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ただあなたを守りたい  作者: 粉雪草
騎士編
15/19

ただあなたを守りたい 騎士編 6

ただあなたを守りたい 騎士編


―6―


「ノース様。周囲は気にせずに……ありのままの言葉を伝えて下さい」

 前方を睨みながらザーランドがつぶやく。

「ええ」

 短く答えた女王は雪原を一歩進む。一度深呼吸をして心を落ち着かせて対話を試みる相手をゆっくりと見つめる。

 一定のペースで迫ってくるのは、虚ろな瞳を向ける住民達。彼らが普通ではない事はノースにも分かっている。歪な空間から延びる糸に操られているのだろう。そんな彼らに自分の声が伝わるのだろうか。

(今は王として迷ってはいけませんね)

 弱気になる心を追い出すと同時に、声を張り上げるために力を溜める。

「この国が抱える問題を……解決する手段を見つけました!」

 ノースは飾らぬ言葉を伝える。知能派のザーランドのように気の利いた演説が出来るとは思っていない。だからこそ出来るだけ簡単で、真っ直ぐな言葉を掛ける。それが、自らが取れる唯一の手段であり、もっとも有効な手段だと信じて。

 だが、彼らの歩みは止まらない。言葉は届いているというのに。

「大陸マクシリアを満たす神力を使用すれば……この地の緑を取り戻す事が出来ます」

 諦めずに言葉を続けるノース。そんな彼女の言葉を聞いて一部の住民が虚ろな瞳に光を取り戻す。だが、向けられた言葉は冷たいものだった。

「そんな事は出来ない。国の存続のために嘘をついているだけだ!」

「違います。嘘は言っていません! 彼女は……シェルはハーツメイツ神国を説得してくれると。そして、私は神力を受けた花が力を取り戻す姿を見ました」

 女王は叫びながら前進する。静止しようと肩を掴むザーランドの手を強引に振り解いて声を想いを伝えるために前へと突き進む。

「あなたは餓えて苦しむ俺たちに何をしてくれた!」

 別の男が叫び声を上げると同時に氷の刃を形成する。脅しではない。見つめる氷刃からは確かな殺気を感じた。

(これが民の怒りであるならば……避けません)

 ノースは放たれる氷刃を真っ直ぐに見つめる。刹那、自らの左頬に焼けるような痛みを感じた。おそらく切れて血が流れるいるであろう頬を気にする事もなく、女王は怒る住民へと声を掛ける。

「信じて……下さい」

 微笑み我が子を迎え入れる母親のように両腕を広げる。どんな理不尽な気持ちも、刃も受け止める、そう心に決めてノースは優しい瞳を向け続ける。彼らの心に一つの光を照らすために。

「う……あ……」

 住民の表情が歪んでいく。何を信じていいのか。溢れる怒りをどこにぶつければいいのか分からない。そんな様子に見えた。

(もう少し)

 確かな手応えを感じた瞬間。状況は女王が望まぬ形へと向かって動き出す。

「女王をお守りしろ」

 状況を変えたのは低い男性の声だった。声に含まれているのは、ノースでも分かるような強烈な殺気。

(そんな――!)

 ノースが驚きに目を見開いた瞬間。無数の氷刃が無防備な住民を貫く。

「やはり騙したのか」

「綺麗事ばかり言って!」

 騙し討ちに合ったと判断した住民は鋭い視線をノースへと向ける。

(違う。騙していない)

 ノースは首を激しく左右に振る。頭が取れてしまうのではないかと思うくらいに何度も、何度も。

 だが、住民が向ける視線は変わらない。

 そんな彼らをさらに挑発するのは無数の氷刃だった。魔術師達が一斉に魔力を解放したのだ。狙いはもちらん怒り狂った住民達。ここまで進めば彼らを操る糸などは関係ない。糸から解放されたとしても彼らの意思で襲ってくるだろう。

(私には……やはり止められないの? 私の言葉にはそれだけ価値がないというの?)

 女王は自らを支える両足から力が抜けていくような気がした。これが自分の限界。やはり自分はお飾りの王だったのだ。

 以前のノースならば膨らんでいく劣等感に押しつぶされていただろう。だが、今は別の想いが自らを突き動かす。

(それでいいの?)

 女王は自らの心に一つ問いかける。このまま諦めて眺めているだけならば、叫んだ意味も、ここに立っている意味もない。信じてもらうには彼らを守るしかない。お飾りの王でも住民をこの身で守る事くらいは出来るのだから。

「放て」

 冷徹なゲベルの声が雪原に響く。第一師団長の合図を受けて一斉に魔術師が魔力を解放していく。

「駄目です!」

 ノースは叫ぶと共に雪原を駆け抜けて――

「止まって!」

 迫る氷刃から住民を庇う様に大きく両手を広げる。

 ノースの体は誰が見ても分かるくらいに震えていた。そんな自分が情けなくて仕方がない。ノイアのように勇ましくある事ができない弱い自分。だが、今は逃げる訳にはいかない。背には守るべき民がいるのだから。

 ノースは震える両足に力を込め、身に宿る魔力を全て解放する。もちろん自分を守るためではない。一人でも多くの愛する民を守るためである。

 視界を氷の刃が埋め尽くす。助かる事など不可能だと判断したノースは、覚悟を決めてゆっくりと瞳を閉じる。

 だが、いつまで経っても痛みを感じる事はなかった。死ぬ時は痛みを感じないのだろか、と半ば現実から離れた事を考えていると溜息混じりの声が降り注ぐ。その声は常にノースを心配してくれる聞き慣れた声だった。

「今後は……このような無茶は控えて下さい」

 声に導かれて瞳を開けると、全身を氷刃で貫かれたザーランドが立っていた。

「それはお前も同じだろう、ザーランド」

 声を上げたのは同じく傷だらけのノイア。

 なぜ彼らほどの者が傷だらけなのだろうか。

「まさか……守って」

 ノースはとある可能性を思いつく。それと同時に慌てて視線を自らが命懸けで守ろうとした民へと向ける。彼らは皆、氷壁と障壁によって守られていた。ただ一人の漏れもなく氷刃が放たれる以前と変わらない姿で、ノースが望む姿で立っていたのだ。

「――ありがとう」

 気づけば感謝の言葉をつぶやいていた。瞳からは涙が溢れて止まらない。心に広がるのは温かい感謝の気持ちだけだった。二人はすかさず氷壁と障壁を展開して民を守るだけではなく、我が身が傷つく事を厭わずにここまで駆けつけてくれた。こんな未熟な女王を守るために。

「ノイア、大丈夫!」

 遅れてジュレイドに背を守られながら雪原を走るシェルの姿が見えた。

「ああ、大丈夫だ。まだ終わっていないからな。女王……今なら言葉は届きます」

 自らの傷を気にした様子もなくノイアはこちらに微笑む。ノースに力を与え、そして前へと向かせてくれる友の微笑み。彼女のこの微笑みにどれだけ自分は助けられただろうか。ノースはそんな友の想いに答えるためにゆっくりと自らの背を見つめる住民へと振り返って――

「どうか信じて下さい」

 短い言葉に全てを込める。彼らに理屈で語り掛けても無駄なのだ。心で対話するしかない、そう決意すると同時に穏やかな微笑みを向ける。

 彼らはそんな女王へと心を開いたのかゆっくりと口を開いた。

「女王様……信じたいけれど。そんな奇跡があるとは思えません」

 住民はうつむいて両手の拳を握り締める。他の住民も同じ事を思っているらしい。信じたいけれど、どうしたらいいのか分からないのだろう。ノースですら一度この目で見たから信じられる話であるのだから。

「信じるための証拠が必要なら……私が示します」

 落ち着いた声が割って入る。今まで傷ついた二人に癒しの術式を施していたシェルである。

「シェル。上手くいくかどうかは……分からないんだぞ?」

 ノイアは、シェルとノースにぎりぎり聞こえる声で話す。失敗すれば今度こそ信頼を失う。そして、彼らは助かる道を失い再び暴徒と化すだろう。

 そして、一つ重大な問題が残っている。

「ハールメイツ神国が光の壁を――」

「私が説得する。だから信じて……ノイア」

 ノイアの言葉を遮り、シェルは小さな手を伸ばす。道を示すために。

(ノイア……あなたはどうするの?)

 ノースは迷う友を見つめる。一秒が数分にも思える緊迫した時間。固唾を飲んで見守る中で二人の視線が重なった。



「用意周到ですね」

 まるで孫にでも向けるような柔らかく温かい声が耳に届く。

「これから敵の領内に入るのですからね。用心もします」

 ブレイズは言葉を返すと共に、紐で括って首から吊り下げている輝石のペンダントを見つめる。

「神力を帯び……一度だけ障壁を張る事が出来るペンダント。まだ試作段階ですので名前は決まっていませんが……実用化されれば今後の戦いを変えますね」

 ギルベルトは鋭い瞳を淡い輝きを放つペンダントへと向ける。

「ですが製作過程が長すぎます。一度障壁を発動させられるだけだというのに、シスターが一日中神力を込めなければなりませんから」

「そうですね。現在は量産せずに隊長クラスが装着して、実戦で試してみる。時間に見合った効果があれば量産されるでしょう」

 軍神が冷静な言葉を返す。

「光の壁の維持に、騎士を守るためのペンダントの作成。守られてばかりだな」

 ブレイズは溜息をつく。シスターに守られるだけの騎士にいったい何の価値があるというのか。そんな疑問が脳裏に浮かんで仕方ない。

「いざ、戦争になれば前線に立つのは私達騎士です。誇りに思っていいのですよ」

 軍神は柔らかい声で語る。長年、戦い続けてきた老齢な騎士の言葉。自信に満ちた言葉を聞くだけで弱気になっていた心が徐々に晴れていくような気がした。

「そうですね。誇りを持って前へと進みます。いざとなれば友が守ってくれるでしょう」

 ブレイズは友が神力を込めてくれたペンダントを強く握る。

「ほう。それはノイアさんが」

 軍神は一度驚きの表情を作る。だが、すぐにこちらに何か期待した視線を向けてきた。

「何を考えているかは知りませんが……ノイアは俺の大切な友人であり、同志です。この深い絆をつまらない色恋話にするのであれば……例えあなたでも許しません」

 ブレイズは軍神を軽く睨む。

 今日もまた誰かのために剣を振っているに違いない。そう信じる事が出来る凛々しく、それでいて気高い少女の姿が自然と脳裏に浮かぶ。次に会うのは戦場の中か、それとも平和になってからなのか。どちらにせよ再会を願う強い気持ちが溢れて止まらない。この溢れる想いは恋ではなく、友の無事を願う絆だとブレイズは信じたいのである。

「ふむ。お似合いだと思うのですけどね。まあ……冗談はこれくらいにしておきましょうか」

 軍神はつぶやくと同時に薄い笑みを引っ込める。

 刹那。

 身が凍るような寒気が全身を襲う。全てを拒絶し、存在するもの全てを抹消しようとする鋭利な殺気。

「これは……どうやら歓迎はされてはいないらしいですね」

 ブレイズは素早く剣を引き抜く。

(どこから来る?)

 一つ深呼吸をして視線を走らせる。

 まず瞳に飛び込んでくるのは真っ直ぐに伸びた平坦な道。そして、その左右には木目が比較的真っ直ぐに伸びた背の高い木々が広がっている。左右の木々を抜けて来るのか、それとも真っ直ぐ突っ込んで来るのか。

 ブレイズが悩んだ時間はほんの僅かの時間。少女の叫び声が正確な位置を教えてくれたからである。

「ハールメイツの騎士。覚悟!」

 叫ぶ少女はまるで周りが見えていない様子だった。ただ恨むべき相手を睨み、その手に握る槍で串刺しにする。それ以外は頭にはないだろう。

(予想はしていたが。まさかここまで酷いとはな)

 ブレイズは自らを睨む少女に憂いを帯びた瞳を向ける。自然にしていれば若く、愛らしい少女なのだろう。だが、今は溢れる怒りで心も表情も歪めてしまっているように見えた。

「死ね!」

 少女が放ったのは速度、気迫共に申し分ない高速の突き。常人には決して避けられない人外を超えた速度の突きだった。少女は腕に自信があるのか表情を喜びに変える。仇を討てる事を心から喜んでいる。そんな様子だった。

 対するブレイズは。

「すまない」

 一言謝罪の言葉をつぶやく。それと同時に身を捻るように左へと逸らし、今にも腹部を貫かんとする槍を回避する。

「……っ!」

 少女が驚きで目を見開く。

 咄嗟に槍を引き戻そうとするがもう遅い。ブレイズは騎士剣を上段に構えて一息で振り下ろす。これで決着が付くと確信するブレイズ。

 だが。

 少女は予想外の言葉を口にする。

「神聖なる神よ。我に守りの力を!」

 それはシスターが障壁を張る際に紡ぐ言葉だった。

 次の瞬間には高速の銀閃と、突如出現した眩しい光を放つ障壁が激突する。

(まずい)

 このまま吹き飛ばされてバランスを崩せば終わりだ。この少女の腕なら態勢を整えるよりも速く貫けるだろう。

 だが、ブレイズの不安はガラスが割れるような乾いた音と共に霧散する。

「もう力が……」

 少女はいとも簡単に砕け散った障壁を呆然と見つめる。神力は手を汚す事で失われてしまう。彼女はいったいどれだけの人を、守るべき者のために殺めたというのだろうか。

(ノイアとは違う。だが……彼女も一歩間違えれば。シェルを失ってしまえば……)

 ブレイズの心に迷いが生まれる。

 ノイアがひたすらに努力を続けていたのは中途半端な神力と、騎士の力を持っていたからだ。そして守りたいと思える大切な人が隣にいたからなのだろう。自らが信じる友も一歩間違えればこんな姿になってしまうのだろうか。心に広がる迷いがブレイズの剣を鈍らせていく。

 その事実に気付いた時にはすでに遅かった。

「――遅い!」

 少女はブレイズの剣をすかさず槍で弾き飛ばす。ブレイズが剣を構えなおすよりも速く。一つ呼吸をするよりも速く鋭利な突きが空気を切り裂くように突き進む。

「こんな所で!」

 ブレイズは咄嗟に体を右へと捻る。同時に首からぶら下げているペンダントに意思を送る。

 その瞬間。

 ブレイズと少女の間に光の壁が突如出現した。

「障壁?」

 少女は疑問の声を漏らす。少女は確かにブレイズの胴を正確に捉えたのである。数秒後には甲冑と共にその身も貫ける筈であった。だが、槍はブレイズの思惑通りに弾き飛ばされる。

 予想外の展開に追いつけない少女に向けてブレイズは一歩踏み込む。

「これで終わりだ」

 言葉と共に剣を振り下ろす。狙ったのは少女が握る槍だった。それ以上は追撃の剣は振るわない。その意思を受け取った少女は壊れた人形のようにうな垂れる。

「殺して。仇を討てないなら殺して」

 少女は折れた槍を見つめながら小声でつぶやく。

「君を殺す事はしない。俺達はグリア連合国と会談するために来た」

 ブレイズは剣を鞘へと戻す。戦いの終わりを告げるために。

 一瞬の沈黙。

 このまま諦めて欲しいと切に願う。

 だが少女は腰に装着している鞘から剣を引き抜いた。自らを終わらせるために。また隙あればブレイズを殺すために。

「くっ……」

 ブレイズは反射的に鞘へと手を伸ばす。今から抜けば隙だらけの少女を切り裂く事は可能である。だが、それでもブレイズは剣を抜く事は出来なかった。

「ガイラル様の……ために!」

 少女は剣を真っ直ぐに突き出す。自らの恨みを晴らすために。避ける事はもう適わない。だが、後悔はない。これは自らの甘さが招いた結果なのだから。

「すみませんが……許容範囲を超えています」

 冷静な声が二人の戦いに割って入る。

 一息で二人の間に入り、剣を振り上げたのはギルベルト。一度、剣響が響くと同時に火花が散る。

「待って下さい。彼女を殺しては!」

 ブレイズは軍神の背へと手を伸ばす。だが、彼の手は止まらない。左手の騎士剣で少女の剣を弾き飛ばし、無防備な胴に右手に握る騎士剣で一閃。

 ここから見ていても分かる。少女にはギルベルトの一閃を避ける事が出来ない事が。ブレイズは現実から逃げるように強く瞳を閉じる。

 それと同時に聞き覚えのある声が絶望的な事態に介入を果たす。

「そこまでだ」

 一度、剣響が鳴り響く。

 ブレイズが固まった瞳を開くと。今にも少女を切り裂こうとしていたギルベルトの剣を止める銀髪の男が立っていた。

「お前は……あの時の――」

「話は後だ」

 男はブレイズの言葉を遮り視線を後方へと向ける。

 男の視線を辿った先にはブレイズ達が言葉を、想いを伝えるべき男が立っていた。

「――剣を収めろ。我らに必要なのは対話だ」

 威厳に満ちた男の声が響く。

「グリア王国……国王アガレス」

 ブレイズは震えが止まらなかった。

 黒髪に褐色の肌。全身から放たれる強烈な威圧感。見間違える筈がない。そこに立っていたのは紛れもなくグリア連合国の王アガレスだった。

「こちらも出来れば対話で済ませたいですね」

 ギルベルトは半歩引いて隙なく剣を構える。

「クレサは俺が止めておく。貴様も手伝え」

 銀髪の騎士がブレイズに視線を走らせる。

「いいだろう。我が国が招いた事だ。いかなる形であれ責任は取ろう」

 ブレイズはつぶやいて一歩を踏み出した。



 ノイアは震える手を守ると決めた少女へと向ける。

(何を迷っている。一年前なら喜んで握っただろう?)

 自らの心に問う。だが、答えは返ってこない。シェルが歩もうとする道を信じられない自分が心の中にいるとでも言うのだろうか。

「ノイア」

 シェルは優しくつぶやいてノイアの震える手を握る。柔らかくて温かい手。この手を振り払う事は叶わない。ノイアには決してこの手から離れる事は出来ないのだ。

(迷っている時間はない)

 今は女王が飛び出したお陰で周囲はどう動くべきか判断に迷っている。だが、このまま何もしないのであればせっかくの機会を失ってしまう。迷う自分のせいで全てが台無しになってしまうのだ。それだけは避けなければならない。

 だが。

 何が正しくて、何が間違っているのか分からないのだ。判断する術が見つからない。

 ノイアは迷う心を強引に抑え込む。平静を整えたノイアの心にすでに決まっていた。

 ただ自らの手を握る温かい手を強く、強く握って――

「どう進めばいいのか分からないなら。私はシェルを信じて進み続ける。どこまでも」

 ノイアは最高の笑顔を浮かべる。もう迷いは晴れたのだと、そう伝えるために。

「全力で癒しの術式をお願い。私が神力の供給と制御をするから」

 微笑み返すシェルの指示を聞いて、ノイアは身に宿る神力を解放していく。神力の強さだけならシェルにすら匹敵する規格外の神力を止めどなく放出し続ける。絶対量が少ないノイアがこの力を維持出来る時間はたったの数分。

 だが、シスターの第三位は顔色一つ変えずにノイアに力を渡し続けてくれる。それと同時にシェルは無作為に放出する力を術式として制御していく。

「すごい……これだけ広く。それに雪が」

 女王が感嘆の声を漏らす。

 ノイアは声に導かれてゆっくりと緑色の瞳を開ける。瞳を開けた先には二百メートル以上の広さを持つ円形の魔法陣が眩い光を放ち、地を覆う雪をゆっくりと溶かしていく。まるであるべき姿に戻っていくように。

「一人では無理だが。二人でなら奇跡だって起こせる!」

 ノイアは自らを奮い立たせるために強気に叫ぶ。虚勢だという事は震える手から全てシェルに伝わっているだろう。だが、シェルは恐怖を受け取っても怯まない。ノイアの震える手をしっかりと握り力を渡し続けてくれる。だから信じて続けていられる。それはシェルも同じなのだろう。ノイアが諦めないから続けていられるのだ。

「――もう少しだ」

 ノイアは解けていく雪を見つめる。その先には雪に覆われて力を失った花が咲いていた。風が吹く度に砂で出来ていたかのように崩れて舞う命を吸い尽くされた花々がそこにあった。

「全力でいく!」

「これが……私達が示す道!」

 二人の勇ましい声が上がった瞬間。眩い光が全てを包み込む。

「奇跡が……起こるのか?」

 住民が光に向けて問う。彼らの視線は地に咲く花に縛られて離れない。眩い光が瞳を貫こうとも決して逸らす事はなかった。

(咲いてくれ。シェルが望む道を示すために)

 ノイアはただ祈る。彼らの心に共に歩む道を示す事が出来ますようにと。

 そんなノイアの祈りを受け取った花々は天へと延びていく。まるで自らの姿を誇示するかのように。

「これでいい。これで終わ――」

「女王を惑わす異国の使者を消せ!」

 ノイアの言葉は、一つの怒声によってかき消される。

「彼らは我らが民を欺き、この国を従属国にするための使者だ。皆、甘い言葉に惑わされるな。彼らは恩を売り、我らから地位も権力も……全て奪う気なのだ」

 声を張り上げているのは第一師団長のゲベル。物音すら許されないような静寂とした空気から一転。幾つものざわめきが満たしていく。

「違います。彼らは共に歩んでくれます!」

 女王がゲベルを睨むと同時に声を張り上げる。

「騙されてはなりませんよ、女王様。我らが歩み続けるためには……戦争によって勝利するしか他に道はないのです」

 ゲベルは一度そこで言葉を切って、ゆっくりと右手を上げる。

「第一師団! 異国の使者に洗脳された住民共々、彼らを殺せ! そして、この勝利を胸に刻み全軍を上げて邪な手を使う浅ましい者共を殲滅するのだ!」

 ゲベルが力の限りに叫ぶ。

 刹那、彼に従う魔術師が一斉に氷の刃を形成していく。

「ノイア、あれだけの数は無理だ。シェルを連れて逃げろ!」

 ジュレイドが放心した少女二人に声を掛ける。今から障壁を張っても間に合わない。そして、あれだけの数を防げる自信もない。

「でも、彼らは……どうするの!」

 シェルが悲鳴に近いような声を上げる。彼女なら住民を守るためにこの場に留まる事を選ぶだろう。無事を見届けるまではこの場から決して離れないのではないだろうか。

「すまない」

 ノイアは今にも泣き出しそうな少女の手を引く。

「ノイア?」

 シェルはこちらに戸惑いの瞳を向ける。ノイアなら自らの気持ちを理解してくれると思っていたのだろう。

「私はお前を守る。例え疎まれようとも」

 つぶやくと同時にシェルの手を強く引いて駆け出す。背に聞こえたのは銃声と、大鎌の風切り音。

「民は私が全力で守りますよ」

 そして、最後に聞こえたのはザーランドの落ち着いた声だった。



「離して!」

 両肩を後ろから抑えられた黒髪の少女が叫ぶ。槍を折られても、抑えられても少女はブレイズを睨み続ける。

「こんな状態で会談が出来るのか?」

 ブレイズはうつむいて独語する。

 目の前で暴れる少女は例外では決してない。グリア連合国には少女と同じように自分達ハールメイツ神国を恨む者がいるだろう。それはブレイズ達にとっても同じ事。大切な人を失い、心を閉ざし性格すら変わってしまった者をブレイズは幾人も知っている。

「クレサ。いいかげんにしろ!」

 少女を抑えている銀髪の男が苦渋の表情を浮かべて叫ぶ。こうも暴れられると平気でいられる訳はないのだろう。

「こいつらは、ガイラル様を! ガイラル様を殺したんだ。仇を取れないなら殺せ!」

 少女は叫び続ける。感情をぶつける事でしか自らを保つ事が出来ない少女。こんな姿を見ているとどうにかして救いたいと思うのはおそらくブレイズだけではないだろう。

「俺を殺せば……気持ちが晴れるのか?」

「お前……何を」

 ブレイズの言葉に少女を抑える銀髪の男が目を見開く。まるで理解出来ないという瞳を無視してブレイズは言葉を続ける。

「どうなんだ? ガイラルという男を殺していない俺を殺して……気持ちが晴れるのか?」

「――!」

 ブレイズの問いに少女は言葉を失う。

「殺しても何も変わらない。虚しくなるだけだ」

 言葉を失った少女はゆっくりとうつむいていく。うつむいてからは、まるで壊れた人形のようにピクリとも動かない。

 数十秒か、それか数分か。正確な時間は分からないが少女は無言を貫き通す。答えを探しているのか、本当に壊れてしまったのか。

「お前はどうしたい?」

 ブレイズは返答を諦めて言葉を掛ける。また反応が返ってこなくてもいい。ただこちらの想いを伝えていく。心を開いてくれるように。

 その気持ちが通じたのか少女はゆっくりと顔を上げて問いを発した。

「どう生きればいい? 私はガイラル様に認められて……ただ側にいられれば良かった。それだけの存在だった。そんな私はどう生きればいいの?」

 少女の虚ろな瞳がブレイズを捉える。何の意思もない虚ろな瞳が、答えを求めて一度だけ光を宿したように見えた。

「生きたいように生きればいい。自らを支える人間が必要ならば……探せばいいだろう?」

 一つ溜息をついてブレイズは語る。

「そんな簡単に見つかる訳ないよ。お願い……終わらせて」

 少女はつぶやいて強引に腕を振り解く。

 少女の次の行動は予想通りだった。自らを抑えていた銀髪の男から剣を引き抜き真っ直ぐに構えたのだった。殺さなければブレイズを貫く。そう告げているように見えた。

 ブレイズが迷ったのは一瞬。

「君は殺さない」

 ブレイズは剣を抜かずに優しく微笑む。まるで少女を迎え入れるかのように。

(俺には殺せない)

 なぜかノイアがこの少女と重なってしまうのだ。性格も、姿もまるで似ていない黒髪の少女。共通点と言えば神力を持ち、今でも守りたいと願う人がいるくらいのものだろうか。

「殺して。殺してよう」

 少女は涙を流す。

 そんな少女にブレイズは表情を変えずに無言で見つめ続ける。

 一度、少女の叫び声が響く。

 次の瞬間。

 腹部に火傷したような熱さが伝わる。刺されたのだとすぐに理解した。だが、ブレイズの心に後悔はなかった。

「どうして……?」

 少女は震えながら問う。どうして敵である自分にここまでしてくれるのかと問うている。

「俺はここに対話をしに来たんだ。二つの国が――」

 そこまでつぶやいた瞬間に口の中に生暖かい感触が伝わる。すぐに溢れる血を吐きだして、力を失いつつある両足に再び力を込める。

「共に歩めるかもしれないんだ。そんな時に手を出す訳にはいかない。それに君は彼女に……」

 そこまで言うのが限界だった。力を失った体が意思に反して倒れていく。

「フィッツ! 彼を支えて。出来るかどうかは分からないけれど……癒しの術式を使用します」

 ブレイズを支えたのは彼を貫いた少女だった。霞む視界が捉えた少女の瞳には力が宿っていた。その瞳はブレイズがよく知る友の瞳と重なる。力強く、それでいて迷いを知らない瞳。

「あなたを助けます。生きて……どうか私に償わせて下さい」

 少女の優しい声が耳元で囁く。その声を最後にブレイズは意識を失った。



「ノイア、戻って!」

 悲鳴のような少女の叫び声を背に聞いてもノイアは止まらない。強くシェルの手を握って駆け抜ける。

「すまない。だが……どうしようもないんだ!」

 ノイアは叫んで下唇を強く噛む。

 聞こえてくるのは無数の呻き声。振り向かずとも住民が一人、また一人と倒れている事が容易に想像できる。ノイア達の背を守るジュレイド達とて無事だと過信する事は出来ない状況だった。そんな場にシェルを置いておく訳にはいかないのだ。

(私はいったいこの国に何をしに来たのだ)

 走りながらノイアは思考を巡らせる。可能性しか示す事が出来なかった。彼らの心に明るい未来を示す事も出来ずにおめおめと自国に帰れというのだろうか。

(だが……もう一度だけ機会はある。シェルが生きていれば)

 シェルは何を言ったとしても諦めない。ハールメイツ神国に戻れば、自国の説得に走るだろう。説得に応じてくれるとは思えない。

 だが、この少女ならば何とかしてしまうような気がするのだ。そう信じられる。だからノイアは前だけを見て走れる。結果、シェルからの信頼を失ったとしても。



「ぐっ……第二師団長の名が泣きますかね」

 ザーランドは自嘲の笑みを浮かべて膝を地につける。雪解け水を吸った泥が一度跳ねる。だが、そんな些細な事など頭の隅に置いておく余裕すらザーランドにはなかった。

 霞んだ視界に入るのは無数の氷刃。住民だけではなく戦争に反対するザーランドをも殺そうとしている事はすでに分かっている。

(潮時でしょうかね)

 覚悟を決めて一度瞳を閉じる。結局、民を守る事すら出来なかった。だが、せめてこの国の未来のめに尽くしたいとザーランドは思う。それが自分が出来るこの国に対する最後の忠義だと信じて。

「申し訳ありませんが……私の代わりに女王を」

 視線を左へと向けて茶色髪の傭兵へと言葉を掛ける。

「分かった」

 傭兵は軽やかに氷刃を回避すると同時に、銃を腰のホルスターへと戻す。

「援護するわ」

 つぶやいた錬が進路を塞ぐ氷刃を大鎌で切り裂いていく。その様子を見たザーランドは優しく微笑む。

「女王様を託せるのが……あなた達でよかった」

 つぶやくと同時に最後の力を振り絞りザーランドは立ち上がる。

「私はここで……彼らを説得して――」

「どうか彼らと共に……明るい未来を」

 言葉を遮り、ザーランドは女王を突き飛ばす。

 少子抜けするほどにあっさりと、まるで弾かれたように女王の体は軽々しく吹き飛ぶ。

「お前の事を疑って……悪かった」

 受け取ったジュレイドは短くつぶやく。最後まであっさりとしているのが彼らしいとザーランドは思う。だが、その方が見送る者にとってはありがたかった。

「ザーランド!」

 ゆっくりと瞳を閉じて、女王の言葉を胸に刻み込む。唯一心残りがあるとすれば成長したノースの姿が見られない事くらいだろうか。まるで父親のような心境だと思い、ザーランドは薄っすらと微笑む。

 彼に与えられた幸せな時間はたったの数秒。だが、最後にここまで心温まる想いを感じられた事は幸せだとザーランドには思えた。

「終わりだ」

 第三師団長ソルトの冷たい声が耳に届く。瞳を開けると眼下に迫るのは光輝く魔力の剣だった。

「ただでは死にませんよ」

 振り下ろされる光剣を半歩下がって回避。次の瞬間には残った魔力で氷壁を展開する。

 展開と同時に無数の衝撃音が寒空に響き渡る。

「防いだか。伊達に第二師団をまとめていた男ではないな」

 一瞬の静寂の後。砕け散った氷壁の隙間を縫うように低い声が響き渡る。

「今でも第二師団の団長ですが」

 氷壁を放ったゲベルを睨みつけると同時に、片手を上げて部下へと合図を送る。

「ふん。今さら貴様の部隊が動いた所で何が変わる」

 鼻で笑ってゲベルは余裕に満ちた笑みを向ける。

 現在、第一師団と第三師団は同国の情けがあるのか常に警戒はしているが、第二師団に攻撃を行う事はない。だが、手を出そうものなら容赦はしないだろう。彼らは自らの師団長を信じ、ただ突き進むのだから。

 だが、それはザーランドの第二師団とて同じである。彼の想いを常に理解して、彼の望むように動いてくれる。中にはゲベルの手の者も混じってはいるだろうが、それは極少数だろう。

「変わりますよ。女王が変えてくれます」

 ザーランドがつぶやいた瞬間。第二師団の最前列が氷壁を展開する。

 そして、それ以外の者は守るべき師団長に背を向けて地面を蹴った。

「馬鹿な……師団長を見捨てていくだと?」

 ゲベルは目を見開く。

 入念に準備をしていたこの男にもこの状況は理解出来ないらしい。いや、この場にいる全ての者がこの状況を予測する事は出来なかっただろう。

「第一、第三師団に真っ向から挑むなど……無駄に兵力を消耗するだけです。ならば、彼らを次の戦場に送るのが得策。まだまだ甘いですね」

 ザーランドは不敵に笑う。

「ハールメイツ神国が受け入れるとでも思っているのか!」

 ゲベルは吠えて光剣を振り下ろす。その姿はまさに獣のようだった。

「彼らも一国を治める者達です。そこまで愚かではないでしょう」

 表情を変えずに、まるで挑発するようにザーランドはつぶやく。

 頭に血が上った男の剣筋を丁寧に見切り、無駄のない動きで回避していく。

「ゲベル、それよりも住民を!」

 冷静なソルトの声が場の空気を一瞬で変える。

(さすがはソルトですね。ですが……今から間に合いますかね)

 ザーランドは光剣を避けながら思考を巡らせる。奇怪な行動に出た第二師団、そして安易な挑発に乗った指揮官のおかげで十分に時間は稼げた。

 今頃、住民は生きるために全力で逃げている事だろう。その手にこの国の未来を示す生きた花を握って。

「その程度か……ゲベル。これでは力を貸した私まで滑稽に見えるだろう」

 不気味な声がザーランドの背に届く。

 おそらくこの事態を引き起こした者だろう。ザーランドは振り向いてその顔を瞳に焼き付けたいが、体は指示に従ってはくれなかった。まさか恐怖を感じているとでも言うのだろうか。

「たかが数人逃がしたくらいでは変わらない! もう戦争は止められないんだ」

 ゲベルは光剣を振り回しながら叫ぶ。

「ぐっ……!」

 力任せの光剣をザーランドは氷壁で受け止める。

「貴様さえいなければ!」

 力の限り吠えるゲベル。その瞬間に眩い光が迸る。触れた物体を爆砕させる魔力を解放させたのだろう。

 砕けた氷壁がザーランドの体を容赦なく切り裂く。だが、ザーランドは決して諦めない。一秒でも長く、皆が逃げる時間を稼ぐ。その一心で踏み留まる。

「抑えなさい……マリオネット」

 感情を感じさせない声が静かに響く。まるで戦いの終わりを告げるかのように。

「すまない……ザーランド。せめて楽に逝ってくれ」

 ソルトはつぶやくと同時に氷刃形成する。

「私を殺すのはやはりあなたでしたか。申し訳ありません……ノース様」

 両肩を左右から人形によって固定されたザーランドは動く事は敵わない。抵抗するために暴れるよりも速く、もう一度緊張した表情を浮かべて微笑む女王の顔を思い出すよりも速く。

 一つの氷の刃がザーランドを貫いた。


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