表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ただあなたを守りたい  作者: 粉雪草
騎士編
14/19

ただあなたを守りたい 騎士編 5

ただあなたを守りたい 騎士編


―5―


「今日はこれくらいにしましょう」

 空が暗くなり始めた頃。ノイアは隣を歩く女王へと声を掛ける。

「いいえ。まだです」

 石碑へと向かう上り坂を懸命に上るノースはどこか焦っているようだ。昨日は襲撃に合い、そして本日は成果なし。何とかしたい、そんな強い気持ちが痛いくらいに伝わってくる。

「焦ってはいけません」

 ノイアは諭すような口調で語り掛ける。少しでも女王の心が休まるように自らの焦る気持ちを極力殺して落ち着いた姿を装う。

 女王は落ち着いたノイアを見るうちに冷静になったのか、恥ずかしそうに頬を染めていく。

「王たる者が見せる姿ではありませんね」

「ノース様は有りのままの姿でいるのがよろしいかと思います」

 落ち込む女王へと、柔らかい声音で語り掛けるノイア。

「有りのままの姿?」

 女王が小首を傾げる。やはり女王自身は自らの強みを認識していないらしい。彼女らしいと言えばその通りであるが、一国の王ともなれば自らの強みくらいは知っていてもいいのではないかとノイアは思う。

 だが、部外者である異国の者が口出しをしていいものかどうか判断に困る事も事実ではあるため言葉を慎重に選んでいく。

「はい。飾らない姿が一番輝いているように思えます。そして、裏表のない女王の姿が皆は好きなのだと思います」

「――そうだといいのですが」

 ノイアの言葉に女王は自嘲の笑みを向ける。

 なぜこの女王は自らに自信を持てないのだろうか。そんな疑問が自然と浮かんでくる。これだけ人気があるのなら胸を張ってもいいのではなかろうか。

「胸を張って下さい。あなたはこの国の女王なのですから」

 ノイアは考えを素直に伝える。だが、言葉を受け取った女王の表情は変わらない。むしろさらに悪化しているようにも見えるのは気のせいだろうか。

「何か一つでもいいのです。私が王たる証明を国民に示したい」

 下唇を強く噛んで女王がつぶやく。

「ならば示しましょう」

 ノイアはすかさずつぶやく。簡単な事ではないのは分かっている。だが、何もしなければ変わらない。才能がなく、がむしゃらに努力をしてきたノイアにはそれがよく分かる。歩まなければ人は手すら差し伸べてくれないのだ。

「簡単に言いますね」

「皆で行えば可能です。女王が歩むのであれば私は力を貸します」

 ノイアはゆっくりと右腕を上げる。ハールメイツ神国での癖がまた出てしまった。

「なんですか?」

 案の定、女王は端正な顔を歪めてノイアを見つめる。確かザーランドもこんな反応だったような気がする。当然の反応なので文句は言えないが居心地は悪い。

「ハールメイツ神国にいる友とよく行っていた……友情と絆の確認みたいなものです」

 恥ずかしそうにノイアは語る。

「ノイアさんも案外裏表がないですね。つまりは友……あるいは同志になりたいという事ですよね」

 女王は綺麗に微笑んで自らの左腕を重ねる。温かい想いが触れた腕から流れ込んでくる。ノイアがこの行動を好むのは、相手の気持ちを直に感じる事ができるからである。この温かい気持ちを感じられるなら、ずっと変わらぬ友情を貫きたいと思えるのだ。

「そうですね。我ながら恥ずかしい事をするとは思います。ただ……異国の何の位もない騎士では迷惑になるかもしれませんね」

「位など関係ありません。私は女王ではなく、一人の女性としてあなたと親しくなりたいと思います」

 ノースは真摯な瞳を向けてくる。本心なのだとすぐに分かる。この真っ直ぐな想いがノイアの心を惹きつけて離さない。

(この方も守ってあげられたらいいのだが)

 ノイアは心の中でつぶやく。だが、それは不可能だと分かっている。自分にはシェルがいるのだから。自らが守りたいと願う少女すら満足に守れないノイア。そんな未熟な者が二人も守れる訳はないのだ。無理に二人を守り、結果シェルが傷つく姿などは見たくはない。それならば我が身が引き裂かれた方がましである。どちらかを天秤にかけろと言われればシェルを選んでしまうだろう。

 だが、可能な限りは女王の力になりたいと思うのも本心ではある。

「あなたと出会い友になれた事を誇りに思います。せめて……この国にいる間は全力でノース様の力になります」

 ノイアは隠さずに本心を述べる。

 女王はノイアが大切な人を思い浮かべているのだと、すぐに気が付いたらしく一瞬だけ表情を曇らせる。だが、すぐに何事もなかったかのように言葉を返してくれた。

「あなたがこの国を離れても……例え敵同士になろうとも変わらぬ友情が続きますように」

 祈るような女王の言葉が夜の王都に響く。ノイアが視線を向けると女王は一度頷くだけだった。もう言葉は不要だと言っているかのようである。

(二人の絆がずっと続きますように)

 ノイアは強く、強く願った。



 魔力の輝きがほのかに照らす一室でザーランドは戦術について本を読んでいた。その厚さは男性の手の平ほどはあり、内容を全て頭に入れるには数か月はかかるだろう。

「そろそろでしょうか」

 区切りのいい所まで読み終えたザーランドが独語する。

 窓へと視線を向けると、外はすっかり暗くなってしまっている。今の女王様であれば成果が出るまでは粘るような気もするが、側にいるノイアが止めてくれるだろう。甘い所もあるが機転が利く彼女であれば女王を上手く説得してくれるような気がするのだ。

(すっかり信じていますね)

 心の中でつぶやくと共に一つ溜息をつく。

 昨日の襲撃の事も考慮すれば本来は後方で控えているべきである。だが、すっかり心を開いた女王の姿を見ていると、余計な介入は控えるべきだと思ってしまうのである。

(ここで何やら考えていても仕方ありませんね)

 女王を出迎えるために机に本を置き、ゆっくりと立ち上がる。

 その瞬間。

 一定のリズムでドアがノックされる。ドアの向こうに立っているであろう人物は、部屋の主であるザーランドへと声を掛ける様子はなかった。ただ黙って待っている。

「ソルトですか?」

 ザーランドは左側に見えるドアへと向き直る。

「邪魔をする」

 涼しげな声と共にドアが開く。部屋へと入ってきたのは予想通り第三師団長のソルト・ブレイザーだった。鋭い眼光と常に無表情であるためか、どこか威圧的に見える男である。

「本日も私を説得に来たのですか?」

 眉根を寄せてザーランドがつぶやく。彼の話を聞くのはこれで三回目くらいになるだろうか。そろそろ諦めてもいいのではないかとザーランドは思っている。

「ああ。この国が危機に晒されているのはお前も知っているだろう。国が統一し勢いがある今しか戦争をする機会はない」

 ソルトは鋭い眼光をさらに鋭くさせ、まるで睨むような視線を向けてくる。実際に戦争をする気がないザーランドを疎ましく思っているのだろう。

「勝てる保証はありませんよ。現状ではどんな策を取ろうとも……ハールメイツ神国の壁は破壊できません」

 ザーランドは分厚い戦術の本を持ち上げ睨む男へと向ける。その本に記された名前はギルベルト・スタンリー。ハールメイツの軍神の名前である。彼の取る指揮に生半可な戦術が通用するとはとてもではないが思えない。何か切り札を隠し持っているようだが戦争において必勝の手札などは存在しない。食糧の危機に瀕して急いているようにしか見えないのだ。

「それではどうする? 神力とかいう未知なる力に頼るのか! それで国民が納得するとでも思っているのか?」

 ソルトは一歩踏み出して叫ぶ。彼の言いたい事も分かる。ザーランドとて神力は未知なる力なのである。どこまでの力を秘めているのか全くの未知数なのである。

「納得するのは難しいでしょうね。結果を見るまでは。それを待つ時間もそう多くはありません。いたずらに時を使えば……最悪は内乱です」

「ああ。王都はまだ備蓄があるが……王都から離れれば離れるほど深刻だ。他国と戦争する前に内輪揉めで終わりだろうな。食糧を求めて争い、そして滅ぶ……後世に悪い見本として紹介されるだろうな」

 自嘲の笑みを向けてうつむくソルト。

 これがただの悪い妄想であればどれだけいいだろうか。だが、実際に起きる可能性があるのだ。餓えれば理性などすぐに吹き飛んでしまうだろうから。

「それでも私はノース様を信じます。彼女はこの国の王なのです。その決定に従うまでです」

 ザーランドは全てを理解した上ではっきりと宣言する。例え愚かだと言われようともこの気持ちを曲げる事はできない。

「そうか。やはり考えは変わらないという事か。それは俺も同じだ。何としてもこの国を戦争へと導く。自らの野心のために歩むゲベルのためではない。ただ餓えて苦しむ民のために、俺は他国すら滅ぼす」

 ソルトは無表情を崩さすにつぶやく。だが、民のためならばどんな悪名すら背負う覚悟が鋭い瞳を通してひしひしと伝わってくる。そんな彼と敵対する事は残念に思えて仕方がない。

「同じ国の者同士が刃を向ける事がなければいいですね」

「その時は苦しまぬように殺してやる」

 ザーランドの言葉に返って来たのは冷え切った声だった。ソルトとの道が重なる事はもうないのだろう。どれだけ望もうとも。

「分かりました。その時はあなたを……殺します」

 殺気を含んだ声を放つ。ザーランドは全てを納得はしていない。だが、ここで応じない事は彼に対する侮辱になるような気がしたのだ。

 ソルトはその想いを知ってか知らずか無言で背を向けて去って行った。



 王都から北に一日ほど歩いた先に一つの都市がある。農業と魔力を帯びて輝く魔石と呼ばれる石を採掘する事で発展した都市である。だが、それは数年前の話である。

 王都から徒歩で一日という立地の良さに導かれ、各地から集まってきた商人は雪道に閉ざされ姿を消し、頼みの農業は魔力の副作用を受けて半数が枯れ果ててしまった。そんな彼らが立ち直る道はついに見つけられずに、日々衰弱の一途を辿っているのである。

「彼らのせいだ」

 都市の端に設けられた作物を育てる畑に立ち尽くす男が独語する。もはや理性などと言う言葉は消えていた。

「考えなしに魔力を使うから」

 別の男が呪詛を含んだような声でつぶやく。

 突き詰めれば自らが売った魔石によって作物が枯れ果てたという事に頭は回っていない。ただ何もしてくれない王都へ身勝手な怒りを向けているだけなのである。

「それなら彼らに報復をしたらどうだ?」

 寒気を感じさせる低い声が男たちに囁きかける。

 驚いた男達が視線を向けた先には黒いローブを羽織った男が立っていた。まるでこの世のものではないかのような不気味な雰囲気を感じた住民は一度身を震わせる。

「報復? 一つの都市で王都に敵う訳がないだろう」

 一人の男が呆れながらつぶやく。周りの男たちもすかさず賛同する。皆で結託してとりあえずの安心感を得たいそう言っているかのようである。

 そんな彼らに男は再度語りかける。

「お前達だけでは無駄だろうな。だが……俺が力を貸せば容易だ」

 男は不気味に笑う。

 都市の男達は耐えられずに一歩後ずさる。王都に勝つことよりも、今はこの直近に迫る恐怖から逃れたいのだろう。

 だが、逃げる所かさらなる恐怖が住民を襲う。まるで何かの悪夢のような光景だった。

「お前達は俺の人形になってもらおう」

 男は表情をそのままに右手を上げる。

 刹那。

 住民の腕を糸が絡め取る。身動きを封じられた男達はただただ恐怖し、絶叫を上げる。

「そんな脆弱な心では……我の呪術からは逃れる事は出来んぞ」

 男は叫び続ける住民を哀れみの瞳で見つめる。その視線はまるで下等生物を見下ろすような視線だった。

「助けてくれ」

 住民が救いの声を男へと向ける。だが、男はそれを無視して糸を操る。次の瞬間には住民は意思のない操り人形のように、男の思った通りに動く。

「さて。王都へと行こう」

 男の言葉を聞いた住民はゆっくりと王都へとその足を向けた。



 女王を自室へと送り届けたノイアは、自らに与えられた部屋へと向かう。

(シェル、いるかな)

 本日はシェルとあまり話していないような気がする。

 シスター見習いであった時は一緒の部屋でいつも話していた二人。だが、ノイアが騎士になってからはそれぞれ部屋を分けて暮らしていた。その時は会う機会もさほど多くはなく、会話する日がなくても平気だった。だが、最近は毎日顔を合わせているためか話していないとどうも寂しいのだ。

 今からは時間もあるため、寝るまでゆっくり話すのもいいかもしれない。

 自然と頬が緩んでいく。引き締めようとしても無駄だった。やはりノイアにとって彼女は特別なのである。

 早足で歩いて目的の部屋へ。急く気持ちを抑えてドアノブに手をかける。今はこの動作すら煩わしいと思ってしまう。

「シェル、いるか?」

 ドアを開けながらつぶやく。何だか声が少し弾んでしまった事がどこか恥ずかしい。

「残念」

 返ってきたのは落ち着いた声だった。視線を向けるとベッドに腰を下ろした錬がいた。

「錬しかいないのか」

 肩を落としてノイアがつぶやく。その様子に錬は不機嫌そうに頬を膨らませる。

「なによ。私では不満なの?」

 両手を組んでご立腹の様子である。

「悪かったよ。ただ……シェルと話したかったんだ」

 ノイアはぎこちなく笑い頬を膨らませている少女の隣に腰掛ける。

「代わりに話し相手になってあげるわ」

 すっかり機嫌を直した錬が微笑む。この少女はどこか難しい。感情の変化が激しすぎるのだ。怒っていたかと思うと、すぐに笑顔。まだ数日しか彼女と接していないが時折戸惑う事がある。

「何を話そうか……そうだ! 聞きたい事があった」

 ノイアはずっと聞けなかった事を思い出した。

「あー。やっぱり気になるよね」

 錬は聞きたい事を察し、ゆっくりと右手を胸の高さまで上げる。

 その瞬間。

 一体のマリオネットが姿を現す。そう、これが聞きたかったことである。魔力も神力も使わずに動く人形。一体どんな力を使っているというのだろうか。

「あの糸で動かしているのか?」

「ええ。隠すような事ではないから教えてあげるわ。この力は呪術と言うの」

 ノイアの疑問にあっさりと答える少女。

「呪術? 呪いか……何かか?」

 ノイアは人形を凝視する。自分は実は破壊してはいけない物を破壊しただろうか。急に強烈な寒気が全身を襲う。どうか呪われていませんように、心の中で信じる神へと短い祈りを捧げる。

「ノイアはそういの苦手なの? まあ、それはまた今度にして……呪いと言えばそうかもしれないわね。この力は意思のない物、または意思または心が脆弱な者を操る力なの」

 錬は意思を送って人形を自由に操る。意思はなく人と同じ形状をした人形がもっとも適しているという事なのだろうか。

「人も操れるのか?」

「ええ。ただ心が強い者には効果がないわ。例えば……」

 錬は左手をこちらに向ける。身構えるよりも早く、細い糸がノイアの腕を拘束する。

「錬……おい!」

「抗えば簡単に逃げられるわ。逃げないと私の人形にしてしまうわよ」

 錬の黒い瞳が怪しく光る。操って一体何をするつもりなのだろうか。

「そうはいくか!」

 叫ぶと共に両腕に力を込める。腕を拘束していた糸は拍子抜けするほどあっさりとノイアを解放する。呪いと言っていたが、体に違和感はなさそうだ。錬が手加減したのか、そもそも操ることが難しいのかは分からない。

「簡単に切れたでしょう? 便利そうに見えるけれど難しいの。人に使用するには対象者の心が疲弊している時くらいかしらね。まあ、私の創造主なら恐怖を与えて強引に縛る事も出来るけど」

 錬は淡々と説明していく。そんな少女を横目で軽く睨む。

「先ほどの行動は控えるべきだと思うが」

 自らの意思に反して操られるなど気分のいいものでは決してない。冗談でやるにしては少々悪ふざけが過ぎるのではなかろうか。

「えっと……操る気はなかったよ? 軽い冗談のつもりで」

 睨まれた少女は慌てて弁解の言葉を述べる。

「冗談でしていい事ではない」

 ノイアは少女から視線を外してドアを見つめる。ただ錬を注意したかっただけである。それで分かってくれれば済ませるつもりだった。

 だが、少女の反応はノイアが思ったものとは違った。

「ごめんなさい」

 少女のか細い声が聞こえる。不審に思い再度視線を向けると、錬の肩は小刻みに震えていた。

「錬?」

「ごめんなさい。私が悪かったわ。だから許して……捨てないで」

 錬は細い肩を抱いて震えていた。捨てられる恐怖にただ震えている。やはりこの少女はどこか安定していない。

「捨てないで」

 錬は再度つぶやく。恐怖で思考が止まっているのだろう。ノイアは一度溜息をついてから震える少女の黒髪を優しく撫でる。

「この程度で見捨てるものか。少しずつ学んでいけばいい」

 錬の恐怖を和らげるために努めて優しくつぶやく。

「ほんとう?」

 黒い瞳に涙を溜め、すがるような視線を向けてくる錬。そんな彼女の問いにノイアは強く頷く。

「シェルが羨ましいな」

 錬は涙を拭いながらぽつりとつぶやく。どこか遠い目をしているような気もする。

「シェルか……。どうしてるんだろう」

 一番に守りたいと願う少女の名前を聞いたノイアは急に不安になってきた。

「行ったら?」

 そんなノイアの背中を押す声。その声に押されるように自然と立ち上がっていた。

「そうだな」

 どこに行けばいいかなど分からない。だが、この場に座っているだけというのは耐えられない。ジュレイドか、ザーランドと話でもしているだろう。大雑把な当たりをつけ、ノイアは一歩を踏み出した。



「一人で大丈夫?」

 ドアを開け、今にも外に出ようとしているシェルに部屋の主はつぶやいた。

「うん。いつまでもジュレイドに甘える訳にはいかないから」

 ぎこちなく笑ってシェルは答える。自分はノイアとジュレイドに頼りすぎている。二人とも迷惑な顔などせずに進んで世話を焼いてくれる。そのためいつの間にか甘えてしまうのだ。

「別にどんな事でもするよ。言ってくれればな」

 ジュレイドが微笑んでつぶやく。それが当然だと言わんばかりの顔である。

「ありがとう。でも、今回は一人で行くよ。シスターの第三位……その役目を果たさないといけないから」

 シェルは強く宣言する。彼を不安にさせないために。

「そっか。本当に強くなったな。一年前は俺の背に張り付いていたのにな」

 ジュレイドは可笑しそうに笑う。

 一年前の塔へと向かう旅路ではずっとジュレイドの側にいた気がする。彼の操る馬に共に乗り、振り落とされないようにしがみついていたのだ。あの時は何も考えていなかった。自らの足で歩むことすら知らなかった。

「守られてばかりではいけないから。だから強くなると決めたの。ノイアを……ジュレイドを支えられるように」

 最高の笑顔を作って微笑む。

「お前の身は俺とノイアが守り抜く。だから……俺達の……いいや、俺の心を支えてくれ」

 ジュレイドは一歩を踏み出してゆっくりと腕を伸ばす。

「うん」

 一つ頷いた時には優しく髪を撫でられていた。全身に力が湧いてくる。

(私の心も支えてくれているんだよ)

 シェルは心の中でつぶやく。一年前とは違い共に歩めることが誇らしくて仕方がない。

「成果は……期待してる」

 ジュレイドが大きな手を退ける。

 シェルは優しくて温かい大きな手を名残惜しそうに見つめる。ここにいるとまた甘えてしまうような気がしてしまう。それはようやく動き出した自らの足を止める事である。

 一度、息を吐いてシスターの第三位としての自分に切り替える。

「行ってきます」

 つぶやいて背を向ける。自らが成すべき事をするために。

「ああ」

 短い返答から力を受け取って、シェルは小さな一歩を踏み出した。



 馬に乗った一団が平原を駆け抜ける。数にして二十ほどだろうか。出発して一日経過しているが隊列は乱れる事はなく、各々がよく訓練された精鋭であるという事は一目見れば分かるだろう。

「よかったのですか、王」

 左隣りを並走するフィッツが声を掛ける。どこか不安な表情をしている。それは周りにいる騎士とて同じである。

「クレサの事か?」

 王は右隣りを並走する黒髪の少女に視線を向ける。艶やかな黒髪は一年前と変わらないが、常に無表情で病人のように白い肌はどこか不気味ですらある。幼いながらも懸命に想い人のために槍を握っていた少女はもうそこにはいなかった。

「はい。ガイラル殿が戦死してからの彼女は……もう目も当てられません」

 フィッツはうつむいてつぶやく。実際その通りなのである。クレサは一日中部屋に引きこもり、誰が話しかけても反応を返す事はなかった。アガレスも一度出向いて言葉を掛けたが、壊れた人形のように虚ろな瞳を一点に向けているだけだった。どうすれば彼女がまた力を取り戻すのか一年の時を使っても誰も分からなかった。

「だからこそ……今回はいい機会だと思っている。自ら外に出たのだからな。部屋から飛び出したのであれば後は歩むのみ」

 アガレスは馬の手綱をしっかりと握りしめる。

「いい機会だと私も思います。でずが……下手をすればハールメイツ神国の騎士を襲うかもしれませんよ?」

 フィッツが疑いの視線を黒髪の少女へと向ける。おそらく声は聞こえているだろうが少女は反応しない。ただ虚ろな瞳を前方に向けているだけである。

「襲うだろうな」

 淡々とアガレスがつぶやく。一瞬、張りつめた空気が周囲を満たす。

「王!」

 張りつめた空気を破壊したのはフィッツの叫び声。

 アガレスは一つ溜息をつく。近衛隊の隊長とまで上り詰めても、まだこの男は落ち着くという事を知らない。常に感情的である。

「例え負傷させたとしても……軍神とまで呼ばれた男がすぐに感情的になるとは思えん」

 教えを語るようにアガレスはつぶやく。

 仮にその程度で感情的になり会談を無下にするような人間と話しても時間の無駄である。常に冷静に戦局を見られる人間をアガレスは求めているのだから。

「分かりました。もしクレサが動くのであれば私が止めます。ハールメイツ神国のために動くのは納得しかねますが……会談の席で武器を取るなど我が国の誇りを汚す行い。断じて許す訳にはいきません」

 フィッツは少女に鋭い視線を向ける。

 刹那。

 今まで黙っていたクレサが急に口を開いた。

「許さない」

 呪詛を含んだような短い言葉。視線を向けなくても伝わってくる強烈な殺気。身に宿る負の感情をぶつけなければ前へと進めない。そんな想いが痛いくらいに伝わってくる。

「クレサ」

 アガレスは短く名を呼ぶ。

 殺気を含んだ少女の瞳がアガレスを貫く。クレサはもはや視線を向けている相手が王である事すら忘れているかのようだった。いや、むしろ王だと思っていないのだろう。彼女が主と認めて尽くすべき相手は今は亡きガイラルただ一人なのだ。

「全てをぶつければいい。責任は俺がとる。その代わりにお前は前を向け」

 前方を見つめたままアガレスは淡々とつぶやく。少女の殺気が一瞬だけ弱まった気がする。それが気のせいではない事を強く願い少女の言葉を待つ。

「私は復讐が出来れば――」

「復讐を遂げた後に溢れる気持ちをしっかりと受け止めろ」

 少女の言葉に被せるようにアガレスは語る。

「私には分かりません」

 そうつぶやいた彼女が口を開くことはもうなかった。重い空気のままグリア連合国の騎士達は無言で平原を駆け抜けた。



「な……何用でしょうか?」

 目の前に座る女王は緊張した面持ちで問いを放つ。年上で、しかも女王だというのに若干十三歳のシェルに緊張する姿はどこかおかしかった。

「少し話したいと思ったのです。ハーツメイツ神国の……シスターの第三位として」

 シェルは微笑んでつぶやく。ノイアがよく行っている相手の緊張を解すための微笑みである。

「ノイアさんも、シェルさんも立派ですね」

 自嘲の笑みを浮かべて女王が返す。

「いえ……私は二人にずっと守られてきましたから。偉そうな事は言えません。まだ一人では何も出来ないのです」

 シェルは苦笑いを浮かべてつぶやく。

「でも……あなたは一人でここまで来た。私にはまだ出来ません。そして、この国を救う道すら見つけられない」

 女王は強く拳を握り締める。皆が諦めている中で一人諦めずに道を探す女王。シェルには彼女が弱いとはとてもではないが思えなかった。

「道ならあります」

 シェルは落ち込む女王へと努めてゆっくりとつぶやく。

「え……?」

 女王は信じられないという顔をしている。そして、次の瞬間にはとある可能性を思いついたのか目を見開く。

「この大陸全土に癒しの術式をかけます」

 迷いなく、澱みなくシェルはつぶやく。

「それはあなた達の国が危険に晒されるために使用できないと聞いています」

 女王は首を左右に強く振る。

「私が皆を説得します。この国の現状を……そして共に歩める事を伝えれば動いてくれると思います」

 実現不可能だと思われたくはない。最善を尽くせばどんな事でも出来るのだと女王には知ってもらいたいのだ。

「例えこの国を救ったとしても……ゲベルはあなた達を攻めるかもしれないのですよ?」

 女王はなぜそこまでするのかと問うていた。ハールメイツ神国に、シェル自身に何の得があるというのか。その答えを求めているような気がした。

「分かっています。でも、救いたいのです。私は見捨てる事はできません。皆が笑顔でいられる道を探したい……愚かだと言われようとも、結果的に裏切られたとしても諦めません。一緒に歩める道を探し続けます」

 シェルは思った事をただ口にする。真っ直ぐな心を伝えるために。

「ならば……私はあなたを信じます。そして、全力で止めてみせます。戦争などという愚かな行為を。私自身が道を示して!」

 女王の瞳に光が宿る。今までの怯えた、緊張した女王はどこにもいない。前へと進む凛々しく勇ましい王がそこにはいた。おそらくこれが彼女が内に秘めている本当の姿なのだろう。

「共に歩める事を祈ります」

 シェルは短くつぶやいて座っていた椅子から立ち上がる。

「ええ」

 女王はどこか吹っ切れた表情で一つ頷いた。



 柔らかい絨毯が敷かれた廊下を早足で歩いていたノイアはどうも周囲が慌ただしいような気がしてならない。早足で歩いているノイアを追い越す勢いで走る魔術師達、そして、どこからか聞こえてくる叫び声。

(何かが起きたか?)

 鋭い視線を周囲へと走らせる。だが、それだけで理由など分かる訳はない。ノイアは一度眉根を寄せた。

「ノイアさん、いい所に居てくれました」

 後方から男性の声が聞こえる。

「ザーランドか?」

 ゆっくりと振り向くとそこには肩で息をしたザーランドがいた。彼のこんな慌てた姿は初めて見るような気がする。どうやら本当に何かがあったらしい。

「王都の前で小規模の戦闘が起きる可能性があります」

 ザーランドが早口で述べた言葉はなかなか頭に入ってこなかった。それはこの大陸に存在する国は一つしかないからである。その場合、争いになる理由は――

「内乱か?」

 ノイアは一つの可能性を口にする。

「ええ。ここから北にある都市の住民が南下しています。数人の代表が交渉に来るのであれば理解できるのですが……住民全てとなるとあまりにも不自然です」

 ザーランドは苦渋の表情を浮かべている。住民全てを受け入れろとでも言うのであろうか。仮にそうだとしても、まずは都市の代表が交渉に来るのが自然である。

「まさかいきなり攻撃してくるのか? 正気ではないぞ」

 王都の戦力がどれほどのものかは分からないが一つの都市で勝てるとは思えない。まるで殺してもらいに来たようなものではないか。

「何がしたいのかは全く分かりませんが……おそらくは」

 ザーランドは額に手を置いて溜息をつく。

「どうするんだ? 同じ国の住民だぞ。そして、仮に殲滅しても連鎖的に各都市が立ち上がる可能性もある」

 ノイアは最悪の可能性を告げる。この状況で各都市が反旗を翻せば、国全体の首を絞めるようなものである。だが、愚かだと分かっていてもこの手の連鎖は止められないのである。

「彼らを説得できればいいのですが」

「説得……?」

 説得という言葉がノイアの脳裏を駆け巡る。彼らを説得するにはどんな手段があるだろうか。一つは王都の抱えている食糧不足を解決させる事である。今回で言えば王都の食糧を与える事である。だが、本当にそれだけだろうか。

「ノイアさん?」

 急に思考に耽るノイアを訝しんで声を掛ける魔術師。そんな彼を数秒放置して思考を巡らせる。

「……なあ。内乱を起こして危機的な状況を全ての住民に知らせる事が目的ではないのか?」

 ノイアはまとまらない考えをとりあえず口にする。間違いであればそれでもいい。だが、敵は王都の中でも攻撃をしてきた。何をしても不思議ではないと思えるのだ。

「もう後がないから一か八か戦争をしようと? 非常に分かりやすい考えですね」

「政治に関わる人間には愚かしく見えるだろう。だが、国民はどうだ? 理解できない理屈よりも、単純で分かりやすい方を支持するとは思わないか?」

ノイアは言葉をぶつける。ザーランドは一度瞳を閉じる。

「確かめるしかありませんね」

 ゆっくりと瞳を開いてザーランドが答える。

「そうだな。つまらない戦いを止めるために」

「ええ。そして、説得は女王にしていただきます」

 一歩を踏み出そうとしたノイアは目を見開く。誰よりも女王を前線に出したがらないように思えるこの男が一番危険な説得役を女王に任せると言っているのである。

「正気か?」

「ええ」

 確認の問いに対してザーランドは一度頷くだけだった。そして、次の瞬間にはうっすらと微笑む。

「女王を守るのを手伝って下さい。そして、信じて下さい。ノース様なら必ず説得できます」

「言われるまでもない。行くぞ」

 ノイアはつぶやいて一歩を進む。その背を追うようにザーランドが続いた。



「さあ……忠実なる人形よ」

 怪しい声が雪原に響き渡る。その声を聞いても誰も答えない。周囲にいる住民はただ虚ろな瞳を王都へと向けるだけである。

「私のために死になさい」

 男の言葉を聞いて操られた住民が王都へと向けて一定の速度で歩いていく。誰一人として抗うものはおらず言わるままに進んでいく。まるで意思のない人形のように。

(準備は整った。もう止められない)

 男は不気味に笑い王都を見つめる。

 視線の先にはローブを纏った魔術師達が臨戦態勢で待ち構えている。後はゲベルがこの内戦を沈めて、戦争にもっていけばいいだけだ。

(感情を持っていても、しょせんはこの程度)

 男は下等生物を見る目で操られている住民を、王都の魔術師達を見つめる。こうも思惑通りに進むと楽しむ所か、いささか拍子抜けしてしまう。

 だが、手を抜くつもりは全くない。ゆっくりと右手を上げて最後の指示を出す。

「行け!」

「聞いて下さい!」

 男の声と、若い少女の叫び声が重なる。

 男は予定にない出来事に驚くと共に素早く視線を走らせる。王都の魔術師に守られるように立ち尽くしていたのは女王ノースだった。迫りくる住民に臆した様子はなく静かな瞳を向け続けている。

「あの女は邪魔だな」

 男は鋭い視線を女王へと向ける。

 ただ臆して震えている間は何の脅威も感じなかった。だが、今の彼女は十分に脅威となり得るだろう。可能であれば、この戦いのついでに殺すのが妥当な所だろう。

(さて、説得出来るかな……女王様)

 男は不気味な笑みを浮かべて毅然と立つ女王を見つめ続けた。



ここまで読んでいただきありがとうございます。感想、メッセージをいただければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ