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ただあなたを守りたい  作者: 粉雪草
騎士編
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ただあなたを守りたい 騎士編 最終回

ただあなたを守りたい 騎士編


―最終回―


「どうして?」

 ノースは前方に展開する第一師団を見つめて問う。声が届かない事は、いや、届いたとしてももう止められない事は分かっている。

 そうだとしても。

 ノースは問わずにはいられなかった。なぜゲベルはこうまでして権力を欲しがるのだろうか。どうして人は争ってしまうのだろうか。

 シェルのように分かり合おうする者がいるというのに。なぜ、信じあえないのだろうか。

「今は戦うしかない。迷うな」

 ジュレイドの低い声が左側から聞こえる。

「はい」

 ノースは振り向く事なく一つ深呼吸をして心を落ち着かせていく。浮かぶ疑問を消し去るために。

「生きて……そして考えればいい。お前にはそれが出来るさ」

 落ち着いたジュレイドの言葉が心に沁みていく。

(今は……生きる。そして、王として道を切り開く)

 ノースは鋭い視線を向けると共に、光輝く剣を両手に握って――

「第二師団、陣は魚鱗ぎょりん! 駆け抜けます!」

 号令を飛ばす。

 刹那。指示を受けた魔術師の一団は、中心が前方に張り出し両翼が後退した三角形の陣へと形を変更。ノースがこの陣を選んだのはすぐに陣を変更するためである。

 数百単位の兵が魚鱗のように密集陣を組み突撃するこの陣は、情報の伝達が早いのが利点である。陣を変更するつもり予定であるノースにとってはまさに適した陣であるだろう。

 対するゲベルの陣は鶴翼かくよくの陣。両翼を前方に張り出したV字型の陣であり、大将であるゲベルを中心に配置し、中央に飛び込もうものなら両翼を閉じ殲滅するつもりだろう。兵力で劣る第二師団が取れる戦法は大将を討つ事のみ。それが分かっているからこその中央突破を警戒した陣だった。

「恐れないで……私を信じて下さい!」

 女王の声が平原へと響く。その声に応えるように、戦争の名残であろう折れた剣と槍が無造作に地に刺さった広大なノリアス平原を魔術師達が駆け抜ける。

 次の瞬間。第一師団の両翼から放たれたのは無数の氷刃だった。こちらが接近する前に物量で数を減らすのが狙いだろう。

「これはまずいぞ!」

 ノースと共に陣の底辺を走る傭兵が慌てた声を出す。

 そんな彼へとノースは不敵な笑みを浮かべる。

「この程度は予想済みです。陣を……テストゥドに!」

 予め聞かされていた魔術師の動きはまさに神速だった。

 最前列を駆ける魔術師が一斉に手で持つことが出来る氷の盾を形成し、迫る氷刃を尽く弾き飛ばす。それ以外の者は盾を左右へと向けて駆けていく。飛び道具を無効化しながら前進出来る防御の陣である。行軍するには適した陣に見えるこの陣ではあるが、反面進軍の速さを見るからに遅くなってしまうのが欠点である。

 それを証明するかのように第二師団の歩みは亀のようなゆっくりとした行軍であった。

 盾が破壊されるか、それとも懐に入れるか。そのどちらになるかは神のみが知る事であるだろう。

「まだです。もう少し」

 ノースは焦る魔術師に声を掛けながら前進を続ける。歩を進める度に命綱に近い盾が割れる音が響く。だが、ノースはまだ指示を出さない。

「信じろ。まだ……動くな」

 ジュレイドが手に持つライフルをしっかりと握り、自らに言い聞かせるようにつぶやく。

 刹那、ガラスが割れるような乾いた音が鳴り響く。

 それが合図だった。

「陣は……偃月えんげつ!」

 叫ぶと共にノースは平原を蹴り一気に駆け抜ける。

 偃月えんげつの陣とは第一師団が展開する鶴翼の陣とは正反対の、中軍が前に出て両翼が下がる陣。もっとも危険な最前線を進むのは当然、指示を出したノースである。

 今まで動きを鈍らせていた重石を失った魔術師達は信じる王に続いて一斉に地面を駆けていく。

「目標は……ゲベルのみです!」

 ノースは力の限り叫ぶ。自らの頬を氷の刃が切り裂こうとも、後に続く魔術師が倒れようとも決して足は止めない。願いはただ一つ。この戦いを終わらせる事のみなのだから。

 ノースは鋭い視線をゲベルへと向け、平原を駆け抜けた。



「どう見る?」

 ノイアは自らを指揮する隊長へと問いを放つ。

「敵の陣は横隊おうたい。包囲殲滅は不可能だな」

 ブレイズは敵の陣に鋭い視線を向けてつぶやく。

 敵の陣は至ってシンプルだった。二倍以上の兵を余す事なく使用し、三列に並べただけである。一見無策に見える陣だが、横に広がった陣を包囲する事は事実上不可能であり、数で劣るハールメイツ神国には手の出しようがない。

「もう少し前進して来るのであれば……投石器の射程範囲です」

 軍神の落ち着いた声が二人へと届く。

 見守る事数秒。

 意思無き操り人形とされた住民が、通常の者であれば踏み入る事を躊躇するであろう領域へと顔色を変えずに踏み込む。

 刹那、上空に大岩が飛来。射程は二百メートル強、最大重量は七十キログラムを超える投石器の岩である。

「まるで捨て駒だな」

 ノイアは一度顔を歪めた。

 敵は大岩が飛んで来てもまるで怯む事はなく前進して来るのだ。命がない者に反応をしろというのは無理な話ではあるが、この光景は見るに堪えない。

「止めさせよう。こんな事は」

 つぶやいて一歩前進したのはシェルだった。

「そうだな。これで戦争は終わりだ」

 ノイアは右手に握る剣をしっかりと握りしめ、住民を操っている元凶を視界に捉える。

「陣は……鋒矢ほうし。狙いは一点突破のみ。首都への守りは団長達に任せる」

 ブレイズが前方を睨み指示を飛ばす。

 指示を受けた騎士達は矢印の形に陣を整えていく。一点突破には優れるが、包囲されれば対応できない突撃の陣形である。

「ノイア、錬。前は頼む」

 隊長であるブレイズの声を背に聞いて、ノイアと錬は最前線を駆け抜ける。

「どちらが攻めているのか間違えそうね」

 左隣を走る錬が冗談交じりにつぶやく。

「そうだな。まさか突撃の陣を組むとは思わなかった」

 ノイアは隣を駆ける少女に向けて首肯。

 敵の切り札を断ち切る事を命じられたが、ここまで思い切りがいいとまるで敵国を攻めているみたいである。

(だが……これで終わるのであれば)

 ノイアは自らの心に言い聞かせて駆ける足へと力を込めていく。

 まず視界に入ったのは虚ろな瞳を向ける住民達のさらに奥。一人ぽつりと立ち尽くす黒いローブの男だった。おそらく錬と同じ力を持っているであろうこの男の実力は全くの未知数だった。だが、一つだけ分かる事は彼の取る手段は明らかに常軌を逸しているという事である。

「やはりあの人なんだ」

 隣を走る錬がか細い声を出す。

(やはり知っているのか)

 ノイアはチラリと隣に視線を向ける。錬の表情が青ざめているのは簡単に判別出来た。そして、錬の話を聞いたノイアとシェルはすぐに一つの可能性に思い至る。

 彼はおそらく錬の創造主なのだろう。

「錬は……どうしたい?」

 後ろを走るシェルが錬へと声を掛ける。シェルの声は落ち着き払っており、一瞬ノイアは誰が声を発したのか分からないほどだった。

「分からないよ。でも……ノイアの邪魔をするなら!」

 錬は大鎌を強く握って叫ぶ。一種の決意を感じさせる声で。

 だが。

 彼女の小さな肩は震えていた。迷っているのはすぐに分かってしまうほどに震えていたのだ。

「分からないなら……話さないと」

 シェルがゆっくりと心に沁みていくような言葉を発する。

「シェル……お前は」

 ノイアは溜息が出た。まさかこんな状態でも変わらず対話を重んじるとは思わなかったのである。

「本当に甘すぎるわ」

 錬は吐き捨てるような低い声を発する。だが、すぐに自らの気持ちを整理した錬は強い意志を感じさせる漆黒の瞳を自らの創造主へと向ける。

「あまり時間は取れない。分かっているな」

 ノイアは決断した少女へと声を掛ける。

「当然。すまないけれど……先行するわ」

 ノイアの声を聞いた錬が姿勢を低くして駆け抜ける。そんな彼女を援護するためにノイアはすかさず指示を飛ばす。

「ボウガンで援護!」

 指示を受けた騎士はすかさず腰に固定されているボウガンを引き抜く。平原を埋め尽くしたのは無数の矢。その矢を縫うように錬は平原を駆け抜けていった。



「指揮官突撃の陣とは……笑わせる」

 ゲベルは不敵に笑い、魔力で形成した剣を握る。彼が余裕であるのは兵で勝っているからではない。己の腕に絶対の自信があるからである。フィッツベル王国一の光剣の使い手であるゲベル。そんな彼に真っ向から剣で挑むというのであれば笑ってしまう事も無理からぬ事であろう。

だが、ノースは止まらなかった。

 突撃の勢いを殺す訳にはいかないノースが使用出来る武器は両手の手に握る光剣のみであるというのに。このまま無策で飛び込めば命を散らすであろう事は誰の目にも明らかであるというのにである。

(この男を倒せるのなら)

 ノースはある種の決意を固める。自らが命を落とそうとも自国から出た戦争の根を刈れるのであれば本望だと思ったのだ。

 このまま悪戯に戦いを長引かせれば第一師団と第二師団はお互いに殺し合ってしまう。そんな事を許す事は出来ないのである。

「ゲベル……一緒に死になさい!」

 ノースは叫ぶと共に、進路を塞ぐ無数の氷刃を一振りで爆砕させてさらに前へ。

――残りの距離は五十メートル。

 こちらの考えを理解したゲベルが目を見開く。

「馬鹿な。どうして……そこまでして」

 明らかな狼狽の声が耳へと届く。

 その一瞬の隙を使い距離を詰める。おそらくゲベルが踏み込んでいればノースは斬られていただろう。

「ゲベル!」

 剣の間合いに飛び込んだノースが右手の剣を横薙ぎに振るう。

 閃光が瞬く。

 それは二つの光剣が衝突して出来た魔力の輝きだった。

「一歩足りなかったな、小娘が!」

 一撃を防いだゲベルが左手に新たな魔法の剣を出現させると共に真っ直ぐに突き出す。

「くっ――!」

 慌てて左手に握る剣で受け止める。

 刹那。

 ノースが握る光剣が眩しく輝く。

(爆発する!)

 心の中で叫んだ瞬間に魔力の剣が轟音を響かせて砕け散る。無数の破片を全身で受けたノースは数歩後ずさる。

 そんな好機をゲベルが見逃す訳はなかった。あの一瞬で勝負を決められなかった時点でノースは負けていたのだ。

(ここまでだと言うのですか)

 ノースの心にいつもの弱気な自分が浮かぶ。

 だが、そんな自分を再び現実へと引き戻したのは――

「ノース、屈め!」

 怒鳴りつけるようなジュレイドの言葉だった。

 反射的にノースは姿勢を低くするために屈む。

 屈んだ状態ではゲベルの剣を避ける事はまず不可能。そして、受け止めたのとしても光剣を爆破されたら終わりである。だが、ノースは信じた。彼ならばどうにかしてくれると。そう信じる事が出来たのだ。

 轟音が響き渡る。

 退避が間に合わなかったノースの銀髪を吹き飛ばしながら、高速の弾丸が目標に向けて突き進む。

「なめるな!」

 ゲベルはすかさず左手に握る剣を振り上げる。飛来した弾丸と魔力の剣が激突すると共に再び閃光が溢れる。

 銃弾を爆砕したのだと判断したノースは援護するために全ての魔力を剣へと込め振り上げる。

 お互いの剣に込められたのは同じ魔法。触れた物を爆破させるという単純な力である。

「魔力で力比べか? 小娘」

 ゲベルは睨みながらつぶやく。対するノースは落ち着いていた。

「まさか」

 つぶやくと共に右側へと跳躍する。

 ノースが着地するよりも速く、ゲベルが剣を構えなおすよりも速く。

 轟いたのは一つの銃声だった。

「な――に?」

 ゲベルは自らの胴に触れて呆然とつぶやく。彼の手は確認せずとも鮮血で汚れている事だろう。

「終わりだ」

 低い声が戦場に響く。声に導かれて視線を向けた先にはライフルを構えるジュレイドが冷たい瞳をゲベルへと向けている。

「馬鹿な。この俺が……王たる俺が――」

 ゲベルの言葉を打ち消したのは一つの轟音。

「これで終わるのですね」

 ノースは倒れていく男を見つめてぽつりとつぶやく。自らは勝利をした。だが、この勝利を喜ぶつもりはノースにはない。

 理由は周囲を見渡せば明らかだった。

「すみません……力のない王で」

 ノースは全ての魔術師に謝罪する。

 ここに至るまでに倒れた者に、そして、無意味な戦いに巻き込んでしまった者へと向けて。

「もう自分を責めるな。終わったんだ……終わったんだよ」

 ジュレイドがうつむくと共につぶやく。

「そうですね」

 ノースはうつむく彼に視線を向けた瞬間。もう戦う事はないのだと思った瞬間。

 魔術師の悲鳴が周囲を満たした。

「そんな……」

 ノースは両肩を震わせ、そのおぞましい光景を見つめた。

「くっそ……こんなのもう戦争でも何でもないだろうが!」

 ジュレイドが吐き捨てるようにつぶやいて銃を構える。

 彼が銃を向けた先には絶命したはずの魔術師が立ち上がり、仲間であった者を襲うという、見るに堪えない光景が広がっていた。

「どうして……こんな酷い事を」

 ノースの両足から力が抜けていく。彼らを討てというのだろうか。

「迷うな! お前の手で……彼らに安らぎを与えてやれ。仲間を殺させるな!」

 ジュレイドが叫ぶと共に引き金を引き絞る。

 彼の言葉を聞いて戦う意志を取り戻した魔術師が一斉に氷刃を展開する。

 もうそれだけしか方法がないのだとすれば王である自分は決断するしかないのだろう。

「――各位、全力で迎撃を。殲滅作戦に移行します」

 ノースはゆっくりと立ち上がり指示を出す。心は引き裂かれるように痛かった。それでもノースは逃げる事は許されないのである。

 ノースが言葉を発した瞬間に、無数の氷刃が仲間であった者を貫いた。



(今さら話してどうするのかしら?)

 錬は自らの心に問い掛ける。もうすでに居場所は見つけたのだ。ノイアは全てを受け止めてはくれないけれど、側にいていいと言ってくれた。それは錬が望んだ事。満たされている心も感じている。それなのに錬は目の前にいる男と話したいと思ったのだ。

 なぜそう思ったのかは分からない。でも、この気持ちを止められない事も事実だった。

「錬、ぼさっとするな!」

 思考に集中しているとノイアの叫び声が聞こえる。

 慌てて前方を向くと虚ろな瞳を向ける住民が両手を組んで振り下ろしていた。

「邪魔!」

 錬は鋭い声を発して住民の胴を手にした大鎌で一閃のもとに斬り捨てる。もしノイアが叫んでくれなければ今頃は地面に叩きつけられていた事だろう。

 冷汗が頬を伝った瞬間に、無数の矢が平原に無造作に生えた草花を切り裂きながら駆け抜ける。

 足を狙ったのであろう矢を一息と共に跳躍で回避した錬は、ついでに前方を塞ぐ人形を大鎌で破壊して進路を確保。

 現在は三列の内、二列目まで突破している。残りは一列。その先にいるのは錬を創造した男。

(こちらを見ている?)

 錬は先ほどから男の視線を感じている。だが、同時にこちらを見ていないような気もするのだ。だとすれば一体何を見ているというのだろうか。

 浮かんだ疑問を確かめるために錬は平原を駆け抜ける。

 進路を塞いだのは二つの人形。だが、錬はもう相手にする事すら億劫だった。鋭い視線を人形へと向けて機会を窺う。

 そして、意思無き人形が機械的に腕を振り上げた瞬間に――

「突破するわ!」

 錬は小柄な体を活かして間を潜り抜ける。これから先はどうしていいのかは分からない。戦う事しか知らなかった自分が、一体何を話せばいいのだろうか。捨てた事への恨みをつらつらと語ればいいのだろうか。だが、それは違う気がした。

 迷う錬へと男は視線を向ける。この視線ははっきりと錬を見つめていた。

「やはりお前はレンティアではない。ただの感情を持った出来損ないだ」

 男の第一声は錬の心を破壊するには十分だった。

 少しでも何かを期待したのが間違いだったのだ。彼は錬を捨てた男なのだから。

「なら……どうして創った!」

 錬は叫ぶと共に大鎌を振り上げる。

「私が求めるのはレンティアのみ。貴様ではない!」

 男は大鎌を左に体を逸らして回避すると共に、錬の腹部を蹴りつける。蹴りつけられた錬はまるで風を受けた紙のように容易に宙に浮いた。

 そんな錬を見つめる男の視線は明らかに冷え切っていた。

「そう……そこまではっきりしてるならもう迷わないわ。こんな下らない事をするあんたを私は許さない」

 錬は腹部を抑えて一度男を睨む。

「やはりお前は私の大切なものを奪おうとする。私が求める理想郷には不要な存在」

 男は両手を広げて一度瞳を閉じる。

 次の瞬間、無数のマリオネットが平原を埋め尽くしていく。

「私が……あなたを倒す」

 錬は大鎌を強く握り絞める。彼を止める事はおそらく彼によって生み出された者が行うべき事だと思うのだ。

 他の誰かに任せていい事ではないのだと錬には思える。

(ノイアなら一緒に背負ってくれるかな?)

 錬はこちらへと向かっている自らの居場所に想いを馳せる。彼女に寄り添いたい気持ちが心を満たしていく。

(でも……駄目だよね。背負わしてはいけないんだ)

 頭を振って錬は地面を蹴る。

 彼女が辿り付く前に勝負を決めるために。全てを終わらせるために。ノイアの明るい未来を守るために錬は鋭く男を睨んだ。



 まるで鉄球で殴りつけられたような衝撃が大楯を通じて全身を駆け抜ける。

「ぐっ――!」

 何とか耐え抜いたマイセルは大楯を握る手に再び力を込める。大楯を殴ったのは木で出来た木偶人形。破壊してもどこからともなく出現するこの人形は、その身を犠牲にしてマイセル達が展開する守りを崩していく。

「マイセル、首都に人形が!」

 ハーミルが首都を指差して叫ぶ。

 視線を向けると密集するマイセル達を無視して首都へと駆ける人形が目に入った。

「ここを離れる訳にはいきません!」

 マイセルはハーミルへと叫び返す。

 マイセルが現在いるのは首都に入る門の前方である。ある意味では最終防衛線だろう。この地点を離れるという事はこの人形の群れを首都の内部に招き入れるようなものである。

「首都の守りは……少ないのですよ」

 ハーミルは下唇を噛んでうつむく。

「あの二人であれば問題はないかと思います」

 マイセルは大楯を構え直してつぶやく。

「そうですね。私達は私達のやるべき事をしましょう」

 ハーミルはつぶやいて瞳を閉じる。

 溢れる光は一つの壁となり迫る人形を吹き飛ばした。



「これで……百六十三か?」

 つぶやくと共に迫る人形を破壊したのは真紅の髪の女性騎士だった。ノイアと同じく騎士の力と、神力をその身に宿した聖騎士ルメリアである。人を傷つける事が出来ない彼女ではあるが、人形相手では気にする必要はないらしく持てる力の全てを発揮している。その成果が辺りに転がる人形の塊である。

「私は……もう忘れた」

 アルフレッドはつぶやくと共に大剣を振り下ろす。例え数えていたとしてもこれ以上は無理だとアルフレッドは思う。

 その理由は大聖堂へと向かう上り坂を駆け上がる人形達を見れば一目瞭然だった。人形は数百単位で駆け上がってくるのだから。

「ノイアは……倒せると思うか?」

 ルメリアは人形達を睨みながら問う。

「可能だと判断したから任せた」

 問われたアルフレッドは一度頬を緩ませる。彼女であれば必ず成し遂げてくれると思える。アルフレッドはだからこそ任せたのだ。

「ノイアに少し甘すぎると思うがな」

 ルメリアはつぶやいて坂を下っていく。戦いを教えたルメリアは逆にノイアに冷たすぎるとアルフレッドは思っている。それも仕方がない事なのかもしれないのだが。

「かもしれんな」

 アルフレッドは自らの甘さを感じつつも信じた少女がこの国を救ってくれる事を切に願った。



「動かないのですか?」

 部下の声を聞いてソルトは顔を上げる。

 平原に広がる戦いはもはや戦争ではなかった。一人の勝手な想いが暴走した大義なき戦い。こんな戦いに加勢するほどソルトは腐ってはいない。

 だが、それと同時に迷っている。どう動けばいいのかを。

 今さら女王の加勢をすればいいのだろうか。だとすれば死後、どんな顔をしてザーランドに会えばいいのだろうか。

(どうすればいい?)

 ソルトは拳を握り締めて心に問う。答えは決まっている。だが、体が動かないのである。

「師団長。ハールメイツ神国の一団が向かってきます!」

 部下の声に我に返ったソルトは慌てて戦場に視線を向ける。どうやらそんな重要な事にも気づけぬほどに自らは腑抜けてしまったらしい。

「数は……十。赤白の旗を振っています!」

 部下の報告を聞いて、奇妙な一団に視線を走らせる。赤白の旗は交渉の意思を示す合図である。そして、旗を振っているのはハールメイツの軍神として名高いギルベルト・スタンリーだった。

(動けという事か)

 ソルトは旗を見つめる。

 もしソルトが指示を出せば軍神が率いていると言っても、ものの数秒で倒せる。そんな危険を冒してまで彼らは勝利のために進んでいる。

 対する自分はどうだろうか。悩み動けず、ただ見ているだけ。

(そんな俺をあいつが許すとは思えない)

 ソルトは決意を込めた瞳を戦場へと向ける。

「皆……前進! 目標は……ハールメイツ神国」

 ソルトの言葉に魔術師達が目を見開く。

 そんな彼らに――

「全力で彼らを死守しろ!」

 ソルトは叫ぶ。

 刹那、魔術師達はその言葉を待っていたかのように駆け出した。



「錬は!」

 ようやく最後の列を突破したノイアは叫ぶと共に先行した少女を探す。

 まず響いたのは金属同士がぶつかる音だった。音の発生源へと視線を向けると、幾重にも繰り出される銀閃と火花、そして鮮血が飛び込んできた。

 その鮮血を舞わせているのはあろう事か探し求めていた錬のものだった。

「錬!」

 ノイアはもう一度叫ぶと共に傷ついた少女へと駆ける。

「ノイア。来ては駄目! こいつは危険過ぎる」

 駆け寄ろうとするノイアに向けて錬は叫ぶ。

 その言葉の意味はすぐに理解する事が出来た。ノイア、ジュレイド、ザーランドの攻撃を難なくやり過ごした錬ですら男の前では無力だったのだ。

 目にも止まらぬ錬の銀閃をまるで見えているかのように躱し、がら空きの体へと手に握る剣を振り下ろす黒いローブの男。

 遠目で見ただけだが付け入る隙などは皆無である。それだけ男の動きは洗練されていたのだ。

「貴様如きでは敵わん。レンティアを失った時から私は……一日も鍛錬を休んだ事はないのだからな!」

 叫ぶと共に横薙ぎの一閃が錬の大鎌を破壊し、胴を容赦なく切り裂く。

「この……程度で!」

 錬は腹部を抑えて後方へと跳躍する。

 そんな少女をノイアは胸で受け止めて――

「後は……任せろ」

 耳元に優しく語り掛ける。

「ごめん……勝てなかった。そして、対話すらまともに出来なかった」

 錬はうつむいて弱々しい声を発する。

「後は私が引き継ぐ。だからゆっくりしていろ」

 ノイアは錬を癒しの術式で癒しながらつぶやく。

「ノイア、錬!」

 遅れて到着したのはブレイズに守られながら列を突破したシェルだった。

「錬を頼む。隊長、すまないが力を貸してくれ」

 錬をシェルに預けたノイアは背に立つ友へと声を掛ける。

「ああ」

「私も手伝います」

 すぐにブレイズとクレサが頷く。

(さて……錬をいとも簡単に倒した相手。止められるのか)

 ノイアは剣を構えながら思考を走らせる。

「どれだけ来ようが止められはしない。貴様達は私の理想郷には不要なのだ!」

 男は剣を真っ直ぐにノイアへと向け叫ぶ。

「貴様の理想郷は……こんな事をして手に入るものなのか!」

 叫び返すと共にノイアは地面を駆ける。その後をブレイズとクレサが続いた事を確認したノイアはさらに足を速めていく。

「そうだ。貴様達が生きている限り……私は安住の地を得る事は不可能!」

 男は叫ぶと共に剣を振り下ろす。

 二つの銀閃がぶつかり火花を散らしていく。その一瞬でノイアは男の瞳を見つめる。男の瞳は冷え切っていた。何も信じられない、世界に絶望した瞳がそこにあった。

「どうしてそこまで世界を信じられない!」

 ノイアは男の言葉を無視して言葉をぶつける。男と対話するために、ただそのためだけに吹き飛びそうになる体を懸命に踏み留まらせる。

「先にレンティアを奪ったのは。奪ったのはこの世界だ! 貴様ら感情を持った人間だ!」

 男の瞳が怒りの瞳へと変貌していく。

 その瞳を真っ直ぐに受け止めたノイアはもう一度言葉を探す。

 だが、ノイアが言葉をぶつけるよりも速く、踏み留まるよりも速く、男は対話を拒絶するかのように強引に剣を横薙ぎに振るう。

「ぐっ――!」

 ノイアは弾かれたように吹き飛んだ体を何とか支えて着地する。追撃の刃を警戒したが男はノイアに向けて剣を振る事はなかった。

 代わりに剣を受けたのはブレイズ。

「奪われたのなら」

 剣を受けたブレイズが男の瞳を真っ直ぐに見つめて語る。

 一瞬の静寂。

 そして、再び沈黙を破ったのは言葉を発したブレイズ。

「なぜお前は奪う!」

 ブレイズは叫ぶと共に渾身の力で男を吹き飛ばす。

 そして、ブレイズは剣を真っ直ぐに構えて――

「なぜ自らが感じた痛みを周囲へとばら撒くんだ!」

 真摯な瞳と共に男へと言葉をぶつけ続ける。

「黙れ! レンティアを奪った者達の言葉など聞くつもりはない」

 男はブレイズの言葉を無視して斬りかかる。

 ブレイズは向けられた刃を避ける事はなく、言葉と共に真っ直ぐに受け止める。

「くっ――!」

 刹那、ブレイズが呻く。力負けをした訳ではないのは明らかである。そうであれば可能性は一つのみ。傷が開いたのだろう。

「ブレイズ!」

 ノイアは叫ぶと共に地面を蹴る。

 だが、それよりも速く地面を蹴ったのはクレサだった。

「奪わせない!」

 クレサはブレイズと鍔迫り合いを続ける男へと鋭い突きを放つ。鋭利な突きは狙い違わず男の腹部に向けて繰り出され、男を絶命させるかに見えた。

 だが。

 クレサが貫いたのは突如出現した一体のマリオネットだった。意思無き人形は男の意思を受け取り、すかさず貫いた槍を両手で掴み固定。そして、空いた手をクレサの頭部へと伸ばしていく。

「クレサ。槍を離せ!」

 ノイアはすかさず叫ぶ。

 叫び声を聞いて反射的にクレサが後方へと飛び退く。無事を確認したノイアはマリオネットのさらに奥へと視線を向ける。

「どうして止めない!」

 そこには変わらず説得を続けるブレイズの姿があった。自らの体など構わずに言葉をぶつけ続けるブレイズ。

 対する男は言葉を拒絶し、重ねた剣を強引に押し続けていく。耳障りな者を消し去るために。

(間に合え!)

 ノイアは平原を走り続ける。友を救い、そして男にこれ以上奪わせないために。

「終わりだ!」

 男はブレイズの剣をへし折り、無慈悲な刃を振り下ろす。この位置からはもう止められない。

 諦めて瞳を閉じかけた瞬間。

 一つの剣響が響き渡る。そして、剣響と共に聞こえたのは威厳に満ちた男性の声だった。

「戦場で敵を説得か。ハールメイツ神国らしいな」

 慌てて瞳を開いた先にはグリア連合国国王アガレスが立ち尽くしていた。手に握られているのは一振りの剣であり、剣響を響かせた正体はこれであろう。

「アガレス」

 ノイアは歩を緩める事なく急に割って入った男へと声を掛ける。

「さっさと終わらせるぞ」

 アガレスはつぶやくと共に一度黒いローブを纏った男から距離を取る。それと共にブレイズは一度後方へと下がっていく。

「クレサ、ブレイズを!」

 ノイアは素早く指示を出して、自らはアガレスの隣へと立つ。

「貴殿とは一度剣を交えたな」

 アガレスは油断なく剣を構え、ノイアへと声を掛ける。

「ええ。あなた達を追い返した……湿原で」

 ノイアは薄っすらと微笑む。

「ふっ……その臆さぬ所。気に入った。行くぞ!」

 アガレスは言葉を発してすかさず地面を蹴る。

「言われなくても!」

 ノイアは王の大きな背中に続いて平原を駆けた。



 大楯に伝わる振動が激しさを増していく中、マイセルは素早く視線を走らせる。

 周囲にいた仲間はすでに倒れ、残りはマイセルを含めて百名弱である。身に纏う甲冑はすでに砕け役目を果たしていはいない。

(また負け戦)

 マイセルは心の中でつぶやく。背に守る少女には勝ち戦を経験して欲しかった。だが、たかが百名で首都を守りきる事など夢物語にも等しい事だった。

 それは目の前の光景を見れば明らかである。迫る人形と、死してもなお戦う魔術師と騎士の軍勢は数百、いや数千はいるだろうか。まだこれ以上増えるは想像に難くない。

 どれだけ倒しても増え続ける敵にどう抗えばいいのだろうか。その答えをマイセルが出す事はついに出来なかった。

「マイセル。まさか諦めた……などどは言いませんよね」

 後ろから掛けられるハーミルの声には鋭さすら感じる。

 だが、どうにも出来ないという事もあるのは事実である。もうマイセルには抗う方法がないのである。

 だが。

 一つの報告がこの戦局を一変させる。

「北より魔術師の部隊が迫る軍勢を撃破しながら接近中。そして、グリア連合国の部隊も到着した模様。各地に散らばり援護しているようです!」

 マイセルはその報告を震えながら聞いていた。

「勝てる。この首都を守りきれば!」

 マイセルは溢れる想いを言葉に変えて自らを奮い立たせる。その想いは部下へと伝わり空気を震わせていく。

「大楯、構え! 死守するぞ」

 マイセルの叫びが空へと響いた。



「女王様、案外タフだねぇ」

 いつもの陽気な笑みを浮かべて言葉を向けるのはジュレイド。

「私が倒れる訳には参りませんから」

 ノースは自らの意志を示すために光輝く剣を構え直す。

 だが、もはやノース一人が奮起した所でどうにかなる段階ではない。

 魔術師達は身に宿る魔力を使い果たしたのか、戦争の名残で地に刺さっていた誰の物かも分からぬ剣を引き抜き意思無き兵へと対峙しているのだから。

 数で押し負ける事は目に見えているのである。

「それにノイアさん達なら……必ず成し遂げます」

 ノースは一度深呼吸をして、気持ちを切り替える。

 一息で前方から迫る魔術師との距離を詰めたノースは、相手が剣を振り上げたその瞬間に胴を両断する。胴を切断して人としての機能を断ち切る。もはやこの方法でしか彼らを眠らせる事は出来ないのである。

 剣を振るう度に心は万力で絞められたように痛む。

 だが、それはこの場にいる誰もが同じ。ならば王であるノースが休む訳にはいかないのである。誰もやりたくない事に目を背ける王に従おうとは思わないだろうから。

「左右から来る。右は潰す!」

 ジュレイドの言葉に反応したノースは左へと視線を走らせる。

 数は三人。その奥には五人ほど迫っているだろうか。数は多いが所詮は操られている兵士。動作は比較的単純だった。剣を振り下ろすか、横薙ぎに払うか、その程度しかしてはこない。

 遠隔で、しかもこれだけの数を操るとなると限界もあるのだろう。

 操られている兵が取った選択は横薙ぎの一閃。迫る一閃を姿勢を低くして難を逃れたノースはすかさず胴を切り裂く。

 残り二体。

 左右から剣を振り上げた魔術師へとノースは回転するように両手に握る剣で両断する。

 一つ息を吐いて迫る五人へと視線を向ける。順調に見えたノースではあるが一つの異変が彼女の足を止める。

(こんな時に!)

 異変とは激しい眩暈と吐き気だった。原因は魔力の使い過ぎである。当然ではあるが、この大陸には魔力はない。フィレイア大陸であれば呼吸と共に大陸を満たす魔力を体に取り込む事が出来るが、ここではそれも不可能なのである。

 ノース達、フィレイア大陸に住む者にとって魔力は酸素にも近いほど重要なものなのである。失えば動きは鈍り、最悪は絶命に至る。

 時間が経てば身に宿る魔力も回復していくが、そんな時間など現状ではある訳はない。両手に握った剣はまるでなかったかのように消え去り、ノースに抗う手段は残されていないのだから。

「ノース。下がれ!」

 ジュレイドの叫び声が聞こえる。だが、動けば動くほどに眩暈は激しさを増し、この場から動くは叶わなかった。

(ここまでですか)

 ノースが歩めたのはここまでだった。今思えば弱気な自分がここまでこれただけでも奇跡なのかもしれない。

 ゆっくりと瞳を閉じて自らの最後を待つノース。

「王を名乗るのであれば……最後まで毅然としていろ!」

 そんなノースに向けられたのは若い男性の声だった。瞳を開けた先には漆黒の軽装で身を包んだ男が迫る魔術師を切り裂いていた。

「あなたは?」

「グリア連合国、近衛騎士団隊長フィッツ! 王の命を受け……あなたを守ります!」

 フィッツはつぶやくと共に迫る魔術師を無駄なく切り裂いていく。その後に続くのは漆黒の鎧を纏った騎士達だった。

 どうやらまだ生きていられるらしい。そう思った瞬間にノースの全身から力が抜けていく。

「勝手に死なれたら……あいつらが困るだろうが」

 倒れる体を支えたのはジュレイド。

「すみません。少し休ませて下さい」

「ああ」

 ジュレイドはノースの左肩を支え、右手には銃を構え応戦する。その姿を一瞬だけ見つめたノースはゆっくりと瞳を閉じた。



 錬は一度手を握って開く。特に問題はない事を悟るとゆっくりと立ち上がる。

「行くの?」

 シェルは心配そうな瞳を向けてくる。

 そんな彼女に向けて錬はうっすらと微笑んで――

「ええ。最後は私が決めないと。どんな形になるとしても」

 つぶやく。

 ブレイズが必死で説得をしてくれたのはここにいても聞こえていた。あれだけの説得を受けても無駄であるならば、おそらくどんな言葉を掛けても無駄なのだろう。

「分かり合えるといいね」

 シェルはうつむいて力なく言葉を吐いた。

「ええ。最後……はね」

 錬はその言葉を最後に、地面を蹴る。

(私の一撃で終わらせる。今度こそ!)

 自らを奮い立たせて鋭い視線を前方へと向ける。

 その先で戦うのはアガレスとノイアだった。

 二人の握る剣が男目掛けて振り下ろされる。その速さと戦いの感覚を遠目で確認した錬は大鎌を構えて地面を駆け抜ける。

 ただ闇雲に走っている訳ではない。二人の剣に合わせて速度を調整して、適したタイミングで介入するつもりである。

 ――一歩目。

 アガレスの剣を鮮やかに回避した男は、余裕の動作でノイアの剣を受け止める。

――二歩目。

 ノイアとの鍔迫り合いが成立したのはものの数秒。力負けしたノイアを横目で見たアガレスが庇う様に男へと斬りかかる。

――距離にして残り二歩。

「アガレス、横へ!」

 錬は叫ぶ。それと共に両足に全ての力を込める。

 錬の声を聞いたアガレスはすかさず左に跳躍して距離を取る。アガレスの長身に隠されていた錬は大鎌を手に跳躍し、空いた左手を掲げて叫ぶ。

「マリオネット!」

 男の退路を意思無き人形で塞ぎ、錬は高く飛び上がる。日を浴びて輝いたのは錬が握る大鎌だった。

「レンティアの成り損ないが!」

 退路を断たれた男は錬を鋭く睨むと共に、手にした剣を真っ直ぐに構える。男が選んだのは剣での突き。

 おそらく錬が大鎌を振り下ろすよりも速い。

 だが、錬は迷わなかった。

 高速の銀閃が男へと振り下ろされる。舞ったのは二人分の鮮血。

「錬!」

 ノイアの悲痛な叫びが聞こえる。だが、振り向いている余裕はもうなかった。

「悪いけれど……一緒に逝ってもらうわ」

 錬は大鎌を離し、男の剣を握り締める。手から血が流れようとも、焼けるような痛みを感じても決して離す事はしない。

「覚悟しろ」

 一度距離を取ったアガレスが一息で距離を詰める。放たれたのは高速の突き。

(これで……終わるかな)

 錬はゆっくりと瞳を閉じる。

 刹那、男の絶叫が響く。アガレスの剣が男を貫いたのだろう。

 全てが終わった。そう思えた。

「まだ立っていられるのか!」

 だが、安らかに逝こうと思っていた錬の耳に入ったのは驚愕の声だった。

 重い瞳を開けると男は変わらぬ姿で立ち尽くしていた。

「レンティアと暮らすために」

 男は虚ろな瞳を向けて己の望みをつぶやく。もはやその想いだけを支えに生きているのだろう。

「レンティアなら……ここにいるだろう。前を見ろ!」

 もはや自我すら失っていそうな男へと言葉を掛けたのはノイアだった。

「レンティアが? どこに。私の愛しき娘は」

 男は握った剣から手を離し、手を伸ばす。

 錬は迷った。ノイアが何を言いたいのかは分かる。でも、錬にその資格があるのだろうか。

「迷うな! 次の機会は……もうないんだ!」

 ノイアの懸命な叫びが錬の心を震わせる。

(最後は分かり合えるといいね……か)

 錬は先ほどシェルが掛けてくれた言葉を思い出す。その瞬間に錬の心は固まった。

「ここにいるよ」

 錬は努めて穏やかな声音で男へと語り掛ける。男が求める愛しき娘になったつもりで。

「レンティア」

 男の手がゆっくりと錬へと向けられる。警戒して瞳を閉じようとする自らを律して懸命に微笑む。

 次の瞬間。

 男の冷えた手が錬の頬に触れる。錬の頬が強張ったのは一瞬だった。錬の緊張は徐々に緩み、心は安らかになっていく。

 それは男の手が愛しい我が子を撫でるようにあまりにも優しかったからである。

「この温かさ……柔らかさ。もう触れる事は叶わないと思っていた」

 男は瞳を涙で濡らして錬を見つめる。

「もう終わりにしよう?」

 錬は優しく語り掛ける。今なら伝わると信じて。最後くらいはこの世界に向ける怒りも憎しみも忘れてほしいから。

「そうだな。もう私の体は持つまい――」

 一度、頷いて語る男はゆっくりと後ろへと倒れていく。

 そんな彼へと錬は手を伸ばして――

「レギオン!」

 創造主の名を叫ぶ。

 叫び声を聞いた男は薄っすらと微笑んで――

「そうか。お前は錬か……。そうだな、レンティアがいる訳はないか」

 平原へと倒れた。

(どうして?)

 錬は心の中で問いを放つ。最後くらいは娘に出会わせて、満たされた想いで天へと昇ってほしかったといのに。

 青ざめた表情で見つめる錬へと――

「レギオンは……娘を失ってから名乗った仮の名。それを知っているのは錬だけだ。だが、今となってはどうでもいい。錬……お前とはもう少しちゃんと話したかった。そうすれば……こんな愚かな事を――」

 男は最後の言葉を送る。それ以降、彼が動く事も話す事もなかった。

「最後まで聞かせてよ……どうしてこの世界は」

 錬はつぶやくと共に膝を地へとつける。もう立っている事は出来なかった。

(もういいか。疲れたよ)

 錬は生きる事を諦めた。腹部を貫いた剣を見つめると、そこからは自らの血が溢れている。放っておけば何をせずとも死ねるだろう。

 だが、そんな錬へと向けられたのは力強い言葉だった。

「悪いが死なせない」

 振り向かずともノイアが錬へと癒しの術式を使用しているのは分かった。

「どうして?」

 錬は自らを生かそうとするノイアへと問う。

「お前はまだ生きているから。それなら生きて幸せを掴んでほしい」

 ノイアはどうやら死ぬ事でこの世界から逃げる事を許してはくれないらしい。

「なら……ずっと一緒にいて。この心の痛みが癒えるまで」

 錬は涙を流してつぶやく。

 そんな錬へと向けられたのは優しい言葉。

「分かっている」

 ノイアは錬の髪を優しく撫でてくれた。今はそれだけで良かった。それだけて生きていられると思ったから。



「終わったのか?」

 開いた傷に手を添えたブレイズが問う。問われたシェルはすぐには答える事は出来なかった。

「目的の男は倒したようですが……彼らは」

 クレサが表情を曇らす。

 シェルは、クレサの視線を追い首都を見つめる。そこには男によって操られていた者達が変わらずに前進を続けていた。

 もう操る者はいないというのに。

「どうすればいい? どうしたら止められる?」

 シェルは自らの拳を握り締めて彼らへと届かぬ問いを放つ。このままではハールメイツ神国は彼らに飲み込まれてしまう。

 それはシェル自身が招いた事だとも言えるだろう。光の壁があればもしかすれば彼らを押し返す事も出来たであろうから。

「彼らはあの男の怒りの意思を受け取って動いていたのでしょう。ならば」

 クレサはシェルを見つめる。

 その怒りを綺麗に洗い流せばいいというのだろうか。それが出来る唯一の方法をシェルは知っている。癒しの術式をこの平原全域に展開すればいいのである。

 だが、それはすでに不可能なのである。

 フィッツベル王国を救うためにすでに神力は使い果たしてしまったのだから。

(もっと力があれば)

 シェルは自らの神力に絶望した。人々から「神に愛された者」と言われた自分。だが、結局は自国すら守れないのである。

 ずっと皆に語り掛けてきた理想は、結局は叶わぬ事だったのだろうか。

 そう諦めかけた瞬間。

 頬に一つの光が触れる。これはフィッツベル王国へと送った癒しの術式の光だった。

「これは……彼らの祈り?」

 シェルは感じたままを言葉にする。

 光から感じたのは溢れる感謝の気持ち。そして、背を押すような温かな激励だった。

(伝わったんだね)

 シェルは薄っすらと微笑むと共に立ち上がる。

 そんなシェルを祝福するかのように光は舞う。その光を全身に取り込みシェルは両手を広げる。この想いを伝えるために。

「終わらせる! 私の意志で」

 シェルは叫ぶと共に全ての神力を解放していく。

 溢れた光は平原を駆け抜け、余す事なくシェルの想いを伝える。もう戦う事はないのだと。憎む必要などないのだと。

 それがこの戦争を止める合図だった。



 ノイアは溢れる光を見つめて微笑む。この光を発生させている者が誰であるのかはすぐに分かったからだ。

(これがお前の歩む道なんだな)

 心の中でつぶやき、もう一度戦場を見渡す。

 そこには溢れる光を呆然と見つめる騎士と魔術師が。そして、ようやく自らを縛る糸から解放され眠りにつく者達が見えた。

 ノイアはこの現象を奇跡だとは思わなかった。これはずっと自らの理想を語り続けた少女が手に掴んだ結果なのだと思うから。

 決して流されず意志を貫いたシェルが切り開いた道なのだから。

 ノイア達はそんな少女をずっと守っていただけなのである。

「お前の歩む道を皆が望んだ。それだけ……なんだよな?」

 ノイアは独語する。その問いに答えてくれる者はいなかった。だが、それでもよかった。ノイアの中で答えはもう出ていたから。


エピローグ


 戦争が終わって数日が経ったある日の事。

 グリア連合国とハールメイツ神国は双方の合意の元で一つの国へと統合された。グリア連合国の王アガレスが国名を捨てるのを条件に、国を纏める王として君臨すると宣言したからである。

 また揉め事になるかと危惧する者はいたが、ハールメイツ神国はすぐにその宣言を受け入れた。共に歩む事で平和を勝ち取る。そう願ったのである。

 それはもう争う事が嫌になったとも捉える事は出来るだろう。

 だが、大半の者は明るい未来へと進んでいるのだと思ったに違いないだろう。それを証明したのは統一の日だった。両国の民は統一の喜びを全身で表現したのである。その騒ぎようはおそらくどれだけ年数が経とうとも歴史に刻まれていくだろう。

 そして。

 本日はさらに喜ばしい出来事がハールメイツ神国を騒がせている。

 ハールメイツ神国の国王アガレスが、同盟国フィッツベル王国の女王であるノースと結婚するという事である。同盟関係を強固にするためだけの儀式であろう事は誰もが理解していた。だが、統一後の生活に不安を感じていた両国の住民を騒がせるには十分だった。

 そして、今現在がその式典の最中という訳である。


「良かったの?」

 不敵な笑顔を浮かべて問うたのは錬だった。

「いいんじゃないの? なぜ俺に問うのかは分からんね」

 問われたジュレイドは一度肩をすくめる。

「ノースといい雰囲気だったじゃない。さすがの私でも気づくわよ」

 溜息交じりに錬がつぶやく。

「まあ……大人の事情かねぇ」

 ジュレイドは努めて明るくつぶやいた。これだけ手を汚した男が、あれだけ品のいい女性と結ばれるなどあってはならない事だと思うのである。

「ふーん。そんな事を言ってると一生独り身だよ?」

「いらないさ。俺は気ままに一人で生きるさ」

 呆れる錬へとジュレイドは本心を語る。

 所詮、自分は傭兵なのだ。今までこの場に留まり続けていたのが不思議なくらいである。

「そう。なら仕事に困ったら一つ手伝ってよ」

「うん? 仕事?」

 錬はジュレイドを見つめて一つ提案する。

「そう。レギオンが残した施設を破壊しようと思うの。もうあんな物は必要ないから」

「そうか。次の依頼主はまた可愛いねぇ」

 落ち込む錬をジュレイドは励ますために撫でる。

「子供扱いされるのも……悪くないわね」

 錬はぽつりとつぶやく。

 そんな錬はすでに年相応の少女だった。

(終わったんだな)

 そんな姿を見つめたジュレイドは平和が訪れた事を強く感じた。



「良かったのか?」

 急に問うたのは本日から夫となるアガレスだった。

「何が…ですか?」

 ノースは慌てて問い返す。そんな姿に一度アガレスは溜息をつく。

「先ほどからずっと一人の男を見つめている」

 アガレスは淡々と語った。その声音に嫉妬などの感情は感じられない。この結婚がそもそも両国の同盟関係を強固にするための儀式のようなものである事を言外に語っているかのようである。

「あの方は……どうしても気になってしまいます」

 ノースは薄っすらと微笑む。

「今なら……間に合うぞ?」

 アガレスは試すように問う。

「分かっている事を問わないで下さい。私は王としての務めを果たすのみです。両国の明るい未来のために」

 問われたノースははっきりと断言する。瞳に宿ったのは確かな意志だった。

「そうか。では……俺はお前を国の民同様に愛すとしよう。あの男を忘れられるくらいに幸せにしてやる」

 アガレスは薄っすらと微笑む。

「――!」

 ノースは言葉を返す事が出来なかった。そんなノースをアガレスは一度優しく見つめた。



 いつもの訓練場で変わらず剣を振っていたのはノイアである。

 周りは式典で浮かれているというのに、こんな所で密かに鍛錬に勤しんでいるのはノイアくらいのものだろう。

「式典にも出ないで、私の騎士様は何をしているのかな」

 そんなノイアに声を掛けたのはシェルである。

「これは両国の英雄……シェライト様」

 ノイアは剣を止めて恭しく礼をする。

「むー。ノイアまでそんな事を言う」

 シェルは頬を膨らませて両手を上げる。

「やはりお前は英雄になっても変わらないな」

 ノイアは腹を抱えて笑う。

「もう。皆、分かっていないんだよ。本当の英雄はノイアなのに」

 両手を腰にあててご立腹のシェル。そんな少女をノイアは優しく撫でる。

「私は英雄ではない。ずっとお前の側で剣を振っていただけだからな」

「でも!」

 ノイアの言葉に納得していないシェルは一度叫ぶ。

「お前を守りたくて戦い続けた騎士が英雄になれる訳はないし、そんな事は望んでいない。私が望むのは……シェルが歩み続ける事。そんなお前を守り抜く事だけだ」

「ノイア……」

 ノイアの言葉を受けたシェルは頬を赤らめる。

「だから守らせてくれ。ずっと」

 ノイアは守るべき少女を抱きしめる。

「うん」

 その想いに応えるようにシェルはノイアを受け入れる。

 今日この日、歴史に名を刻む事がなかった騎士は今まで生きてきた中で感じた事がない至福の一時を過ごしたのだった。


終わり



最終回まで読んでいただきありがとうございました。感想等をいただければ幸いです。

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