの男は持っていない。それはよく知っている。
「なぜだ?」
短く問う。だが、男は渇いた笑みを浮かべるだけだった。聞きたい答えは返ってこない。何を考えているのかも分からない。
「ならば証明しよう……我の道を」
アガレスが背を向ける。これ以上ここいいても仕方ない。そもそもここに来た事自体に意味はないのかもしれない。
「次の戦い」
「……」
男の言葉に無言で振り向く。男の瞳とアガレスの瞳が重なる。
「お前が負けたのなら……私をここから出せ」
男がゆっくりと立ち上がる。
「負ける事はない」
「そう思うのであればそれもいいだろう」
アガレスの言葉を聞いて男はゆっくりと座る。アガレスは男の瞳を見つめる。ただ一点を見つめ続ける瞳。この男はいったい何を見ているのだろうか。弟である自分にもそれは分からなかった。
*
新造された塔の最上階で修道服姿の少女が祈りを捧げる。少女の体から白い光が溢れる。神力の輝きが塔の外壁を照らし、力を送り続ける。
「ハーミル様……もう朝です」
外壁の背に体を預けているセクメトが溜息をつく。徹夜で祈りを捧げるなど正気ではない。
「……」
ハーミルは無言で祈りを捧げる。これが自らに与えられた使命だと背で語っているようである。
「これ以上はお体に触ります。あなた一人だけの身でない事を理解して下さい」
セクメトはゆっくりと近づき祈りを続ける少女の細い肩に触れる。
「……あなたも出世したいのですか」
ハーミルは祈りを止めてぽつりとつぶやく。背に立つ男が震えたのが分かる。嫌でも分かってくる。皆は出世のために自分を担ぎ上げたいだけだ。真に想ってくれる人はいない。その分ではシェルは幸せだと思う。彼女には絶対に裏切らないノイアが側にいるのだから。
「そのためなら……あたなを守り抜きます」
セクメトが頭を垂れる。あっさりと認めた所は分かりやすいと思う。裏がある人間を信じられるほどハーミルは出来た人間ではない。
「そうですか。ならば……今は守ってください」
将来を期待された少女はセクメトを見ずに歩を進める。いつか心から信頼できる者が側にいて欲しいと心の中で強く願った。
*
「皆を頼む」
腕を組んだ筋肉質の男がブレイズを見つめる。都市マーベスタの騎士をまとめている隊長である。
「はい!」
胸に手を当てて応じる。
目の前の男からすれば20歳も年齢が離れた者に兵を預けるのは不安で仕方がないだろう。だが、彼は不満な顔をせずに若き隊長をただ見つめるだけだった。都市マーベスタを背に佇む男はブレイズにはとてつもなく大きく見える。これだけの器はまだない。だがいつかはここまでたどり着きたいと思う。自らの力で。
「無事に……戻るように」
ザックスが微笑む。
ブレイズは一度頷いて背を向ける。騎士が一斉に道を開ける。その先に立っていたのは手綱を握るノイア。その先に広がるのはハーマイト平原。短い草が生えた平坦な平原で塔までの進路を塞ぐものはない。馬で走るには適した道だと言えるだろう。
「ブレイズ隊長、ちゃんと決めてね」
微笑んで手綱を手渡すノイア。
ブレイズは無言で手綱を受け取り馬に乗る。皆が言葉を待つ。
「グリア連合国との初戦……我らの手で勝利を掴む。自らの剣に誇りを……!」
剣を掲げる若き隊長。
空に響いたのは雄叫び。皆が剣を掲げ叫び続ける。その叫びは地を震わせるほどに力強く、逞しい。
「すごい」
馬に乗ったノイアは短くつぶやく。これが戦争に行く者の覚悟。恐怖を拭うためだと頭では理解している。だが、全身が震えた。それだけ騎士達の声には熱が入っていた。
「行こう、ノイア」
隣で震えた声がする。右を見ると震える手で手綱を握っているシェルがいた。昨日の出来事があってからシェルは目に見えて変わった。今まで馬に乗る時はノイアかジュレイドの背にしがみついていた。だが、今では自らの力で乗っている。振り落とされないか不安ではあったが何とか乗りこなしている。
「何があっても守るから」
ノイアはただそれだけを述べた。こんな所で死なせない。強く思い馬を走らせた。
*
真紅の髪を無造作に伸ばした大男が塔を見上げる。昼を過ぎ日差しを増した光に目を細めて最上階を見つめる。その視線はどこか寂しげだ。
「ここの防衛もこれで最後か」
大男が丸太のような太い腕を組む。この塔の防衛を任されてもう40年になる。新米としてここに派遣され、幾度か敵国と戦ってきた場所。男が立つこの渇いた地面には幾重もの仲間と敵の血が染み込んでいる。
「グリア連合国の騎士が動いた」
一定のペースを崩さない足音と共に低い声が男の耳に届く。男はゆっくりと振り向く。そこには男と同い年の細身の男が立っていた。白髪のオールバックと、左目につけた眼帯が印象的な男だ。
「大将はアガレスか? 最後の防衛としては満足だな、グレン」
男が視線をグリア連合国に向ける。鋭い眼光をさらに鋭く細め睨みつける。
「ここに骨を埋める事ができないのは残念ではあるな」
グレンと呼ばれた男は顔を落として笑う。この地で散った仲間を思えば死ぬまでここを守り抜きたい。
「ふっ……そんな事では先に逝った者に笑われる。皆を集めよ! これが我らの最後の防衛だ」
男が指示を飛ばす。グレンは胸に手を当ててから背を向ける。
「もう一度だけ……力を貸してくれ」
男は瞳を閉じて祈った。
*
目の前に広がるのは湿原地帯。泥を弾きながら一定のペースで馬を走らせているのは漆黒の甲冑で身を包んだ一団。中軍が前に出て、両翼を下げた「〈」の形をとる偃月の陣を崩さすに、頭上高くに見える塔を見つめる。陣の先頭を進むのはグリア連合国の王アガレス。彼を中心に主力部隊が集まり、左翼、右翼は主力部隊には劣るが年配のベテラン騎士が固めている。
「各位、気をつけろ。落ちたら助からないぞ!」
アガレスの右隣に位置するフィッツが叫ぶ。
地面には短い草が生い茂り、所々に水が溜まっているよくある湿原地帯。だが、この湿原地帯は沼地のようにぬかるんだ場所があり、落ちれば底なし沼に落ちたように沈んでいく。ものの数秒で全身が自然に飲み込まれ、一度落ちた者を救う手段はない。
「その程度の事で臆する兵はおらん」
アガレスが瞳を閉じてつぶやく。騎士達は王の背を見つめる。
「我らにあるのは勝利のみ」
王の言葉に騎士は背を伸ばし胸の甲冑を叩く。金属の音が一斉に鳴る。この国の忠誠を示す合図である。守るべき王が自ら前線に立ち、最前線を進む。後に続く騎士はただ信じて後に続くのみ。その心に迷いも、恐怖もない。
「我は負けん。絶対にな」
王は塔を睨みつけて短くつぶやいた。頭をよぎるのはあの男の言葉。それを振り切るようにアガレスは塔を睨み続けた。
*
月明かりに照らされた平原をひたすら走り続け、見えてきたのは白亜の塔。
「あと数刻で到着だ。だが気を抜くな! ついた瞬間に戦闘になる可能性もある」
先頭を進むブレイズが指示を飛ばす。騎士に緊張が走る。都市で予備兵力として扱われていた彼ら。戦慣れしていない者も中にはいるのだろう。
「緊張する必要ないぜ。こっちにはハールメイツの軍神様がいるんだから」
場を破壊する陽気な声が響く。皆がジュレイドを見つめる。緊張した彼らにニヤリと笑みを向ける。
「気休めになるかは分かりませんが……負けた事はございません」
軍神が皆の不安を拭い去る。騎士達の表情には安堵の笑みが浮かぶ。ギルベルトは素早く彼らの表情を確認する。これならば戦える。緊張して動けなくなった兵よりかは幾分かましである。
「誰か来たよ」
シェルが小さな手を前方に向ける。馬に乗って平原を駆けるのは一人の真紅の髪をした大男。
「ほう。ジェイス殿ですか」
ギルベルトが顎鬚に触れる。
「塔の防衛をしている隊長か」
ブレイズは大男を見つめながらつぶやく。男はギルベルトの目の前で馬を止めた。近くに立つとさらに大きい。縦だけではなく、鍛え抜かれた肉体のおかげで横にも膨らんで見える。
「俺はジェイス。そちらの隊長はギルベルト殿か?」
ブレイズを見ることもなくギルベルトに視線を向ける。当然と言えば当然だろう。
「俺がこの一団を率いているブレイズだ」
ジェイスに向けて右手を差し出す。その手を意外そうな瞳で見つめるジェイス。微笑んでから手を差し出す。
「すまない。若い隊長だな」
「それは心得ています」
手を握り合い二人は言葉を交わす。
「現在の状況を教えて下さい」
ギルベルトが二人の会話に割って入る。今はとにかく時間が惜しい。作戦を伝達するには少なからず時間が必要である。その間に敵が来てしまえば無策で戦うようなものだ。それだけは避けたかった。
「分かった。塔に向かいながら説明する」
ジェイスは馬を塔に向ける。
ブレイズが手を掲げて合図すると同時に騎士達が続く。
「今夜か……早朝か」
ノイアは塔を見つめながらつぶやく。並走するシェルを見つめると顔は真っ青だった。でも、前を見つめて懸命に馬を走らせる。手を貸したくなる。だが、ここで手を差し出したら以前のシェルに戻ってしまう。ノイアは拳を握って甘い自分を追い出す。胸が締め付けられる。その痛みを堪えてノイアは痛いほどに拳を握った。
*
ほのかなランプの光が一枚の地図を照らす。地図の上には騎士の形をした石の置物が各地に置かれている。
「別働隊か……」
ジェイスは地図を見てつぶやく。塔の前にはジェイスを中心に円を描いて守る方円の陣が敷かれ、北西には一つの部隊を置くらしい。真北には敵を示す騎士が置かれている。
「はい。この辺りの地形は進行可能な場所が限られています。彼らは南に真っ直ぐに進行する他に道はありません。迂回路もありますが時間が掛かりすぎます」
ギルベルトが敵の騎士を南に移動させる。
「それではこの北西の部隊はどう進むのですか? 沼地を避けるのは不可能ですよ」
ブレイズが顔をしかめる。相手の進路が限られるのと同時に、こちらの進路も限られている。
「ああ。この塔を守るのはいつも一本道でぶつかるだけだ。下手に迂回しから沼地に落ちて終わりだ」
ジェイスが腕を組む。沼地を駆け抜けろというのはあまりにも無理がある。
「――私が道を作ればいいんですよね?」
一人の少女が急に言葉を発する。緑色の瞳が皆を順番に見つめる。
「その通りです」
ギルベルトがノイアを見つめて一つ頷く。
「ほう。障壁で道を作るのか」
ジェイスは感心したように地図を見つめる。
「側面からの攻撃は都市マーベスタからの援軍で務めます。数が多すぎれば奇襲には向かないでしょうから」
ブレイズが提案。奇襲を失敗すれば全滅。危険なのは承知しているが、それは後から来た者が務めるべきだと思う。
「若いと言ったことは訂正しよう」
ジェイスの手が肩に触れる。ブレイズは男の瞳をしっかりと見た。
「生きて戻れよ」
短くつぶやいてテントの外に出る。もう決める事はない。後は敵が来るのを待つだけだ。
「そういえばシェルはどうしてるんだ?」
ブレイズが地図から視線をノイアに向ける。
「もう塔に登ってる。ルメリアも一緒だから心配はいらない」
ノイアが微笑みを向ける。
「あなたでなくてよかったのですか?」
ギルベルトの表情が曇る。昨日からノイアはシェルを避けているように見える。
「あの子は私から離れて大きくなろうとしてる。だから側にいてはいけないんです」
ノイアは儚く笑う。表情を見れば分かる。心配で溜まらないのだろう。今すぐにでも駆けつけて抱きしめたいと顔に書いてあるようにも見える。
「その想いは伝わっていますよ」
ギルベルトが微笑んで返した。
*
塔の最上階を小さな足で懸命に登っているのはシェル。額には汗が浮かび、荒い呼吸を繰り返している。
「ジュレイドに運んでもらった方がよかったのではないか?」
後ろを歩くルメリアはさすがに心配になってきた。「上まで運ぼうか、お姫様?」といつもの軽口を叩いたジュレイドをシェルは首を振って断固辞退。今は自らの足で塔を登っている。
「強くならないといけないから。もう足手纏いは嫌」
シェルは胸の前で拳を握りつぶやく。小さな背中はどこか力強く見える。でも、まだまだ支えは必要である気がする。手間のかかるお姫様だとルメリアは思う。
「ノイアだって戦場に立つ。恐いけど……私にできる事をするよ」
シェルの細い肩は震えている。それでも歩む足は止めない。本当はノイアに抱きついて甘えたいのだろう。そして恐怖を拭いたい。だが少女は振り向かない。ルメリアにも頼ろうとしない。その想いを受け取って後ろを歩く世話係代行が口を開く。
「ならば……シェル。お前の力を見せてやろう」
優しい声が背に届く。肩の震えが一瞬だけ止まる。
「――うん!」
シェルは力強く頷く。いつも世話を焼いてくれたノイアに一人前の姿を見せたい。そんな想いが伝わってくる。
「まるで親子みたいだな」
ルメリアは呆れながらつぶやいた。
*
時刻は午前三時。月明かりを浴びて騎士剣が白銀に輝く。
「夜戦か……」
ブレイズは湿原に立つ軍勢を見つめる。
ここまで乗ってきた馬は食料として潰したらしく、グリア連合国の騎士達は湿原を自らの足で進んでいる。一定のペースで進む甲冑姿の部隊はどこか不気味な印象を受ける。まるで感情のない人形が歩を進めているようだ。
「今なら敵からの発見が遅れる。好都合だ」
ジュレイドが小声でつぶやく。こちらを発見されるのも時間の問題だが、上手くいけば奇襲をかけられる。
「ねぇ……先頭を進んでいる人……嘘……」
ノイアは敵の部隊の先頭を進む人物を見て肩が震えた。敵国の王であるアガレスである。シスターであっても見間違える訳はない。前線に出て来ただけでも驚きだが、敵国の王の行動を見てさらに目を見開いた。
アガレスは一度左手を上げる。部隊が一斉に停止。敵部隊との距離は約100メートル。前方の騎士が握っている弓がぎりぎりで届く範囲。
「――ふっ――!」
アガレスは即座に地面を蹴る。刹那、一斉に矢が放たれる。煌いたのは銀閃。飛来した矢は宙で折れ地面に突き刺さる。
一瞬の空白。ハールメイツの騎士達はたった一人で矢を全て弾き返した敵国の王を呆然と見つめた。その一瞬の時をグリア連合国は見逃さない。
「続けーーーー!」
フィッツの怒号の叫び。漆黒の甲冑を纏った騎士が一斉に地面を駆ける。一瞬の遅れと共に矢が雨のように降り注ぐ。
「大楯部隊……構え!」
指示を受けて先頭を進む部隊が一斉に大楯を構える。二列目を進む騎士は頭上に大楯を掲げ、そのまま疾走。
矢の第二波を大楯で防いだグリア連合の騎士は勢いを衰える事無く前進。
「ぎりぎりまで引き付けろ! 武器をボウガンに」
副隊長のグレンが即座に指示を飛ばす。騎士達は手にした弓を放り投げて腰につけているボウガンを構え屈む。
「狙いは足。射撃と同時に大楯部隊は前へ!」
グレンの指示を聞いた瞬間に矢が湿原に生える草を貫きながら疾走。脛の甲冑を砕き、最前列の騎士が倒れる。だがこの程度で敵は止まらない。即座に二列目の騎士が掲げていた大楯を降ろし前進。中央突破を目指す。
「――陣を鶴翼へ……急いでください」
ギルベルトの声を聞いて大楯を構えた部隊が突撃。敵の進路を塞ぐ。
刹那、方円の陣を崩す。指示通りに両翼が前方に張り出し「V」字型の鶴翼の陣に変更するために騎士達が疾走。両翼の間に敵が入った瞬間に包囲、殲滅をする陣形だ。
「勝った」
アガレスは敵の陣を見て勝利を確信した。中央突破を狙う我らを両翼が挟んで殲滅するつもりだろう。戦いながらこうも早く陣を変えてきたのは賞賛に値する。だが、すでに遅いとアガレスは断定した。
「――はっ」
短く息を吐き目の前にいる大楯部隊を一閃の元に崩したアガレスは疾走。狙いは手薄になった陣の中央にいる敵の指揮官のみ。突破してしまえば、この陣は意味をなさない。また指揮官を失った部隊など烏合の衆に過ぎないのである。このままに勢いならば難なく突破できる。
勝利のためにアガレスは地面を蹴る。自らが進む事で自国の騎士が続くようにと。
*
祈りを続けるシェルの耳に届くのは戦の音。騎士達の叫び声に金属がぶつかる音。塔の最上階にいても外での戦いの緊張感は伝わってくる。
「……う……」
シェルが一度呻く。不安で溜まらない。あの中にノイアがいる。誰が死んでもおかしくない戦場に。そう思うと震えが止まらない。
「信じろ」
ルメリアがシェルの肩を掴む。だが震えは止まらない。
「強くなるんだろう。簡単な事でないのは分かってる。でも……負けるな」
優しい声がシェルを支える。
「――うん!」
シェルは一度頷いてから祈りを捧げる。光が塔を照らす。力が首都クロイセンに伝わっていく。力が足りない時の補佐として付いてきたルメリアだったが、どうやらその必要もないらしい。一人では無理だからと付いてきたノイア。だが、数日間の旅で彼女は一人で使命を達成できるまでに大きくなった。まだ震えてはいるが一歩を歩もうとしているシェル。
「将来が楽しみではあるな」
ルメリアは微笑んでつぶやき、塔の最上階から戦場を見下ろす。視界に入ったのは光輝く道だった。
*
光の道を突き進むのは真っ白な甲冑に身を包んだ部隊。
「――続け!」
ブレイズの声が戦場に響く。騎士達が電光石火の勢いで駆け抜ける。
「まずはご挨拶!」
銃声が轟く。
グリア連合の部隊は部隊右側から受けた攻撃に足が一瞬止まる。今が絶好の機会。これを逃せば相手の突破を許してしまう。
「行け! ノイア!」
ジュレイドの声を聞いて、剣と鞘を逆手に握り、湿原地帯を体勢を低くして駆け抜けるノイア。刹那の時で一気に接近。銀閃が敵国の剣を破壊する。
「――騎士の意地を見せろ!」
ブレイズの叫びを聞いて騎士が迷わず地面を蹴る。シスターの少女が一番に突撃したのだ。騎士である自分達が迷っている場合ではない。覚悟を決めた騎士が怒涛の勢いで突撃をした。
「馬鹿な……どうやって」
アガレスが振り向いた瞬間には側面からの攻撃を受けた部隊は混乱状態。突破のための勢いも衰えている。偃月の陣は主力を前方に置いて一気に突破する陣形。側面には主力はおらず奇襲を受ければひとたまりもない。
「余裕だな。アガレス!」
太い声が響くと共に剣が振り下ろされる。
アガレスは剣を受け止めたと同時に視線を走らせる。刹那、ハールメイツの騎士が左右から剣を振り上げる。
「ジェイスか……面白い策を使う」
強引に横薙ぎに剣を振るいジェイスを吹き飛ばす。刹那、一息と共に高速に一回転。高速の銀閃が左右から迫る騎士を斬り捨てる。単体での強さでは止まる所を知らないアガレスであったが、戦局は刻一刻と姿を変えていく。
「両翼……閉じて下さい。包囲します」
ギルベルトの指示を受けて、V字の陣形がグリア連合の騎士を挟むように移動。
「皆、引け!」
フィッツが部隊に指示を出す。向かうのは手薄な敵の右翼。奇襲を行った部隊に背を向ける事になるがこのままでは全滅してしまう。
「主力を殿にして撤退!」
アガレスは後方に跳躍すると同時に奇襲を行った部隊に向けて突撃。グリア連合国の騎士は王に背を向けて撤退の道を切り開くために地を蹴った。
「おいおい。正気かよ……この王様」
ジュレイドは舌打ちをした。
王アガレスは撤退する事もなくこちらに向けて突撃してくる。一人でも多くの騎士を救うために。何よりも恐いのが主力部隊の瞳。突撃する王を見て死ぬ気で剣を振るう様はもはや人間を越えた存在に見える。
「ぐっ……」
左隣にいるブレイズの呻き声を聞いて素早く銃を向ける。ブレイズの目の前にいたのは漆黒の甲冑に剣を三本刺した騎士。倒れてもおかしくない状態でなおも剣を振るっている。
「くっそが!」
ジュレイドは叫んで引き金を引く。できる限り苦しまぬように頭部を正確に撃ち抜く。ただ敵を撃っただけだが、こんなにも気分が悪いのは初めてだった。これが戦争だと割り切るには重すぎる。
「はぁーーーー!」
ノイアの叫び声が戦場に響く。ジュレイドとブレイズが慌てて視線を向ける。
響いたのは剣響。二つの剣が火花を散らして交差する。
「貴様が原因か」
アガレスが目の前にいるシスターを睨む。まさか湿原に障壁を展開して突破するとは。ここまでの奇策を使ってくるとは思わなかった。だが、次はない。
「そうよ。そして……あなたの道はここで終わりよ!」
左手に握る鞘がアガレスの剣を狙う。
「くだらん」
アガレスは半歩下がって回避。刹那、銀閃が煌く。ノイアに向けられた一閃は突如現れた障壁に弾き飛ばされる。目を見開いた時にはノイアが振り上げられた銀閃が視界に入った。
舞ったのは白銀の刃。佇んでいるのは剣を握る異色の少女。
「ノイア!」
「王!」
ブレイズとフィッツの叫び声が響く。叫び声を聞いてお互いに後方に跳躍。代わりに剣をぶつけたのはブレイズとフィッツ。
「やらせない」
血走った瞳がブレイズを睨む。もはや前だけしか見えていない。あまりにも真っ直ぐで愚直。ブレイズは目の前にいる人物が一瞬自分と重なった。だが、手を抜くつもりは一切ない。
「ジュレイド!」
ブレイズは叫ぶと共に左に横飛び。フィッツの視界が開けた瞬間に見えたのは黒いコートを纏った男。
「悪いな」
銃声が轟く。
「――っ」
フィッツは急激に頭が冷えた。冷静になった頭でも今の状況をどうにかする方法はない。瞳を閉じた瞬間。甲冑を砕く音が耳に入る。だが、痛みが体を駆け抜ける事はなかった。
「フィッツ……お前は引け」
瞳を開けると目の前には王が立っていた。左手の篭手で銃弾を防ぎ悠然と立っているアガレス。
「アガレス!」
ブレイズは叫ぶと共に地面を蹴る。高速の銀閃。舞ったのは火花。
「……」
「……」
二つの視線がぶつかる。ブレイズの剣を止めたのはアガレスが右手に握る鞘。ルメリアやノイアがよく使う手段だ。
「潮時か……」
アガレスは短くつぶやいてブレイズを力任せに吹き飛ばす。立て続けに宙を切り裂く弾丸を鞘で弾き飛ばしながら退路を進むアガレス。
周りにいた騎士達がアガレスを追うために一斉に地面を蹴る。
「深追いはするな。慎重に進め!」
ブレイズは焦る騎士の背に叫ぶ。騎士は一度止まり隊列を整える。その間にはグリア連合国の部隊は撤退を終えていた。
「……これは……勝利なのか……?」
ブレイズは力が抜けた。地に膝をつけてぽつりとつぶやく。数だけの計算なら勝利。塔も防衛できた。だが、それと同時に敵の強大さを身を持って経験してしまった。こんな相手がまた攻めてくる。
「何度でも……追い返そう。出来るよ、ブレイズなら」
隣に立ったのはノイア。緑色の瞳はただ前だけを見ている。
「やらなければいけないんだな」
ブレイズはふらつきながら立ち上がる。視線を向けるのは首都クロイセン。光の壁は力を取り戻して強く輝いている。遠目でもはっきりと分かるように。新造の塔に加えて、守り切った塔からも神力が流れているのだろう。これで首都の防衛は安心できる。
「とりあえずの安心は確保。問題は山積みだけどな」
ジュレイドは塔を見上げる。その塔では今もシェルが祈りを続けているだろう。彼女の元に平穏は訪れるのだろうか。敵国を追い返したから安心。そんな簡単ではない問題が、山積みのような気がしてならないジュレイドであった。
*
翌朝。ヴァーンハルトは礼服に着替えを終えた瞬間にドアがノックされた。
「誰だ?」
ヴァーンハルトは不機嫌さを隠す事もなくつぶやく。声を聞いてドアを強引に開けて入ってきたのは騎士団団長アルフレッドと、ヴァンス。その後ろには騎士が数人待機している。
「……」
ヴァーンハルトは言葉を失った。ついにこの時が来てしまった。
「シスター見習いシェライト・ルーベントを自らの利権のために消そうとした。間違いはないか?」
騎士団団長がヴァーンハルトを睨む。手に握られているのは一つの手紙。
「何を馬鹿な事を……」
ヴァーンハルトが一歩後ずさる。誰かが口を割ったとでも言うのだろうか。
「捕らえた者が貴殿の名前を口にした。まずは話を聞かせてもらう」
指示をすると同時に騎士が部屋に入る。ヴァーンハルトの両腕をしっかりと固定して連行していく。
「待て。話を……ヴァンス!」
ヴァーンハルトは叫びながら抵抗を続ける。だが、騎士の力には敵うわけはなく、次第に声は遠くなる。
「……これからだな」
ヴァンスが騎士団団長を見上げる。
「ああ」
アルフレッドは一つ頷いてから背を向けて歩き出した。
*
賑やかな声が朝日が出そうな時刻に響く。グリア連合国を追い返した彼らは即座に酒盛りを始めたのだ。
お酒が飲めないノイアは壁に背をつけて溜息をついた。シェルは祈っており、ブレイズは同じ騎士に囲まれて談笑している。特に話す相手がおらず退屈なのだ。
「ノイアさん。溜息をついていてはいけませんよ」
ギルベルトが隣に立ち一言つぶやく。今は話し相手がいる事が素直に嬉しい。
「暇なのよ」
ノイアは楽しそうにしている銀髪の青年を見ながらつぶやく。
「ほほ……そうですか。ジジイでは役不足ですな」
ギルベルトはテーブルに置かれたお酒を持ち飲み始める。周りにいる男達のようにお酒によって騒ぐ事ができたら楽なのかもしれないとノイアは思う。
何度目かの溜息が出そうな時に修道服が控え目に引っ張られる。驚いて右を向くと同じ修道服を着た少女がいた。
「ルメリアと交代した」
シェルが嬉しそうに微笑む。一仕事を終えたような清々しい笑顔をしている。
「そう……上手く出来たみたいだね。私は……駄目だね。もうシスターというよりは騎士だから」
ノイアは儚く笑う。ふと小さな手がノイアの手を優しく包む。
「それが……ノイアだよ。シスターでもあるし、騎士でもある」
シェルの瞳は真剣だった。この少女だけはノイアがどんな道を進んでも受け入れてくれるような気がする。
「ありがとう。シェル……」
ノイアは屈んでシェルを抱きしめる。
「ノイア……」
「うん?」
耳元で囁くシェル。ノイアは久しぶりの感触に心が安らぐのを感じる。何か言いたそうなシェルに言葉をかける。
「大好き」
頬を赤らめてシェルがつぶやく。
ノイアの心に今までの悩みを全て吹き飛ばすような清々しい風が流れる。心がぽかぽかと温まる。不覚にも涙が出てしまった。
「う……っ……」
ノイアは涙を堪える事ができなかった。どうして涙が出るのか分からない。戦いの恐怖を今になって感じているのだろうか。そうだとするならいったいどれだけ鈍い心をしているのだろうか。
「大丈夫だよ」
シェルが抱きしめる力を強くする。ノイアはすがるようにシェルを抱きしめた。いつもとは立場が逆だが、今日だけはシェルの優しさに触れていたかった。
*
「あいつは負けただろう?」
牢にいる男が看守に渇いた声を掛ける。いつものように冷たい地面に腰を降ろし、一点を見つめている。
看守の頬には嫌な汗が流れる。牢の中にいるにも関わらす恐怖が心を占める。震えて動けない。何かが出来る訳でもないのだろうが。
「まあいい。いずれ分かる」
男は一度微笑みを浮かべる。看守はその笑みが悪魔の笑みにしか見えなかった。どうして兄弟でここまで違うのだろうか。
剣の腕、軍略においては現王アガレスをはるかに上回る男。だが、その性格に問題がある。
半年前にとある騎士がクーデターを起こした。それを鎮圧するために出陣したこの男は僅かな手勢で勝利を収める。その結果だけを見れば賞賛に値する。だが、裏では抵抗を止めた騎士を全て惨殺し、彼らを匿った市民も虐殺したのだ。
前王からは王の器ではないと追放を言い渡された男はその場で父である前王を殺害。最終的には兄と弟に分かれての争いに発展した。その争いの結果は現王の勝利。この男は今もこの冷たい牢の中に閉じ込められている。
「さて……ハールメイツ神国。どれだけ耐えられる」
男は不適に笑いゆっくりと立ち上がる。
看守は怯えて一歩下がる。耳に入ったのは男をつなぐ拘束具が音を立てて破壊される音だった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。今回は戦争パートですので、分かりにくい点などがありましたら感想、メッセージをいただければ幸いです。