ただあなたを守りたい シスター見習い編 1
ただあなたを守りたい シスター見習い編
プロローグ
「……ノイア・フィルランド。貴殿の神力の高さは他の誰よりも高い。だが……力の持続力は最低レベル。最終的に私が下した判断は……今日この時を持ってシスター見習いの資格を剥奪する。以降は指導者としての道を歩むか……または別の道を選ぶかを決めるのだ」
50代後半の司祭はそう告げた。
ノイアと呼ばれた少女はその言葉を聞いて力を失うように膝をついた。目の前は真っ白だった。
「…………」
言葉は出なかった。ただただ絶望する。今までの日々が頭の中を駆け巡る。
「ノイアよ。貴殿が他の誰よりも努力していた事は認める」
司祭は言葉を選んでいるようだった。だがノイアには聞こえていなかった。
(……嫌だ……!)
心の中で叫ぶ。シスターになるためにずっと鍛錬を続けてきた。持続力がないのは分かっている。それでも鍛錬を続けてきた。いつか夢を叶えるために。
「……貴殿ほどの努力家だ……指導者になるのは適していると思う」
司祭はノイアの肩に触れた。ノイアの肩は震えている。
「……嫌です」
ノイアは顔を落としたままつぶやく。
司祭は驚きで目を見開く。彼女なら分かってくれると思っていた。だが帰ってきた言葉は拒絶の言葉。ノイアはふらつきながら立ち上がる。
「どこに行く!」
司祭はノイアに言葉をかける。
「……私は諦めません。シスターになれなくても……戦う道はありますから」
ノイアは司祭に背を向けてつぶやく。その声には力が戻っていた。
「……そうか」
司祭は密かに拳を握る。彼女は歩み続ける道を選んだ。止める必要はない。立ち止まるのであれば助けは必要だろうが。
ノイアはふらつく足取りでドアまで進み、大聖堂のドアを開ける。
眩しい光がノイアを照らす。
「あ……ノイアだ」
ドアを開けた先には修道着姿の愛らしい少女が立っていた。
「シェル……頑張ってね」
ノイアはシェルと呼んだ少女の髪を優しく撫でる。
「ノイア……?」
シェルは首を傾げる。
「……戻ってきて守ってあげるから……」
ノイアはそれだけを言ってその場を去った。向かうのはいつもの場所。あの場所にいたから頑張れた。
「……私はまだ……歩める……諦めない……今度こそ……」
ノイアはただ前を見てつぶやいた。
―1―
「これでいいかな」
15、16歳くらいの金髪を腰まで伸ばした少女が微笑んでつぶやく。
左手に持っているのはフライパン。焼かれているのは目玉焼き。見た所黄身は固めに焼けている。それを見てコンロから右手を離す。コンロについている石が輝きを失う。それと同時にコンロの火が消える。目玉焼きをお皿に移してから振り向く。
「まだ寝てる」
ベッドの中で丸くなっている少女に温かい視線を向ける。12歳ではあるが実年齢よりも幼く見えてしまう不思議な少女。クスリと笑い、部屋の左端にあるベッドに近づいて艶やかな黒髪を撫でる。
「うーん」
眠っている少女が呻いてから、青色の瞳をゆっくりと開く。まだ目蓋は重そうだ。最年少のシスター見習いで、名をシェライト・ルーベントという。皆はシェルと呼んでおり、この部屋で一緒に暮らすルームメイトである。
「早く起きてよ、私は朝から鍛錬したいから」
なかなか起き上がらないシェルに向けて声をかける。
「う……ん。分かった……よ、ノイア」
だがシェルの反応は鈍い。朝が苦手なシェルは緩慢な動作で起き上がる。短い黒髪は寝癖で所々が跳ねている。ノイアはその姿を見て苦笑してしまう。
「ご飯あるから食べてね」
ノイアと呼ばれた少女がドアノブを掴みながら声をかける。
部屋中央の丸テーブルにはトースト、サラダ、ハム、目玉焼きなどが置いてある。一度シェルは朝食に視線を移してから、ノイアに振り向いた。
「分かったー」
ルームメイトが手をヒラヒラと振る。ノイアはその姿を見てからドアを開けた。
ひんやりとした早朝の空気がノイアの全身を冷やす。時刻は午前5時。まだ誰も起きていない。シスター見習いでこんな時間から鍛錬をするのはノイアくらいだ。
木で出来た廊下を歩いてシスター見習いに与えられた宿舎を出る。宿舎を出ると目の前は石で整備された坂がある。その坂を上りきった所にあるのがクロセイト大聖堂。ノイアとシェルが学び、将来はあの場で働く事を願う場所。
大聖堂はノイア達が暮らす首都クロイセンの中心にあり、そこを中心に住居が並ぶ。首都の南側はノイア達や旅人の宿舎が集まり、北側は商店街となっている。
「……頑張らないと」
ノイアは拳を握って、進路を北西に向ける。大聖堂には午前8時までに行けばいい。まだ向かうには早すぎる。
ノイアが向かっているのは一つの公園。首都クロイセンの北西は憩いの場が多い。その中にある公園に用があるのだ。当然、自然を見て癒されたい訳ではない。開けた場所で鍛錬をするためだ。
「……あの人は今日もいるのかな?」
ノイアは独語する。
実はこんな早朝から鍛錬をしているのはノイアだけではない。そして、シスターでもない。甲冑に身を包んだ騎士の少年だ。二人は同じ場所でお互いに特に干渉することなく鍛錬に励んでいるのだ。ノイアは相手の名前さえ知らない。
「まあいるよね」
ノイアは微笑む。
おそらくあの少年がいたから頑張れている。一人ではなかなか続かないものだ。名も知らない少年が毎日早朝から鍛錬をしている。その少年に負けないように自分も鍛錬を続ける。もしかしたら相手も同じ事を考えているのかもしれない。邪魔であるのなら場所を移すだろうから。
ノイアは碁盤目状に出来た道を早足で進み公園に足を踏み入れる。木々が左右に立ち並び、頭上を見上げれば生命を感じさせる緑。こんな時間でもこの道で散歩をする人がまばらにいた。
「おはようございます」
ノイアが顔見知りに挨拶。
「おう、おはよう。騎士の子はもうやってるよ」
50代のおじさんが微笑む。
「だんだん早くなってる……負けられない」
ノイアは早足でいつもの場所へと向かう。
「熱心だね……でも、この世界はなんでこんなに不平等かねぇ」
おじさんは顔を落とした。
ノイアは木々で出来た道をほどなく歩いて進路を右に向ける。草が茂っている獣道を進みきった所に開けた場所がある。一部屋分のスペースしかなく鍛錬をするには狭い。だが誰にも邪魔はされない。
その場に銀髪を短く整えた青い瞳を持つ少年がいた。甲冑に身を包み淡々と剣を振る。額には汗が浮かび、少し息が荒い。おそらく一時間は素振りをしているのだろう。整った顔が時折、苦痛に歪む。また手がボロボロになるまで剣を振ったのだろう。
「……神聖なる神よ。我に癒しの力を与えたまえ……」
ノイアは言葉を紡ぐ。刹那、少年の手を温かい光が包む。少年は痛みが和らいだのか、剣を握り直す。
「……すまない」
少年はそれだけをつぶやいて黙々と剣を振るう。
ノイアは一度微笑んでから少年の背後に立ち、背を向ける。これが二人の関係。これ以上は関わらない。だから名前も知らない。
ノイアは一つ深呼吸をする。背後から聞こえるのは素振りの音。あまりにも聞き慣れているため集中力を切らす事はない。
ノイアは天に祈りを捧げる。ノイアの体から眩しい光が溢れる。
「……神聖なる神よ。我らに守りの力を」
言葉と祈りに反応してノイアの前に障壁が展開。祈りを続けて光の壁を維持。
ノイア達が暮らす大陸マクシリアには「神力」という力で満ちている。神力はこの大陸で生活するには欠かせない力である。
夜に読書をしようと思えば、輝石と呼ばれる石に神力を注ぎそれを光源にする。夜に首都を照らす街灯も輝石に神力を注いで光らせている。朝、ノイアが料理に使っていたコンロも神力を使い火を起こしていた。この力は6歳を超えた時に宿るものである。だが人によって力の強さも、身に宿る神力の多さも異なる。中には全く神力を持たない人間もいる。神力を持たない者はガスやら油などを使い火や光源を得ているらしい。
ノイアは強い神力を持っている事からシスター見習いとして大聖堂で鍛錬を続けている。ノイアが張る障壁や、癒しの力の強さはどのシスター見習いでも越える事はできない。だが課題もある。身に宿る神力の絶対量が少なすぎるのだ。強い力は使える。だが維持できない。また使用できる回数も極端に少ない。
その証拠に目の前で展開している障壁が力を失う。ノイアの限界だ。
(まだまだ……)
ノイアは心の中でつぶやく。さらに祈りを込める。突如、全身に痛みが走る。だが止めない。神力の絶対量を増やす方法は限界まで神力を使う事である。限界を越えた時にしか神力は増えない。
「……つぅ……」
ノイアは顔を歪ませる。
方法は分かっているが限界まで神力を使うのは自殺行為である。全身を破壊するような痛みに耐え切らないといけない。だがノイアは毎日これを繰り返している。その結果、正式にシスターになるために必要な神力の絶対量の半分はある。だがノイアの力の強さに追いついてはいない。
「神力があっても苦しいだけか……」
素振りを続ける少年が独語した。
いつもこの苦しみの声を聞いている。少年にはこの少女がどれだけ努力家なのか知っている。それと同時にこの世界があまりにも不平等である気がしてならない。努力をした者が成功しない。生まれ持った才能が全てを決めてしまう。
少年は神力が使えない。そのため信じる事ができるのはこの剣と、神力が使えない代わりに神が与えてくれた身体能力の高さだけ。
この少年のように神力を持たず、生まれつき身体能力が高い者は「騎士」と呼ばれる職に就く事を勧められる。断れば一般市民として生活はできる。だが、半分ほどの者は「騎士」になる事を望む。それしかこの世界に溶け込む道を知らないからだ。神力がない。それだけで運命を決められた者が「騎士」である。
「……ぐ……あぁーーーー!」
いつものように絶叫が聞こえた。少年が振り向くと少女が荒い息を整えながら膝をついていた。どうやら限界まで使用したらしい。
「…………」
少年が少女を立ち上がらせる。
「ごめん……」
少女は礼を述べる。自らの足で立ち、瞳に力が戻ったのを確認した少年は再び背を向けた。少女は深呼吸をして気持ちを落ち着かせていく。神力が少しでも戻れば再開するつもりなのだろう。二人の無言の鍛錬が早朝の朝に続いた。
*
鍛錬を終えたノイアが宿舎に戻ったのは午前7時半。部屋に戻るとシェルはベッドに座り本を読んでいた。
「おかえりー」
シェルが微笑む。
「うん。行こう」
戻ってくるなり昨日用意しておいた荷物が入ったバッグを肩に背負う。シェルはこの部屋を照らす輝石に手をかざして神力の供給を絶つ。部屋の明かりが消えて、薄暗くなった部屋はどこか寂しげだ。それを見てノイアはドアを開ける。
「行こうー」
シェルが微笑んでついて来る。初めはこの幼いルームメイトには困ったものだった。ノイアの後に張り付くように体をくっつけて歩き、何かあればノイアの胸に飛び込み甘えたりもした。今ではそれにも慣れて世話を焼いている。
だが正確には世話を焼いているなどと言う言葉は使えない。神力の強さだけならノイアの方が上だが、それに匹敵するほどの強さの神力を持ち、絶対量では常にトップだった。100年に一度生まれるかどうかの「神に愛された者」。いずれはシスターの頂点に立つかもしれないと言われている存在なのだ。実際は他にも有力候補がおりシェルが頂点に立てるかどうかは分からないのだが。そして、シェルはあまりにも幼い。そして、上に立つには優しすぎる。ノイアはシェルが上に立つのは無理ではないかと思っている。
ふと温かくて柔らかい手がノイアの手に触れる。
「手を握らないで……恥ずかしい」
ノイアは隣を歩くシェルを見てつぶやく。周りの視線が気になって仕方ない。見る見ると頬は朱色に染まる。
「ノイアの手は温かいから好きなの」
シェルは愛らしい笑顔を浮かべてノイアに微笑む。この笑顔を見ると反論できない。自由にさせてしまう。ノイアは溜息をついた。
二人は宿舎を出て坂を上る。見えてきたのは大聖堂。三角屋根の先には金色に輝く十字架。左右にはステンドグラスが散りばめられていた。
ノイアは空いている右手で2メートル以上はあるドアを開けて中に入る。シェルも続く。赤い絨毯が敷かれた道の先には教壇。左右には祈りを捧げるための長机と椅子がある。すでに二人と同じ修道着姿のシスター見習いが椅子に腰をかけていた。
「あら、おはよう。 ……シェルに、その世話係さん」
ウェーブがかかった茶色の髪に、やや吊りあがった髪色と同じ瞳が特徴的な20代前半の少女が二人に挨拶。ノイアは右側に視線を向ける。隠れて拳を握る。優秀なシェルの世話係。これがノイアの評価。いくら神力が強くても絶対量が少なければただの宝の持ち腐れ。ノイアの評価は「まだいたのか」と言われるくらいに低い。いくら努力しても評価が変化する事はなかった。
「ノイアは……毎日……むぐっ……」
シェルが何かを言いかけたがノイアは口を塞いだ。結果を出さねばどうしようもない。ここで何を言っても無駄だ。
「止めなさい、ミシェル。ノイアは立派な……私どもの仲間です」
優しく耳に心地いい声音。ミシェルと呼ばれた少女の隣に座っている少女が口を開いた。20代中頃の輝くような銀髪を腰まで伸ばした女性で、天使のような慈愛に満ちた笑顔を向けている。
「おはよう、ハーミル」
シェルが元気よく挨拶。ハーミルと呼ばれた銀髪の少女が手を振る。
ハーミルは近日中にシスター見習いを終える。シェルに匹敵するほどの力を持ち、シェルの出世街道を阻む最後の砦。だがこの二人はいがみ合う事はない。どちらが上になっても構わないとすら思える。
(……追いつかないと……)
ノイアは心の中でつぶやく。
ハーミルは心から心配した視線を向ける。この視線に甘えたら終わりだ。諦めてしまう。だから視線を合わせずに左側の椅子に腰掛ける。シェルは当然ノイアの隣だ。
「そろそろ手を離して……」
ノイアがシェルにつぶやく。
「むー、仕方ない」
シェルは残念そうに手を離す。本当に困ったお姫様である。
シェルの綺麗な黒髪を撫でようと手を伸ばした時に後ろのドアが開いた。皆が一斉に視線を向ける。そこに立っていたのは司祭服に身を包んだ50代ほどの男。年齢を感じさせる白髪の上に司祭帽を被り、丸眼鏡の奥の温和そうな瞳が印象的な男。司祭アーバンだ。
皆が一斉に立ち上がる。シェルだけは反応に遅れている。
「ほら……立って」
ノイアがシェルを催促。ようやく理解して立ち上がる。ミシェルから嘲笑うような視線を感じる。だがそれを無視した。自分にならどれだけ向けられても構わない。ただシェルには何があっても向けさせない。
「皆さん、おはようございます」
司祭が皆に挨拶。皆が頭を下げる。ノイアはシェルの頭に手を置いて下げさせる。
「むぐっ……」
シェルが呻くが今は無視。
その様子に司祭アーバンは苦笑した。アーバンはシェルのルームメイトを決める際にすぐにノイアを指名した。優しいハーミルも候補に浮かんだが、おせっかいなノイアの方が向いていると思ったのだ。
「さて、本日は皆に集まってもらったのには理由があります」
司祭が言葉をつぶやく。皆が頭を上げて、緊張の面持ちで言葉を待つ。シェルだけはよく分かっていないようだ。
「……首都クロイセンを守る光の壁が力を失っている事ですか?」
皆を代表してハーミルがつぶやく。司祭が一度頷いた。
首都クロイセンは光の壁に覆われている。これはシスターの長と各地に散らばる塔に神力を注ぐ事で成り立っている。塔が一つでも破壊されれば首都の守りは手薄になる。そのため騎士の多くは首都よりも塔の防衛に力を注いでいる。強力な光の壁に守られた首都クロイセン。だが、光の壁を失えば陥落するには数日あれば十分であるという脆さもある。
では、なぜ塔を首都の近辺に置かないのか。それには理由がある。この地には神力の影響を強く受ける土地がある。その場で神力を使用すれば10倍以上の効果が得られる。強化された神力を首都に集めて光の壁を形成しているのだ。
ノイア達が暮らすハールメイツ神国は大陸南部に位置している。北西、北東は天然の山々で守られ、背面は海に面して敵がいない。急所である首都は光の壁で守られており、唯一の脅威は北にある強国であるグリア連合国。賢王と呼ばれる王を中心にし、対立する国は圧倒的な武力でねじ伏せ、対話が可能であれば時間をかけてでも説得して取り込んでいる、この大陸最強の国である。グリア連合国が攻撃してこないのは光の壁を突破できないからである。
この国の生命線である光の壁と、力を送る塔。この二つに異常が出た場合は優先事項として全ての機関が協力体制を構築するのが常である。
「うむ。そこで……シスターを塔に派遣する事になった」
司祭がハーミルに向けて一言。
「なぜ……私達見習いに声をかける必要があるのですか?」
声を上げたのはノイア。
「もっともな意見だな」
司祭がノイアに視線を向けて頷く。こんな大切な任務であれば、現職のシスターが行うべき事だ。
「人手が足りないのですね?」
ハーミルが落ち着いた声で返す。光の壁が力を失っているのであれば現職のシスターもここにとどまり長の補助をしなければならない。そのため出向ける者は少ない。
「そうだ。だが……誰でも言い訳ではない」
司祭が皆を見つめる。ここにいるのは見習いが20名。
ノイアは思考した。この中で現職ほどの力があるのはハーミルとシェルだけだ。それは皆も分かっている。簡単な任務なら手を上げるが、今回は国の一大事。司祭の決定に従うのが自然である。
「ハーミル、シェル、ノイアに向かってもらいたい」
司祭は口を開いた。
ノイアは目を見開いた。なぜ自分なのだろうか。だが次の瞬間に理解して顔を落とす。所詮、自分はシェルの世話係なのだ。
「……見習いの担当は二箇所ですか?」
ハーミルが確認。三箇所と言わない所がやはりハーミルが優秀である事が分かる。司祭の考えを読んでいる。
「そうだ。場所は後で知らせる」
司祭が述べる。ノイアは拳を握った。だがそれ以上は何も言わなかった。
「ごめん……」
か細い声が聞こえた。ノイアは慌てて視線を向ける。そこには顔を落としたミシェルがいた。世話係と言った事に謝罪をしているのだろう。ここまであからさまな扱いをされれば哀れみの気持ちも抱くのだろう。失言だったと反省しているようだ。
「……事実だから構わないよ」
ノイアは儚く笑った。その笑顔が痛々しくミシェルはノイアの顔を見られなかった。ミシェルだけではない他のシスター見習いも顔を合わせない。
「何が……事実なのですか?」
疑問の声をあげたのはハーミル。ノイアは視線を向ける。何が言いたいのか分からない。
「今回の任務……あなたは必要です」
ハーミルがつぶやいた。皆が目を見開く。全員が言葉を待つ。
「あなたの神力の強さは現職をも軽く凌駕しています。光の壁を維持する力をここに送るにはかなりの力が必要です。あなたの力で一気に塔に力を注ぎ、足りない分はシェルの力で補うという考えでしょう」
スラスラと語るハーミル。ノイアは首を傾げる。
「シェルだけで十分だよね? 結局、私は世話係で……」
ノイアがハーミルに言葉を返す。刹那、ハーミルがノイアを鋭く睨む。
「あなたは影で誰にも真似できないような努力をしています。なぜ自信を持たないのですか!」
ハーミルは瞳に涙を溜めて叫ぶ。
「私は力をまだ上手く使えない。一人では無理だよ」
シェルがノイアの手を握る。
「私が……必要?」
ノイアの肩が震える。シェルが頷く。
「見習いの代表です。胸を張って行きなさい」
ハーミルが二人に言葉をかける。二人は頷いた。
「ハーミルも……成功を祈ってる」
ノイアはハーミルに笑顔を向けた。ハーミルは微笑んで頷いた。
「私の出番はないな」
司祭が三人を見て微笑んだ。
*
旅立ちは二日後に決まった。その間に護衛に連れていく騎士を見つけるようにと司祭に告げられたノイアは大聖堂での鍛錬を行いながら候補を考えていた。
(……シェルもいるから……女性騎士の方がいいのかな)
心の中でつぶやく。考え事をしているが祈りは継続させている。今は障壁を張る鍛錬だ。大聖堂の外にある鍛錬用の敷地で皆は瞳を瞑り祈り続ける。
(……シェルが気に入った騎士でもいいけど……候補いるのかな。やはり司祭のお勧めを教えてもらうのが早いかな)
ノイアは心の中で思考を進めていく。
「ノイア! そんな障壁で防げるか!」
怒り心頭の声が耳に届く。咄嗟に神力を込める。何かが障壁に衝突する感覚がした。
「本当にすっごい障壁だねぇ」
チラリと視線を開けると、修道着姿に大剣を持つというあまりにも不釣合いな人物が立っていた。鍛錬の指導者であるフィンネ教官である。引きしまった体に180センチオーバーの長身が特徴的な30代の女性。
修道着姿なのはここの所属を示すためで元は騎士である。障壁の鍛錬の際に姿を現し、集中力が切れて弱まった障壁に一撃を浴びせるという鬼教官である。気を抜いたら大剣の一撃が待っている。体に直撃しないように止めてはくれるが、その恐怖は体験したくない。
「ど……どうも」
ノイアは障壁の強度を調整する。あまり長く張れないので調整は必要だ。
「気を抜くんじゃないよ」
大剣で障壁を二度叩く。何とか弾き返したが、そんな武器で叩くのは止めてほしい。
(……フィンネ教官なら知っているかな?)
ノイアは護衛候補探しに思考を戻す。元騎士ならいい人を紹介してくれるかもしれない。ただそんな事を考えてはいるが、ノイアの頭の中にはあの銀髪の少年が頭に浮かんで仕方ない。実際の実力は知らないが、毎朝と毎晩、鍛錬するほどの人だ。信頼は出来るだろう。だが、あまり話した事がないので深くは知らないのが問題である。
(……自分だけでなくてシェルも行くんだからね)
ノイアは溜息をついた。
「ほう……私の前で無防備か」
ノイアは寒気を感じた。視線を開ける。障壁が消えていた。自分の持続時間の短さをここまで恨めしく思った事はない。
「……ひぃ……!」
変な叫び声を開けて障壁を残った力で再展開。大剣と障壁が激突する。咄嗟に発動したが何とか止めれた。だが、亀裂が入りすでにボロボロ。再度、集中して修復を開始。もう一度叩かれたら割れる。ノイアの頬に冷汗が流れる。
「ずいぶん余裕だな……ノイア」
フィンネ教官がギロリと睨む。完全に今日のターゲットは私だ。涙目で集中を続けるノイアだった。
「今日はここまで」
フィンネ教官が大剣を背に背負い帰っていく。皆は安堵の息を吐いた。四時間の鍛錬中ずっと緊張していたのだ。無理もない。
「フィンネ教官!」
ノイアは教官の後を追って声をかける。
「ほう。まだしごかれたいか」
フィンネ教官が楽しそうに微笑む。そんな事は一切ないので、その幸せそうな笑顔を消してください、とノイアは思う。
「違います……えっと聞きたい事がありまして」
ノイアが言葉を選ぶ。
フィンネが表情を引き締める。何を聞きたいのか分かったようだ。見習いが二人塔に向かうのは知っているのだから。
「誰か紹介してほしいんだね? その前に候補はいないのかい? それに合わせて助言はするけど」
フィンネは顎に手を置いて思考。
「候補ですか……シェルもいるから女性騎士がいいような気がするんです。ただ気になる騎士もいます。私と同じくらいの歳で銀髪の騎士なんですけど」
ノイアが伝えていく。
「女性で外まで護衛を任せられるのはいるけれど……位が上過ぎるねぇ。一大事だから頼めば引き受けるだろうけど。それと銀髪で16、17くらいか。ヒューバーか、ロレンス……それかブレイズかねぇ。ブレイズなら腕は確かだけど……ちょいと性格がね。悪い奴ではないけれど」
フィンネ教官が瞳を閉じて考え出す。
「ブレイズ……さんはもしかして朝に鍛錬をしていますか?」
ノイアが確認。
「よく知ってるねぇ。すごい努力家なんだ。毎朝5時には剣を振ってるよ。寡黙なのがなければ完璧なんだけどね」
フィンネ教官が笑う。
「……ブレイズ……」
ノイアが一度考える。
「なんだい……護衛の騎士はもう決まっているじゃないか。紹介しようか?」
フィンネ教官が問う。ノイアは首を振った。
「いえ……今晩に会うので問題ないです」
ノイアは言葉を返す。
「ふーん。あの堅物に女が……しかもシスター。禁断だねぇ」
フィンネが楽しそうに微笑む。
「違います!」
ノイアが大声で叫び返す。
「分かってるって」
フィンネ教官が手を振って去っていく。
「もう」
ノイアは腰に手を当てて教官を見送った。
*
午前中の鍛錬が終わり、現在は昼休憩。ノイアとシェルは大聖堂の隣にある店に足を運んでいる所だ。木で出来たドアを開けて店内に足を踏み入れる。
店内は照明が落とされ薄暗い。カウンター席もあり雰囲気は酒場である。
「お好きな所をどうぞ」
店員がにこやかに微笑んだ。二人はカウンター席ではなくて二人用のテーブルに腰をかける。
「面白いね」
シェルが天井を指差す。視線を上に向けると輝石が神力を注がれて光っている。その輝石を囲んでいるのはガラスではなくて、焦げ茶色をしたバケツ。
「雰囲気はあるわね」
ノイアがつぶやく。なんだか酒場っぽいけれど、と心の中で付け加えはしたが。メニューを覗くとパスタやらピザが並んでいた。飲み物を見るとやはりお酒もあった。
「私はこれがいい」
シェルが指差したのはシーフードドリアだった。
「うん。分かった」
ノイアが手を上げる。店員が来たのを見て口を開く。
「このドリアを二つ」
ノイアが笑顔で注文。店員はメモを書いて戻っていく。
「お揃いだね」
シェルが笑顔を向ける。ノイアはシェルに微笑む。
「今日はどうしたの?」
シェルが首を傾げる。いつもは宿舎に戻るか、適当にパンとサラダを食べて終わりである。今日はいつもと比べればリッチだ。
「うん……護衛の騎士の事でね。相談があって……」
ノイアは珍しく歯切れが悪い。
「護衛? ノイアと一緒に鍛錬してる人は駄目なの?」
シェルが再度、首を傾げる。どうやらその人物が護衛に就くと思っていたらしい。
「いいの? 女性騎士の方がいいかと思うんだけど」
ノイアがシェルに確認。
「ノイアが信じた人なら……いいよ」
シェルが微笑む。ここまで信頼してくれる。ノイアは心が温まる気がする。
「なら……声をかけてみる。無理なら司祭かフィンネ教官が選んだ人にするよ」
「うん。それでいいよ。いつもありがとう……ノイア」
ノイアの提案に頷くシェル。二人は迷いが晴れて美味しくランチをいただいた。
*
正午を過ぎた頃。騎士団長の部屋の前に立っているのはブレイズ・マチェスだ。戸惑う事無くドアをノックする。
「入れ」
声を聞いてブレイズはドアを開ける。
部屋に入ってまず目を引くのは巨大な机。そして、その机に置いてある書類にサインをしている大柄で筋肉質な男。ブレイズと同じ銀髪をオールバックにし、無造作に伸ばした髭が印象的な人物。騎士団団長のアルフレッドである。
「お呼びでしょうか?」
ブレイズが声をかける。
「ああ。大聖堂で指導者をしているフィンネから報告があってな」
アルフレッドはまず言葉をかける。ブレイズは意味が分からないので首を傾げる。
「光の壁の強化ためにシスター見習い三名が首都を出るらしい。その護衛にブレイズが選ばれる可能性がある」
アルフレッドはそう告げた。
(……どこの物好きだ)
ブレイズは心の中でつぶやく。腕だけで選んだのだろうか。
「おそらく指名する者は君が知っている人物だ」
アルフレッドが続ける。
「知っている?」
ブレイズは首を傾げた。シスター見習いで知っている人間などいただろうか。そこまで考えた時に一人思い出した。
「分かったようだな」
アルフレッドが表情を変えずにつぶやいた。
「了解しました」
それだけを言ってブレイズは背を向けた。務めであるならば、ただこなすのみ。それがこの国を守る事に繋がるのであれば。
「任せる」
アルフレッドはブレイズの背につぶやいてから書類に目を落とした。
*
午後の鍛錬は癒しの術式を使用するものだ。シスターが主に使う術式は障壁を張るか、傷を癒す事だ。そして、この国においては首都を囲う光の壁を維持する事に一生を捧げる者。
ノイアは瞳を閉じて祈りを捧げる。ノイアの地面に光で作られた円が形成。その円には読む事ができない言語が書き込まれており、魔方陣にも見える。
「上手く維持して下さい」
指導役である修道着姿の20代後半の女性がつぶやく。
ノイアは集中する。障壁よりもこちらの方が苦手なのだ。冷汗がノイアの頬に伝う。
「い……痛い!」
ノイアが叫ぶ。刹那、癒しの術式が暴走。閃光が溢れる。
「ちょっと……ノイアさん……またですか!」
指導役が声を荒げる。
そうまたなのだ。ノイアはよく癒しの術式を暴走させる。癒す所か、強すぎる力が暴発して痛みすら伴う本末転倒の術式になってしまう。
「ごめんなさい……」
ノイアは肩を落とした。もう少し簡単な術式なら難なく使用できるのだが。
「簡単な術式だけにしなさい!」
指導役にすら見放されたノイアは、朝に使用した神力があれば誰でも使用できる術式を使う。他の者が使用すれば掠り傷を直す程度だが、ノイアが使えば瀕死の重傷でも塞げる。規格外の神力の強さをしているノイアはこれだけでいいのではないかと思っている。暴発させて味方が傷つくくらいならば。
チラリと隣を見ると光の円に照らされているシェルがいた。シェルは癒しの術式が得意なのだ。この歳で何時間でも維持できる。だが障壁はたまに力加減を間違えて失敗する事もあるのだが。
「シェルちゃんはすごいわね」
指導役は大満足である。
「えへへ……これは得意だよー」
シェルは微笑む。もし護衛が怪我をしたらシェルに任せようと思うノイアだった。
かれこれ四時間が経過。そんな時に声が聞こえた。
「これで終了です」
指導役の鍛錬の終わりを告げる声だ。皆は一日の鍛錬を終えて疲れ果てていた。力が抜けて膝をついている者もちらほらといる。
「晩御飯作っておくね」
シェルがノイアに笑顔を向ける。
「うん……お願い」
ノイアがつぶやく。これから夜の鍛錬をするのだ。
「まだ……やるのですか?」
ハーミルが声をかける。ノイアの鍛錬時間は異常だ。
「うん……私は人よりも頑張らないと」
ノイアはつぶやいてハーミルの隣を横切る。だがハーミルがノイアの腕を掴んだ。
「……ハーミル?」
ノイアは首を傾げる。
「あなたは頑張りすぎです」
ハーミルは前を見たままつぶやく。周りが注目する。皆も同じ意見らしい。一日鍛錬をするだけでも辛い。だが、ノイアは朝も夕方も鍛錬を続けている。神力の絶対量を上げるために。
「……それでもやらないと……」
ノイアは笑う。
「何のために?」
ハーミルはノイアを見つめた。
「え?」
ノイアはハーミルの瞳を見て目を見開いた。ハーミルの瞳は迷い揺らいでいたのだ。
「教えて……」
ハーミルは再度、言葉をかける。ノイアは真摯な瞳を受け止めてから口を開く。
「……この国を守りたい……それに……シェルも」
ノイアはシェルに向けて微笑む。それが本音だった。
「あなたと言う人は……」
ハーミルは微笑んで手を離した。ノイアは一度微笑んで背を向けた。
「なぜ……あのような真っ直ぐな方に力を与えないのですか」
ハーミルは顔を落としてつぶやいた。
*
ノイアはいつもの場所に足を向ける。鍛錬のためとブレイズにお願いするためだ。
獣道を進むと素振りの音が聞こえた。もう鍛錬をしているらしい。ハーミルは先ほどノイアを止めたが、このブレイズという少年の方が鍛錬中毒だと思う。
「あの……」
獣道を抜けた瞬間に声をかける。
「…………」
ブレイズは一度視線を向けたが、再び素振りを開始。
「えっと……話があるんです」
ノイアが言葉を選ぶ。今さらになって、もう少しコミュニケーションをとっておくべきだったと思う。
「…………」
ブレイズは手を止める事はない。
「えっと……」
ノイアは戸惑う。どう話せばいいか分からない。ブレイズは一度溜息をついた。
「……聞いている」
ぼそりとつぶやいて素振りを続ける。
「……神聖なる神よ。我に守りの力を!」
言葉と共に障壁を展開。ブレイズは驚きで目を見開く。障壁とぶつかった剣が弾き飛ばされる。かろうじて剣が腕から抜けるのを防いだ。
「……何をする」
ブレイズがノイアを軽く睨む。
「話くらいはこちらを見て聞いてよ!」
腰に手を当ててブレイズを指差す。ブレイズは再度、目を見開いてノイアを見た。
「……悪かった」
ブレイズは勢いに負けて、なぜか謝罪の言葉を述べていた。謝罪の言葉を聞いた瞬間にノイアの思考は急激に冷める。そして、次の瞬間には焦りだした。護衛を頼みに来たのに、何をやっているのだろう。
「ごめんなさい……えっと、お願いがあるんです」
平静を取り戻したノイアが何とかつぶやく。微笑む事に成功した。ブレイズは気にした様子もないのだが。
「……護衛の件か? なぜ俺なんだ?」
ブレイズがノイアを見つめる。こちらの瞳を真っ直ぐに見つめてくる。決して逸らさない。
「ずっとここで鍛錬をしているのを知っているから……あなたなら信じられる」
ノイアは思いついた言葉を伝える。
「……まあそうだろうな。俺もお前でなければ断っていた」
ブレイズは瞳を閉じた。
「それなら……!」
ノイアが一歩歩む。
「お前は……何のためにシスターになる?」
ブレイズは問いと共に剣をノイアの首に当てる。少し前にハーミルにも問われた。もう迷いはない。
「私は……ただ守りたい。この国を……シェルを!」
ノイアは力を込めてつぶやいた。
「ふっ……そうか」
ブレイズは剣を降ろした。
「笑うことではないでしょう!」
ノイアは拳を握って抗議。
「すまない……俺も一緒なんだ。守りたいんだよ……この国をな」
ブレイズが微笑む。
「同じ……?」
ノイアはつぶやく。同じ理由で、同じ場所で鍛錬を続けていた二人。
「ああ。同じだ……。いいだろう、俺は力を貸す」
ブレイズが左腕を掲げる。
「よろしく……ノイアよ」
ノイアも倣って腕を上げる。二人は腕が一瞬だけ触れる。
「ブレイズだ」
二人は頷き合った。
*
夜の鍛錬を終えてノイアは宿舎に戻った。
テーブルに並べられているのは小皿に載ったハンバーグ、サラダ、そしてパンだった。それを作った人物はベッドの中で丸くなっていた。待ちきれなくて寝てしまったらしい。
「シェル……帰ったよ。お風呂入ったの?」
ノイアがシェルに問う。
「うーー」
シェルが起き上がる。普段は愛らしい少女なのに、今は寝癖がついて残念な少女になっている。やはり笑ってしまう。
「ノイアが食べたら一緒に入るー」
シェルがトロンとした瞳を向けて微笑む。
「本当に世話が焼けるんだから」
ノイアが微笑む。世話が焼けるがやはり可愛い。だから許してしまう。
「たくさん食べてね」
シェルが微笑んで視線を向ける。ノイアは言われるままハンバーグを一口サイズにして口に運ぶ。すでに冷めていた。でも、温かかった。
「美味しいよ」
ノイアが微笑む。
「うん!」
シェルも微笑む。ノイアが食べ終わるまでシェルはずっと見つめていた。
*
とある酒場のカウンターに、長身に似合った黒いロングコートを着た青年が腰掛けている。
「マスター、お酒」
気楽そうな微笑を浮かべて手をヒラヒラと振り、髪と同じ茶色の瞳を向ける。
「今日はよく飲むな。金でも入ったか?」
50代後半のマスターがワインのボトルを青年の前に置いた。
「まあ、これから……ね」
ワインをグラスに注ぎながら一言。
「ほどほどにしろよ……傭兵稼業なんてそう長く続かないぞ」
マスターが溜息をつく。
「あいよ」
青年が再度手をヒラヒラと振った。そんな時に後ろのドアが開いた。青年がゆっくりと視線を向ける。
茶色のローブを纏った男が青年の隣に座る。丸テーブルで酒を飲みながら下品に笑う男達は視界に入れてすらいなかった。青年は視線を向けるが、フードをしているために顔はよく見えない。傭兵に仕事を頼む人間にはこういう素性が分からない人間が多い。
「あんたが……お客?」
青年は空になったグラスを置いてから問う。フードを被った男が頷いた。
「こいつを消してほしい」
一枚の人相書きを青年に渡す。人相書きに描かれているのは、まだ幼さが残る愛らしい黒髪の少女だった。
「おいおいガキかよ」
青年は頭を掻いた。
「……まだ12歳だが強い神力の持ち主だ」
フードの男がつぶやく。
「ふーん。あんたは連合の方か」
青年は人相書きを見つめる。それから視線を向ける。
「いくらだ?」
青年は問うた。フードの男が袋を取り出す。中身は見えないが全部金貨なら10年は遊んで暮らせるだろう。
「おいおい。そんなに払うのかよ」
聞いておいてなんだが子供一人を消すのにその額は有り得ないと思った。
「受けるのか?」
フードの男が問う。
「ほい」
青年が手を差し出す。
「成功報酬だ」
フードの男は首を振る。よくあるパターンだ。失敗したら終わり。成功して受け取りに来たら消す。最悪の依頼である。青年は溜息をついて席を立つ。
「悪いマスター……今日は払えない」
青年がにこやかにマスターに述べる。
「おい……」
マスターが低い事を出した。
「こいつに言ってくれ」
青年がフードの男を指差す。マスターがフードの男を睨む。
「おい……10年は遊んで暮らせる金だぞ!」
フードの男が立ち上がる。青年は無視して背を向けて去っていく。
「待て!」
再度、青年の背に向けて叫ぶ。
「なら聞くけど……10年遊べる金か命……どちらを選ぶ?」
青年が振り向いて問う。フードの男が顔を落とした。ほとんどの者は命を選択するだろう。
「次からは前金くらい払うんだな」
青年が手を振った。
「半分出す!」
フードの男が袋を青年の背に向ける。
「まだまだ青いねぇ……。ま、こちらとしてはありがたいけどな」
青年が袋を受け取る。金貨を一枚マスターに向けて投げる。
「助かるよ」
マスターはそれだけを言って後は無視をした。関わりたくもないという顔をしている。青年は袋から金貨を半分出して、袋を返す。
「では……頼む」
フードの男は長居をするつもりはないのかすぐに去って行った。完全に消えてから青年は口を開く。
「さーて、どうしようかねぇ」
軽い口調でつぶやいて酒場を後にした。
*
明日の準備のために鍛錬を午前中で切り上げた二人は、準備をしていた。
「シェル……必要最低限だよ」
ノイアがシェルに言葉をかける。
「うー、でも」
シェルは迷っていた。シェルの荷物袋はどんどん膨らんでいる。もはや入らない。
「分かった……私がやる……」
ノイアが溜息をつく。自らの荷物はだいたい出来ている。後はシェルと自分の荷物を見比べて被っている物と、不要な物を出していけばいい。
「あうーそれは」
シェルが荷物袋から取り出された枕を悲しそうな目で見つめる。
「いらない」
ノイアは心を鬼にしてベッドに向けて放り投げる。枕が違うと眠れないのは知っている。だが旅には不要だ。
「うー、今日のノイアは冷たい」
次々取り出されていく荷物をシェルは悲しげに見つめるのだった。
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