第19話 空椒(ピーキーペーパー)と、夢への一歩
「ああ、はい。ぜひ」
取り分の話をしようと言われ、僕は快諾した。
断る理由はない。働いた分をもらうのは、労働者として当然の権利だ。
「鴨葱くん、まず肉は欲しいかい?」
「え? うん! めちゃくちゃ欲しいです!」
「そうか。なら肉はすべて鴨葱くんにやろう。代わりに俺は——」
ロイさんが、分別された魔煌玉と角、それから山積みの皮を指差した。
その順番は、魔煌玉より先に角だった。
ロイさんは角の根元を、確かめるみたいに指先で撫でた——ように見えた。
「この素材をもらう。全部まとめて俺が引き取って換金するよ。成体のハクゲツの素材は市場でも高く売れる。そもそも成体なんて、滅多に出会えるもんじゃないからな」
ロイさんはそう言って、角を軽く持ち上げた。
「角一本で金貨二枚。こっちの魔煌玉も、有色等級の中じゃ質がいい。一つで大銀貨五枚くらいにはなるだろう。皮も合わせれば——軽く二十金貨は超えるさ」
「に、二十金貨!?」
思わず声が裏返った。
僕の足りない分は二金貨だ。
不足分の十倍じゃないか。
「鴨葱くんの働きへの報酬に、深夜手当の残業代も上乗せしとくぞ。まず半分に分ければ、一人あたりの取り分は十金貨だが……六金貨分は農場跡地として渡す、でいいかな。残りの四金貨分が、その山盛りの肉ってことで」
つまり僕は、農場跡地六金貨ぶんと、肉四金貨ぶんを受け取るってことだ。
しかも、よく考えれば農場跡地そのものを二金貨ぶん、ご厚意で割り引いてもらっている。
「本当はもっとたっぷり渡したいんだが、壊れた家や柵の修理に八金貨弱くらいは持ってかれそうでね」
「充分すぎる報酬です! 家や柵の修理代をまず優先してください。むしろ、僕がそんなに貰ってもいいんですかね?」
「……昨晩、あんたが戦ってくれなかったら、俺とエレナは死んでたぞ。それに解体作業も完璧だった」
ロイさんの声は静かだった。
「その働きと成果を考えれば、農場跡地は鴨葱くんが受け取るべきだ。うちでバイトして返す必要もなくなる」
「すっごい嬉しい提案なんですけど……本当に、エレナさんに相談しなくてもいいんですか?」
僕は思わず、家の窓のほうをちらりと見た。
あのしっかり者で、数字に厳しい奥さんが、金貨二十枚相当の“どんぶり勘定”を許してくれるだろうか。
あとでロイさんが怒られる未来が見えるようで、少し心配になる。
「なあに、心配するな。さすがに、取り分を分けることに関しては俺のほうが上手いさ」
ロイさんはニカッと笑って胸を張った。
その笑顔には、ただの楽天家じゃない、修羅場をくぐり抜けてきた男の自負が滲んでいた。
「金の細かい計算はあいつの領分だ。けど、命と成果の『分配』に関しては俺のほうが場数を踏んでる。こう見えても俺は狩人だし、それなりに冒険も……大きな戦争も経験してるからな」
戦争。
あいかわらず、嫌な響きだ。
その言葉が落ちた瞬間、ロイさんの雰囲気が一瞬だけ変わった気がした。
優しい牧場のおじさんという皮の下にある、鋭利な刃物みたいな古傷。
僕のまだ知らない、生っぽい何かがきっとそこにある。
それが何なのか、今の僕にはうまく言葉にできない。
……いや、したくないのかもしれない。
「誰が一番の功労者かを見誤るようなら、隊長なんて務まらなかったさ」
彼がそう言うなら、きっと間違いはないのだろう。
「……ありがとうございます」
僕は深く、深く頭を下げる。
正直、嬉しかった。
喉から手が出るほど欲しかった「自分の城」。
誰にも邪魔されず、好きなだけ牛を愛でて、チーズを作れる場所。
それが——牧場が、手に入る。
借金なしで。
なんて優しさと、幸運なんだろう。
やっぱり僕はラッキーボーイだ。
機会と人に恵まれすぎている。
朝日が、いつもより眩しく見えた。
「ただし、条件が一つある」
「条件、ですか?」
「ああ。あんた、何か欲しいもんはあるかい? 素材の一部でもいいし、正直、修理に余ったあとの金ならくれてやれる」
「え、でも、もう報酬は充分すぎるほどですよ……」
「遠慮せずに言ってくれていい。これは鴨葱くんの腕への敬意さ」
ロイさんの目は真剣だった。
ハンターとしての矜持。
命を救われたことへの、対等な礼儀なのだろう。
それを無碍にはできない。
僕は少し考えて——いや、考えたような気になっただけで、答えはほとんど最初から決まっていた。
金よりも、名誉よりも、僕の本能が求めているもの。
「じゃあ……昨日の料理に使ってた、あのスパイスが欲しいです」
「……スパイス?」
ロイさんがきょとんとした顔をした。
金貨の山を前にして、粉を欲しがる奴なんてそうそういないだろう。
たぶん、僕以外には。
「ああ、煮込みに入ってた、あのどす黒い粒か」
「はい。あれ、すごく良い香りでした。できれば、少しだけでいいので分けてもらえませんか?」
ロイさんは一瞬黙って、それから破顔した。
「ハハハ、気に入ったか。あれは『空椒』ってスパイスでな。東方の同盟国『竜脊帝国』産の希少品だ」
ロイさんは少しだけ袋のほうへ顎をしゃくった。
「小袋一つで金貨数枚分の価値があるが……まあいいさ。あんたの働きには代えられない」
“同盟国”と呼ばれていても、昔は戦争もあった——と、どこかで聞いたことがある。
ロイさんは家の中に入ると、小さな革袋を持ってきてくれた。
「これで五十グラムってとこだ。大事に使ってくれよ」
「ありがとうございます!」
僕は革袋を受け取り、紐を緩めて匂いを嗅いだ。
——フワッ。
ツンとした刺激の奥に、深いコクと甘み。
それから、高山植物みたいな清涼感。
この香りがあれば、どんな料理も一段階上に引き上げられる。
肉料理はもちろん、チーズのアクセントにも最高なはずだ。
(これで、チーズの試作が捗る……!)
僕は革袋を懐にしまい、ロイさんに向き直った。
「じゃあ僕からも、条件があります」
「おう、なんだい?」
「せっかくバイトできるチャンスだったので、引き続きバイトさせてください」
「……あ? なんでだ?」
ロイさんが目を丸くする。
借金もなくなったのに、わざわざ働く物好きはいないと思ったのだろう。
でも、僕にはちゃんと理由がある。
「牧場跡地は、しばらく手入れが必要でしょ。畜産業をするには用意するものもたくさんあるし……でも、ロイさんのところで働けるなら、新しい環境で畜産をするヒントがもらえる。酪農を生業にする僕には、メリットしかありません」
もっともらしい理屈を並べた。
嘘ではない。
ただ、本音はもっとずっとシンプルだ。
(やっとこれで牛さんたちと戯れる正当な理由が手に入る……うっへっへ〜)
牛の体温。乳搾りの感触。あの匂い。
それを給料をもらいながら味わえるなんて、天国以外の何物でもない。
「まいったな……」
ロイさんは頭を掻いた。
呆れているようで、その表情はどこか嬉しそうだ。
どこか、照れくさくも見える。
「昨日の今日だが、もう鴨葱くんのこと好きになっちまった。断る理由がねえや」
そう言って、朝焼けの中で、彼は優しく微笑んでくれたのだった。




