第17話:串刺しと、鮮度の美学
六頭目を倒して立ち上がった、その瞬間。
茂みに隠れていた最後の七頭目が、弾かれたように飛び出した。
だが、僕に向かって——ではない。
狡猾な獣は、最も弱っている獲物を狙った。
狙いは——焦るロイさんと、奥で震えているエレナさんだ。
「しまっ……!」
距離がある。今から走っても間に合わない。
魔法を撃つ?
ダメだ。僕の魔力範囲はせいぜい二、三メートル。届かない。
十メートル近く離れてるあのハクゲツには届かない。
(どうする!?)
ロイさんがクロスボウを構えるが、弦を引く時間がない。
クロスボウは威力が高い分、連射が効かない。
次弾装填には数秒かかる。その数秒が、今は致命的だ。
ロイさんはエレナさんの手を取り、逃げるように走り出す。
ナイスな判断だが、しかしそれではただの時間稼ぎにしかならない。
興奮状態の成体の脚力を止めるには、あまりに無力だ。
このままじゃ、数秒後に二人が串刺しになる。
絶体絶命。
その状況が、僕の脳内の血流を急かした。
考えろ。考えろ。
何か、飛び道具は——。
思考を加速させろ。
あのハクゲツを貫けるほどの、硬くて鋭い素材は——。
何かないのか。何か——
ふと、足元へ視線を吸い寄せられた。
そこには、今しがた僕が首を折った六頭目のハクゲツが転がっている。
——死体? いや、違う。
命が消えたなら、それはもう生物じゃない。
ただの「物質」だ。
なら——《調理》が通る!
僕は崩れ落ちた六頭目の頭部に飛び乗った。
右手を、その眉間に突き立てる。
遺された時間は少ない。
ここからはコンマ一秒の差が命取りになる。
だから、出し惜しみはしない。
魔力を全部、ここで使い切る。
《熟成軟化》・最大出力!!
(ありったけを、持ってけええ!)
ズブブブブッ!
魔力が奔流となって死体の頭部へ流れ込む。
イメージするのは「煮込み」。
骨と骨を繋ぐ強固な結合組織を、数秒でホロホロになるまで加圧し、煮崩れさせる!
「ぐぅっ! ちくしょうっ! でも、まだだ、まだ——」
限界が近い。
魔導回路が悲鳴を上げ、意識が飛びそうだ。
さらにグッと、残り少ない魔力を雑巾絞りみたいに絞り出す。
その瞬間——
ガコッ!
「来た!」
鋼のように硬かった頭蓋骨の結合が、腐った果実みたいに瞬時に緩んだ。
僕はそこから、ひときわ太く鋭い「角」を——剣みたいに引っこ抜く。
引き抜いた角は、死体から離れているのに、まだ青白い熱を残していた。
まるで“魔力の芯”だけが、そこに留まっているみたいに。
「素材、もらうよっ!」
僕は沈み込むように腰を落とすと、転がったハクゲツの巨体を踏み台にして、残った足の筋肉を爆発させるように解放した。
無理やり五メートルほど跳躍し、高さの頂点に達したところで体ごと捻る。
全身のバネと回転の遠心力を、引き抜いたばかりの「角」に乗せる。
狙うは一点。
ロイたちに迫る、最後のハクゲツ。
「——串刺しになれえええ!!」
最後の力を振り絞り、一回転してから腕を振り下ろす。
すべての全身全霊のエネルギーを指先から角に託した。
十メートル近い距離を、手から放たれた角は即席の槍となって闇を切り裂いた。
そして——
ズバァァァァンッ!
水風船が割れるような、湿った破壊音。
投擲された角は、突進する七頭目の左目に深々と突き刺さり——そのまま脳天を貫通して、背後の地面に縫い付けた。
巨体が激しく痙攣し、やがて糸が切れたように動かなくなる。
即死させられなくて、ごめん。
森を支配していた殺気が、静かに霧散していった。
ドサッ!
「いでっ」
地面に落ちたかわりに、意識が飛びかけた。
◇
完全な静寂が戻った。
あちこちに、七つの肉塊が散らかっている。
今はともかく、もう動きたくない。
全身は無理に筋力を酷使したせいで、軋むように悲鳴を上げている。
魔導回路も焼き切れる寸前だ。
使える魔力は一滴も残っていない。
あれ以上長引いてたら危なかった。
「……はぁ、はぁ、はぁ……」
僕は仰向けになり、泥だらけの自分の手を見つめた。
血と泥と、ハクゲツの体液でぐちゃぐちゃだ。
端的に言えば——最悪だ。
早くお風呂に入りたい。甘いものでも食べて発散したい。
家に帰って、チーズケーキでも平らげよう。レアとベイクドのやつ一個ずつ。そうしよう。
そんな現実逃避をしていると——
「……おい、鴨葱くん」
ロイさんが、信じられないものを見る目で僕を見下ろしていた。
クロスボウを下ろし、呆然と呟く。
「今、何をした? 途中でノールックで首をへし折って……それに最後、角を引き抜いて投げただと……?」
続いてエレナさんも、賞賛と驚きを混ぜた視線を向けてきた。
「鴨葱くん、助けてくれてありがとう……すごいわ……私のロイも強いけど……それに負けないぐらい、あなた強いのね……ほんと信じられないわ……」
「い、いや、僕も必死で……あはは、気づいたらこんな感じに……」
嘘ではない。僕だって余裕綽だったわけじゃない。
ハクゲツの分厚い筋肉、突進のパワー、素早い動き、高い察知能力。
油断して一度でも串刺しになれば即死だったろうし、ハクゲツが冷静だったら勝負はわからなかった。
ハクゲツたちが興奮していたことが、勝利への後押しになったのは間違いないと思う。
そんな僕の必死さもつゆ知らず、脳内では英雄たちが宴会騒ぎだ。
『見事じゃった! 素材の特性を活かした良い加工だのう!』
『血生臭え殺し合い……! 最高じゃねえか! 興奮したかっ!?』
『魔法は所有者でいかようにも化ける。優美な魔術のディナーといったところか。小市民の割には上等だ。ここは素直に褒めてやろう』
『アハハ! ノールックで首折り残酷イケメン! ホノちゃん、すごいすごい!』
『計算通りですわね、ご主人様。お見事でしたわ。でも調子に乗らないこと。そろそろ立ち上がって、後片付けでもされては?』
『あアッ! 生命の冒涜にも似た発想の錬金ッ! 毒を食らわば皿まで(オーバードーズ)!』
(ほんと、まったく。どいつもこいつも好き勝手言ってくれちゃって……)
僕は深いため息をつき、鉛みたいに重い体を気力だけで起こした。
周囲を見渡すと、そこにあるのは無残に散らばる「七頭の肉塊」。
さっきまで恐怖の対象だった怪物が、今となっては違って見える。
これは、ただの肉じゃない。
僕の牧場資金になるための、大切な「商品」でもある。
(ロイさんには悪いけど、手早くやらないと……!)
僕は亡霊みたいにゆらりと立ち上がり、絶望的な顔でロイさんを振り返った。
「ロイさん……」
「な、なんだい?」
「これ……朝までに全部血抜きしないと、味が落ちますよね……?」
「……は?」
「ロイさん、手伝ってください。これ腐らせたら、僕一生後悔しますから。商品価値が下がる前に、急いで内臓を出さないと……!」
ロイさんが口をポカンと開けている。
でも待ってはくれない。
鮮度は時間との勝負だ。
体はバキバキに悲鳴を上げているが、ここからが僕の本分。
やるしかない。
こうして、僕の「最強のバイト」初日は、死闘の余韻に浸る間もなく、徹夜の解体作業で幕を開けたのだった。
(……あとでしっかり、残業代請求してやる)




