ただあなたを守りたい 騎士編
シスター見習い編の続編です。
続編ですが、キャラ表を読んでいただければ「騎士編」からでも読めます。
ただあなたを守りたい 騎士編
プロローグ
「止められなかった」
悲痛な声。
身を切り裂くような痛み。
なぜ人は争うのか。どうして誰のでもない土地を支配したがるのだろうか。
答えは分からない。
それでも止めたかった。
奪い合う事などなく、分かり合いたかった。
そして、皆が助かる道を選びたかった。
「どうして?」
少女は問う。
この冷たき世界に。
誰かに答えて欲しくて。答えが知りたくて。
そんな想いを無視して、世界にまた一つ戦争が起きた。
―1―
剣響が二人の特訓場で鳴り響く。
高速で流れる銀閃を目で追う少女は反射的に体を動かす。
振り下ろされた一閃を半歩下がり避け、すかさず鞘を振り上げる。鳴り響く金属音と共に少女が口を開く。
「今日は私の勝ちだな」
金髪を肩まで伸ばした少女は薄っすらと微笑む。右手に握られた白銀の剣は銀髪の少年の首筋にしっかりと当てられている。
「これで勝率は五分か。腕を上げたな、ノイア」
銀髪の少年はノイアと呼んだ少女に微笑む。
「調子がいい時はあっさりと負けるがな。まだ隊長の方が上だ」
「二人の時まで隊長か。ノイアらしいな」
銀髪の少年が肩を竦める。心底残念そうな顔をしているように見える。
「一年前のようにブレイズと呼んでほしいのか?」
悪戯な笑みを浮かべるノイア。
「そうだな。親愛なる友に距離を取られたら敵わない」
「そうか。では……考えておくとしよう」
二人がまた距離を取る。
ノイア達が暮らすハールメイツ神国と、北の強国グリア連合国との戦争が終わって一年。シスター見習いの試験に落ちたノイアは騎士になる事を選んだ。最初は落ち込んでいるようにも見えた。
だが、数日後。
彼女は明らかに変化した。まずは輝くような金髪を気持ちがいいくらいにバッサリと切り肩までのショートヘアーに。そして口調を男性口調に変更。今でこそ皆は慣れてきたが最初は戸惑ったものだった。
「何をしている」
怪訝な顔でノイアが手を止めた隊長を見つめる。その表情からは不満が読み取れる。
「すまない」
ブレイズが己の剣を構える。
お互いが数撃打ち合った所でブレイズが口を開く。
「今日は伝える事がある」
真剣な青い瞳がノイアを見つめる。
「なんだ?」
ノイアは表情から感情を読み取ろうとするが、それは叶わなかったのか難しい顔をして訓練に集中する。
「隣にある大陸は知っているな」
「ああ。フィレイア大陸……だったか!」
鈍い一撃を渾身の力で弾き返すノイア。慌ててブレイズが剣を構え直す。
「そこに向かって欲しい」
「なに……?」
次に攻撃の手が緩まったのはノイア。明らかに話が見えない状況に戸惑いを隠す事ができないようだ。
「甘い!」
ブレイズの叱咤の声。放たれたのは銀閃。ノイアが握っていた剣は弾き飛ばされて地を突き刺す。ブレイズは追撃のために剣を振り降ろすが、またしても鞘で止められる。
「なぜ私なんだ?」
余裕に満ちた声が問う。鞘だけでも勝てるとでも言いだけな口調である。
「シスターであり、騎士であるノイアが適任という事だ。護衛はジュレイドがしてくれる」
つぶやくと同時に後方へと飛ぶブレイズ。
「そう。当分は会えないね」
残念そうにうな垂れるノイア。口調も戻っており、その姿は一年前の彼女に相違ないように見える。シェルが関わるとすぐに素に戻るのがいかにも彼女らしいといえるだろう。
「なら今のうちに会って来たらどうだ?」
ブレイズはそんな彼女に苦笑する。
「そうだな」
ノイアは微笑んで背を向ける。口調は変わってもやはり中身は変わらないらしい。
「そんなに簡単には変われないか」
一つ溜息をついてブレイズは一人で黙々と素振りを開始した。
*
ちょうど朝日が昇り始めた頃。
坂を上るノイアは瞳を細めて大聖堂を見つめる。見習いの時は毎日この坂を上っていた。岩で出来たこの坂の感触が懐かしいと思うほどに、自分は大聖堂に顔を出していないのだろう。
固まった表情を解してから大聖堂のドアを見つめる。
「緊張する事はない」
ノイアはそう言い聞かせてドアを開ける。
耳に届いたのは聖歌。壮大で心を洗い流す神聖なる歌だった。自然と微笑んでしまう。鍛錬ばかりしていてまともに歌っていなかった気がする。全てが懐かしい。
ゆっくりと赤い絨毯を歩く。ステンドグラスから漏れた朝日を浴びて教壇に。
皆の視線がノイアに集まる。軽装姿で大聖堂に入ってきたのだ。不審に思う者がいるのは当然だろう。ちらほらと知らない顔もあり、どうも居心地が悪いのが難点だ。
教壇には見知った顔が合った。目が合うなり声を掛けてくれた。
「これは……ノイアですか」
教壇に立っていた司祭アーバンが微笑む。その微笑みはノイアを、教会から去った者を温かく迎えてくれる笑みに見える。ほっと一安心してから口を開く。
「シェライト様はいますか?」
ノイアは自らの出した言葉に違和感を覚える。例えどれだけ親しくても、親代わりに関わってきたとしても、それだけノイアとシスターの第三位の差は大きい。
「もし本人が聞いたら怒りますよ」
司祭が溜息をつく。この固い性格が直らないものかと思案しているのだろう。こちらも溜息をつきそうになった所で、後方のドアが開く。
まさかと思いゆっくりと振り向く。緩む頬を止められなかった。
ドアを開けて入ってきたのは黒髪のシスター。一年前と比べると少しだけ身長が伸びて、大人っぽくなった彼女。シスターの第三位シェライト・ルーベントである。
「おはようございます。シスターの第三位シェライト様」
恭しく礼をする。
「おはようございます。騎士様」
シェルも同じように恭しく礼をする。だが、その小さな肩が怒っているのは誰が見ても分かることだろう。
「ごめん」
つぶやいて小さな肩を抱きしめる。
「次にそんな挨拶したら絶交だよ」
頬を膨らませるシェル。こういう所はやはり変わらない。今でも愛おしくて仕方がない。
「悪かった。今日は大切な話があるんだ」
ノイアは抱きしめる力を強くする。
「騎士の方で動きがあるみたいだね。ジュレイドから聞いたよ」
シェルは一度体を離す。心配そうな顔をこちらに向けてくる。どうやら言うまでもなく分かっているようだ。
「ああ。私はフィレイア大陸に向かう」
シェルの青い瞳を見つめてつぶやく。
「噂ではグリア連合国と通じて……もう一度ここを攻撃する用意をしているらしいね」
「ああ。だがそれは一部の者らしい。私は現地に向かい可能であれば止める。最悪はこちらを援護してくれる勢力を探さねばならない」
相槌を打ち今後の方針を語るノイア。
「二人で向かうのは刺激しないためだね」
「ああ。着いた瞬間に動きがあるかもしれない。大勢で押し掛けたら戦争の理由にされてしまうだろうな」
シェルは納得したように頷く。この一年でだいぶ賢くなったとノイアは思う。わざわざ説明しなくても理解してくれる。あどけない顔で首を傾げていた時は可愛いと思ったが、今は誇らしい。
「もう行くの?」
「ああ。そうゆっくりは出来ない。だが……相棒がいない。どこに行ったか知っているか?」
心配そうな瞳を向けるシェルに、神出鬼没な傭兵の居場所を問う。彼女ならもしかしたら知っているかもしれない。
「うーん。さすがに分からない。明日、港に来てよ。探して向かわせるから」
シェルは明日にはどうやら探せるらしい。この一年でさらに親密になった二人。ノイアには分からない特別な絆があるのだろう。
「分かった。ジュレイドの事を話すお前を見ていると……どうも落ち着かないな」
ノイアは背を向ける。まだ心の中がモヤモヤする。大切な物を奪われそうな、何とも複雑な想い。ジュレイドの事を嫌ってはいなが、シェルが絡むなら話は別だ。
「もう。私の中ではノイアが一番だよ」
背に優しい声が届く。
「分かった」
ノイアは振り向く。今は最高の笑顔をしている自信がある。その証拠にシェルが最高の笑顔をノイアに向ける。モヤモヤした気持ちはすぐに吹き飛んで、晴天の空のような曇りのない心が満たした。
*
首都クロイセンの北側にある商店街。店と店の間にある路地裏で黒いコートを羽織った男が手の平サイズの袋をポケットから取り出す。
「確かに」
運び屋の男は、ずっしりと重い袋を見つめる。傭兵や賊などの資金を運ぶのを生業としている男で、常に黒いローブを羽織っているために顔は見た事はない。運んでくれさえすれば誰でも構わないので皆興味はない。気にするのは仕事の正確さのみだ。
「これで最後だ」
男に短くつぶやいて背を向ける。
「ああ。ジュレイド、あんたもよく稼いだもんだよな。あんな動けない親のために」
いつもはお金を受け取れば早々に去る運び屋だが、今日は珍しく話し掛けてきた。ジュレイドと呼ばれた男は髪と同じ茶色の瞳を向ける。
「それ以上は言うな。頭に穴が開けられたくなかったらな」
冷え切った瞳と共に向けられるのは大口径の銃。
「悪かったよ。金はちゃんと運ぶ。それで最後だ」
早口で運び屋が述べる。
「ああ。そうしてくれ」
ジュレイドは銃を腰にあるホルスターに戻して、商店街へと足を向けた。
*
シェルは大聖堂のドアを開ける。坂の上にある大聖堂は首都クロイセンの中心にあり、首都全体を見渡すには都合がいい場所である。
「うーん」
難しい顔をして唸るシェル。目当ての人物が一体どこにいるのだろうか。北側の商店街か、南側の宿舎か港だろうか。
悩む事、数秒。
シェルが選んだのは商店街。そろそろ稼いだお金が溜まる頃だろう。また怪しい運び屋にお金を渡している頃ではないかと思ったのだ。
どうしても今日には彼に会わなくてはならない。すでに司祭には了解を得たので、胸を張って実行できるのが唯一の救いである。
腰まで伸びた長い黒髪が風で乱れる事も気にせずに目当ての人物を探す。近くにいれば特に探す必要はない。相手から見つけてくれるからだ。
歩く事、数分。
商店街は活気に満ちており、人だらけ。もはや一人ずつ顔を確認するだけでも億劫な状態だ。キョロキョロと周りを見渡すシェル。
「どうした?」
声と共に髪を優しく撫でられる感触。やはり見つけてくれた。
「探していたの。少し協力して欲しい事があって」
上目遣いで見上げるシェル。
「なに? シスターが悪巧み。面白いねぇ」
ジュレイドは笑う。
シェルは一つ頷いた。ノイアは絶対反対するのは分かっている。ならばもう後には引けない状況にするだけだ。彼女は怒るだろうか。それでもどうしても側にいたかった。その想いは止められなかった。
*
翌朝。
港に止まったフィレイア大陸との貿易船を見つめているのはノイア。あの船に乗り密かに侵入を果たす。すでにフィレイア大陸に侵入した仲間がザーランドという人物に話をつけているらしい。当面の無事は保障はされるらしいが、どうにも胡散臭い。だいたい情報が少なすぎるのだ。それだけ急ぎだったのは簡単に予想できるが、その理由が分からない。
「また難しい顔をしてるねぇ。そんな顔をしていると嫁の貰い手いないぜ」
後ろから髪を撫でる大きな手。肘を腹部にめり込ませたいが、それが出来ないのが無性に腹立たしい。
「その手をどけろ」
代わりに殺意を込めた瞳を向ける。
「おっかないな。一年前の方が可愛かったよ」
ジュレイドが撫でるのを止めて、肩を竦める。
「余計なお世話だ。だいだいシスターは恋愛禁止だ」
騎士である自分が言うのはおかしな話ではあるが、ノイアはその身に神力という力を宿している。ノイア達が暮らすハールメイツ神国を支える奇跡の力である。女性の方が身に宿す神力は強く、その中で特別に神力が高い者をシスターと呼んでいる。
「そうだったねぇ。恋愛はいいけれど……大人の関係に進むと力が」
ジュレイドはそこで言葉を止める。
「なんだと? 貴様、シェルに」
ノイアが剣を引き抜く。人を傷つければ身に宿す神力は低下する。そんな事はお構いなしに目の前にいる脅威を排除しようとするノイア。剣から放たれる殺気は本気だと分かる。
「おいおい。俺はもう25歳だぞ。さすがに13歳に手は出さないって」
冷汗がジュレイドの頬に流れる。数多の死線をくぐり抜けてきたジュレイドだが、この少女とは戦いたくはないのだろう。殺す気で剣を握ったノイアの実力は一年前とは比べ物にならないのだ。
「その言葉をとりあえずは信頼するとしよう」
剣を鞘に戻すノイア。だが、もし違える事があるなら迷いなく斬ると述べているかのようだった。
「行くぞ」
低い声と共にノイアが歩き出す。
「口調まで変えて……本当に無理してるんだから」
ジュレイドの言葉を無視して歩き続ける。無理をしている事などノイア自信も分かってはいる。だが、こうでもしなければ騎士として生きてはいけない。弱い騎士など不要なのだから。
*
「信頼できるのですか?」
幼さを感じるが、どこか威厳に満ちた不思議な声。
それでいて高圧的な感じはしない。すんなりと身に入り、従う事に心地良さすら感じさせる、生まれながらの王の声だった。
「まだ分かりません」
王座に座る少女の前で膝をついている男が述べる。女性のような艶やかな黒髪を腰まで伸ばした細身の男である。
「そうですか。自国のために他国を侵略するなどあってはならぬ事。ぜひとも話をしたい」
少女は憂いを帯びた瞳で細身の男を見つめる。
「仰せのままに」
男はゆっくりと立ち上がる。背を向けた際にドアを開けて入室して来たのは筋肉質の大男。
「これはザーランド殿。また女王の機嫌取りか?」
ザーランドと呼んだ男を睨む筋肉質の大男。
「いえ……報告をしたまで」
ザーランドは男を極力視界に入れないようにしているようにしている。
「ふん。それも無駄になるだろうがなぁ」
男はその態度が気に入らないのか一度鼻を鳴らした。
「それはどうかな」
ザーランドは不適な笑みを浮かべて王の間を飛び出す。
こちらが駆けつける前に死ぬようであればそれまでだろう。だが、彼はどうにかして女王の願いを叶えたいのだろう。通路を可能な限り早足で駆け抜けていった。
*
船が大海原に飛び出してすでに一時間くらいは経っただろうか。正確な時刻はノイアには分からないが地図と照らし合わせるとそんな所だろう。
現在は船の左側面に体を預けてどこまでも続く海を眺めている。さすがにここで素振りを始める訳にはいかずにやる事がないのだ。
「暇なの?」
後ろからの声に振り向く。予想通りジュレイドが立っていた。
「ああ。少し話さないか」
「いいぜ。ゆっくりと話した事はないからな」
ノイアの提案にジュレイドは乗った。背を船の側面に預けてこちらに視線を向けてくる。
「前から聞こうと思っていたのだが。お前は何者だ?」
「今さら聞くの? ただの傭兵だけど」
こちらの問いに苦笑して答えるジュレイド。傭兵だという事くらいはすでに知っている。
「なぜ傭兵なんてしてるんだ。なぜ傭兵がシェルを守る?」
ノイアの聞きたかった事を問う。
だが、彼は口を閉じたままだった。答える素振りすらない。
「答えたくはないか。まあ、そうだろうな」
「人に聞いてばかりか?」
うつむいたノイアに冷たい声が降り注ぐ。驚いて顔を上げると冷たい目がこちらを見ていた。人の心に踏み込むなら、そちらも話せと言っているようであった。
「そうだな。すまない。幸い時間はある」
「ああ」
ノイアの言葉を聞いてジュレイドは視線を空へ。
「私はハールメイツ神国の北東にある都市で生まれた。勉学は得意ではなく、取り柄と言えば絶対的な神力の強さと、身体能力の高さだけだった」
ノイアの言葉を隣の男は無言で聞いている。どうやら口を挟む気はないらしい。
「二つの力を持っている事で両親は喜んだ。でも、次第に分かってしまったんだ。シスターとしても騎士としても中途半端な存在である事がな。シスターとしては神力の絶対量が少なく、騎士としては人を斬れない。そんな役立たずだと分かってしまったんだ。それからは両親の反応は冷たかった」
うつむいたノイアの瞳には薄っすらと涙が浮かんでいた。
「だからあんなに馬鹿みたいに努力してたのか」
「それしかもう道がなかった。力に恵まれていないならば、認められるには頑張るしかない。そう思ってがむしゃらにな。そんな中で私はシェルに出会った。私とはまるで違う、生まれながらの天才。それでいて驕る事はない清らかな心を持つ存在。自分があまりにもちっぽけな存在に見えた」
ノイアは儚く笑う。どこか疲れた笑みだった。
「疎んだりしなかったのか?」
「そうだな。世話係を命じられた時は頭が真っ白になった。この心に燃え上がるような怒りが満たした。だが、あの子はその怒りすら受け止めて、癒してくれた。だから私は彼女の側にいる事を誓った。今もその想いは変わらない。何があってもだ」
先ほどの弱々しさはいったい何処にいったのか、ノイアの声は力強かった。
「そうか。少しはノイア……お前が分かったよ。もっと誰かに話した方がいい。心に溜めすぎだ」
つぶやくと共に髪を撫でるジュレイド。
「子供扱いをされるのはお断りだ」
「可愛くないな」
腕を退けるノイアに苦笑交じりの声が降り注ぐ。
「では、お前の番だ」
「構わないが……その前にお姫様、大丈夫かな」
ジュレイドの話を聞こうと思ったが、お姫様という言葉がやけに気になる。そして、なぜ運搬用の樽を見ているのだろうか。
「う……うぅ……」
少女の泣き声が樽から響く。
「おい。まさか」
ノイアには泣き声だけで分かる。その樽の中の人物が誰なのか。そして、今の話を絶対に聞かれたくはなかった人物である。この汚れた心を晒すなど考えただけで身が引き裂かれる思いがする。
「シェライト・ルーベント」
ジュレイドが樽を指差す。それと共にノイアが駆ける。樽を見下ろすと体を丸めて収まっているシェルがいた。引き返すにしても今からでは無駄が多すぎる。
「やられた……」
ノイアはつぶやく。まさかこんな手段まで使って付いてくるとは。
「ノイア」
シェルが樽から飛び出て抱きつく。瞳からは大量の涙を零して。
「ああもう。泣くな」
ノイアは抱きしめてなだめる。
「俺の話は次回に持ち越しだ」
ニヤリと笑って去っていくジュレイド。諸悪の根源の背を鋭く睨んでから泣きじゃくるシェルをなだめるのだった。
*
「彼女達は大丈夫でしょうか?」
司祭アーバンの声からは不安が感じられる。執務室の椅子に腰掛けている騎士団団長アルフレッドは穏やかな瞳を返す。
「彼女達だから任せたのだ。シェルが動くかどうかは賭けでしたが……予想通り動いてくれて助かった」
安堵の息を吐くアルフレッドに、司祭は怪訝な顔を向ける。
「ノイアとあの傭兵だけで十分ではないのですか? そこが解せないのです。光の壁の維持はサリヤとハーミルで十分ではあります。しかし、シェルほどのシスターをこの地から離すのは愚策にしか思えません」
「そうだな。だが、あの国の女王の心を解すのはノイアだけでは無理だと思うのだ」
疑問に答えるアルフレッド。
「確かにシェルは他人の心に触れる事を得意とします。女王の本音を聞きだすには必要ではあるでしょうな。そんな彼女を支えるにはノイアが必要ですか」
「そういう事だ。そして、シスターの第三位という地位も必要だ。まさか交渉に来たのが何の階級もない騎士と、傭兵では話を聞く気も起きないだろう。そして、ハーミルほど知的な存在は警戒されるだけだ。まずは懐に入る」
二人はお互いの考えに納得して頷き合う。こちらの勝手な事情で二人の肩に重石を載せてしまったことに後悔があるのか、二人の顔はどこか冴えなかった。
*
「綺麗だね」
弾んだ声が耳に届く。
見つめた先に見えるのは白銀の大地。
舞い落ちてくる輝きを緑色の瞳に映す。確かに綺麗な国だと思う。手に触れる冷たい物が雪というものなのだろうか。ノイアは手の平の上で溶ける雪を不思議そうに見つめた。
「大陸フィレイア。魔法と雪の大陸か」
ジュレイドが見慣れぬ地を見てつぶやく。数百年前は緑豊な大陸だったらしいが、今では毎日、雪が降る極寒の大陸である。
「神力ではなくて……ここでは魔力というんだったな。神力とはずいぶん違うと聞く」
噂で聞いた程度なので事実かどうかは分からない。
「魔力……禍々しい響きだね」
シェルは何かを感じ取っているのかぽつりとつぶやく。
「禍々しいかどうかは分からないけれど……こんなに寂しい所なの?」
降り立った港町はどこか殺風景だった。その理由は緑がないのだ。地面は硬質な石で形作られ、疎らに立っている木も葉はなく寂しさが込み上げる。
「こんなに自然が消えるものなのか?」
ジュレイドは疑問に思っているようだった。異常気象が起きれば自然も失われるのかもしれないが、これだけ緑がないのは不自然に見える。緑豊な大陸マクシリアに慣れ過ぎているのかもしれない。
「それもザーランドという者に確認しよう」
岩の道を進み港町の中央に向かう三人。左右を見渡すと貿易で売買する品物を納める倉庫が無数に並ぶのみ。人が住んでいるという雰囲気は特にはなさそうだ。
「そうだな。ここでは情報も少ないだろうしな」
ジュレイドはつぶやくと同時に地図を広げている。ここから真北に向かえばどうやら一つ街があるらしい。
「ジュレイド」
小声でノイアが語り掛ける。ジュレイドはすかさず地図をコートのポケットにしまう。
ノイアは戦いの緊迫感に震える少女の前に立つ。ジュレイドも鋭い視線を前方へと向けた。
*
一頭の馬が雪道を駆け抜ける。
馬を操るザーランドは強く手綱を握る。完全に出遅れてしまった。すでに船は到着をして、交戦状態に入っているだろう。彼らが戦えるだけの力があればいいが、見た事もない力にすぐに対応するのは容易ではない事は簡単に予想できる。
閉鎖的なこの国の情報は他国には広まっていない。魔力という言葉と、数種類の攻撃手段しから知らないのが実情だろう。
そんな状況で生き残れというのがいかに過酷なのかは誰よりも理解している。
遠方に見える港町を複雑な瞳で見つめたザーランドは焦る気持ちを何とか静めるのだった。
*
「シェルは私の背から離れるな。ジュレイド、一人でも大丈夫か」
「もちらん」
ジュレイドは銃を引き抜いて、警戒しながら数歩前進。
目の前にいたのは漆黒のローブを纏った男二人。素早く視線を走らせる。左右の物陰にはそれぞれ一人ずついる。
両手の銃を素早く構える。銃という武器がこの大陸でどこまで通用するかは分からない。だが、遠距離で使用する武器を試すのは容易だ。
刹那、銃声が轟く。一度、瞳を閉じる間に放たれる高速の弾丸。力のある騎士でようやく弾き落とせる弾丸を、信じられない事に彼らは切り裂いた。彼らが握っているのは光輝く剣。
能力次第では四人纏めて相手をする予定だったが、そこまで甘くはないらしい。
「左右の二人は任せた!」
ジュレイドは叫ぶと同時に地面を駆ける。前方にいる黒いローブを纏った男達も同時に地面を蹴る。
まずは先行して来た一人が振り下ろす一閃を左に回避し、すかさず敵の頭部を撃ち抜く。
すかさず舞った鮮血を気にも留めずにもう一人が斬りかかってくる。常人よりも身体能力が高い騎士の一閃に近い斬撃だった。即座に回避する事は不可能と断定したジュレイドは右手の銃で受け止める。腕に伝わった力は想像したものとはかけ離れていた。あまりにも軽い。
吹き飛ばそうと思考を巡らせた瞬間。手に持った銃が内側から膨らむ。
反応するよりも速く、一つの破砕音が港町に響く。何と剣に触れた銃が爆発したのだ。吹き飛ぶ破片を避けるなどの芸当はいかに身体能力が優れていても不可能である。
破片が体を突き刺すのを何とか堪えて前方を睨む。バランスを崩したジュレイドに振り下ろされたのは光剣。左手に握る銃で受け止めれば先ほどと同じ結果が待っているだろう。
舌打ちをしてから左に跳躍。受け止められないならば避けるしかない。だが、頭では理解しているあの速度を避ける事は不可能である事を。一撃を受ける覚悟をしていたが、振り下ろされる一閃は見るからに遅い。先ほどと比べれば雲泥の差である。
「なんだ?」
ジュレイドはあまりにも遅いその斬撃をいぶかしむ。この程度の速さなら楽に倒せる。着地と共にすかさず左手に握る銃を構えて引き金を引く。だが、次は騎士並の速さで銃弾を切断された。
その瞬間に一つの予想を立てる。おそらくあの爆発は何かの力。触れた物を爆発させるのだろう。だが、利点だけではない。力を使うと何か別の力が使えなくなるのだろう。目の前の男が使っているのは素早く動く事ができる力と、光剣が触れた物を爆発させる力。
予想を確かめるために一度距離を取る。身体能力では同格。ならば後はどちらが先に一撃を決められるかだけである。
ゆっくりと歩を進めるジュレイド。敵も警戒しているのかゆっくりと距離を詰めてくる。
「――ふっ――」
短く息を吐いてジュレイドが地面を駆ける。敵は反応が遅れて地面を蹴る。だが、それではもう遅い。ジュレイドはすかさずナイフを引き抜いて投擲。光剣が触れた物を爆砕させる。おそらく敵は何を投げられたか分からずに、とりあえず身の安全のために爆破させたのだろう。予想通りに見るからに動きが鈍る敵。
轟いたのは銃声だった。
*
放たれるのは光輝く氷の刃。
舞い落ちる雪を切り裂きながらノイアを狙う。
両手に握る剣と鞘が無数の氷刃を破壊する。防戦に徹しながら、徐々に左にいるローブ姿の男との距離を詰める。隙あらば捕らえるつもりである。
「合図をしたら障壁を展開。いいな」
背後にいるシェルに声を掛ける。本来であれば離れたくはないが、ジュレイドに全てを任せるのは負担が多すぎるだろう。
「大丈夫。実戦の訓練もちゃんとしてるから」
シェルはいつでも障壁を張れる準備をしている。
覚悟を背に感じたノイアは氷刃を破壊する事に集中する。先ほどから無数の氷刃が放たれているが、五秒に一回ほど数が減る時がある。便利な力に見えるがどうも欠陥があるらしい。
その隙を突けばこの状況を打開できる。そう確信したノイアは心の中で秒数をカウントする。
四秒の時間を正確に数えて背を屈める。
ノイアが地を蹴ったのと、シェルの障壁が展開したのは同時だった。氷刃を障壁が弾き返したのを視界の隅に収めてノイアが駆け抜ける。
敵は明らかに驚いているようだった。神力という力をおそらく初めて見たのだろう。氷刃が勢いを弱めたその瞬間にノイアが敵の懐に接近する。
だが彼女の視界を埋めたのは氷の壁。全てを弾き返すと言外に述べている氷壁がノイアが手に持つ剣では破壊する事は不可能に見える。
すかさずノイアは剣ではなく、身に宿るもう一つの力を発動させる。
規格外の神力を解放して、氷壁に障壁をぶつける。理を違える二つの力が衝突した瞬間。二つの壁はガラスが割れたように砕け散る。
その間隙に迷いなく飛び込んだのはノイア。氷壁をこうも容易く突破された事に驚きを隠せない敵は動けない。そして、どうやら発動させたくても力を使えないらしい。
その隙をついてノイアは敵の男の背に回り込むと同時に剣を鞘に収めて腰に固定する。
敵の男はなぜ斬らないのか戸惑いを隠しきれない。そんな彼を生きた楯として掴み駆け抜ける。味方を楯にされて、どう動くのか逡巡できた時間は数秒だった。敵は迷わず氷刃を放つ。
「見た目通りに冷たい国だな」
独語して生きた楯を解放する。氷刃を受けて絶命してから放すという選択肢もあるが、さすがにそんな姑息な手段は取りたくはない。敵が戦いにおいて、どこまで冷酷になれるのか試したかったのだ。もし戦争になるのであればこの辺りは重要になってくる。
生きた楯を失い視界に入ったのは無数の氷刃。今から剣を抜いてもとてもではないが防ぎきれない。ならば取る方法は一つのみ。すかさず姿勢を低くして氷刃を避ける。次弾を左に跳躍して回避、その次を放つ隙などは与えない。すかさず背後に回りこんで首筋に剣を当てる。
「話を聞こうか」
ノイアの低い声が港町に響く。答えるかどうかは疑わしいが、情報が少しでも欲しいというのが本音である。
「ゲベル様に栄光あれ!」
捕らえた男は短く叫ぶ。その後に彼が取った行動をノイアは忘れる事ができないだろう。彼は氷刃を手に握り腹部に突き刺したのだ。素早く一人残った男に視線を走らせる。
だが、視界に映ったのは鮮血だった。
「おいおい。これはさすがにないだろう」
数多の戦場を歩いた傭兵にもこの状況は衝撃らしい。
「口を割らないために自決するとは……」
ノイアはつぶやかずにはいられなかった。今まで出会った敵とは違う異質な恐怖が全身を駆け巡る。震える肩を止められなかった。
「ここがフィレイア大陸」
シェルは自分達がいた場所とは理を違える地を改めて見つめている。今までの思考を捨てて柔軟に考えていかなければならないと三人はこの時に同時に思った事だろう。
「ここはすぐに騒ぎになる。急ごう」
ノイアが二人を促す。二人は頷いてすぐに駆け出す。言いようのない恐怖から逃げるように。
*
茶色髪の長身の男、背の低い黒髪の少女、そして、女性騎士。先に知らされていた情報通りの三人組が雪原を進んでいる。
ザーランドは馬から降りて手綱を握っていない右手を振る。ほどなくして警戒しながらも茶色髪の男を先頭にしてこちらに歩を進めてくる。どうやら刺客は自力で退けたようだ。腕は立つというのは分かったが、後は人柄だ。この大陸を救うのか、それとも結局は自国のみしか考えないのか。
話せばすぐに分かる事だ、と結論付けたザーラントは三人を待つ。
「あんたがザーラント?」
先頭を歩いていた男が問う。どこか軽い印象を受ける男だった。
「そうです。貴殿たちがハールメイツ神国から来た者ですか?」
事務的な口調でまずは確認する。
応じたのは輝くような金髪の少女。年齢は十六、十七くらいなのだろうが、緑色の瞳からはしっかりとした意志を感じさせ彼女の年齢を若干高くみせている。
「そうだ。私はハールメイツ神国の騎士ノイア・フィルランド。こちらがシェライト・ルーベントトだ」
ノイアと名乗った少女が、シェライトと呼んだ少女を紹介する。
「シェライト・ルーベント。確かシスターの第三位の名でしたね。なるほど。確かに我が女王の話をするには適していますね」
ザーランドは微笑んでシェルを見つめる。予想ではシスターの第二位が姿を現すと思っていた。才女と呼ばれる彼女をいかにこちらのペースに持っていくかを考えていたが、それは無駄に終わったようである。
「まずは話を」
悠長に話をしている場合ではない、と言いたげなノイアの視線を受け止めたザーランドは表情を引き締める。
「まずは落ち着ける場所に移りましょう」
ザーランドは馬に乗る。
「どれくらいで落ち着く?」
唯一、名乗っていない男が問う。
「せいぜい数時間といった所です」
「ふーん」
質問したのはこの男だがどうも反応は鈍い。三人の中でザーランドに警戒をしているのは、おそらくこの男だけだ。だが、彼の反応は正常だ。港でゲベルの刺客と交戦したであろう彼らがすぐにこの国の人間を信じるとは思えない。
「あえて言わせて頂くならば……信じて下さい。私は二つの大陸を巻き込む戦争を止めたいのです。そして、この国がまた繁栄する道を共に探したいと思っています」
ザーランドは名乗らぬ男を見つめて語りかける。
「そうかい。悪いが俺は態度保留だ。気に障るかもしれないが許してくれ」
男は茶色の瞳をこちらに向けてくる。心までを見透かす瞳だった。態度は軽いがどこか筋が通った人間だと判断するザーランド。
ここで何かを言っていても始まらない。そう思い進む事を決める。
「参りましょう」
ザーランドが馬を走らせる。異なる大陸から来た三人は彼の背を追いかけるように歩を進める。彼らの一歩がこの国の未来を救ってくれる事をただただ祈った。
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