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ただあなたを守りたい  作者: 粉雪草
シスター見習い編
4/19

ただあなたを守りたい シスター見習い編 4

ただあなたを守りたい シスター見習い編


―4―


「なかなかの太刀筋だな。素人とは思えない」

 ルメリアの凛とした声が早朝の寒空に響く。時刻は午前5時。鳥の小さなさえずりしか聞こえてこない静まり返った場に響くのは剣響。

 地に生えた短い草は突風のように地を駆ける二人によって激しく揺れる。

「ナイフを……使ってましたから!」

 ノイアは叫びながら剣を受け止める。目の前で火花を散らしているのは騎士剣。ナイフの限界を感じたノイアは騎士剣に変更する事を選んだのだ。

「……力で負けている相手に鍔競り合いをするな」

 涼しげな声が耳に届く。衝突した剣はどれだけ押しても動く事はない。それを可能にするのは、鍛え抜かれた膂力と、天性の体バランス。

「動かないのであれば」

 剣を受け止めていたルメリアが力を込める。刹那、ノイアはバランスを崩す。強引にルメリアが剣を横薙ぎに振るったのだ。

「素早く体勢を整えろ」

 凛とした声が響く。声と共に繰り出されたのは銀閃。騎士でなければ反応できない高速の輝きが迫る。

「……っ……!」

 言葉通りに素早く剣と鞘を構える。瞳を閉じる間もなく銀閃が煌く。両手の剣と鞘で丁寧に受け流す。剣響が寒空に響く。数は5回。一瞬の間を置いてルメリアが剣を構える。

「この一撃……受け止めて見せろ!」

 叫びと共に剛剣が振り上げられる。ノイアは咄嗟に剣と鞘を交差。火花が散ったのは一瞬。気づいた時には宙に浮いていた。

 すかさずノイアは空中で一回転して地に足をつける。着地を待っていたかのように追撃の銀閃が煌く。だがこの一撃は予想していた。ノイアは左手にありったけの力を込めて鞘で受け止める。

「今なら!」

 銀閃が寒空を切り裂く。狙いはルメリアの剣。シスターは人を傷つける事ができない。ならば相手の武器を破壊するしかない。それと共に圧倒的な剣技で戦意を喪失させなければならない。そんな無理難題をこなせるのが聖騎士と呼ばれる存在。

「上出来だ」

 凛とした声音から柔らかな声音に変わる。聖騎士は満足したように微笑んでいた。

 ルメリアの剣から火花が散る事はなかった。ノイアの剣が空を切り裂いた時には半歩下がっていた。結果は空振り。呆気に取られて前を見つめた時には勝敗は決していた。

 白銀の刃はノイアの首筋に触れる直前で止まり、左手に握られた鞘は剣を押さえつけている。実戦では剣を砕かれ、いつでも殺せる状態だ。やはり敵わない。これが本職の騎士の腕前。同じ力を持っていても届かない領域。

「参りました」

 首筋に触れそうな刃を見てつぶやく。ルメリアはただ緑色の瞳を見つめている。

「どうかしましたか?」

 緑色の瞳が真紅の瞳と重なる。答えを求める瞳に耐えかねてゆっくりと口を開く。

「いや……諦めないのだな。私が言うのも何だが……この戦い方は賢いとは言えない。騎士として割り切ったほうが幾分か楽だ」

 ルメリアが剣を首元から離して鞘に収める。

「……それでも神力と騎士の力を天から与えられた。それは意味がある事だと思います」

 ノイアは剣を鞘に収めながらつぶやく。この二つの力がシェルを守る事に繋がるのなら極めたい。どれだけ困難な道でも。

「……ノイア……君は本当に惜しい人材だな。アルフレッドが気に入る訳だ」

 ルメリアは一度微笑んでからテントに向けて歩いていく。この少女は騎士になれば、自分と同格かさらに上にいけると思う。まだ荒削りだがこの向上心は賞賛に値する。だから剣を教えた。ずっと影で見守ろうと思っていたが、どうしても手を貸したくなった。

「……騎士……」

 ノイアは自らが握る剣を見つめる。自分自身と国を守るために剣を扱う者。

「……私は……まだシスターだから」

 迷える少女が顔を落としてつぶやく。果たして自ら武器をとった者がシスターと呼べるのかは分からない。だが、使える力を無駄にしていられるほど今の状況は優しくない。自国にいながら命を狙われているシェル。同じ騎士が言葉を掛けても刃を向けてくる者達。やれることは何でもしなければ守りきれない。ジュレイド、ギルベルト、ブレイズに頼ってばかりではいけない。

「守りたい人は……自分で守らないと」

 ただ強く拳を握った。



 朝食を済ませた彼らはそれぞれの馬に乗る。

 本日の目標は森を抜けて、都市マーベスタにたどり着く事である。

「さて……そろそろ話してくれよ」

 無言の空気に耐えられずにジュレイドが前を見たままつぶやく。後ろでもたれ二度寝していたシェルが大きな瞳を開ける。この二人に緊張感などという言葉はないらしい。常にマイペース。本当に気の合う二人である。

「良いでしょう。ですが……警戒は緩めないで下さい」

 ギルベルトが口を開く。

 堅物二人がすかさず辺りを警戒。賊の一人すら見逃さない緊張感溢れる視線が、背の高い木の間を貫く。ブレイズとノイア。この二人がいれば油断した、などという事はなさそうである。安心したギルベルトがようやく口を開く。

「……結論から言いますと都市マーベスタは安全だと思います。領主のザックス殿は温厚な方で対話を重んじます。そして……騎士団団長とは旧知の仲で、シェライト派として有名ですね」

 顎鬚に触れながら私見を述べるギルベルト。

 ノイアはとりあえず安堵の息を吐いた。ここで挟まれたらもう逃げ場はなかった。何とか都市についても拘束されて終わりだっただろう。

「へぇー、お姫様は人気あるんだな。騎士団団長に、聖騎士、ハールメイツの軍神……そして領主様……この国を納める事ができるかもな」

 ジュレイドがさらりと危険な事を口走る。

「……」

 ギルベルトが顎鬚に手を触れてしばし黙考。ルメリアは涼しい顔をしている。

「ねえ」

 ノイアが出来る限り体を寄せて小声で問う。どうしても気になる事があるのだ。

「……なんだ。そんな小声で……らしくない」

 ブレイズは眉根を寄せて返す。ノイアに合わせて小声にしてくれるのが彼らしい。

「出来るの?」

「……結論から言えば可能だ。グリア連合国と通じて現政権を撃破すればな。国名はグリア連合国になるが……この国の誰かがここを納める事はできるだろう。その中心人物はシェルになるだろうな。まあ仮定の話だ」

 ブレイズは前を見ながらつぶやく。ノイアは疑問を感じた。

「どうして……グリア連合国の誰かが納めたほうが良いのではないの? そんな事を許してくれるの?」

 ノイアは小首を傾げる。分からないという顔をしている。

「……だから賢王だと言われている。仮にグリア連合国の誰かが納めてみろ。各地で反乱が続く。どれだけ鎮めても途絶える事なく続くだろう。それを納めるのに何十年、何百年もかかる。それならば今の形をそのままに、国の名前だけを変えてしまった方が早い。安穏とした市民は生活が変わらなければすぐに受け入れてしまう。もう反乱を起こす事はできない」

 ブレイズは溜息をつきながら話す。納める者が変わり、国の名前が変わるだけで生活は何も変化しない。ならば立ち上がる者はいないだろう。

「……本当の敵はグリア連合国。とてつもなく大きいね。内輪揉めをしている私達があまりにも原始的な集団に見える」

 つぶやいて顔を落とす。

 敵国は常に考えている。機会を与えればすぐにでも手を打ってくる。この事実をどれだけの人間が気づいているのか。どれだけの人間が危惧しているというのだろうか。ノイアは不安で仕方なかった。震える拳を強く握って止めた。



「王よ。どうして動かないのですか!」

 20代中頃の青年が声を荒げる。長い銀髪を腰まで伸ばし、肌は病人のように白い。身に纏っているのは甲冑ではなく胸、腰、膝、肘に防具がつけられた軽装姿。グリア連合国近衛騎士の一人であるフィッツである。

「今は動く必要がない」

 王座に座る王はただ前だけを見つめている。

 黒髪を肩まで伸ばした褐色肌が印象的な男。凛々しく威厳に満ちた低い声は、とても20代後半には見えない。王でありながら常に漆黒の甲冑を身に纏い、体は無駄なく引き締まっている。周りからは賢王と呼ばれているが、戦争になれば自ら前線に立ち剣を振るう。そのため国民からは強い支持を得ている。彼こそがグリア連合国の王、アガレスである。

「なぜですか!」

 目の前にいるフィッツはさらに叫び続ける。将来を担うシスター見習いが二人も外に出ている。この好機を逃す手はない。

「……かの国が内輪揉めをしているのは知っているか?」

 アガレスが瞳を閉じてつぶやく。

「は……はい」

 呆気に取られてフィッツがつぶやく。その瞬間にアガレスの瞳が開く。

「なぜだ?」

「そ……それは自らの出世のためにどちらかに肩入れし……あわよくば昇進しようという目論見ではないかと……」

 アガレスの問いに何とか言葉を返すが、後半は声音が小さくなる。自信はない。

「……それは一つの理由にすぎん」

「では……?」

 フィッツは絶大な信頼を寄せる賢王の言葉を待つ。この王は絶対的に正しい。王の言葉を聞き信じれば間違いはない。

「我らが動かないからだ。人は敵を失えば自然と内輪揉めを始める。常に敵がいなければまとまれないのが人間なのだ。下手に動けば二つの派閥はすぐに協力体勢を作るだろう。敵国グリア連合国に抗うためにな」

 王はゆっくりと立ち上がる。ゆっくりと歩を進める。

「……私が浅はかでした」

 近衛騎士が頭を垂れる。やはり賢王に従えば間違いはない。そう信じられる。

「構わん。もう少し学べばよい。それに動かない訳ではない」

「――!」

 言葉に出来ない喜びが胸を満たす。ようやく動ける。我らの勝利のために貢献できる。

「本来であれば内輪揉めでどちらか片方が消えると思っていたが……敵にも優秀な者がいるようだ。これ以上待っても結果は変わらない。なれば……」

 賢王が拳を握る。

「出撃……ですね」

「ぎりぎりまで引きつける。シスター見習いシェライト・ルーベントが塔に到着した際に叩く。塔の兵力と共にだ」

「了解しました!」

 フィッツは胸に手を当てて微笑む。すぐさま振り返って元来た道を駆ける。

「……ハールメイツ神国よ。シェライト・ルーベントの守りをおろそかにした事……後悔するがいい」

 アガレスは鋭い眼光をさらに鋭くさせてつぶやいた。



 都市マーベスタ。首都クロイセンの次に大きな都市であり、北にある塔に武器と食料を供給する重要拠点でもある。門を潜ると中心にある領主の館を中心に十字路が展開。都市の南西、南東は商店街が集まり、北東は住宅外、北西は旅人のための施設になっている。

 現在、一向は十字路を真っ直ぐに進み領主の館を目指している。左右は商店が並び道行く人も多い。ジュレイドは辺りを警戒しながらシェルから離れない。

「何……あの赤いの」

 シェルが右側にある果物屋を指差す。並べられているのは丸々とした赤い果物で、店主が皮をナイフで剥いていた。剥かれた果物は水々しくて美味しそうだ。

「ああ。この辺りでしか取れないリステの実だよ。甘くて美味しいんだ」

 ジュレイドがリステの実を見つめる。シェルも瞳を輝かせて見つめる。それと同時にジュレイドのコートの袖を引っ張る。

「おいおい。おねだりする人間違うって」

 ジュレイドが前を歩くノイアを指差す。

「ノイアー」

 ジュレイドの袖を離してノイアの背に飛びつく。会話を小耳に挟んでいたノイアは溜息をついて銅貨を二枚渡す。

「毒味だけはしてね」

 ノイアは振り向いて微笑む。シェルの安全を確かめられるなら銅貨一枚なんて安いものだ。

「恐いなー、おい」

 ジュレイドは仕方なくリステの実を齧り何ともない事を確認。それからシェルに渡す。シェルは頬を朱色に染めて小さな口でリステの実に齧りついた。ジュレイドはそれを横目に自らのリステの実に齧り付く。

「えへへ……お揃いだ」

 シェルが無垢な笑顔を向ける。ただ同じ物を食べているだけなのだが、何か善行を終えた気分になるのが不思議である。自分には全く似合わないのだが。

「……あまり時間を掛けないで」

 ルメリアが腰に手を当ててノイアを睨む。

「ほほ……そう焦る事もありません」

 ギルベルトがシェルを見て微笑む。歩みを止めている原因の少女は柔らかな頬をリステの実で汚しながら笑顔で微笑んでいる。

「そんなに汚して……」

 ノイアがシェルの頬を白いハンカチで拭いていく。堅物お姉さんから世話焼きお姉さんに変わったノイアは止まらない。シェルの行動を見つめて何かできないか様子を伺う。

「ありがと、ノイア」

 シェルが微笑む。その微笑を見てノイアはこの子はこのままでいてほしいと思った。先ほどブレイズと話していた事なんて、まだ知らなくてもいい。そのまままっすぐに育てばいい。痛い事、辛い事は自分が受ければいいのだから。

「行こう」

 ノイアが食べ終えたシェルに手を差し出す。

 シェルがしっかりとノイアの手を握る。何だかこの小さな手に触れるのが久しぶりな気がする。数日離れていただけなのだが、一度触れてしまえば離したくないような気がしてしまうから不思議である。

「さて……では改めて領主の館に向かいましょうか」

 ギルベルトが皆を見渡す。

 一斉に皆が頷いたのを確認してギルベルトを先頭にして彼らは歩き出した。



 机に置かれた書類にサインをしているのはマーベスタの領主であるザックス。茶色の髪を短く伸ばした細身で穏やかそうな表情が印象的な人物である。歳は40代中頃だろうか。

 場所は領主の館の執務室。書類を整理するための机の他には、左右にぎっしりと専門書が詰まった本棚のみ。他には特に物がない。ここまで豪華な飾り、照明がない執務室はないだろう。贅沢を嫌うザックスの性格をよく表わした部屋である。

「すみません」

 大人しそうな声を聞いてザックスは顔を上げる。それと共にドアが開き姿を現したのは礼服に身を包んだ華奢な少女。ザックスの一人娘であるミレーネだ。

 ザックスによく似た穏やかな表情を浮かべ領主であり、父である男を見つめる。

「どうした?」

 ザックスは笑顔を浮かべて問う。ミレーネはしばし戸惑ってから口を開く。

「……クレイア砦に所属しているギルベルト殿がお会いしたいそうなのですが」

「ギルベルト? ハールメイツの軍神……ギルベルト・スタンリーか!」

 ザックスは慌てて立ち上がる。クレイア砦に所属しているのは聞いている。その彼がなぜここに姿を現したのか。クレイア砦に賊が入ったと今朝聞いたが、それと何か関係があるのだろうか。

「と……通しますね」

 ミレーネは慌てる領主の反応に驚いて背を向けて走り出した。ザックスは一つ深呼吸をして平静を装う。何かが起きようとしている。どんな言葉を聞いても平静でいなければいけない。自分はこの都市を任された領主なのだから。



 数分の時を得て現れた人物を見てザックスは空いた口が塞がらなかった。ギルベルトだけでも驚きだが、聖騎士として有名なルメリアまでいる。いったい何が起きれば、この二人が護衛につくような事が起きるのだろうか。

「お久しぶりです……以前にお会いしてから五年は経ちますかね」

 部屋に入るなり一行の中心にいるギルベルトが丁寧に挨拶。

「そうですね。またお会いできて光栄です」

「もう老いた身です。そう畏まる必要はありません」

 椅子から立ち上がろうとするザックスを手で制す。そんな様子に耐えかねて左隣にいるルメリアが一歩前に出る。

「悠長に挨拶をしている場合ではない。早急に行動しなければ」

 溜息をついてギルベルトを横目で見る。

「私達はここから北にある塔に向かう予定です。しかし……時には傭兵に狙われ……ついに先日は……」

 ノイアが代わりに状況を説明する。だが、この先は言ってもいいのか悩む所である。隣にいるブレイズに視線を向ける。ブレイズは無言で一つ頷いた。

「どうしたというのだ? 私の方にはクレイア砦に賊が侵入したとしか聞いていないぞ」

 ザックスが眉根を寄せる。

 ノイアは目を見開いた。何か手は打っているとは思っていたが、まさかこんな嘘を平気で流しているとは。

「同じ国の騎士に攻撃を受けました。狙いは……シェル……いえ、シェライト・ルーベントを消すためです」

 ノイアは低い声でつぶやいていた。怒りを抑える事ができない。叫ばなかった事が唯一の救いだった。

「な……なんだと? ハーミル派が勢力を増しているのは知っているが……まさかそこまで」

 ザックスは明らかにうろたえている。確かに真実を知れば誰でも驚くだろう。

「……この都市での安全を確保して欲しいのです。それと同時に騎士団団長に連絡を。あの方は優秀な方です。何か手は打っているとは思いますが……念のために」

 ギルベルトが具体的にこちらの要望を伝える。

「分かった。この館の部屋を使うといい」

 ザックスは何とか平静を取り戻してつぶやく。宿を取るよりも目の届く場所で保護した方が懸命だと判断した。皆も納得して一度頷く。

「それと……塔に向かう時なのですが。兵を半分貸していただけませんか?」

「どういう事だ?」

 ギルベルトの言葉に、ザックスは立ち上がる。この都市から兵を動かすのは有事の際だけだ。グリア連合が動いたとは聞いていない。ならば、ハールメイツの軍神とまで言われた男には、凡人には見えない何かが見えているのだろうか。

「……私の予想ですが……仕掛けて来ます」

 ギルベルトは表情を険しくさせ断言した。グリア連合国の王は機会があれば逃さない。シェライトを消し、そしてこの都市までは一気に侵攻するだろう。そうなれば後は相手のペース。後手に回ったハールメイツ神国はいずれ負けてしまう。初戦を挫いてどうにか時間を稼ぎたい。この国がまとまるだけの時間を。

「……分かった」

 ザックスは頷いた。

 北にある塔を守る守備隊が突破されれば、この都市は最前線になる。それならば塔の守備隊と連携して、食い止めるしかないのだろう。塔の兵力を引かせるというのも一つの手だが、この都市を戦場にするのは得策ではない。

「ありがとうございます。ブレイズ、兵を率いた経験は?」

 ギルベルトがブレイズに問う。急に振られたブレイズは驚いて目を見開く。

「私は一介の騎士です。そんな経験は……」

 ブレイズが首を振る。てっきりギルベルトが率いると思っていた。

「そうですか。ならばいい機会です。あなたが率いなさい」

 ギルベルトが微笑む。ブレイズは一歩後ずさる。自分の指示で多くの騎士が命を落とす。

「ハールメイツの軍神の隣には常に……フレイル・マチェスがいました。彼が部隊を率い……私が作戦を立てる。彼がいなければ私は軍神などと呼ばれませんでした」

 ギルベルトが微笑む。

「父と……俺は違う。それに父は……結局……」

 ブレイズが顔を落とす。父のような才があるのか不明あるし、父は結局戦死した。戦死した者の指示を聞いてくれるのだろうか。しかも、こんな若い騎士の言う事を。

「作戦はじいさんが考えるんだ。いい機会だと思うけど」

 ジュレイドは肩をすくめる。

「軍師だけでは戦争は勝てない。胸を張れ……ブレイズ。お前が適任だ」

 ルメリアがブレイズの背を押す。ブレイズは戸惑いながらも姿勢を正す。

「……皆の命……私が責任を持ってお預かりします」

 ブレイズは胸に手を当ててつぶやく。

「いいだろう。信じよう……君を」

 ザックスは一度頷く。本来ならばこの都市を守る隊長クラスに指揮を任せたい。だが、この都市の守りをこれ以上手薄にはできない。このメンバーの中で指揮ができそうなのが一人しかいない以上任せるしかないのだろう。それに塔までつけば戦争になれた者達が多くいる。最悪は彼らに任せるという手段もある。何とか心を静めたザックスは背を向けるブレイズを見つめた。



 案内されたのは館の2階にある客室。部屋を見渡すと人が二人は眠れそうな大きめのベッドが四つあり、書き物が出来る机があった。先ほどの執務室よりも豪華に見えてしまうのは気のせいではないだろう。

「本棚まである……えっと……歴史に軍略……あとは政治か。固いねぇ」

 部屋の奥に鎮座している本棚を見てジュレイドがつぶやく。だが返答はない。

 ブレイズはベッドに腰を降ろし、顔を落としたまま動かない。ふとブレイズの肩に手が触れる。

「出発は明日です。ブレイズ……気負わないで下さい」

 ギルベルトが微笑む。気休めである事は分かっている。だが気負いすぎて判断を間違えば重大なミスを犯すのも事実である。適度な緊張感を持って挑まなければならない。

「分かっています」

 ブレイズは拳を握る。もはや明日の事しか頭にないブレイズ。すっかりシェルの護衛だという事を忘れている。

 そんなブレイズを横目に見てジュレイドは最奥の窓から外の景色を覗く。

「…………」

 館の外には石で出来た平坦な道を通行人がまばらに歩いている。目を細めて通行人を凝視。その中で一定のペースで歩いている二人組みを見つけた。周りの市民に合わせた私服姿だが、あまりにも乱れがない。

「ふーん」

 ジュレイドはつぶやいて腰に吊っているリボルバーの弾を確認。

 ザックスが騎士団団長に知らせるまでは気を抜けない。この館にいても安全だという事はどうやらないらしい。ジュレイドは何事もなかったようにドアへと向かう。

「どこに行くんだ?」

 ブレイズがジュレイドの背に問う。

「お散歩」

 ジュレイドは右手を軽く上げ、振り向く事なくドアを開けた。



 ノイアは優しく短い黒髪を撫でる。

「うーん」

 シェルが気持ち良さそうに表情を緩める。シェルは客室につくとすぐにベッドに潜り込んで眠り出したのだ。長旅の疲れが出たのだろう。ノイアの左手をしっかりと握り寝息を立てている。

「大変だな」

 ルメリアが呆れたような表情を浮かべる。ノイアは微笑んだまま黒髪を撫で続ける。

「そんなに大変ではないんですよ。それに……私も癒されているから」

 シェルの無垢な寝顔を見つめる。今までナイフや剣を握り戦っていた殺伐とした世界から引き戻してくれる存在。ノイア自身もどこかでシェルに頼っている。シェルがいれば道を踏み外さないと思える。

「そうか……それもいいか」

 ルメリアは窓の外を見つめる。そこには黒いコートを羽織ったジュレイドがいた。一定のペースで前を歩く男達を監視している。おそらく相手も気づいている。ペースを守りつつ館から離れていく。仲間と合流してジュレイドを消すためだろう。皆が他の事で頭がいっぱいである時に影で動く傭兵。彼なりにシェルを守ろうとしてくれている。

「……幸せな奴だな」

 ルメリアはシェルの寝顔を見てつぶやいた。



 一定の間隔でブーツの音が響く。時折、前を歩く二人が視線を向けてくるがジュレイドは何事も無かったかのように気楽な笑みを浮かべて歩く。隙あらば鼻歌でも歌いそうなほどに力が抜けている。だが、この気楽そうな男の右手はリボルバータイプの拳銃に触れている。一秒でもあれば引き抜き、すぐにでも撃てる体勢は崩さない。それが分かっているため前を歩く二人はまだ行動を起こさない。

「……」

 無言で歩いていると男達は館から離れ、北西へと進む。誘っているのが分かる。だがあえて追う事を選んだ。彼らが誰の指示を得て行動しているのか。それを確かめるために。



 書斎の一室でヴァーンハルトは手にした手紙を握り潰す。

「なぜだ……砦から逃れるだと……? たかが護衛一人と、老人一人加わっただけで」

 両肩を震わせてつぶやく。心の乱れが部屋を照らす輝石に伝わる神力を乱す。天井で輝く輝石は光を失い、ベッドの近くにある輝石だけが弱く光る。

「誰か雇ったとでも言うのか?」

 ヴァーンハルトは手紙を床に投げつける。証拠を消さねば自らの立場が危うい。政治の代表であるヴァンスか、騎士団団長に気づかれたら終わりである。せっかくハーミルに取り入ってヴァンスと入れ替わる策が途絶えてします。そのために副団長まで護衛につけたというのに。

「早く動かねば……」

 ふらつく足取りで自室を飛び出した。



「一人で……向かった!」

 ノイアは声を荒げる。眠っているシェルが驚いて目を開く。

 先ほどルメリアが窓の外を指差して、ジュレイドが怪しい二人組みを追うために外に出たと述べたのだ。それを聞くなりノイアが叫んだのだ。

「どうしたの?」

 シェルは眠そうな顔で半身を起こす。

「ジュレイドが……一人で。早く行かないと」

 ノイアが立ち上がり、すかさず駆け出す。

「おい……無策で追わないで。ああ、もう!」

 ルメリアは話した事を激しく後悔した。話さなくてもあの傭兵ならば無事に解決できただろう。むしろノイアが行く事で危うい状況になる恐れもある。

 ルメリアは一つ舌打ちをして部屋を飛び出す。そして、この行動もよくなかった。もう一人おまけがついてしまったのだ。

「待ってーー」

 シェルが追いかけて来たのだ。ルメリアは素早く振り向いてシェルを抱き上げる。どうするべきか悩んだ瞬間に男性陣が休んでいる部屋が目についた。勢いよくドアノブを回して開け放つ。

「こいつ……任せた。絶対に出すな! いいな!」

 叫んでシェルを放り投げる。それと同時にドアを勢いよく閉める。

「あわわ……」

 シェルが空中で手足をばたつかせる。

「おっと……」

 ギルベルトが咄嗟に受け止める。シェルは大きな瞳をさらに大きく見開いて訳が分からず小首を傾げるのだった。



「酒場か。昼から酒は飲めないし……ミルクとかあるの?」

 ジュレイドは古びた酒場に入り冗談を飛ばす。歩く度に木で出来た床が軋む音がする。中にいた屈強そうな男達が手にした武器を構える。剣に斧と傭兵というよりは山賊のような輩。数は左右に五人ずつ。正面には後を追ってきた二人組みがいる。丸テーブルを倒し、男達がジュレイドに向かって距離を詰める。

「悪いが消えてもらう」

 後をつけて来た者の一人がつぶやく。ジュレイドはまだ銃を抜かない。

「誰に頼まれたんだ?」

 ジュレイドは肩の力を抜いて話しかける。それを合図にして周りにいた男達が一斉に走り出す。ジュレイドは溜息をついて両手に銃を構える。

 耳をつんざくような音が響くと同時に鮮血が舞う。左右にいた男がそれぞれ一人ずつ倒れる。その隙に距離を詰めた男達が武器を振り上げる。避ける場所はないように見えた。

「おっと」

 ジュレイドは気が抜けるような声を出して、武器の間をすり抜けるように移動。標的を失った男達は目を見開く。振り向く間もなく銃声が立て続けに轟く。

「はい。あと四人」

 壁に背をつけて悠々と弾を込めるジュレイド。男達は憤慨した様子で武器を振り上げて走る。だがジュレイドは追って来た二人から目を離さない。おそらく危険なのはこの二人。残りの山賊まがいの者は対した事はない。

「ちっ……やっぱりか」

 舌打ちをした瞬間に壁を背に横飛び。

 轟く銃声。コートの裾を破いたのは一発の銃弾。ジュレイドが地面を一回転して起き上がった時にさらに銃声が轟く。鋭い眼光が銃弾を睨む。軌道を読みきり一歩下がる。銃弾が今までジュレイドの左足があった場所を貫く。追って来た二人が握っているのはリボルバータイプの小振りな銃だった。

「……」

 ジュレイドは咄嗟に銃を構える。

 刹那、二発の銃声が轟く。ジュレイドは即座に反応。一秒も経たぬ内に引き金を引く。宙で火花が散る。銃弾と銃弾が宙でぶつかりお互いの弾を弾き飛ばす。

 銃の援護を得た山賊まがいの男達は自分達が有利だと判断したらしく猛然と突撃してくる。さすがに不利かと思った瞬間に障壁が男達の進路を塞ぐ。

「ジュレイド!」

 ノイアの声が酒場の入り口から聞こえる。一斉に銃がノイアを狙う。

「馬鹿……!」

 咄嗟にジュレイドが酒場の入り口に向けて駆ける。その機会を二人の男は見逃さない。男達の予想通りにジュレイドはノイアの前に立ち塞がる。銃声が轟く。

 ジュレイドは遅れて引き金を引く。刹那、ジュレイドの右腕と、左足を銃弾が貫く。力を失い膝をついたジュレイドは放った弾丸を見つめる。狙いは完璧なはずだ。

 二発の弾丸が空間を切り裂く。銃を持った男二人に狙い通りに直撃する。一発は頭部を貫き、もう一発は手にした銃を破壊する。だがここまでがジュレイドの限界。

「もらった!」

 障壁を突破した二人が無防備なジュレイドに武器を振り下ろす。回避しようにも体が動かない。まさか人を庇って死ぬとは夢にも思っていなかった。だが悪行を続けた身にはお似合いの死かもしれない。

「させない!」

 力ある言葉がジュレイドの耳に届く。二人の男達が振り下ろした剣をノイアが剣と鞘で受け止める。目の前にいる男達を睨みながら腕に力を込める。だが片手では防ぎきれない。

「それなら……!」

 ノイアは半歩下がる。男達が空振りをしたのを見て、剣を構える。

「はぁぁーーーー!」

 叫ぶと同時に地面を蹴る。高速の横薙ぎの一閃。慌てて一人が受け止める。刹那、左手に握る鞘が振り上げられる。舞ったのは白銀の刃。武器を失った男は数歩後ずさる。

「この女!」

 男が剣を捨てて落ちていた斧を拾い上げる。一気に距離を詰めて力任せに振り下ろす。

「……っ……」

 剣と鞘を交差させて受け止める。激しい衝撃が全身を駆け抜けた瞬間にノイアは判断した。受け止めきれない。押し負けると思った時に真紅の鎧が見えた。

「世話が焼ける!」

 鋭い一声が響くと同時に砕けた刃が舞う。

 目の前に立ったのはルメリア。剣を素早く男の首元に向ける。

「さっさと行け」

 武器を失った二人の男を睨む。即座に男二人が逃走。残ったのはジュレイドが後を追っていた一人。

「……すまないけど……そいつから話を聞きだしてくれる」

 ジュレイドがコートの裾で額の汗を拭う。

「ごめんなさい。私のせいで……今から癒しの術式をかけるから」

 瞳に涙を溜めたノイアがジュレイドに駆け寄る。癒しの術式を背後に感じながらルメリアは男の前に立つ。

「……」

 男は観念したのか抵抗をする様子は見せない。

「誰の指示?」

 ルメリアが低い声で問う。男は舌打ちをしてから口を開く。

「ヴァーンハルト……だ」

 男は溜息をつきながらある男の名前をつぶやく。その名前には覚えがある。確かヴァンスと同じ政治を務める男で、ハーミル派で有名な男だ。かなり野心家で隙あればヴァンスに成り代わろうとしていた男である。

「なるほど……ある意味では納得ね。ご同行願える?」

 ルメリアが問う。確かな証拠があればヴァーンハルトとて言い逃れはできないだろう。男は力なく頷いた。

「では帰りますか」

 ジュレイドが立ち上がる。一応は怪我を塞ぐ事はできたらしい。だが自前のコートには穴が開いていた。コートの持ち主は気にした様子はない。いつもの陽気な笑顔を浮かべているだけだ。

 ノイアは力なく頷く。今回は迷惑を掛けただけだった。力になる所か足を引っ張る結果となってしまった。

「今後は迂闊な行動はしないように」

 ルメリアは男を連行しながらつぶやく。それ以上は何も言わなかった。

「心配してくれたのは……ありがと」

 ジュレイドがノイアの頭に手を置く。上目遣いでノイアが見つめる。

「惚れるなよ」

 ジュレイドがノイアの頭から手を離す。すぐに右手の一指し指を伸ばし、親指を立て拳銃を作り撃つ真似をした。ニヤリと笑う仕草は子供のようだった。

「惚れません!」

 ノイアが顔を真っ赤にして叫び返す。

「まあ、ノイアにはあの堅物が似合ってるな」

 ジュレイドは背を向けて歩き出す。

「……堅物」

 ノイアはぽつりとつぶやく。おそらくブレイズの事だろう。胸に手を当てる。彼に対しては特別な感情はない。友であり、同じ道を進む同志。

「そうだよね」

 ノイアは心に確認してから一歩を歩んだ。



「彼はこの国の騎士に預けたわ」

 ルメリアが領主に報告。何の感情も与えない無表情で淡々と述べる彼女の心は見えない。

「分かった。合わせてアルフレッドに報告しよう」

 溜息をついてザックスが述べる。

「この国のあり方……もう一度考える必要があると思うけど」

 ルメリアはつぶやいて背を向ける。耳に痛い言葉ではあるが事実であると思う。まさかこの都市でも砦と同じようにシェライトの命を狙う者が現れるとは思わなかった。そこまでして昇進を考える者がいるとも思いたくはない。だが今回は具体的な名前まで出てしまった。

「……いい機会なのかもしれないな」

 ザックスは顔を落としてつぶやいた。後は首都クロイセンにいる旧友が上手くやる事をただ祈るだけだった。



「二人ともどうして無理したの!」

 帰った途端になぜか怒られているジュレイドとノイア。さすがに破けたコートで帰ってこれば分かってしまう。

「悪かったよ」

 ノイアがどうにかシェルをなだめようとする。

「大丈夫。簡単には死なないから」

 ジュレイドがシェルの頭に手をのせる。その瞬間にシェルの大きな瞳に涙が溜まる。

「……私のせいで二人が傷つくのは嫌だよぅ……」

 シェルがジュレイドに抱きつく。顔をジュレイドの腹部に埋めて涙を流す。

「悪い……」

 ジュレイドはそれだけしか言えなかった。いつもの気楽な冗談は言えない。胸を締め付けて言葉がでない。頼むから泣かないで欲しい。シェルが傷つかないために、怯えないように奴らの後を追ったのだから。これでは何がしたいのか分からない。

「次からは……私にも教えて。ちゃんと耐えられるように強くなるから」

 シェルがジュレイドのコートを強く掴む。震えてはいるが確かな強さを感じる。

「……そうか」

 ジュレイドは短くつぶやく。それを聞いてシェルが顔を上げる。

「もう……幼いままでも……弱くてもいけない」

 強い瞳がジュレイドの瞳と重なる。その瞳からは迷いはなかった。強くなろうと決めた者が向ける強い瞳だった。

「いいんじゃないのか」

 ジュレイドが笑う。いつもの陽気な笑顔で。

「しばらく見ないうちに大きくなるんだね」

 ノイアは寂しそうな嬉しそうな表情を浮かべる。もう私がいなくてもシェルは歩める。近いうちに世話係ではなくて対等な立場で歩める日が来る様な気がする。そんな日が訪れるようにノイアは天へと祈った。


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