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蹄煮込み、経験を喰らう——牛好きの少年は魔獣を捌いて強くなる  作者: メイ


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第5話:清潔すぎる朝と、心の牧場

「んにゃ……だめぇ……。オセロ、舌がザラザラするってば……」


 ――夢の中の僕は、愛牛オセロの熱烈なモーニングコールに追い詰められていた。


 顔全体を(おお)う、生温かくてヤスリみたいな舌の感触。

 息をするたび、干し草とミルクが混ざった匂いが鼻腔をくすぐる。

 至福だ。だが、痛い。


 抵抗しようと身をよじった、その瞬間。


「――いっっっだ!!」


 現実の痛みが脳天を突き抜けた。


 ベッドの柵に思い切り肘をぶつけたらしい。骨に響く鈍い痺れが、まどろみを強制的に引き剥がす。


「う……ここ……どこ?」


 目を開けると、そこには知らない天井があった。


 塗装の継ぎ目が定規で引いたように真っ直ぐで、塵ひとつなく白い。

 見慣れた実家の梁でも、薄暗い牛舎の屋根でもない。


 起き上がって、深く息を吸い込む。


 ――匂いが、しない。


 いつもなら肺を満たす獣の体臭も、堆肥(たいひ)の湿った匂いもない。


 耳を澄ます。


 ――音も、ない。


 腹に響くような低い鳴き声も、(ひづめ)が土を叩く音も。


 ……ああ、そうか。なんてことだ。

 ここは、本当に清潔すぎる。


『おはようございます、ご主人様』


 頭の中に響いたのは、この部屋と同じくらい無機質で、やけに澄んだ声。


 眠気をメスで切り裂くような、氷細工の響き。

 数字と時間にうるさいエルフのメイド――ミネルヴァだ。


 彼女は自分のことを「第五世代」だと自称する。


 「世代」というのは、要するに――何回目の転生の時代の人か、ということらしい。

 第一世代が一回目。第二世代が二回目。

 そして第五世代は、五回目の転生の時代の人だ。


 ただ、死んだらすぐ転生するとは限らない。

 だから「第五世代」なんて、それだけで気の遠くなるような昔――博物館の石板に刻まれていてもおかしくないくらい昔かもしれない。


 そんな「歴史上の遺物」みたいな連中が、僕の脳内には住み着いている。


 物心ついたときには、すでにそこにいた。

 朝起きれば挨拶をし、トイレにいても話しかけてくる。


 プライバシーという概念を、僕は実感として持ったことがない。


 彼らは自分たちを「かつて世界を救った英雄」だと言うけれど、正直なところ胡散臭い。


 ……まあ。「すごい能力(チート)」を持った、やっかいな同居人であることは認めるけれど。


 ここまで考えて、毎度ながらいくつかの疑問が浮かぶ。


 まず、脳内にいるのは何度数えても六人。

 減ることはない。


 第一世代の一流の職人、ガンテツ。

 第二世代の暴走する剣鬼、オーガ。

 第三世代の傲慢な魔術師、ヴァンデル。

 第四世代の陽気なシノビ、ジュリア。

 第五世代の数字にうるさいエルフメイド、ミネルヴァ。

 そして第六世代の、未だに何を考えているのかよくわからない気色わるい錬金術師、レクター……。


 全員まとめて、だいぶうるさい。


 そもそもほんとうに、いろいろとおかしい。

 前世ってことは、僕が最新の生まれ代わりってことだ。


 なのにみんな英雄だし、前世っていうのに、なんで僕の中にいるの?

 前世の記憶はもちろんないし、前世だとしたら、魂がいくつもあるってこと?

 そもそも第一世代の前は存在しないの?

 というか、生まれ変わりって性格めちゃくちゃ変わるんだ……。

 しかも僕の頭の中にいる理由、誰も教えてくれないし!


 そしてそこまで考えて、最後に帰結する先はいつもこうだ。


(めんどくさいから、考えるのやめよ)


 それよりも大事なのは、僕の酪農ライフ。

 それだけは間違いがない。


「……あれ、オセロは?」


『小僧、寝起きでボケとんのか』


 年季の入った声で割り込んできたのは、頑固で職人気質なドワーフのおじいちゃん――第一世代のガンテツだ。


『ここは小僧の新居だぞい。オセロなら、いまごろ遥か向こうのダリアさんとこで乳を絞られとるじゃろうな』


 その言葉で、じわじわと実感が戻ってくる。

 なんで遥か向こうって枕詞つけたの? 泣かす気? 

 あれ、頬が濡れてる気がする。


 この状況を振り返り、ハッとする。


 ああ、そうか。昨日、入学したんだ。

 人生をほのぼの生き抜くために。

 私立セントルファー魔法学園へ。


 昨日の適性テスト。

 闇属性の烙印。鏡の中の“アレ”。


 記憶が繋がるたび、胸の奥がきゅっと縮む。

 考え始めると、喉の奥が苦い汁で満たされるような感覚。


 ――夢からは覚めた。

 でも、悪い予感だけは、起きても消えてくれない。


 唯一の希望があるとすれば、今日は休日だってことだ。


 入学翌日から四日間は、環境に慣れるための調整休日。

 明後日からは「闇属性」のせいで検査漬けになるらしいから、この四日間だけが最後の聖域サンクチュアリだ。


 その休日を快調に過ごすためにも、いつものルーティンをこなして心を整えたいところだが、それも今は叶わない。


 四日で足りるだろうか。


(にしても……いつもしてることをしないのって、なんかムズムズするなあ)


『ソワソワしてますわね、ご主人様。思春期特有の疼きですか? けがらわしい』


「これのどこ見て、そう思うのさ! 普通にさみしいのと、なんだか指先が落ち着かないんだよ」


『アハハ! ホノちゃん、この時間になったらまずは家畜ちゃんたちの様子見に行ってたもんねえ』


 そう言ったのは、テンションが羽のように軽いシノビのお姉さん――第四世代のジュリアだ。

 声だけで、肩をぽんぽん叩かれてる気分になる。


『小僧にとっては死活問題じゃな。三度の飯より牛の世話。生粋の“酪農バカ”からしたら、檻に閉じ込められたも同然じゃろうに』


「いやだいやだ! 乳絞りたいっ! あの弾力と温もりが恋しいっ!」


『ダダのこね方も酪農バカを極めてますわね』


「辛辣っ!」


 僕はベッドから降りて、窓を少しだけ開けた。


 朝のひんやりした空気が流れ込んでくる。肺の奥まで冷える感覚が、頭を少しだけスッキリさせる。


 鳥の声。

 遠くの誰かの足音。

 ……牛の声は、当然ない。


 でも、落ち込んでる場合じゃない。

 このまま部屋で干からびていたら、今日という貴重な休日が“心のカルシウム不足”で終わってしまう。


(せめて今日だけでも、僕のペースを取り戻さないと……)


「ねえミネルヴァ。たしか僕の全財産って、金貨四枚はあるよね?」


『違います。四ソル金貨と、二ソル大銀貨、二ソル大銅貨、四ソル銅貨です』


「相変わらずこまかい……」


『ではご主人様。ミルクの賞味期限を定める時、「一日ぐらい雑にズレてもいいや」とお思いですか?』


「……あー、よくないね。それは大罪だ。一本とられたよミネルヴァ。僕が悪かった」


『猛省なさい。……それで、汗水小便垂らして貯めた貯金を、どうなさるおつもりですか?』


「汗水はまだしも、小便まで垂らしたことはないよっ!」


『十四歳にもなって、お漏らししてた口がよく言えますね? いえ、この場合、口というより、漏れたのは蛇口ですが』


「あれはもう二年も前のことだから、勘弁してよ……あと蛇口って言い方、やめなさい」


『アハハ! ホノちゃん、二年前って、言ってるけど、半年前に一度やらかしたの知ってるよ? 蛇口ゆるすぎない?」


 ジュリアの笑い声が妙に刺さる。反論できない。

 あと、蛇口って言い方やめなさい。


『小市民、オイ。いつまで茶番で戯れてるつもりだ。そろそろ食事を我のためにも用意しろ。小市民』


 と思ったら、今度は底冷えするような傲慢な声が割って入ってきた。

 偉大な魔術王、ヴァンデル様だ。さまさまだ。


「ヴァンデルはなんで、素直にお腹がすいたって言えないの……? あと、『小市民』って単語で、はじまりとおわりをサンドウィッチするのやめてもらえる?」


『お腹が空いたと言っていない……? 莫迦(ばか)な、何を言っている? (ハナ)からそう言ってるではないか。読解力とやらを、いつ落としてきたのだ?』


 どうやら傲慢すぎる貴族のデフォルト設定では、小市民とは格も意味も違うらしい。

 生まれ変わっても貴族にはなりたくない。

 呆れを通り越して、普通に大嫌いになりそう。


 でもまあ、ヴァンデルの言うことにも一理ある。

 お腹がすいてることに間違いはない。


 とりあえず、朝飯にしよう。

 こういうときこそ、ちゃんと食べないといけない。


 腹が減っては(いくさ)はできぬと言うし。

 いくさ、全然したくないけど。


 僕は部屋の隅の簡易台所に立つと、ポケットから小さな瓶を取り出す。

 指先に魔力を集め、その小さな瓶に流し込んだ。


「《食糧保存パントリー》」


 食べ物の傷みを抑えたまま百分の一のサイズで仕舞っておける、僕の保存庫だ。


 小さな瓶から淡い揺らぎが空間に走って、牛乳瓶や包みがことりことりと手の中へ落ちてきた。


 実家で詰めてきた、濃厚な自家製特製ミルク。

 発酵の香りが生きている自家製バター。

 下ごしらえ済みの野菜と、少し手を入れればすぐ仕上がる具材たち。


 ……うん。

 これだけで、胸の奥のスカスカした感じが少しだけマシになる。


『まあ。部屋に牛を連れ込めない代わりに、牛の恵みを亜空間から召喚ですか。執着が粘り気あって気色悪いですわね』


 脳内でミネルヴァが顔をひきつらせながら、メガネをクイっとするのが見える。


「言い方ぁ! でも、否定できないのが何とも言えないよ……」


 まず鍋を火にかける。


 じんわり温まってきたところで、底へ薄く魔力を流し込んだ。


「《油引き(オイリング)》」


 鍋肌やフライパンをなめらかに整えて、火の通りを気持ちよくしてくれる魔法だ。


 鍋肌に、するりと透明な膜が広がる。

 表面がつやりと整って、熱の回り方まで少し素直になった気がした。


 そこへ刻んだ具材を入れると、じゅぅっ、とやさしい音が鳴る。


 続けて、白いミルクをとぷりと注ぐ。

 乳脂肪の甘く濃い香りが、細い湯気になって立ちのぼった。


「《熟成軟化エイジング》」


 数時間かけて熟成するはずの時間を、ぎゅっと縮める魔法だ。


 まだ煮込み始めたばかりなのに、具材の芯からするっと力が抜けていく。

 じゃがいもは、形を残したまま、舌の上でほぐれそうなくらいに。

 にんじんは角を残したまま、じんわりやわらかく。

 鶏肉は、弾力を保ちつつも繊維がほろりとほどける寸前で止まる。


 白いシチューが、ゆっくりと艶を帯びていった。


『相変わらず、料理のときだけ魔力制御が繊細ですわね』


「『ときだけ』って言い方が気になるけど、丁寧に調理することは基本だよ。神は細部に宿るからねっ!」


『カッカッカ! 小僧、よくわかっとるのう!』


 ガンテツの機嫌のいい笑い声が、なんだか少し嬉しかった。

 

 そうだ。細部に神が宿る考え方は、ガンテツが教えてくれたもの。

 本当に役立つ、教訓のようなものだ。


 僕は機嫌を取り戻し、次にフライパンを温めた。


 また《油引き(オイリング)》を薄く引いて、溶いた卵を流し込む。

 弱火で大きく混ぜると、やわらかい黄色がふわっと寄り集まっていった。

 火を入れすぎないうちに止めれば、とろりと半熟のスクランブルエッグになる。


 パンも軽く焼く。


 きつね色に焼けたところへ自家製バターをのせると、じゅわっ、と淡い黄金がほどけて、焼き目の溝へしみ込んでいく。

 そこへ半熟のスクランブルエッグをたっぷりのせると、白い湯気の向こうで黄色がふるりと揺れた。

 小麦の香ばしさに、乳の甘いコクと卵のやさしい匂いが重なって、鼻の奥がふっとゆるむ。


 皿にサラダを盛る。


 白いシチューに、半熟卵をのせたバタートースト。

 みずみずしい葉野菜。

 それから、よく冷えた特製ミルク。


 ……完璧だ。

 少なくとも、朝飯としては。


『部屋で一人、朝食にここまで全力を出す酪農少年。絵面だけ見れば、だいぶ気持ちわ……怖いですわね』


「朝食に本気になれない人に、良い一日は作れないんだよ! てか今一瞬気持ち悪いって言おうとした!?」


 僕はまず、半熟のスクランブルエッグをのせたパンを持ち上げて、端からシチューに浸してかぶりついた。

 白い熱ととろみをまとったそれを噛んだ瞬間、


 ――うまっ。


 焼けた表面の香ばしさが、最初に来る。

 そのあとすぐに、バターのコクと卵のやさしい甘み、それからミルクのまろやかさがじんわり広がった。


 じゃがいもはほろりと崩れ、鶏肉はしっとりしている。


 とろりとした卵と白いシチューが、パンの上でひとつにまとまって、

 舌の上で朝の幸福がはしゃいでるみたいだ。


 サラダはしゃきっとしていて、

 最後に飲んだ特製ミルクが、喉の奥まで全部を丸く包み込んだ。


 ……ああ。

 だめだ、これ。


 落ち着く。

 すごく落ち着く。


 なのに――余計に足りない。


 僕は窓の外を見た。


 ここには、牛がいない。

 青臭い草の匂いもしない。

 朝の鳴き声も、蹄が土を叩く音もない。


 やっぱり、ない。


 胸の奥が、ちょっとだけ空腹みたいになる。


 この朝飯は、ちゃんと美味しい。

 でも、搾りたてのミルクを知ってる舌には、これでもまだ“本番前”だ。


 毎朝、あの体温ぬくもりから始まっていた僕の一日は、こんな静かな部屋だけじゃ完成しない。


 だから――僕は笑った。


 胸の奥に、ずっとあった起死回生のアイデアを言葉にする。


「ふふーん、牧場を買うよ。まずはそれからだね」


『……正気ですか、ご主人様。さすが酪農変態ですわね』


「へへへ。酪農変態とか、あんまり褒めないでよ、もうっ!」


『……皮肉が通じないとこちらにダメージが返ってくることを学びましたわ』


 ミネルヴァが呆れ果てたように息を吐いた。けど、僕はもう決めていた。


 酪農は、僕の“趣味”じゃない。

 ――生き方だ。


 朝日が差し込む部屋の一室で、僕は誰に聞かせるわけでもなく、己の哲学を再確認した。


『それで実際、どうなさるおつもりですか?』

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