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ただあなたを守りたい  作者: 粉雪草
騎士編
17/19

ただあなたを守りたい 騎士編 8

ただあなたを守りたい 騎士編


―8―


 岩を削る音が寒空へと響く。その音は乱れるという事を知らず、心地良さすら感じそうな一定のリズムで鳴り続ける。

 刻まれていくのは一つの名前。自らの足で歩む事が出来ない幼き女王を支え続けた義に熱い男の名前である。

(これでいいか)

 ソルトは自らの魔力で形成した氷の刃を消し去る。感傷に浸ったのは数秒だった。自らが殺した男に同情をするというのもおかしな話だからである。

 だが、ソルトはこの男を心の底から嫌っていた訳ではなかった。むしろ女王を支え続ける姿勢には敬意すら感じていたのだ。だからこそ自らの手で石碑に名を刻んだのである。

 ただ石碑に名を刻むという単純な行い。さして価値などないように見えるこの行動は、見る者が見れば重要な意味を含んでいる。

 ノースが城を去った現在、実質この国を治めているのはゲベルである。そのゲベルがここまで登り詰める際、常に壁となっていたのがザーランドという名の魔術師。ゲベルからすれば、その名を聞く事も、見る事もしたくないだろう。そんな忌むべき名を歴代の魔術師が名を連ねる神聖なる石碑に刻むという事は反逆行為に等しい蛮行なのである。

 だが、それを理解してもなおソルトは刻まずにはいられなかった。自らの決意を示すために。

 ――そして。

「この国が豊かになった時……ノース様に再び王座を明け渡す。お前の代わりに」

 そう約束せずにはいられなかった。

 ソルトからすればゲベルなどどうでもいいのだ。ただ民が餓える事なく再び笑顔になればいい。そんな幸せに満ちた国にゲベルのような王はいらないのだ。ノースのような民に愛される王が必要なのだと思えるのである。

 ならばザーランドと共に歩むべきだったのではないか。そう問う者は少なからずいるだろう。だが、仮に問われるのであれば「女王が語る道を信じる事が出来ない」とソルトは答えるだろう。女王が語る話は、あまりにも都合がいい夢物語にしか聞こえないのである。いつかハールメイツ神国に裏切られ、滅亡するのではないか。そう思えてならない。

 だとすれば例え義に反してでも、必要最低限の民を犠牲にしたとしても勝利を掴みたいのである。結果、命を落とすことになろうとも、どれだけの業を背負ったとしても立ち止まるつもりはソルトにはない。

(歩む道は違うが……国を想う気持ちは一緒だと信じている。ザーランド……この国が再び豊かになるよう導いてくれ)

 ソルトは瞳を閉じて石碑へと祈りを捧げた。



「この森を踏破するのは面倒だねぇ」

 先頭を進むジュレイドが愚痴をこぼす。その言葉に即座に反応を返す者は誰一人としていない。そんな余裕すらないのである。

 理由は目の前に広がる木々を見れば明らかだろう。

 進路上に広がるのはへし折れて地に転がった大小様々な木々だった。その高さはこの中で一番背の高いジュレイドよりも明らかに高い。二メートル以上は平気であるだろうか。

 森の入口の木々は真ん中でへし折れているだけで地には転がってはいなかった。そのために何とか間を潜り抜ける事も可能ではあったが、道を阻むように無造作に転がっている木々はよじ登るか、または飛び越えていくしかないのである。迂回する、という選択肢もある。だが、迂回した先にも同じように転がっているので時間の無駄である。

 唯一取れる手段はもう強行突破しかないのである。

「シェル、行くぞ」

「う……うん」

 守るべき少女を腕に抱え一息で跳躍するノイア。吹き上げる風のように一瞬にして高度を上げる。だが、力が足りていないのは誰の目にも明らかだった。常人よりも身体能力が高い騎士ではあるが助走もつけずに、しかも少女一人を抱えて二メートル以上跳躍する事は不可能だという事だろう。

 当然、その程度の事は予測していたノイアは自らの体が落下を開始する前に、渾身の力で木の幹を蹴りつけてさらに跳躍。

「う……」

 抱えているシェルが何やら呻き声を出すが、今さら止める事は不可能である。心が締め付けられるように痛むが、これ以外に方法がないノイアはさらなる高みを目指す。

(これだけ上がれば十分か)

 ほどなくして無事に必要な高度まで上昇したノイアは、バランスを整えて鮮やかに着地を果たす。緊張から脱し、一つ息を吐こうとした所に陽気な賛辞の言葉が掛けられる。

「お見事」

 視線を向けると同じく女王を抱えて跳躍したジュレイドが微笑んでいた。

 そして、抱えられた女王は――

「気持ち悪いです。生まれ変わったら鳥になりたいなんて……もう思……」

 青ざめた顔で遠い目をしていた。どうやら常人を超えた力で振り回されるのは一般の者には耐えられないらしい。

「私は……大丈夫だよ」

 ノイアに抱えられているシェルが青ざめた顔で微笑む。女王共々限界が近いのは誰の目にも明らかだろう。

「こんな所で無理をするな」

 ノイアは微笑み返すと同時に抱えている腕にそっと力を込める。その瞬間、抱えている少女の重さがノイアの心を満たしていく。シェルの側に立っているという実感が自らの根源たる部分を満たしているのだと、心で感じる事が出来た。それはノイアにとっては至福の一時であるのは言うまでもない。

「うん。ありがと」

 シェルは頬を朱色に染めて一つ頷く。朱色に染まったなめらかな頬を見つめた瞬間、今まで味わった事がない不思議な感覚がノイアを襲う。どこかくすぐったいような、それでいて恥ずかしいようなそんな感覚だった。

 それと共に思い出されたのは喧嘩の後に抱き合った後の事だった。抱き合いお互いの気持ちを伝えあったそんな瞬間である。

(いけない。忘れろ)

 ノイアは素早く頭を左右に振る。だが、忘れる事が出来る訳はないのである。そんなノイアの雑念を綺麗に消してくれたのは一つの落ち着いた声だった。

「さて……そろそろ見えるかしらね」

 声を発したのは遅れて着地した錬だった。錬の視線を辿った先には一つの道が見える。そして、その道にはどこか見覚えがあった。港から王都へと向かう際に一度通ったのだろう。

「この道には見覚えがある。港は近いな。だが……港で船が確保出来ると思うか?」

 ノイアは一度シェルを下ろして皆へと視線を向ける。迂回してきたノイア達は明らかに時間を使い過ぎている。ゲベルが港を封鎖している可能性は考慮に入れておくべきだと思ったのだ。

「私が不在の今です。ゲベルは王都の制圧に時間を割かれているでしょう。兵を送れても少数だと思います。第二師団と合流すれば追い返せるでしょう」

 澱みなく答えたのはノースだった。

「女王様……もしかして軍略とか政治とか分かるの?」

 ジュレイドが驚いたような、面白い物を見つけたような表情を浮かべて問う。

「ザーランドがうるさく言うので……一通りは。特にハールメイツの軍神が書いたとされる本はもう何度読まされた事か」

 ノースはその時の様子を思い出したのか悲しげな微笑みを浮かべる。今にも泣き出しそうな震えた瞳は王ではなくて、か弱い少女のものだった。

「そうか。死んでも……まだ女王の力になるか」

 ジュレイドがまるで独語するようにつぶやく。その言葉を受けた女王はうつむいて両手を握り締める。溢れ出る悲しい感情を必死で堪えるノース。今にも壊れてしまいそうな危なげな姿を見かねたノイアは場の空気を変えるために重い口を開く。沈んだ女王を現実へと引き戻すために。

「ノース様の言葉が確かであれば……これ以上、ゆっくりは出来ないな」

 合流が遅れれば、この国から出る前に圧倒的な力に潰されてしまうだろう。その瞬間に全てが終わってしまう。どれだけ崇高な理想を掲げても、倒れてしまえばそれで終わりなのだ。それだけは何としても避けなければならない。

「そうだね。急ごう。私達はこの国で倒れる訳にはいかない」

 シェルの言葉に皆が一斉に頷く。

「皆が助かる道を示そう。今度こそ」

 決意の言葉を述べたノイアは、シェルを抱えてもう一度跳躍した。



「問わぬのか?」

 アガレスはふいに自らの左側を並走する腹心の部下へと問う。

「クレサの事ですか? それともハールメイツ神国と共に歩む事ですか?」

 問われたフィッツは一度眉根を寄せる。問わないだけで気にはしていたらしい。

「そうだ。以前ならすぐに問うていただろう」

 アガレスは馬の手綱を軽く引くと同時につぶやく。いつもであれば「よろしかったのですか?」などと言って、すぐにでも質問する筈だ。だが今回は何もない。それが気になったのだ。

「私なりに考えていました」

「ほう。それで?」

 アガレスが常に側にいたこの男が、何を考えているのか純粋に知りたかった。

「会談の前までは……ハールメイツ神国と共に歩む事は不可能だと思っていました。クレサのような者は少なからずグリア連合国の中にいますから。ですが……ハールメイツ神国の使者は最初から共に歩むつもりでした。特にブレイズという隊長は身を挺してまでクレサを受け入れようとした。彼らとなら共に歩める……そう感じました。特に共通の敵を持った今ならば」

 フィッツは前方を見つめたままつぶやいた。

「敵対した二つの勢力が手を結ぶためには、共通の敵を作るのがもっとも容易い。だが……敵を滅せばその後はまた争いとなる。終わった後がもっとも難しい」

 アガレスは自ら考えようとする部下へと言葉を掛ける。少しでも自らの知識を吸収してもらうために。

「終わった後ですか。想像も出来ませんね。どうなさるのですか?」

「グリア連合国をハールメイツ神国という名に変える」

 おそらく何気なく問うたであろうフィッツへと、アガレスは含んだ笑みを向けてつぶやく。

「なっ――!」

 フィッツが目を見開く。それだけではない。周りにいた部下も一斉に驚いた事だろう。いちいち確認せずともアガレスには分かった。

「その代わりに王政は続ける。それが条件だ。俺は変わらず王に。そして、ハールメイツ神国は敵を失う。双方にとって損はない」

 瞳を閉じてアガレスは自らの考えを語っていく。

「そんなに簡単にいくでしょうか?」

「こちらは名を棄てるのだ。無条件降伏にも近い行い。共に歩む気があるハールメイツ神国が無下にするとは思えんな」

 淡々と語るアガレスだが、自らが発した言葉には少なからず衝撃を受けている。そこまで彼らを、ハールメイツ神国を信じている自分がいるのだから。以前であれば考えられない事であっただろう。

「王がアガレス様である限り……私は続きます。むしろ王が率いるというのであれば、あの国を制圧したようなものではありませんか」

 フィッツは右手の拳を握り締め、至福に満ちた笑顔で語る。

「ふっ……。そうとも言うな」

 アガレスは不思議と微笑んでしまった。この男の前向きさはアガレスにはない。だからこそ隣に置いているのだ。自らの視野を広げるために。

「それでは……まずは我が王の覇道を阻む者を蹴散らすぞ!」

 フィッツが握った拳を突き上げる。それに呼応して近衛騎士団が一斉に拳を突き上げた。

「そうだな。まずはフィッツベル王国のゲベルという男に我が武勇を示すとしよう。この大陸の唯一の王としてな!」

 アガレスは溢れる想いを言葉に込めて叫ぶ。刹那、後に続く近衛騎士団が胸の甲冑を一度叩く。王への絶対の忠誠を示す金属音が鳴り響いた。



「やはり可能な限りの兵は用意したらしいな」

 ノイアが辺りを警戒しながら小声で皆に話し掛ける。

「ああ。こちらは五人。ある程度揃えれば消せると思っているのだろう」

 ジュレイドが木々の間から敵の布陣を覗き見る。

「敵は五名一組で雪原を巡回中。突破できない数ではないわね」

 錬が冷静な声を返す。こちらを発見され包囲されれば手も負えないだろう。だが、五人程度の塊なら各個撃破して進めば問題ないだろう。

「各個撃破は戦術の基本です。そんな初歩的な事すら抜けているという事は……ここにはソルトもゲベルもいないのでしょう。ほぼ無策に近いと考えて問題ありません。ただ……力押しにだけは注意して下さい」

 ノースが布陣を冷静に見つめてつぶやく。

「考えなしの相手が取る最後の手段か。怖いねぇ」

 ジュレイドはつぶやくと同時に、腰のホルスターから銃を引き抜く。

「港まで一気に駆け抜ける。それでは順番だが……」

 ノイアが皆の顔を順に見ていく。戦力になるのはジュレイド、錬、そしてノイアだけである。前を固めるか、それとも前後を固めるべきか。

「錬さんとノイアさんの二人が前列へ、後列は私とジュレイドさん。間にシェルさんを挟むのがいいと思います」

 皆がそれぞれに頭を悩ませていたその時に、落ち着いた女王の声が届く。近接専用の武器を扱う二人を前列に置き、銃を扱え、それでいてフォローが出来るジュレイドを後列に送る安定した配置。特に問題がないような模範解答に皆が頷きかけたその瞬間。

「それは錬の負担が大きすぎる」

 ジュレイドの冷静な声が女王を止める。いつもの陽気な瞳ではなく、全てを射抜くような冷えた茶色の瞳が一度錬に向き、それから再び皆の顔を一人ずつ確認していく。

 そんなジュレイドに答えたのは、女王ではなくて名指しされた少女だった。

「氷刃を破壊しながら駆け抜けるだけなら……ノイアと私だけで十分。でも、ノイアは人を傷つける事が出来ない。最悪は私が殺すしかないのよね」

 錬は一度溜息をついた。前列にいるだけでも負担が大きいこの状況でフォローまでするのは、さすがの錬でも骨が折れるらしい。

「傷つけずに動きを止める事くらいは出来る。私には構うな……錬」

 ノイアは微笑むと同時に右腕を掲げる。共に歩む相手の心を感じるために。

「ノイアでなかったら断っているわ。任せて。邪魔する者は全員……地に寝かせてあげる」

 錬は薄く笑い、倣うように右腕を掲げる。

 二人の腕が触れ合った瞬間。錬の真っ直ぐな想いが流れ込んでくる。それはノイアへの絶対の信頼だった。その信頼に応えるためにノイアも錬を信じ続ける。何があっても。

「二人とも後ろは任せろ。何かあったらフォローする」

 前衛を務める少女二人の準備が整ったのを見計らったように陽気な声が上がる。

「頼む。ジュレイド」

 ノイアが背を任せる相手に一度頷いて、視線を女王へと送る。彼女の声が前進の合図になる事は皆言わずとも分かっていた。

「では……参りましょう」

 ノースが視線に応えるようにつぶやく。実戦へと向かうノースはどこか緊張していたが、戦場を見つめる瞳は常に冷静だった。その冷静な瞳はどこかザーランドに似ているようにも見える。やはり弟子は師匠に似るのだろうか。

 ノイア自身も口調、戦い方共に聖騎士と呼ばれたルメリアと瓜二つである。似せたくて似せた訳ではないが、無意識に意識してしまうものなのだろう。

「行くぞ!」

 女王の声に応えるようにノイアは地面を蹴る。

「絶対に止まらない。だから……皆、一気に駆け抜けて!」

 おそらくこの中で一番足が遅いシェルが全力で駆ける。その動きに合わせるように四人はそれぞれの武器を構え、柔らかい雪を踏みしめていく。

「ノース様、剣を!」

 ノイアは叫ぶと同時に前方を睨む。

 それと時を同じくして。港へと向かう道に散らばっていた魔術師達はある者は両手を掲げ、ある者は魔力の剣を握って駆け出す。

「どうぞ!」

 ノースの声を背に聞いて、左手で輝く剣を握り締める。

「行くわよ……ノイア!」

 錬が叫ぶと同時に地を蹴る。それに合わせてノイアは二つの剣を逆手に握り、自らの両足に全ての力を込める。

「分かっている。 切り開く! シェルが歩む道を!」

 空気を切り裂く氷の刃よりも速く、援護のために放ったジュレイドの弾丸よりも速く、ノイアは雪原を駆け抜ける。

 刹那。

 大鎌の銀閃と、光輝く剣が目にも止まらない速度で振り上げられる。剣風と爆風が魚群のように群がる氷刃の尽くを吹き飛ばす。

「錬さん。マリオネットを!」

 爆風で舞い上がった雪が視界を埋め尽くしている中でノースが錬へと指示を飛ばす。

「マリオネット!」

 素直に指示を聞いた錬が操り人形を迎え討つように前方へ配置。

 次の瞬間。

 視界を覆い尽くす舞い上がった雪の中から、魔力の剣を握った魔術師五人が飛び出す。彼らは飛び出した勢いをそのままに歩を止めずに斬りかかる。圧倒的な速度からの奇襲。何の対策もしていなければ防ぐ事は不可能だっただろう。

 だが。

 ノースのおかげでマリオネットを配置出来たノイア達が慌てる事はない。むしろ目を見開いたのは飛び出した魔術師の方であった。

「抑えておくわ」

 錬が糸を操る。指示を受けた人形が魔術師を一斉に取り押さえていく。魔力の剣で破壊するにしても近距離で爆発させれば魔術師とて平気ではないだろう。

「このまま行く!」

 もたついている敵を無視してノイアが駆け抜ける。その背に続くように四人が駆ける。まだこの程度は序の口である。前方に立っているのは二十名を越える魔術師達。さらに左右へと視線を向けると五十名ずつ、計百名ほどの魔術師達がノイア達を包囲するために雪原を駆ける。

 この国全体の兵力からすれば少ないのかもしれないが、たかが五人を殺すためにしては明らかに多すぎる。それだけゲベルがノイア達を危険視しているともとれるだろうか。

 だが、第二師団と合流出来ればこの程度の数は敵ではない。ノイア達が考えるべき事は、いかに時間を掛けずに前方にいる魔術師二十名を突破出来るか。その一点だけである。

「女王様。出来る限り減らすぞ。腕でも、足でもいいから……狙い撃て!」

 ジュレイドが走りながら叫ぶ。

「わ……分かっています」

 女王は震える声を返す。おそらく自国の魔術師を攻撃したくないのだろう。どれだけ冷静に指示を出せても、やはり心根が優しい所は変わらないらしい。それでも女王は戦おうとしている。自らが守りたいと願う民と。

 立て続けに鼓膜を破壊するような轟音が鳴り響く、それと同時に鋭利な氷刃が空を切り裂く。

「綺麗事ばかりは言っていられないか」

 ノイアは一度独語するようにつぶやく。女王は覚悟を決めたのだから、ノイア自身も行動で示す必要があるのだろう。

 銃弾と氷刃が魔術師を貫いたのを見てとったノイアは、決意を胸に再び背を低くして駆け抜ける。

 ――残り十八人。

(聖騎士とまで呼ばれたあなたならどうしますか?)

 ノイアは心の中で自らにこの戦い方を教えてくれた聖騎士へと問う。だが、答えは返ってくる訳はない。

 そして、思考に労力を使っている暇もないのだ。前方に迫る魔術師が一斉に魔力で形成された光剣を振り上げる。これだけの数を一斉に防ぐ事など不可能。もっとも容易い答えは彼らを斬る事である。

「だが……私は殺さない」

 ルメリアならば殺さずとも道を切り開く事が出来るだろう。ならば自らもその道を進みたいと思う。そして、この身に宿る神力という力でこの国を救いたいのだ。シェルが願うように。

 刹那。

 ノイアは左手に握る剣へと意思を送る。

「吹き飛べ!」

 叫んだ瞬間に魔術師の半歩手前に向けて光剣を投げつける。意思を受け取った魔力の剣はその役目を正確に果たし、小規模の爆発を起こす。爆風を受けた魔術師は腕を交差させて耐えるが、耐える事が出来たのはものの数秒。まるで風を受けて舞う紙のように自らの意識とは関係なく弾かれるように吹き飛んだ。

「無茶するわね」

 錬が呆れながらつぶやく。

 自らの手で傷つけなければ神力は低下しない。だが、これは一種の賭けだった。一歩でも間違えれば爆死させてしまう可能性があるからである。だが、女王は心を痛めながらも戦っている現状でノイア一人だけ何のリスクを負わないのは耐えられなかった。

 ――残りの魔術師は十三人。

 突破するにはまだ敵の数が多い。そして、敵がこのままただ黙って倒されてくれるとも思えない。(どう動く?)

 ノイアは注意深く敵の動きを見つめる。一瞬の判断ミスが生死を分けるこの状況では迂闊に突撃する事は出来なかった。

 対する数で勝る敵はすぐに次の行動へと移る。

「嫌な手を使うな」

 ジュレイドが一度舌打ちをした。

 ノイア自身も敵の動きを見て絶句してしまった。

 十三人の魔術師達は瞬時に左右に分かれたのである。そして、あろう事かノイア達が進みたい道を開けたのである。だが、その道を歩もうものならば左右からの挟撃を受けて危機に陥る事は目に見えている。だからと言って左右どちらかに向けて突撃するのは時間が限られているノイア達にとっては明らかに不利である。

 皆の足が止まり掛けたその時。皆を導いたのは女王の声だった。

「ノイアさん、シェルさん。走りながら障壁を展開! 突破します」

 ノースは叫ぶと同時に自ら先頭に躍り出て駆け抜ける。考えているのか、それとも自棄になっているのか。ノースが何を考えているのかはまるで分からなかった。

 だが。

 ノイア達はもう迷わなかった。

「ノイア!」

 シェルが手を伸ばす。その手を強く握ってノイアは女王の後を続く。自らの歩む道を光の壁で示して。

 シェルから流れてくる圧倒的な量の神力を使用してひたすら障壁を維持し駆け抜ける。敵の攻勢は見るからに鈍い。まさか中央突破をするとは思わなかったのだろう。仮に行うとしても数瞬の迷いの後になる。そう考えていたに違いないだろう。

 だが、その油断をノースは見逃さなかった。常に冷静に戦局を把握していたのだ。

「こちらに意識が集まりました。錬さん、もう一度――」

「分かってる。マリオネット!」

 錬は女王の言葉を遮り、障壁を破壊する事しか考えていない魔術師の背後にマリオネットを立たせる。彼らが振り向くよりも速く、障壁を破壊するよりも速く、錬の意思を受け取った操り人形が魔術師を殴打する。

 これで道を阻む者はいない。

「一気に駆け抜けます!」

 女王が皆に指示を飛ばす。もう誰も彼女の言葉を疑う者はいなかった。それだけ彼女の背は頼もしく、以前のような頼りなさは微塵も感じなかった。これがノースのあるべき姿だとするならば、ゲベルは眠れる獅子を起こしてしまったのかもしれない。彼が真に警戒すべきはノイア達ではなく、ノースだったのかもしれない、そう思わずにはいられなかった。

「――ちょっと! 勢いが増してるんだけど!」

 女王の背を見つめていると錬が焦った声を上げる。慌てて左右に視線を走らせると、障壁を叩く氷刃が明らかに増えている。

「射程内に入ったか」

 苦々しくジュレイドがつぶやく。

 どうやら左右から迫る敵の魔術師が追いついたらしい。規格外の神力で形成された障壁と言えども、総勢百名から放たれる氷刃に耐えられるほどの強度はない。ものの数秒で破壊されるのは目に見えている。

「そのまま駆け抜けて下さい」

 切迫した状況でもノースの声音は変わらない。ただ一点を見つめ続けている。その視線の先にはノースが求める光景が広がっていた。

「第二師団……」

 ノイアは目を見開く。そして次の瞬間には最後の力を振り絞って雪原を駆け抜ける。

 ガラスが割れるような乾いた音が鳴り響く。

 体に感じたのは肌を斬るような寒気。視線を向けずとも氷刃が迫っている事は理解出来た。

「シェル!」

 ノイアは叫んで手を握る少女を引き寄せて抱きしめる。例えこの身が貫かれようともシェルだけは無傷で守りきる。そう決意したノイアは守るべき少女を強く抱きしめる。

 だが、ノイアの体に痛みが走る事はなかった。全身が震えて止まらない、これだけの寒気を感じるというのに。

「間に合ったようですね。それでは……」

 ノースがつぶやいて一度深く息を吸う。

 ノイアは呆気に取られて立ち上がる。周囲は氷の壁で包まれていた。この寒気は第二師団が張った氷壁から発していたものらしい。

 今さら状況に追いついたノイアを置いていくように、ノースは次の行動へと移る。

「退きなさい! あなた達の兵力では第二師団には敵いません!」

 両手を広げた女王が自らに刃を向けた魔術師に向けて言葉を掛ける。反逆の罪でこの場で罰を与えてもいいと言うのに。

「退いてゲベルに伝えなさい。私は諦めません。この国を豊かにし……ハールメイツ神国と共に歩むと」

 女王の穏やかな声が雪原に響く。

 言葉を聞いた魔術師の表情が曇る。王を信じればいいのか、それとも自らの師団長を信じればいいのか。彼らは明らかな迷いを感じていた。

「お行きなさい。私でもこの状況を長く保つ事は出来ません」

 女王が魔術師一人一人の表情を瞳に焼き付けるように確認していく。まるで自らの子供の様子を見守る母親のような視線。女王の民への愛が込められた温かな視線だった。

「申し訳ありません」

 魔術師が口々に謝罪の言葉をつぶやいて背を向ける。その無防備な背中に刃を向ける者は誰一人としていない。そのような蛮行は場の空気を支配していると言っても過言ではないノースが許さないだろう。

 永遠に続くかと思われた独特の空気。だが、それは魔術師が去るのを合図にしたかのように唐突に終わりを向かえる。場を支配していた主の力が急激に衰えたからである。

「やれば出来るものですね」

 ノースは全身の力が抜け落ちたかのように前方へと倒れていく。

「ノース様!」

 力を失った女王をノイアがすかさず抱き止める。

「緊張の糸が切れたようです。やはり駄目ですね……私は」

 ノースがいつもの自嘲の笑みを浮かべる。ここまでの事が出来るというのに、なぜこの女王はこんな笑みを浮かべるのだろうか。どうして自らを褒める事をしないのだろうか。

 ノイアは不器用なノースの代わりに、そして命を落とした友の代わりに――

「立派でしたよ」

 優しく肩を抱いてつぶやいた。おそらくザーランドならそうつぶやくだろうと予測して。

「良かった。ザーランドの代わりが務まるかどうかは分かりませんが……私に出来る事をやり遂げようと思います。彼を想って泣くのはその後です。ザーランドならそれで……許してくれるでしょうから」

 ノースはノイアの胸に顔を埋める。両肩を震わせた女王は今にも泣きそうだった。一人の人として泣くのか、それとも王として毅然と振る舞うのか。その葛藤で苦しんでいるのだろう。

 苦しむ女王の心を癒すためにノイアが背に腕を伸ばす。こういう場合は例え王だとしても泣いていいのだと思ったから。

 だが、彼女はその腕から逃れるように身を離す。

「ごめんなさい」

 一言謝罪したノースは潤んだ瞳を除けばいつも通りだった。彼女はこの一瞬で王として歩むと決めたのだろう。もうこの女王を守る必要はないとノイアは思う。いや、むしろ守るという言葉を掛ける事自体が失礼だとも思えた。

「構いません。ノース様……歩めますか?」

 ノイアは微笑むと同時に問う。返ってくる言葉はすでに分かっている。

「もちろんです」

 ノースは微笑み返して右腕を掲げる。

「では……参りましょう。ハールメイツ神国へ」

 二人の腕が一瞬だけ触れ合う。伝わってくるのは深い絆。その絆を強く胸に抱いてノイアは一歩を踏み出した。



「取り逃がしただと?」

 驚愕の表情を浮かべて王座から立ち上がったのはゲベルだった。王都の制圧に兵を割かねばならなかった現状を省みても、たかが五人に魔術師の一団が突破されるとは思ってもいなかったのだろう。

「報告ではノース様が指揮を執ったようだな」

 ソルトが腕を組みながら淡々とつぶやく。ソルトは目の前にいる王様気取りの男に頭を垂れる気はさらさらない。ゲベル自身もここで第三師団長とつまらないいざこざを起こす気はないのか鋭い視線を向けるだけで文句の一つも言う事はなかった。

 だが、ソルトが発したとある一言だけは許せなかったらしい。

「あの小娘を敬う必要はすでにない。我こそが王である!」

 ゲベルが血走った瞳をソルトへと向ける。

「そんな事はどうでもいい。これからどうする? 今の女王ならばハールメイツ神国を説得出来ると思うが」

 怒る自称王へとソルトは冷静な言葉を返す。

「やる事は変わらない。ハールメイツ神国共々……蹴散らすまでだ!」

 ゲベルは拳を握り叫ぶ。ここまで分かりやすい答えが返ってくると少々拍子抜けをしてしまう。だが、やるべき事がはっきりと分かるという点ではありがたかった。

「いいだろう。ならば俺は民のために……自らの信じる道を歩むとしよう」

 ソルトはつぶやいて背を向ける。おそらくゲベルには不信感を与えてしまった事だろう。だが、この場でソルトを消すようでは戦争の勝敗は目に見えている。如何にあの怪しげな助っ人が優れていようとも勝利を掴む事は出来ないだろう。

 予想通りゲベルは殺気すら感じる視線を向けてくるだけだった。

 その視線を背で受け止め、無言で数歩進んだ所で不気味な声が響く。

「どちらの味方か……分からんな」

 ソルトは声に導かれて鋭い視線を向ける。すると、そこには黒いローブを羽織った男が一人立っていた。色鮮やかな赤い絨毯の上にはあまりに不似合な男であった。まるで光と闇のように相容れない。それがソルトの感じた印象だった。

「それは自分で考えるんだな」

 つぶやいて男の隣を通り過ぎる。一度、男の視線がフードの隙間から覗く。

(なんだ?)

 男の瞳を見た瞬間にソルトは背筋に寒気を感じた。それは全身を駆け巡り、いかなる敵と対峙したとしても震える事を知らない体をいとも簡単に震わせる。

 男の瞳はただ冷たかった。おそらくこの瞳は緩むという事を知らないのではなかろうか。

「そうか。ならば……答えは戦場で聞くとしようか。私には貴様が我の力に屈し……無様に転がっている様が見えるがな」

 男は一度乾いた笑い声を上げる。

「まるで俺が確実に裏切るような物言いだな。仮に貴様に刃を向ける事となったら……楽に殺してやる」

 ソルトが男に視線を向ける事はもうなかった。同じように男も前方を向いたまま言葉を返す。

「そうか。ならば抗うがいい」

 男の不気味な声が背へと突き刺さる。

(彼は一体何だというのだ?)

 ソルトは右手を強く握って心の中で問う。だが、その問いに答える者はいない。ソルトは膨らむ不安を心の隅に追いやり、その場を去った。


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