ただあなたを守りたい 騎士編 4
ただあなたを守りたい 騎士編
―4―
「どうぞ。お掛け下さい」
耳に心地良い声が来客用の部屋に響く。声に導かれて視線を向けると、淡い黄色のドレスを身に纏った若き女王が柔和な笑顔を浮かべていた。
「では、遠慮なく」
先頭を進んでいくのは錬だった。貴族の食事に呼ばれたというのに物怖じしている様子は全くない。先ほどから緊張して喉が乾ききっているノイアからすれば、その勇姿には感動すら覚えそうである。
(このまま棒立ちしている訳にはいかないか)
一度深呼吸をする事で心を落ち着かせるノイア。
一歩を踏み出した所で視界に入ったのは部屋の中央にある真っ白なテーブルクロスが敷かれた横長のテーブル。そして飾りがついた豪奢な椅子が五つ、向かい側にも同じように五つあり合計で十個あるだろうか。
(思ったよりも狭いか?)
決して口に出すことは出来ないが、それがこの部屋から感じた第一印象だった。
首都クロイセンにも似たような部屋はあるが、並べられた椅子は二十以上あった気がする。単純に比べていいのかは疑問ではあるが、大陸を一つにまとめた国にしては規模が小さいのではなかろうか。
「あれは……なに?」
小首を傾げて壁面を指差したのはシェルである。少女が指差した壁面には無機質な岩が真四角に積み上げられた何かがあった。
「それは暖炉というらしい。あの中で木材を燃やして暖をとるんだとさ。ここでは雪原に散りばめられていた岩を砕いた物を使うらしいな」
説明をしたのはジュレイドである。
暖炉と呼ばれた物の中には、真っ赤に燃える透明な石が敷き詰められていた。煌々と輝く真っ赤な石を見ているだけで自然と体が温まっていくような気がするから不思議である。
「この国は寒いからね」
シェルは暖炉に興味があるのか、うっとりとした瞳を向けている。可能であるならば暖炉の前に腰を下ろしてのんびりと過ごしたいのだろう。
「シェル」
暖炉に向けて歩いていってしまいそうな少女に一声掛ける。それと同時に軽く手を引く。寒いのが苦手なノイアには彼女の気持ちが痛いくらいに分かる。だが、今は女王との対話を第一にしなければならないだろう。
「まずはやることを……ちゃんとしないとね」
シェルは残念そうに一瞬だけ表情を曇らせる。だが、すぐに表情を引き締めて一歩を踏み出した。
皆が席についたのを確認した女王は一度頷き、自らも豪奢な椅子に腰掛ける。
「なかなか楽しい方々ですね」
女王は右側に座ったザーランドへと微笑みを向ける。
「そうですね。彼らとは国も、戦争も関係なく関わってみたいと思いますよ」
そう語るザーランドの表情はどこか寂しそうだった。正面に座っているノイアには魔術師の表情が、その心境がはっきりと分かる。国も利益も関係なく、ただ純粋に親しくしたいと願う真摯な想いがはっきりと伝わってくるのだ。その想いにすぐにでも応える事ができない事がノイアには歯痒くて仕方がない。
現在も個人で十分に戦えるジュレイドを左端に、同じく腕が立つ錬を右端に置いて左右を固め、有事の際に備えてノイアがシェルの左隣に座っている。こんなあからさまな座り方をすれば警戒していると思われても仕方がないだろう。特にこちらの腕前を知っているザーランドが無意識のうちに残念だと思うのは容易に想像できる。
「話もいいけれど……食べましょう」
錬は溜息をついてテーブルに並べられたディナーを見つめている。
「これだけしか用意出来ずに申し訳ありません」
女王は一度溜息をついた。
用意されたディナーは、半分に切られたステーキがメインで、あとは見た目が硬そうなパン、唯一多いのはガラスの容器に入れられたサラダくらいだろうか。客人に出すディナーとしては明らかに少ない。だが、おそらくこれが精一杯なのだろう。
「魔力の副作用か。そんなに酷いの?」
ジュレイドは鋭利な瞳をフィッツベル王国の二人へと向ける。二人の反応は見るからに違った。女王は殺気すら感じそうな瞳に怯え、ザーランドは向けられる殺気も怒りも全て受け止めて、涼しげな瞳を代表で口を開いた傭兵に向けている。
「ええ。このままでは二年もすれば、国を存続する事は出来ないでしょう」
額に細い指を触れさせて溜息をつくザーランド。
「二年か。ここまで疲弊する前に動けなかったのは……この大陸を統一するためですか?」
ノイアは出来る限り柔らかい微笑を浮かべて女王に問う。警戒されてばかりでは話が聞けない。彼女をとりあえず落ち着かせる事を目的とした微笑みである。こんな事をせずともザーランドに質問すれば全て答えてもらえる。だが、聞きたいのは女王の本音だ。それが聞けなければ何も始まらない気がするのだ。
「ええ。この大陸の緑が年々減少しているのは分かっていました。ですが……そんな状態でも各々は自国の繁栄のために各地で戦争ばかりをしていました。私の父であり、前王はその事実に嘆き統一に向けて動いたのですが……」
女王はそこで言葉を切った。
「戦死した……というよりは暗殺されたな。例のゲベルとかいう男に」
頭の上で手を組みながらジュレイドが淡々とつぶやく。
「証拠はありません。ですが……前王が亡くなった事で、数々の武勲を手にしたゲベルが出世したというのは紛れもない事実なのです。私がいかに政治で国を支えようとも、国民は国を統一させた英雄であるゲベルを支持するでしょう。私は形だけの女王なのです」
女王の肩は震えていた。国を任されたというのに何も出来ない少女。いくら努力しても報われない姿。ノイアは女王に一年前の、シスター見習いだった時の自分を無意識のうちに重ねてしまっていた。どうしても他人事には見えない。胸に鋭い痛みを感じる。
(深入りしては駄目だ)
ノイアは一度頭を振って平静を取り戻す。
「大陸統一の次は……異大陸への侵攻か。その先陣を進むのが英雄ゲベルという訳ね」
呆れながらつぶやいたのはジュレイドである。
「ええ。この疲弊した国が戦争をするには何か信じられるものが必要なのです。それが英雄という存在なのです」
傭兵の言葉に溜息交じりに答えたのはザーランドである。
冷静にフィッツベル王国を見る事が出来るノイア達からしてみれば、戦争が出来るような国では決してない。英雄を担ぎ上げて勝てない戦に向かおうとしているようにしか見えないのだ。
「あの賢王がこんな勝てない戦に力を貸すようには見えないんだけどな」
ジュレイドはグリア連合国の王を思い浮かべているようだ。
「グリア連合国の王アガレスの噂はここまで届いています。彼がこんな無謀な戦に力を貸すとは私も思えません。ですが……我が国が攻めるとすれば光の壁に守られたハールメイツ神国よりも、グリア連合国を攻撃の対象にするのは当然です。最悪はハールメイツ神国と、フィッツベル王国に挟まれて身動きがとれなくなる可能性もあるでしょね。グリア連合国がどう動くのかは現在では予想が難しいですね」
瞳を瞑り思考を走らせていく魔術師。彼はどうも戦うよりも策を練るほうが向いているかもしれない。その姿はノイアがよく知るハールメイツの軍神ギルベルトに重なる所があるように思えた。
「だったら……まずは協力してハールメイツ神国を潰すか」
ジュレイドの中ではすでに考えがまとまっているようである。それは一つの可能性にしか過ぎないが、あながち外れでもなさそうである。その事実はノイアを含むハールメイツ神国出身の者を黙らせるには十分だった。
重苦しい空気が一室を満たす。その場を破壊したのは今まで黙っていた少女の声だった。
「何か見落としがない?」
落ち着いた声に視線を向けると、一人黙々と食事をしていた錬が漆黒の瞳を皆に向けていた。
「見落としだと?」
ノイアはいぶかしむ。判断の材料が明らかに不足しているために、ただの憶測だと言われれば納得はできる。だが、見落としがあると言われて、すぐに思いつくものが浮かんでこないのが現状である。
「一つ。ここまで疲弊している状況で攻めるという事は、何か秘密の兵器か力でもあると思う」
錬は一指し指を天井に向けて淡々とつぶやく。
「二つ。ゲベルはいろいろと動いているみたいだけど……女王様はいったい何をしているの? 私には怯えているだけにしか見えない。正直、見ていて不快だわ」
錬が中指を立てる。
二つ目は錬が思っている事をついでに述べたような気もする。だが、女王が動けば戦争を止められるというのも事実ではある。あながち適当な事を言っている訳ではないので、無下には出来ないだろう。
「私は……」
口ごもる女王。それ以降は言葉を発する事ができないようである。
「まさかやる事が分からないとでも言うの? 本当にイライラするわね」
錬は誰が見ても分かるような蔑んだ瞳を女王へと向ける。どこか下等生物を見るような瞳は完全に冷え切っていた。
「無礼ですよ、錬さん」
ザーランドが女王の代わりに少女を睨む。
「無礼? ここで伝えておかなければ後悔するよ。甘やかして戦争になりました、なんて許されると思っているの? 甘いわ」
錬の声には怒りが含まれている。どうやら一歩も引く気はないようだ。
「聞き捨てなりませんね」
ザーランドがゆっくりと立ち上がる。普段は冷静な男ではあるが、女王への侮辱だけは許せないらしい。対する錬は立ち上がらない。鋭い視線を向けるだけである。
錬が立ち上がった瞬間に戦いが起きそうな張りつめた空気。ノイアが二人を止めるために立ち上がろうと足に力を込めた時に、状況は一変する。
「ザーランドは座って。錬も一度、口を閉じて」
張り詰めた空気を破壊したのは女王の正面に座っている少女だった。
「分からない事は皆で考えればいい。女王様が歩む道が見えないならば示せばいい。それだけだよね?」
シェルが女王へと微笑む。皆の視線が自然と少女に集まる。張りつめた空気はすでに消えていた。まるで争いなどなかったかのように、ごく自然な空気が周囲を満たしていく。
「……はい」
女王は呆気に取られながらも一つ頷いた。
睨み合っていた二人は急に場の空気が変わったために戸惑っているらしい。複雑な感情をどこに向ければいいのか迷っているようにも見えるだろうか。
(どんな複雑な事も……シェルを通せばこんなものか)
ノイアは隣にいる少女を優しく見つめる。それからこの場をまとめるためにゆっくりと語りかけていく。
「まずはゲベルの策を調べる。女王様については……一度、王都を歩かれてはいかがですか?」
ノイアは落ち着いた声音で女王に話し掛ける。
「そんな危険な事は……私が!」
立ち尽くしたままのザーランドが叫ぶ。そんな彼にノイアはゆっくりと首を左右に振る。
「自らの目で見た事でないと意味がないわ」
錬はそんな事も分からないのかと言いたげである。可愛げがない言い方ではあるが、全くもってその通りなので言い返す事はできないだろう。
「分かりました。それでは王として民の心に触れてみようと思います。騎士様に護衛を頼んでも……よろしいでしょうか?」
女王はノイアに向けて一つ提案する。
「喜んで。といってもおそらくもう一人護衛がつくでしょうけど」
ノイアは快く引き受けると共に、魔術師へと視線を向ける。
「何かあれば私とジュレイドが駆けつけます。それでいいでしょう」
ザーランドはつぶやいてしぶしぶ席につく。当然、一緒に来るものと思っていたノイアは内心驚く。
「いいのか?」
「女王の将来のためには……時には身を引くことも肝要です」
ノイアの問いに溜息交じりに語る魔術師は、心底残念そうに見えるのは気のせいだろうか。
「話はまとまったわね。それはいいとして……そろそろ食べたら?」
錬は食事に全く手をつけていない一行を呆れた顔で見つめている。
「そ……そうだな。いただこう」
ノイアはナイフとフォークを手に取る。あまりにも話に意識が向いてしまい出された料理はすでに冷めているようだった。
「冷めてしまいましたが……どうぞ」
女王がぎこちなく笑う。
威厳はないが接しやすい女王様。彼女が国民としっかりと向き合えば、この国を変える事はできると思う。そのためには彼女の歩みを止めさせる訳にはいけない。そう強く思うノイアだった。
*
「アガレス王!」
叫び声と、慌しい足音。瞳を開けなくても誰が来たのかはすぐに分かる。
「なんだ」
王座に座るアガレスはゆっくりと瞳を開く。
「ハールメイツ神国の使者が、こちらに向かっているとの報告があります」
銀髪を腰まで伸ばした騎士が床に膝をつけて報告する。予想通り目の前にいたのは近衛騎士団の隊長であるフィッツであった。
要領を得ない報告に一度眉根を寄せたアガレスは、こちらから情報を引き出す事を選ぶ。
「使者とは誰だ? 人によっては会っても構わんが」
シスターならば会うつもりはない。最低でも部隊を率いる隊長クラス、その中でも軍略の分かる人間が好ましいだろうか。
「ハールメイツの軍神に、ブレイズという隊長クラスの男です。使者としては妥当な所かと愚考します」
面を上げてフィッツが報告を続ける。
「ほう。十分な使者だな。軍神はこちらの考えをすでに予想しているのだろうな」
王はゆっくりと玉座から立ち上がる。自然と口元が緩んでしまう。こちらの行動に自然に合わせてくれる相手。どれほど有能な人材なのだろうか。直に言葉を交わして力量を判断したいという思いが膨らんで止まらないのだ。
「王? もしや自ら?」
フィッツが慌てて立ち上がる。
「ふっ……玉座に座っているだけの王など不要。道は王自らが切り開くものだ」
アガレスは大股で歩いていく。迷いも不安も心にはない。ただ突き進む。それが武力によって国をまとめたグリア連合国の王が出来る、唯一の道の示し方である。
「お供します!」
フィッツは胸に手を当てて背を追いかけてくる。
「行くぞ。この会談……我が国、いや大陸マクシリアの命運が掛かっていると心得よ!」
王の言葉が王座の間を震わせる。目に見えて活気が戻っていくのを肌で感じる。
(我が国はまだ歩めるな。俺が足を止めない限りは)
心の中でつぶやいて歩を速めていく。その歩みに合わせて一人、また一人と近衛騎士団が後に続く。
(ならば歩み続けよう。この命が尽きるまで)
強い想いが王の足を動かし続けた。
*
「失敗作か」
声が頭に響く。冷え切った言葉と、物を見るような哀れみに満ちた瞳が容赦なく少女に降りかかる。
(違う)
少女は心の中で反論する。自分はちゃんと息をしている。戦う力もあるのだ。
「私は戦える。生きてる」
少女は手を差し伸べ、創造主に懇願の瞳を向ける。だが、男はすぐに視線を外してしまう。
「黙れ。つまらん人形に構っている暇などない」
まるで興味のない言葉だった。
「違う。人形じゃない」
少女は差し伸ばした手を胸の前に戻しつぶやく。弱々しい少女の声に返ってくる言葉は皆無だった。
少女は行き場のない虚ろな視線を彷徨わせていく。浮かんだのは一つの疑問だった。
(彼らが成功なの?)
少女の視界の先には意志を持たない人形達がいる。心を持たない殺戮人形。それが彼の求めた答えだった。心を、感情を持つ自分はどうやら失敗作らしい。
「邪魔だ」
男は座っている少女を蹴り飛ばす。宙に浮いた体が冷たい床に叩きつけられた瞬間に、ここでの生活の全てが終わった事を悟る。
(行かないと)
少女はゆっくりと立ち上がる。ここにはもう自分の居場所はないのだから。でも、いったい何処にいけばいいのだろうか。戦う事しかできない自分に居場所はあるのだろうか。
「戦って……戦い続けて。いつか場所が見つかるといいな」
少女はふらつく体を引きずるように歩いていく。何か温かいものが心を埋めてほしいと思う。それが戦う事だというのなら、それでもいい。所詮は作られた殺戮人形なのだから。心をもった人形でしかないのだから。
(なんで……涙が出るのかな)
少女の頬は大量の涙が濡らしている。心を、感情を与えたのならば、ちゃんと分かるようにしてほしかったと思う。
「誰か……教えて。私はどうすればいい?」
少女は涙を拭い、答えを求めて彷徨い続けた。
*
「大丈夫?」
心配した声音が錬を夢の中から現実に引き戻す。瞳を開けるとシェルがこちらを覗き込んでいた。
「何が?」
錬は素っ気無くつぶやいて上体を起こす。
次の瞬間、一つの雫が頬を伝いドレスを濡らした。どうやら心配された理由はこれらしい。
「泣いていたから」
錬の頬に柔らかい手が触れる。涙の雫が朝日を浴びて一度輝いた。
「嫌な夢を見ただけよ。心配は無用」
錬は少女の青い瞳から逃れる。瞳を合わせていると全て見透かされてしまいそうな気がしたのだ。それだけシェルの瞳は力があるように見えたのだ。
「どんな夢なの?」
だが、シェルは逃がしてくれなかった。錬の手を握り真剣な瞳を向けてくる。錬の心の中に話したいという想いが膨らんでくる。もしかしたら答えが分かるかもしれないからだ。だが、錬は素直になれなかった。
「あんたには関係ない」
刺々しい声と共に手を振り解く。
「う……」
呆気ないほどに簡単に吹き飛び尻餅をつくシェル。痛みに歪む表情を見ていると、少なからず罪悪感が胸を襲う。だが、人の心に土足で踏み込もうとした彼女が悪いのだ、と強引に自らを納得させていく。
「これ以上は踏み込んでこないで」
突き放すつもりで述べた言葉。これで大抵の人間は諦めるだろう。解放された事への安堵の溜息をつこうとした瞬間の事である。
「本当に?」
シェルは問いを放つと共にゆっくりと立ち上がる。純粋な青い瞳が錬に問いかけてくる。本当にそれでいいのかと。
(いい訳がないでしょう。知りたいよ。いろいろと)
錬は下唇を強く噛んで出せない言葉を心の中でつぶやく。
「錬が話したくないなら聞かない。でも、私は知りたいよ。どんな気持ちも受け止めるから」
シェルは自らを吹き飛ばした手をもう一度握る。今度は離さない。そんな強い気持ちが伝わってくる。少女は錬が思っているような人とは明らかに違うようである。
「どれだけお人好しなのよ」
錬は温かい少女の手を優しく握り返す。
「ノイアと比べればまだまだだよ」
少女は恥ずかしそうに頬を赤らめてつぶやく。自らにノイアと同じ部分があるのが嬉しいのだろう。
「話してあげるわ。ノイアも起きてるんでしょう? ついでに聞いておきなさいよ」
恥ずかしそうに頬を赤らめて声を絞り出す。
「ああ。分かってる」
ノイアがゆっくりと上体を起こす。会話の内容が内容だけに起きるタイミングを図っていたらしい。寝たふりをしていた少女は、ちょうどいいと言いたげな顔をしていた。
二人の視線を受けた錬は一度頷いて覚悟を決め重い口を開く。どうかこの話を聞いて変わらずにいられますようにと強く願いながら。
「私はとある人間に作られた存在なの。彼が作りたかったのは優秀な殺戮人形。そのテストの一環で人に似せた感情を持った存在が作られたの。結果は強さだけを見れば成功だった。既存のどの人形よりも強かったわ。それが私。でも、最終的には心がある……ただそれだけの理由で捨てられたわ」
まるで他人事のように言葉がスラスラと出てくる。やはり自分はどこか壊れているのかもしれないと思う。
「どうして? 心があるのは素晴らしいことだよ」
手を握るシェルが無垢な笑顔を向ける。
「簡単よ。いつ自分に牙を向けるか分からないのだから。ならば意志のない人形の方がいいのよ。私は感情という欠陥を抱えた人形なの」
錬は淡々とつぶやく。自分はいったいどんな顔をしているのだろうか。壊れた笑顔を向けている。それとも無表情だろうか。それが分からないのがもどかしい。
「それだけ考えられるなら人形ではないな。私達と何か違うのか?」
ノイアの問いが錬の心を揺さぶっていく。
「人形ではない? 私は違う?」
錬は二人に問いを放つ。答えて欲しい。それが知りたいのだ。自分一人が人形ではないと言っていても何も証明できないから。
「錬は私達と一緒だよ」
シェルは迷いなくはっきりと告げる。錬の手を包む少女の手はただ温かかった。この温かさが嘘ではないと言ってくれているように思う。
「なら……どうして捨てられたの? どうして私には居場所がないの!」
溢れる感情が止まらない。冷めた視点で見れば、何が言いたいのか理解に苦しむのではなかろうか。だが、止められないのだ。
「どうして! 答えて……誰か」
錬は涙を零してつぶやく。感情も涙も止める方法が分からない。助けてほしい。ただそれだけを強く願う。
「居場所が必要ならここにいろ。裏切らない限りはずっと面倒を見てやる」
ノイアの溜息交じりの声。
「え?」
歪んだ視界でノイアを見つめる。何を今さら言っているのだと、その表情から読み取れる。
「ずっといてね」
シェルも自分を歓迎してくれるらしい。
「ふふ……もうどうでもいいわ。過去も自分自身の事も」
錬は可笑しくて笑ってしまった。笑っているのに涙が止まらない。もう悩む必要も、悲しむ必要もないというのに。ただ想いを伝えるだけでいいのに。
「ずっと側にいる。ううん……いてもいい?」
上目遣いでノイアを見つめる。
「ああ」
ノイアは一つ頷く。頷いてくれた事が嬉しくて堪らない。これだけ嬉しかったのは生まれて初めてではないかと思う。
「ありがとう」
一つの言葉に全ての想いを込める。二人はその想いを受け止めて一つ頷く。錬は彼らの仲間になれた事を心から喜んだ。
*
王座からゆっくりと立ち上がったのはノースである。
「女王自らが民の話を聞く必要はありません」
膝をついて進言するのはゲベルである。おそらく余計な事をして欲しくないのだろう。
「いえ……それも女王としての務めだと考えます」
震える肩を叱咤して毅然と言い放つ。ここで引き下がる訳にはいかない。進むと決めたのだから。
「そうですか。それでは気をつけて下さい。最近はいろいろと物騒ですから」
ゲベルは淡々とつぶやく。だが、脅しで言っている訳ではない事はノースにも分かった。
「そうですね。どこかの家臣が謀反を起こすかもしれませんし、賊がいるやもしれませんから」
ノースは微笑んでつぶやく。これが精一杯だった。言葉とは裏腹に心臓は高鳴り、今にも逃げ出したくなる。だが、負ける訳にはいかないのだ。
「そうですね。賊にはくれぐれも気をつけて下さい。では」
ゲベルは立ち上がって背を向ける。その背からは殺気すら感じそうだった。
「や……やれば出来るものね」
ノースは全身の力が抜けて、倒れそうになる体を何とか支えてゲベルの背を見つめ続ける。
(でも、こんな事が簡単に出来るようにならないといけないんだ)
心の中でつぶやいて気合を入れる。まずは自らが出来る事をしよう。そう決意して王城の外に向けて歩を進めたのだった。
*
早朝の王都ローベルクは賑わいを見せていた。もともと王都と言われるだけはあり、早朝から活気に満ちているが、本日はその比ではない。
理由は一つしかない。女王が王都を歩いているからである。普段は城から一歩も外に出ない女王の姿を一目でも見たくて住民が集まってきているのだ。
「皆様、おはようございます」
緊張したノースの声が響く。女王が声を上げる度に歓声が場を満たしていく。
(結構、人気あるんだな)
ノイアは女王と住民を交互に見つめる。
住民は口々に「女王様!」と叫んでおり、かなりの熱気である。何も出来ないと言っていたが彼女には力がある。人を引きつけて離さない魅力があるのだ。
「本日は皆様の言葉を……一つでも多く聞こうと思い参りました」
女王の言葉はいつも真っ直ぐだった。裏などは全くない。この飾らない姿が人気の秘密なのだろう。
「隣の方は? 見慣れない方ですが?」
ふと商店街の男が女王に声を掛ける。昨日の晩に来たばかりであるノイアの顔を覚えていないのは当然だろう。それに加えてローブを纏った者が多いこの国で、軽装姿というのも珍しいのかもしれない。
「ノイア・フィルランド。ハールメイツ神国の騎士です」
女王の代わりに胸に手を当てて名乗る。
「ハールメイツ神国? 近々戦争をする国ではないか」
男は瞳を見開く。
「それは違います。私は戦争をしません。この国を救うのは戦争ではないのです」
ノースは男に言葉を掛ける。焦っているのか女王の言葉はどこか早口のような気がする。
「でも……もう食料はないのでしょう?」
男はうつむく。その視線の先には力を失って枯れた花。この国の現状を知るにはこの花を見るのが一番早い気がしてならない。
「日々、失われているのか」
ノイアは屈んで花に触れる。その瞬間にまるで砂で出来ていたかのように崩れて、吹き付ける風に乗って舞っていった。まるで魔力の使用によって生命が失われていくように見えてしまう。
「ええ。ですからこの国を救う方法を共に考えていきたいのです」
女王は必死に言葉を続ける。
だが、男の顔は曇っていくばかりだった。根本的な解決方法が見つからなければ、何を言っても無駄なのだろう。例え言葉を掛けているのが女王であったとしてもだ。
「皆さん。戦争に急いではいけません!」
女王は住民に向けて必死に叫ぶ。だが、誰も口を開かない。誰しもすでに手遅れなのだと諦めているのだろう。
(根本的な解決策か……)
ノイアは朽ちた一輪の花を見つめる。試しにゆっくりと手をかざす。出来るかどうかは分からない。だが、何としても彼らに希望を示したい。その想いがノイアを動かしていく。
「神聖なる神よ。我に癒しの力を与えたまえ」
短い祈りの言葉。身に宿る神力が解放されて一輪の花に癒しの力が伝わっていく。淡い光が商店街の一角を照らす。
「何をしているんだ?」
男が首を傾げる。見た事もない力が発動しているのだ。疑問に思うのは当然だろう。
「これが神力?」
女王も呆気に取られているらしい。
「もう一度咲き誇って。道を示すために!」
ノイアの叫びと共に光が満ち溢れる。住民の視線が一輪の花に集まっていく。向けられた視線には一縷の希望が含まれている。皆の希望を全身で受け止めてかざしている手に力を込めていく。
「すごい」
女王が歓喜の声を上げる。力を失ってうな垂れた花が、日の光を求めて天へと向いたからである。
(もう少し)
ノイアがさらに力を込める。
その瞬間。
一つの氷の刃が空を切り裂く。力の制御に集中していたノイアは反応が一瞬だけ遅れる。咄嗟に体を左に捻るが右肩に鋭い痛みが駆け抜けた。
「くっ……!」
ノイアは痛む右肩を庇いながら周囲を見渡す。周りにいるのは先ほどからいる住民ばかりである。特に怪しい人物は見られない。
「やはり無理か」
住民の一人が溜息交じりの声を上げる。
ノイアは慌てて癒しの術式をかけていた花に視線を向ける。天へと向けて伸びていた花はすっかり元通りのうな垂れた姿に戻っていた。肩の痛みに意識が向いて力の発動が止まってしまったのだ。
「ノイアさん。その力を広域に展開できますか?」
女王はノイアの肩を気遣いながら問う。
「私一人では不可能です。ですが首都を守る光の壁の力を解放すれば……可能です」
ノイアは肩を押さえて立ち上がる。それと同時に周囲への警戒は決して緩めずに鋭い視線を左右へと走らせていく。
「その力があればこの国は立ち直れます!」
警戒するノイアはとは別に女王は明るい笑顔を浮かべてつぶやく。まるで名案を思いついたような顔だった。
「そうなればいいのですが」
「何か問題があるのですか?」
ノイアのつぶやきに首を傾げる女王。
「ハールメイツ神国は光の壁の絶対的な防御力で支えられている国です。光の壁を失えば即座に他国に介入されるほどに脆い国なのです。壁を失えばグリア連合国が、この国にいるゲベルが黙っているとは思えません」
苦渋の表情を浮かべてつぶやくノイア。他国のために自国を危険に晒す。そんな事をするとはとてもではないが考えられない。
「そんな……」
女王はうつむいて拳を握る。先ほどの明るい笑顔はすっかり消え、見るからに落ち込んでいるように見える。本当に分かりやすい人だとノイアは女王の表情を観察しながら思ったほどである。
「ノース様。現実はそんなに簡単ではありません。一つの国が動けば、それに合わせて全ての国が動きます。悲しいですが……女王とは敵同士になる可能性の方が高いのです」
ノイアは溜息交じりにつぶやく。
「その前に消えていただこう。貴殿の力。いや、神力という力をこの国の者に知られるのはまずいのでな」
低い声が響く。おそらく先ほど氷の刃を向けた相手だろう。
癒しの術式で肩を癒しながら周囲に視線を走らせる。まさか堂々と王都の中で攻撃してくるつもりなのだろうか。
答えはすぐに出た。
だが、その答えはノイアにとっては信じられない光景だった。突如として姿を現したのはマリオネットだったからだ。この力は錬が使用していたものと酷似している。
だとすれば数で押されればとてもではないが防ぎきれない。冷汗がノイアの頬を伝っていく。
「ノース様。出来る限り離れないで下さい」
女王を背に庇いながら剣を抜く。人形だけではなくて、いつ放たれるか予測出来ない氷刃にも意識を向け続ける。
一度、深呼吸をすると同時に二つの氷刃がノイアを狙う。
「はっ……!」
一息で剣と鞘を振るい放たれた氷の刃を破壊する。砕けた氷の欠片の先には、二体のマリオネットが坂を駆け下りる。
(錬の人形よりも速いか?)
冷静に駆ける人形を見つめる。一体は止められるが、もう一体は守りながらでは厳しいだろうか。そして、頼みの綱であるジュレイドとザーランドの姿はまだない。
悩んだのは数瞬だった。
「受け止めます。ノース様は全力で坂を下ってください」
ノイアは震える女王へと声を掛ける。
「それでは……」
「早く!」
迷う女王に叫ぶノイア。怯えた女王が数歩後ずさる。それを見届けたノイアは一歩を踏み出す。
先行したのは左側に見えるマリオネットだった。意思無き人形が両手を組んで頭上高くまで振り上げる。刹那、ノイアは剣を握る右手に力を込める。
がら空きの銅への横薙ぎの一閃が人形を破壊する。
順調かと思える一閃ではあるが、次の瞬間には予測していた事態が起きた。
「ぐっ……」
癒しの術式で癒しきれなかった右肩に再度鋭い痛みが走り抜ける。いちいち確認しなくても傷が開いたのがすぐに分かる。一体しか防ぎきれないと判断したのはこれが原因である。
反応が鈍いノイアに向けて、右側から迫ったマリオネットの左足が繰り出される。剣で防ぐのは無理だと咄嗟に判断すると同時に、左手に握る鞘を振り上げる。
(左腕は……折れるか?)
最悪の想像が脳裏に浮かぶ。
手に伝わったのは固い感触。だが、ノイアが予想していたものよりも遥かに衝撃は少ない。
視界を埋めたのは全身が凍るような冷気を放つ一つの壁だった。
「氷壁? ザーランドか?」
目の前に突如現れた氷の壁を見つめ疑問の声を上げる。
「ノイアさん。私の力を」
女王の声が背後で、すぐ近くで聞こえる。
(まさか!)
慌てて振り向くと、女王は両手を前方に向けて立ち尽くしていた。一度、後ずさってから一歩も動いていない。それでいてあまりにも無防備な姿だった。
「ノース様! 逃げてください」
すかさず叫ぶ。
ここで女王が倒れれば事故だという事で終わる可能性が高い。そして、守りきれなかったノイア達の信頼は地に落ちるだろう。ゲベル達の勢力にとって有益な事しかない。だからこそ王都の中でもこんなに簡単に攻撃が出来るのだろう。
「引きません! 進むと決めたのですから」
女王は震えながら叫ぶ。
「くっ……ノース様、剣を!」
叫ぶと同時に鞘を放り投げる。迷う時間も、説得する時間もノイアにはない。目の前の脅威はすぐそこまで迫っているのだから。
ガラスが割れるような音が響くと同時にマリオネットが氷壁を破壊する。ノイアは鋭い瞳を向けると同時に左手に光輝く剣を握る。
「吹き飛べ!」
光剣を横薙ぎに振るい意思なき人形を爆砕する。だが、安心できたのはほんの数秒だった。
(多すぎる)
人形を倒した勢いをそのままに、坂を駆け上がろうとする足を止めて後方に跳躍する。敵の数は二十体を優に超えている。それに加えてノイアを狙い続けているのは鋭利な氷刃。
(避けられない!)
心の中で叫ぶ。避ければ女王に当たってしまう。それが分かっていて放っているのだろう。両手に握る剣を目も止まらぬ速度で振り続ける。細かく砕かれた氷の刃が幾重にも散ってノイアの体に無数の傷をつけていく。
霞んだ視界が捉えたのはさらなる絶望だった。弱ったノイアを畳み掛けるように迫る無数のマリオネットである。
ここまでかと諦めた瞬間。
一つの轟音が鳴り響く。
ノイアが目を見開いて人形を見つめると胴には風穴が開いていた。高速の銃弾と、氷刃が迫る人形を次々と破壊して道を作る。
その間隙を白銀の大鎌を握った少女が疾走。目にも止まらない高速の銀閃が駆け抜ける度に人形が砕け散る。
「遅くなったわ」
錬はノイアを庇うように前に立つ。ドレス姿の少女の背はどこか頼もしかった。
「すまない」
ノイアは光剣を手放して癒しの術式を展開する。ここまで無防備な姿でいられるのは錬が的確に氷刃を破壊してくれるからだ。
「……疑わないの?」
か細い声が問う。おそらく人形を見た瞬間に真っ先に錬が疑われると思ったのだろう。刹那、少女の言葉が思い出される。
「ずっと側にいる。ううん……いてもいい?」
あの時の錬は居場所を求めていた。求め続けていた。嘘ではないのははっきりと分かる。
「錬を信じる。今朝の言葉が嘘だったら……もう何も信じられないから」
ノイアは少女の背に言葉を掛ける。
「ありがとう。それなら行くわよ……マリオネット。同じ人形に負けるんじゃないわよ」
意志を受け取った操り人形がノイアを囲む。それと同時に大鎌を構えなおした錬が地面を蹴った。
*
「潮時か」
涼しげな声が淡々と告げる。
「どちらも消せなかったのは残念だが……住民につまらん希望を与える事を防げたのは大きいな」
不気味な声が応じる。
「神力がまさか草花をも癒せるとはな。まさに奇跡の力といった所か」
涼しげな声が金髪の騎士を見つめる。今も出血する肩をこちらには理解できない力で癒している。
「引くぞ」
不気味な声が響いた瞬間に一人の男が姿を消す。それと同時に彼に操られていた人形もまるで今までが幻であったかのように姿を消していた。
「敵は思ったよりも強大のようだな」
男は戦場に背を向けてぽつりとつぶやいた。
*
「終わったのか?」
ノイアは突如消えた人形を見ていぶかしむ。
「そのようね」
錬は隙なく大鎌を構える。
数秒待つが氷刃がこちらを狙ってくる事はもうなかった。人形の気配もすでに皆無である。
「ふう」
ノイアは放り投げた鞘を拾いに坂を上る。
「ノイア。肩は大丈夫!」
シェルの叫び声を聞いてゆっくりと顔を上げる。
「ああ。問題ない」
「問題ない、ではないよ! すぐに癒すから」
心配させないように微笑んでみたが、シェルはすかさず癒しの術式を展開。肩の傷はノイアの術式ですでに塞がっていたが、動きが鈍く、チクリとした痛みを感じていた。
だが、一度閃光がノイアの肩を照らしてからは明らかな違いを感じる。
「本当にすごいな」
つぶやいて肩を一度回す。傷を受ける前と遜色はない。いや、むしろ前よりも快調のような気がする。
「私のせいで……申し訳ありません」
女王はうつむいてつぶやく。
「女王のせいではありません。これは私の不覚です」
ノイアは右肩を見つめてつぶやく。仮にジュレイド辺りだったら余裕を持って回避できたのではなかろうか。やはりどれだけ腕を磨いても、まだまだ未熟だと思えてしまう。
「ノイアさんはさらに上を目指すのですね」
「当然です。守りたい人がいますから」
女王の言葉にノイアは迷いなく答える。
「そうですか。シェルさんが羨ましいですね」
女王はシェルを見つめて微笑む。見つめられた少女は頬を真っ赤に染めてノイアを見つめる。
「私達はそんなノイアも守る役目かしらね」
錬は男性二人に言葉を掛ける。
「まあ、そんな所じゃない」
ジュレイドは陽気に微笑んで頭の上で手を組む。
「そうですね。彼女たちの歩みをただ見守りましょう」
ザーランドは歩みを止めない少女達を温かく見守った。
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