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ただあなたを守りたい  作者: 粉雪草
騎士編
16/19

ただあなたを守りたい 騎士編 7

ただあなたを守りたい 騎士編


―7―


 視界を埋めるのは月明かりに照らされて輝く白銀の雪だった。脛辺りまで降り積もった雪が足を絡め取ろうとするが、決して歩を緩める事はしない。そして、繋いだ手を離す事もしなかった。

「ノイア。そろそろ離して」

 シェルはもう何度目かのつぶやきを発する。今さら手を放した所でシェルが再び戦場へと戻る事はないだろう。だが、ノイアは握った手を離す事ができなかった。

「……」

 まるで口を糸で縫いつけられたかのように言葉を発する事が出来ないノイア。どう話し掛ければいいのか。この手を離したらシェルとの繋がりは途絶えてしまうのではないか。疑問と不安が心を埋め尽くし、ノイアは自らの背を見つめる少女に反応を返す事が出来ないでいた。

 再び沈黙が訪れる。

 先ほどからこの繰り返しなのである。何か話題になるような物を探し視線を走らせる。だが、辺り一面は白銀の世界。何か特別な物などある訳はないのである。

 無言で走る事数分。ようやくノイア達の視界に入った物は一つの森だった。現在、ノイア達は入国した際に立ち寄った港を目指している。戦場から離脱するために大きく迂回する事になってしまったが、この森を北西に抜ければ港へと向かう道に辿り付くだろう。

(この森は……死んでいるのか?)

 森へと一歩を踏み込んだ際の第一印象はこれだった。以前、見かけた木目が真っ直ぐに伸びた背の高い木々がまばらに生えた森。だが、その半数は半ばで折れており、自然の力を感じる事は出来なかった。見た所腐っている訳ではないらしい。ただ天へと伸びる力を失い半ばで折れたのだろう。まるで抗えない権力にひれ伏し、頭を垂れるように。

「きゃ……」

 周囲へと視線を走らせていると短い悲鳴が聞こえた。

 刹那、ノイアの手が強く引かれる。どうやらシェルが何か固い物に足を取られたらしい。

「おっと」

 素早く振り向いて小柄な少女を抱き止める。シェルの温もりが瞬時に体を駆け巡る。決して離したくない大切な温もり、守りたい温もりがそこにあった。

 しばらく固まっていると抱き止められたシェルが言葉を発する。

「ノイア。話がある」

 声音はどこか緊張しており、ある種の決意のようなものが感じられた。

 一度、ノイアの心臓が跳ねる。それと同時に全身が震えていく。

「ま……まずは港に行こう」

 慌ててシェルから体を離して早口でつぶやくノイア。

 だが、予想通りシェルはこんな事で誤魔化されてはくれなかった。

「逃げないで。ちょうど……あそこなら話せる。ジュレイド達とも合流しないと」

 シェルは前方を指差す。そこにはテントが張れそうな開けた空間があった。

「そうだな……すまない」

 ノイアはつぶやくと同時に、ゆっくりと繋いでいた手を離した。

「先に謝られたら……怒れないよ」

 自由を手にしたシェルは頬を膨らませて自らの足で歩んで行った。



「いいのか?」

 会談の始まりは一つの問いだった。常に威圧感を放ち続けるこの男も仲間の一人が使者を傷つけたとあれば気にはするらしい。

「ブレイズが心配ではありまずが……会談を中止にしてはここまで来た意味がありません。それに無駄に時間を掛けていられるほどの余裕もありません」

 ギルベルトは平静を装って言葉を返す。内心は心配で仕方がない。だが、交渉の席では微塵も心の内を晒す訳にはいかないのである。

「話が分かる相手で助かる」

 グリア連合国の王は腕を組んで一言つぶやく。この態度を見る限り今回の件で何か譲歩する気はないらしい。王としての振る舞いとしては当然ではあるが、共に戦う相手としてはいささか不安に思ってしまうギルベルトであった。

「それに私達二人くらいなら殺そうと思えば簡単でしょう。あれは彼女の独断。そして、それが解決した今となっては触れる必要すらないでしょう」

 穏やかな声で王へと語り掛けるギルベルト。だが、常に木々の間に身を潜めている騎士に警戒を向け続ける。数は二十名ほどだろうか。

「さすがにこの程度の伏兵は気づくか」

「当然です。さて……本題ですが。あなたは敵ですか? それとも味方ですか?」

 感心する王に向けて、ギルベルトは鋭い眼光を向けて問う。

 ここまで分かりやすく、それでいて答えにくい問いはないだろう。さすがのこの男でも数秒、または数分の時間を要するのではなかろうか。

 ゆっくりと答えを待とうと瞳を閉じた瞬間。低い声が自らの歩む道を語る。

「グリア連合国は敵でも、味方でもない」

 姿勢は崩さずに真実だけを述べる王。

「その手がありましたか。では、あなた達はフィッツベル王国の魔術師の国内通過を許すと。それは私達からすれば敵対行動なのですよ?」

 国内を通過させたが協力はしていない。だから敵ではない。そんな理屈を通させるほどギルベルトは甘くない。いや、この程度ならば誰でも反論するだろう。

「ふっ……。俺達が何もしないとでも?」

 アガレスは挑発的な笑みを浮かべてつぶやく。

「私達と動きを合わせて挟撃するつもりですか?」

 一つの可能性をつぶやくギルベルト。大陸マクシリアが生き残る方法としては、これが唯一の道だろう。

「そうだ。さすがに両国から挟まれれば耐えられないだろう。だが……気になる点が一つある」

 王は瞳を閉じて思案する。彼が考えている事はおそらくギルベルトも疑問に思っている事だろう。

「食糧が枯渇しているために戦争に急ぐのは分かります。ですが……やすやす挟撃されに来るとは思えません。彼らはどんな切り札を持っているか……ですね?」

「そうだ。魔力という力が戦局を変えられるほどに強大だとは思えん。ならば他に何か隠しているのだろう」

 やはりこの男も同じ事を考えていたらしい。二人は同時に思考を走らせる。だが、この場でいくら考えた所で答えは見つからない。あまりにも情報が欠如しているのだ。

「フィッツベル王国に向かったノイアさんと合流出来れば、少しは情報が入るのですが」

 顎鬚に触れながらギルベルトがつぶやく。

「ならば俺は彼らとの交渉の場で聞き出すとしよう」

 アガレスはすでに話は終わったとばかりに背を向ける。

「もし……この戦いで私達が疲弊した時はどうするのですか?」

 ギルベルトは賢王と呼ばれる男の心を探るつもりで問う。アガレスは踏み出した歩を止めて数秒の沈黙を貫く。

「……どうなのです?」

 その沈黙を破るようにギルベルトはもう一度だけ問うた。

「お前ならどうする? ついでに殲滅するか……それとも共に歩むか」

 振り向いたアガレスの瞳からは感情は読めなかった。だが、こんな問いを返してくるという事は彼の心の中には共に歩む気持ちがあるのだろう。

「私達の国は共に歩む道を選ぶでしょう。例え愚かだと思われても」

 ギルベルトは教えを諭すような穏やかな声でつぶやく。

「俺達は戦争を仕掛けた国なのだぞ? それでも共に歩むというのか。とても信じられんが……だがそれだけの想いがあるからこそ……あのような奇跡が起こせるのだろうな」

 アガレスは一度遠い目をした。

 一年前の戦争を、広域に展開された癒しの術式を思い出しているのだろう。あの温かい光がなければハールメイツ神国はグリア連合国に飲み込まれていただろう。ギルベルト達からすれば救いの光だったが、彼にとっては禍々しい光に見えたのではなかろうか。

「例え戦争をした国であっても私達は共に歩む道を探すでしょう。例え道を踏み外しても……彼女がいれば正しい道へと導いてくれます」

 ギルベルトは微笑むと同時に小さな少女を思い浮かべる。あんな小さな体で奇跡を起こしてみせたシスターの第三位シェライト・ルーベント。彼女はどんな事があろうと共に歩む道を探すに違いない。そんな少女の想いがハールメイツ神国を動かすとギルベルトは信じているのである。

「そうか。この戦いの後に……共に歩める事を祈る」

 アガレスはつぶやいて歩を進める。その声音はどこか穏やかで、友人に向けるような響きを含んでいた。

「私も切にそう願います。どうか大陸マクシリアに明るい未来が訪れる事を」

 ギルベルトは瞳を閉じて短い祈りを捧げた。



 携帯用の輝石を腰に吊るしていた袋から取り出し神力を込める。

「まずは座ろう」

 つぶやくと同時に淡く輝く輝石を地へと放るノイア。込められた癒しの術式が解放して積もった雪を瞬時に溶かしていく。それと共に地に転がった輝石が徐々に周囲の温度を上げていく。輝石の恩恵を体に感じたノイアは手頃な岩を探して歩を進める。どれだけ疲れていようとも雪水を吸った泥の上に座るつもりはない。

「隣いい?」

 いつもなら確認などを取らずに勝手に隣に座るシェルであるが、今日は様子が違った。どこか他人行儀である。

「構わない。話すには隣の方がいいだろう」

 ノイアはぎこちない笑みを向けて首肯する。それを合図にしてシェルは右隣に腰を下ろした。数日前ならば隣に座るのであれば、必ず身を寄せ合っていた二人。だが、今は拳一つ分の開きがある。手を伸ばせば楽に触れられる距離。そんな些細な距離。だがノイアには守るべき少女が遥か彼方に行ってしまったような錯覚を覚えた。

「私はあまり頭よくないから上手く話せない。だから――」

「どうしてあの場から連れ出したか……だろう?」

 シェルの言葉を遮って、ノイアは代わりにつぶやく。解決するまでこの妙な距離感が続くというのであれば、はっきりさせるのがいいと思ったのだ。出来れば以前の関係に戻れたらいいと切に願うのだが。

「うん。彼らをどうして見捨てたの?」

 覚悟はしていたがシェルの言葉は思ったよりも重かった。穢れを知らないシスターの瞳がノイアの心を抉る。仕方がなかった、最善を尽くしたなどと言って逃げる事など許されない。そんな張りつめた雰囲気が周囲を満たす。

「シェルを守るためだ」

 隠さずに本音を語るノイア。その言葉は予想通りだったのだろう。シェルは言葉を聞いた瞬間に挑むように口を開いた。

「私一人のために見捨てたの? それだけ私に価値があるとは思えない!」

 これだけ感情を表に出すシェルをノイアは初めて見たような気がした。

 若干の戸惑いを覚えつつノイアは叫ぶ少女へと向き直り――

「シェルは最後の希望なんだ。お前がハールメイツ神国を説得しなくて誰がするんだ!」

 負けじと叫び返す。今思えばシェルに対して叫んだ事などほとんどないような気がする。一緒に生活をすれば言い合いになるような事もあった。だが、大人と子供のような関係であったため喧嘩など成立しなかったのである。そして、ここまで愛するシェルに向けて叫ぶなど、ノイアにとっては論外なのである。だが、今は溢れる気持ちを止められないでいた。

「ノイアがすればいい! 私がいなくてもノイアがいる。私の命よりも……一人でも多くの住民の命を守る方が先決だよ!」

 シェルが自棄になって叫ぶ。もはや感情だけをぶつけているという様子である。

「私に出来る訳がないだろう。お前は自分がハールメイツ神国に与えられる影響をまるで分っていない。シェル……お前はシスターの第三位なんだ。一介の騎士である私とは違うんだ」

 シェルの肩を強く掴んで言葉をぶつける。もう失う恐怖などはなかった。ただシェルに分かってもらいたいのだ。シェルの存在がどれだけハールメイツ神国に影響を与えられるのかを。

「――っ!」

 肩を掴まれたシェルは驚きに目を見開いた。そして、次の瞬間には青い瞳を伏せる。分かってくれたのかと安堵の溜息をつこうとした瞬間。少女は再び青い瞳を向けて口を開いた。

「違うよ……ノイア。見捨ててしまったら……手を差し伸べなかったら。もう誰も言葉を聞いてくれなくなる。私は今のノイアの言葉を聞こうとは思えない」

 強い意志を込めたシェルの青い瞳。その瞳から感じたのは明らかな拒絶だった。

(何が間違っている。どうしたら伝わる)

 ノイアは震える両手を、強い瞳を向ける少女の肩から退ける。

「わた……私はただ」

 それ以降の言葉は出なかった。この先の言葉をシェルに届けるのが怖かった。

「ノイアはもっと強い人だよ」

 小さな手がノイアの胸へと触れる。その手から伝わるのはいつもの温かさだった。

「考えがまとまったらまたぶつけに来て。話だけは聞くから」

 薄い笑みを向けるとシェルは立ち上がる。そして、今の二人の距離を表すかのように一歩、また一歩と歩を進めていく。おそらくジュレイド達と合流するためだろう。

 ノイアはその背中を見る事が出来なかった。うつむいた先にある水晶色の輝石を無言で見つめ続ける。輝石から伝わる暖かさをその身に感じたが、ノイアの心を癒してくれる事はなかった。



 隙なく銃を構えて雪原を進んでいくのは茶色髪の傭兵だった。そして、武器を持たない左手には託された女王の手を握っていた。あの場から逃げる際は暴れに、暴れた女王だったが今は大人しくしている。ジュレイドとしてはもう手を離したいが、おそらく手を離せば歩く事はしないだろう。

 想いは伝わらず、そして自らに忠義を尽くした男が死んだのだ。落ち込むのも理解は出来る。だが、そろそろ我慢の限界だった。

「いつまで……そうしている?」

 ジュレイドは棘のある言葉を女王へと向ける。正直な話を言うと、女王のこの姿にはイライラしている。全く悲しまないのは軽蔑に値するが、王たる者がこの有り様では死んだ者はあまりにも報われない。彼らは女王がこんな姿になる事を望んだというのだろうか。そんな事は断じてないのだ。ただの少女であるならばこんな物言いはしない。力を取り戻すまで、前を向くまで待とうとは思う。だが、彼女は王なのだ。決して止まってはいけない者なのだ。

「なかなか厳しいのね。まあ、同意見だけど」

 最後尾を歩く錬が女王の背を見つめてつぶやく。

「もう少しだけ……このままでいさせて下さい」

 女王はか細い声を返す。どうやらこのままでいいとは思っていないらしい。ここで無言ならばさらなる厳しい言葉をぶつけるつもりだったが、心の中で戦い続けている女王にこれ以上の言葉を掛けるのは不要だと思った。

 そんな彼が女王へと向けた言葉は。

「約束しろ。必ず前を向くと」

 最大限の譲歩の言葉だった。

「はい」

 女王は強く手を握り返し、溢れる意志を伝えてくる。そこにはもう迷いは感じられなかった。彼女はまた再び歩ける。もう一度、戦争を止める道を選べる。ジュレイドにはそう思えた。

(これでいいだろう? ザーランド)

 ジュレイドは今はいない魔術師へと問う。当然、答えは返ってはこないが彼ならば女王が歩み続けるように努めると思うのだ。

「訂正する……やはりあんた達は甘すぎる。でも、嫌いではないかな」

 錬の弾んだ声が聞こえる。この少女もいつの間にか馴染んだものだとジュレイドは思う。

 そんなやり取りをしていると小柄な少女が雪原を進んでいるのが見えた。

「シェル!」

 ジュレイドは目を見開くと同時に叫ぶ。なぜ一人なのだろうか。

(まさか……!)

 とある最悪の状況が脳裏に浮かぶ。あのノイアが離れる訳はない。だとすれば彼女は。

「よかった。皆、無事だったんだ」

 シェルは花が咲いたような笑顔を向けてくる。どうやらノイアに何か不幸があったという訳ではないらしい。もしそうであればこの少女が微笑む訳はないのだ。

「ノイアはどうしている?」

 雪原を進みながら、まずは完全に不安を消し去るために質問するジュレイド。

「向こうにいるよ」

 シェルは頬を膨らませて開けた場所を指差す。淡い光が輝いている所を見ると、携帯用の輝石をばら撒いたのだろう。

「そうか。喧嘩したな」

 ジュレイドは銃を腰のホルスターへと戻す。そして、少女の黒髪を優しく撫でた。

「ノイアが悪いんだよ。住民よりも……私の命を優先するなんて」

 シェルは両手を強く握って、溢れる感情を吐露していく。

「全く……手が焼けるわね。私は向こうに行くから。そっちはお願いするわ」

 錬は溜息をついて悩むノイアの元へと向かっていく。

「私は……」

 女王はこの状況に困惑しているようだった。

「あんたも来る!」

 錬は女王の右腕をがっしりと掴む。苦渋の表情を浮かべる女王を無視して錬は強引に引っ張っていく。錬は女王を嫌っているように見えて案外気にはしているらしい。

「あっちは大丈夫かな」

 ジュレイドはつぶやいて少女の髪を撫で続ける。

「ノイアなら一人でも大丈夫だよ。私に何か言われただけで動けなくなるほど弱くないから」

 シェルはうつむいたままぼそりとつぶやく。

(本当に喧嘩してるのかねぇ)

 心の中でつぶやいて苦笑するジュレイド。

 だが、ここまで信頼し合っているからこそ、少しのズレが大きな問題へと発展してしまうのだろう。そして、彼女達はおそらく喧嘩という事をした事がないのだろう。どう終わらせればいいのかまるで道が見えていないように思えた。

 それなら彼女達の背を押してあげればいいだけなのである。

「なあ……ノイアが何のために戦っているのか知ってる?」

 ジュレイドはまずは一つの問いを放つ。問われた方は何を今さらという顔をしていた。数瞬の間を置いてシェルはゆっくりと口を開いた。

「ハールメイツ神国のため……そして、私を守るため?」

「順番が逆だ」

 シェルの答えにジュレイドは一つ溜息をついた。なぜ常に隣にいたシェルが知らないのだろうか。ジュレイド自身も付き合いが長いとは言わないが、決して短くはない。それなのに気づいているというのに。

「逆?」

「そうだ。ノイアは……ただお前を守りたいだけだ。お前を守るためにハールメイツ神国も守っている。彼女が歩むのは、剣を握るのは全てシェル……お前のためなんだ」

 首を傾げる少女に向けて、ジュレイドは答えを返す。これはノイア本人が言うべき言葉ではあるだろう。だが、この事実を知らなければシェルは歩み寄る事ができないと思うのだ。

「国よりも……私の方が?」

 シェルは衝撃を受けているようだった。喜んでいいのか、怒っていいのか分からない、そんな顔をしていた。

「そうだ。そして、ノイアは自らが死ぬ事になるとしてもお前を守るよ。それがノイアなんだ。正しいとは言えない。でも、彼女は国に仕える騎士である前に……シェルを守りたいと願う一人の少女なんだ」

 ジュレイドの言葉を聞いたシェルは肩を震わせる。

 長い沈黙の末。

 シェルはようやく重い口を開いた。

「私はノイアの事を何も知らなかったんだ」

「行って来い。あちらも……もう終わっているだろう」

 ジュレイドはつぶやいて柔らかい黒髪からゆっくりと手を退ける。

「行って来る。次は……二人で歩む」

 シェルは一度微笑んで雪原を駆ける。その背中をジュレイドは優しく見つめ続けた。



「見事に落ち込んでいるわね」

 溜息交じりの声がノイアの心を刺激する。

「錬か。それにノース様。見苦しい姿を見せたな」

 ノイアは自嘲の笑みを二人へと向ける。

「何を悩んでいるの? あたなの行動は間違っていないわよ。シェルを守ればより多くの命を救える。二つの国が歩み寄るにはシェルは必要不可欠……だから守ったんでしょう?」

 錬は腰に手を当てて落ち込むノイアに言葉を浴びせる。誰に対しても物怖じしないこの少女の力をノイアは少しだけ分けて欲しいと思えた。

「違うんだ、錬。シェルは多くの命を救うために少数を犠牲にするのを良しとはしない。だが、あの場で私に何が出来た。住民を救いながらシェルを守る事なんて私には無理なんだ」

 どれだけ綺麗な理想を語っても力がなければ無意味。それを今回は痛いほどに味わった。ノイアだけの小さな力ではどうしようもないのだ。

「ノイアだけでは無理よ。それなら……どうして私に声を掛けなかったの?」

「――え?」

「私はノイアのためなら命だって捨てていい。シェルを失ってノイアが悲しむのなら……あの子だって全力で守るわ」

 落ち込むノイアへと錬は必死に言葉を掛け続ける。それはノイアへと向けられた真っ直ぐな気持ちだった。

「錬……お前」

「これが私の気持ちよ。結局、何が言いたいかと言えば……もう少し私達を頼って。一人で無理なら皆で守ればいい。シェルをただ守りたいと願うノイアを……私は見捨てない」

 穏やかな、心に沁みていくような錬の言葉。

 ふとジュレイドへと自らがつぶやいた言葉を思い出した。人は弱い存在だから、支え合う必要があるのだと、そうつぶやいた気がする。

「そうだな。一人では無理なら……皆で守ればいい。私はもう二度と小さな命を見捨てない。それがシェルの心を守るというのであれば守りきる。皆と……一緒に」

 ノイアは救われたような笑みを浮かべる。もう迷いはなかった。

「じゃあ……後はどうやって仲直りするかね」

 錬の何気ない言葉。その言葉を聞いた瞬間にノイアは固まった。

「どうして、そこで固まるかな。先ほどの答えを伝えればいいだけでしょう?」

 錬は難しそうな顔をする。

「そうなのだが」

 ノイアは苦渋の表情を浮かべる。なかなか腰は上がりそうになかった。

「こっち恥ずかしい事まで言ったんだから……意地でも仲直りさせるわ」

 錬はノイアの右腕を抱えて力を込める。

「私もこのままでいいとは思いません」

 先ほどよりも少し瞳に力を取り戻した女王がノイアの左腕を抱える。

「二人とも……待ってくれ」

 ノイアは二人の少女に強引に引っ張られて強制的に立ち上がる事となった。

「分かった。ちゃんとシェルと話す」

 ノイアは観念してつぶやく。

「それでよし」

「行ってらっしゃい」

 二人が微笑んでノイアを見送る。もう一度溜息をついたノイアは一歩を踏み出した。



 霞んだ視界が淡い輝きを捉える。

(輝石?)

 ブレイズは騎士だけで旅をしていたのに、なぜ輝石が輝いているのか疑問に思った。それと共におぼろげながら気絶する前の光景を思い出していく。

(俺は刺されて……)

 そこまで思考が進んだ瞬間にブレイズは覚醒した。こんな所で呑気に寝ている訳にはいかないのだ。会談はいったいどうなったのだろうか。

「まだ起きないで下さい。私の神力ではまだ回復に時間が必要です」

 落ち着いた声が耳へと届く。視線を向けると、黒髪を結い上げた女性騎士がブレイズへと癒しの術式を施していた。

 状況がまるで分からないブレイズは視線を周囲へと向けていく。どうやら自分はテントで寝かされているらしい。そして、体に力を込めてもまるで動かない。思った以上に深手だったらしい。

「会談は?」

 状況を少しずつ理解したブレイズは現在もっとも気になる事を少女へと問う。敵である彼女が答えてくれるかは分からないが、今すぐにでも聞きたい事である。

「アガレス王は……共に歩むつもりです。フィッツベル王国を共に倒すと約束しました」

 簡潔な少女の返答。嘘をついているようには見えない。いったい彼女の中で何が起こったというのだろうか。

「そうか。良かった。場所はどこだ?」

「……体を休める気がありますか?」

 ブレイズの問いに少女は頬を膨らませる。その姿はまさに年相応の姿だった。

「状況が分からなければ休めもしない」

 そんな少女へとブレイズは真剣な瞳を向ける。

「場所は会談の場から南西に一日ほど進んだ場所ですね」

 なぜか頬を朱色に染めて少女がつぶやく。

「南西に……一日。ここはハールメイツ神国か!」

 ブレイズは目を見開く。どうやら会談を終えて、すでに自国へと帰ってきたらしい。

「はい。今は都市マーベスタに向かっています」

 少女は薄く微笑んでつぶやいた。その瞬間、とある疑問が浮かぶ。

「なぜ……君がここにいる?」

 ブレイズの問いは至極同然だった。共に歩むとしてもまだグリア連合国とは表向きは敵同士である。そんな状況で理由もなく領内に入るのは不自然なのである。

「あなたに償いをするためです」

 少女はブレイズの手を取ってつぶやく。

「償い?」

「ええ。あなたの傷を癒し、そしてあなたのために槍を振るいます。あなたの傷が癒えるまでは。それが私の償いです」

 ブレイズの問いに少女は迷いなく答える。

「そんな事をしなくてもいい」

 ブレイズは視線を逸らす。どうもこの少女と瞳を合わせるのは抵抗がある。

「どうか償わせて下さい。足りないのであれば……どんな事でもしますから」

 少女の懇願の瞳がブレイズへと向けられる。どうやら少女は生きるためには何か一つでも拠り所が必要らしい。それがブレイズなのだろう。見捨てるのは簡単だった。

 だが、ブレイズはこの少女を救う事にした。他の誰かがすればいいという事もある。それでもブレイズ自身が出来る事なら手を差し伸べたいと思ったのだ。

「必要なら隣にいろ。だが……自然なままでいてくれ。償いなんてしなくていい」

 ブレイズは再度少女へと視線を向けると同時に努めて落ち着いた口調で語り掛ける。

「はい」

 少女は満面の笑顔で頷いた。



 涼しげな青い瞳がノイアを静かに見つめる。その瞳を正面から受け止めるが、シェルが何を考えているのかは分からなかった。

「ノイア、さっさと行く」

「応援しています」

 錬と女王の言葉を背に聞いてノイアは表情を引き締める。ここで迷っていても仕方がないのだ。合流したのならばすぐにでも港へと向かわなければならない。だが、この少女と向き合うまでは前には進めない気がする。いや、シェルはちゃんと話すまで逃がしてはくれないだろう。

「シェル……私はお前を守りたいだけだ」

 ノイアは真っ直ぐな言葉をぶつける。心を開いてありのままの姿を見せるノースのように。

「さっき……ジュレイドから聞いた。それがノイアなんだね」

 シェルはうつむいてつぶやく。やはりまだ納得はしていないらしい。

「ああ。それが私だ。今回は私の勝手な想いをシェルにぶつけてしまった。それは……悪かったと思う。だが……シェルがハールメイツ神国にとって大切な存在だという事は忘れないでくれ」

 ノイアは一歩、シェルへと歩み寄る。彼女の想いを受け止めるために。

「そんな事は分からない! 私はあの場で守りたかった。彼らを見捨てた私はもう歩めない」

 シェルは大きな瞳に涙を溜めて叫ぶ。

「分かっている。だが……歩みを止める訳にはいかない。あの場で命を失った民のために……そしてザーランドのために」

 溢れる怒りを、拳を強く握って和らげ冷静な瞳を向けるノイア。

「やはりノイアは私とは歩む道が――」

「違わない」

 言葉を遮ってノイアは微笑む。シェルは驚きで目を見開く。そんな少女へとさらに一歩進んで抱きしめる。

「歩む道は同じだ。お前が見捨てないというのであれば……私は最後までお前の隣で守るだろう。無力な私だが……こんな私を手伝ってくれる者がいる。皆で守れば守り切れる。そうだろ、シェル?」

 ノイアは優しく語り掛け、抱きしめる腕に力を込める。

「うん。皆で守れば……守り切れるよ。ノイア……私と一緒に歩んで。困難な道だけど……二人なら、ううん、皆で歩めば進んでいける」

 シェルの言葉にはもう棘はなかった。その証拠にシェルは腕を伸ばして抱きしめ返してくれた。もう二人の間に溝は感じられなかった。

「ああ。私はシェルの身を守れればそれでいいと思っていた。だが、シェルの想いも、意思も、守りたい物も全て守らなければいけなかったんだ」

「そんなに守れるの?」

 ノイアの言葉にからかう様な声音で少女が問う。

「守るさ。私はシェルが……」

 そこで言葉を切る。これ以上先は言ってはいけない気がする。だが、溢れてくる感情は止まらない。漏れそうな声を必死で堪えていると。

「ノイアの意気地なし。でも……そんな所も大好きだよ」

 シェルが先に想いを伝えてきた。

 もう堪える事は不可能だった。神力が低下するかもしれない、そんな些細な事は頭の隅から消し去って、強くシェルを抱きしめる。

「私も……シェルが大好きだ」

 溢れる想いを言葉と温もりで伝える。

「うん」

 シェルは一度だけ頷く。他に言葉はいらなかった。この満たされた想いだけで十分だった。

「あーあ。やっぱり敵わないな、あの子には」

 錬の残念そうな声が背に届く。

「いいではないですか。お似合いですから」

 女王はうっとりとした視線を向けてくる。忘れていたがこの二人が見ているのだった。

「大団円?」

 それに加えて何やら楽しそうな声まで加わる。視線の先にはニヤリと笑うジュレイドがいた。

「し……しまった」

 ノイアは慌てて抱きしめている腕を離す。顔は火傷しそうに熱い。穴が開いているなら入りたい気分だった。

「今日は離さない」

 頬を膨らませてシェルがほどよい力でノイアを包む。皆の祝福するような温かい視線を受けてノイアはしばし困惑するのだった。


読んでいただきありがとうございました。感想等いただければ幸いです。

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