第6話:新聞、契約してくれ!
『それで実際、どうなさるおつもりですか?』
脳内に響くミネルヴァの至極真っ当なツッコミ。
当然のその問いに、僕は即答できなかった。
なぜなら、大して考えていなかったからだ。
……ただ、なんとかなると漠然と思っていた。
「こ、これから見つける……きっとなんとかなってくれないかなぁ、なんて」
『小僧……実家を離れ、寂しいのはわかるが、さすがに希望的観測に縋りつきすぎだのう……』
「う~、その通りすぎて言い返せない……でも、根拠がまったくゼロってわけではないんだよ」
上から見たし、確信もないけど、たしかに牧場の跡地っぽいものが、魔導バスに乗っていたときに見えた気がする。
ただ、正確な場所は把握していなかった。
でも、近くに牧場はありそうなことはわかる。
どうしたものかと頭を抱えそうになったそのとき、幸か不幸か、静寂を破るように、やけにリズミカルなノックの音が転がり落ちてきた。
コンコン、コンコンコン!
「ホノジ~~~、おっはよう~~。いるかぁ~~?」
ドア越しでもわかる、気の抜けたような、それでいて妙に調子に乗ったような声色。間違いなく、橘橙馬だ。
僕はため息交じりにドアを開けた。
玄関の向こう、朝の光の中に橙馬が立っている。
「……おはよう。ウザいヤツだとは思ったけど、まさか早朝に突撃するほど、馴れ馴れしいバカだとは思わなかったよ」
「うぐっ! 朝から目が覚めるような先制攻撃、鮮やかだぜ」
橙馬は大げさに胸を押さえてのけぞってみせた。
整った顔立ちをしているくせに、表情筋がうるさい男だ。
「ホメられてもなんも出ないよ。朝食一人分しか作ってないんだ。豪勢に振る舞えなさそうだし、とっとと帰って」
「いや、さすがの俺っちも用無しでこの時間には来ないよ!? しかも朝食二人分あるなら、歓迎してくれるんだ!? 意外なホスピタリティ!」
「ああ、さすがの橘君も、そこまでふてぶてしくないか。ていうかなんでうちの場所わかったの? 気持ち悪いんだけど」
「学園に聞いたら普通に教えてくれたぜ」
(ふ、普通に教えるって、何!? プライバシーって概念ないのっ!?)
待てよ。
……よく考えたら学園長が遅刻する場所だ。
常識を求める方がおかしいのかもしれない。
うん、最悪だ。
「ホノジィ?」
「ああ、ごめん、ちょっと考え事してた……で、用はなに? 朝からうるさそうだし、とっとと帰ってくれるとうれしいんだけど」
「俺っちに対する痛々しいトゲが、何のオブラートにも包まれてない、そのあまりの素直さが眩しいぜ。親の教育どうなってんだ?」
「その言い方だと、デリカシーないのは橘くんも一緒だと思うけど。これは親の教育ってより……」
『ご主人様、何故こちらに気を向けるんですか。ベーコンみたいに燻製にして吊るされたいので?』
脳内から、絶対零度の冷気が漂ってきた。
(うお! こわ。僕の口の悪い部分の源泉が垣間見えた気がするよ……!)
「ホノジ? どうしたんだ? いきなり黙って。もしかして親……関係か? ……あちゃあ、さすがにデリカシーが過ぎたか。そりゃあ誰しも当然のようにいるわけじゃないよな、すまん」
僕が黙り込んだのを勘違いしたのか、橙馬がバツが悪そうに頭をかいた。
意外と根はいい奴なのかもしれない。
「いやいや、違う違う。なんでもないよ。両親ともども生きてるって。ところで橘くん、用って何?」
「ホノジ~、俺っちのことは親しみ込めて橙馬って呼んでくれよ~。用ってのは、これのことだ」
そう言って橙馬が突き出したのは、丸められた紙の束だった。
「はいはい、橙馬ね。おけおけ。んで、なにこれ?」
「何って。新聞だぜ。見たことないのかよ~?」
「新聞……これ、が? は?」
受け取った瞬間、違和感があった。
インクの匂いがしない。それに、紙質がやけにツルツルしている。
広げてみて、僕は目を疑った。
「そうだぜ。なんかおかしいか?」
「いやいや、普通新聞ってモノクロでしょ。なのにフルカラー!? しかも動いてるし……なんか、匂いしない!?」
開いた瞬間、情報の濁流が顔面に吹き付けた。
「おはようございます!」と叫ぶアナウンサーの声。
天気予報のコーナーから吹き出す湿った霧雨。
そして何より——料理コーナーの「暴力的な飯テロ」。
ジュウジュウと爆ぜるステーキの脂の音。
ガーリックと焦げた醤油の香りが、インクの匂いを押しのけて、鼻の穴を強引にこじ開けてくる。
「うわっ、くさっ! いや、いい匂いだけど、今はくさい! てかムカつく!」
視覚、聴覚、嗅覚。
そのすべてに土足で踏み込んでくる、魔法映像技術の過剰サービス。
三半規管が弱い田舎者なら、これだけで酔って吐けるレベルだ。
「おう、普通新聞って動くし匂いも出るだろ? 何言ってんだ?」
「え、違うよ……違う違う違うっ! 都会の普通を押し付けないでよっ! こわっ! 新聞ってのは普通、インク臭くて文字が小さくて読みづらいものなの!!」
そう言って、新聞をパンッと閉じた。鼓膜が痛い。
「あちゃあ……俺っちてば、またデリカシーナッシングなこと言っちゃいました?」
「これはデリカシーというか、はたまた格差というか、貧乏人の遠吠えというか……ハァ……。いいよいいよ。で、これが何なの?」
「新聞。契約してくれ!」
「え、くれるとかじゃないの……?」
「なんでホノジは、もらうことに関してそんなに積極的なんだ?」
『フン。貧乏人がゆえの乞食癖があるからではないか』
(ヴぁ、ヴァンデル! 反論できないのが申し訳ないんだけど、もう少し別の言い方してくれると助かるよ……それに村では分け合いっこが普通だったし……)
「いやあ、でも新聞とかあんまり興味ないな……。ん~、乳製品やホルスタイン特集とかやったりする?」
「なんでそんな牛臭そうな内容に偏るんだ……」
「じゃあ料理特集とか、料理に関するニュースはあったりする?」
「今度は料理のほうに集中砲火!? お婆ちゃんみたいな裁縫するやつかと思ったら、今度はお母ちゃんみたいな趣味だな!? でも、まあ、毎日のレシピぐらいなら載ってんぜ」
「ま、毎日のレシピか……う~~ん、それなら、アリなのか……な?」
僕が悩んでいると、橙馬がニヤッとした。
「ほほう、意外に揺れてる? 仕方ないな~。ホノジのために、お試しでそれあげちゃうっ!」
「え、いいの、これ!? マジで? 契約とかしてないのに……」
「いいよいいよ! ぶっちゃけ最初から、お試しであげようと思ってたから」
「そんなこと勝手にしていいの? 契約するってことは、これバイトかなんかでやってんでしょ?」
「おう、そうだな。契約か部数の販売してるんだが、その分の新聞は俺っちの給料から天引きするから、気にすんな」
「え、え? そんなの悪いよ。普通に払うし、いくら?」
「いや、いいって。ホノジ、こっちに慣れてなさそうな様子だし、田舎の出身だろ。新聞読んでさ、少しでもいいから、ここらへんのこと知っとけよ。それ、いちおう地方新聞だから」
「うわあ……。橙馬っていいヤツだったんだ……」
「おう? その言い方で俺っちの第一印象が良くなかったことだけはわかったぜ!」
「……ちなみに契約するといくらになるの?」
「え、ホノジ、いいのか? 無理するなよ? 俺っちは別に、新聞渡せたらそれだけで満足なんだぜ?」
「……いいから、いくら? レシピが気になるんだ」
『……まったく。素直じゃないのう』
ガンテツの呆れた声を無視して、僕は財布を取り出した。
「週刊で、月に50ソル。先に二か月分だから、100ソルもらうことになってるけど……」
「ちょっと待ってて」
僕は小銭入れから100ソルぶんの価値を持つ銀貨を一枚取り出し、橙馬の手に握らせた。
「はい、銀貨一枚。これで契約できる?」
「ホントにいいのか? 無理すんなよ? 銀貨一枚あれば、メシ十食ぐらいは余裕で食えるのに……」
「……いいから。営業に来たんだからシャキッとしなよ。なんで橙馬の方が、引き気味になってるのさ?」
「……おう。それもそうだな。じゃあ、ここにサインしてくれ」
橙馬が差し出した端末に指でサインをする。
新聞が一度だけ淡く光り、魔力認証が通った。
「オーケー。契約完了。じゃあ、次会えるの、授業がある来週か?」
「いいや、来週はたぶん会えない。闇属性の検査があるとかで、おそらく僕が授業に参加できるのは再来週ぐらいになっちゃいそう」
「おー、そうか。そいつは大変だな。しばらく会えないのは寂しいけど、ま、なんかあったら連絡してくれよ。また一週間後ぐらいの朝には新聞渡しにくるから、そんときにな。いなければポストに突っ込んでおくぜ。じゃ、これ俺っちの番号」
そう言って橙馬が見せてきたのは、薄いガラス板のような、スマートな魔導具だった。画面に数字が並んでいる。
「なにこれ……?」
「……え、ホノジ、もしかしてお前……念波通話機、知らないのか?」
「え、なにそれ?」
「ぷっ……ぶほっ! ぎゃははははっ! ダメだダメだ! 面白すぎる! 新聞って聞いて真っ先に牛事情を知りたがるし、今どき念波通話機知らねえとか、どんだけの辺鄙な田舎に住んでたんだよ、マジウケる!!」
橙馬が腹を抱えて爆笑し始めた。バンバンと家の壁を叩く音がうるさい。
……それ、僕の家なんですけど。
(……やっぱりこいつキライかも……)
「橙馬、キライ」
口に出てた。
「え? すまんすまん! そんじゃホノジにはこっちだな」
橙馬は無骨な石ころ——念波石を放り投げてよこした。
「ああっ! これならわかるよ! 念波石じゃんっ!」
対になっている石同士で、声を飛ばす道具だ。
握ると掌の奥がじんと熱くなって、魔力がすっと抜ける。
その分だけ、向こうの石にだけ——届く。
懐かしの石の匂いと、安心するような既視感に思わず頬ですりすりした。
「おう? そんなに喜んでくれるのか?」
「こっち見んなっ!」
「理不尽っ!?」
「……でもまあ、ありがと」
「おうおう。まあ、さっき言った念波通話機っちゅーやつは、念波石の進化したバージョンよ。ま、俺っちとしか連絡できねえけど、今はそれで充分っしょ。困ったときは遠慮なく連絡してくれ」
「うん。親切にしてくれるの普通に助かる」
「いいってもんよ。旅は道連れってな」
「旅? いや、さすがに調子乗ってない? 旅は今の関係値じゃまだ、さすがに厳しいよ? いったん距離とって」
「ぎゃはは! ちげえって! 学業っていう荒波をともに航海する仲間だろ、ってことだって!」
橙馬がニカッと歯を見せて笑う。
朝の光よりも眩しい陽キャオーラだ。
「うわあ、そのナリでロマンチストなんだ……なんか、引く……」
「うん? 俺っちもなかなかだけど、デリカシーのなさではホノジも負けてないからな? でも、ま、よしとするぜ! またな、ホノジ! いい休日を!」
橙馬は嵐のように去っていった。
家の前の通り道に、静けさが戻る。朝の冷たい空気だけが、やけに澄んでいる。
手元には、契約したばかりの「動く新聞」と、古臭い「念波石」だけが残された。
新聞の端が、心臓みたいにかすかに脈を打っている。
……開けば、また都会の情報量が襲ってくるんだろう。
そう思ったところで、脳内から涼やかな声が落ちてきた。
『ご主人様、さすがですわね。地方新聞には、土地の空き情報がよく載っています。契約することで、牧場跡地の情報を探る——そういう算段なのですね?』
「……うん!」
反射で頷いた。
今の僕に必要なのは、頷きの速度だ。
思考じゃない。
「そ、そうそう! それそれ! まさにその算段! 土地情報の空き? それそれそれそれ!」
『……わかっていなかったのですね。愚かですわ……』
(ぐっ……!)
刺さる。
でも——言い返せない。
僕は新聞を開かないまま、胸に抱え直した。
そして、鼻で笑う。
「ほら。なんだかんだ、なんとかなるって言ったでしょ!?」
ミネルヴァの溜息が聞こえた気がしたけど、無視した。
「僕ってば、ラッキーボーイじゃん」
そう呟いて、僕は玄関の鍵をかけ直した。
この紙の中身が何であれ——今日の僕は、前に進む。




