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蹄煮込み、経験を喰らう——牛好き少年は「死」を食べて強くなる  作者: メイ
第一章:平穏を望む異物

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第16話:覚醒の足裏、致命傷を穿つ

 不気味なほどの静寂が、不意に訪れた。


 ——何かがおかしい。


 家の中に二つ。

 玄関前に三つ。

 血だまりに沈む肉塊は、全部で五つ。


 ……数が合わない。


 最初に確認したのは七頭。

 倒したのは五頭。

 あと二頭、確実に残っているはずだ。


 一頭は、少し離れた茂みの陰。

 息を潜め、こちらの様子をねっとりとうかがっている気配がある。

 青白い角の光を潜ませても、その思惑の(いや)らしさは隠せていない。


 だが。


 もう一頭がどこにもいない。


 完全に気配が世界から消え失せている。

 どこだ? ()が悪いと悟り、夜の闇に紛れて逃げたか?


 いずれにせよ、気配を消す幻獣の生態は伊達じゃないらしい。


 僕は必死に目を凝らす。

 だが、無情にも日没を迎え、完全な光を失った今、《解体(ブッチャー)》の視覚補正は闇に殺され、効力を失っている。

 文字通り、暗闇では死へ導く赤いラインは浮かばない。


 ——このままでは、本当にヤバい。


 極限まで耳を澄ませ、血の匂いに紛れるかすかな獣臭を拾うために鼻腔を開く。

 夜風の流れのわずかな乱れを読むために、全身の肌の感覚を刃のように研ぎ澄ませた。


 すべては、消えた賢しいハクゲツの気配を探るため。


 どこだ、どこにいる。


 必死に気配をまさぐるも、ハクゲツをどこにも感じ取れない……。


 逃げたのだろうか。


 いや、違う。

 ……騙されるものか。

 

 (ハクゲツが逃げるだって? ハハ。まさかね)


 僕はハクゲツとゼロ距離で対峙してきたからわかる。

 あの()は憎しみを詰めたような、どす黒い赤だった。


 仲間が殺されたぐらいで、諦めるようなヤワな慟哭(どうこく)じゃない。


 「必ず()りきる」って意志を宿らせた悲しい()だ。

 あいつは確実に、僕らを殺そうとしている。


 だから。


 僕がやるべきことは慢心することじゃない。

 危機感を煽って、さらに際立たせること。


 もっとだ。

 

 ……足りない。

 まだ足りない。


 暗闇に馴染む殺気を察知しろ。

 些細な違和感でいい。

 周囲を探るんだ。


 集中力を研げ。

 意識の切れ味を上げろ。


(……ん?)


 その時、僕はひとつのノイズのような感覚にふと気づいた。


 ……そうだ。

 「これ」に無意識に頼るからいけないんだ。


 この、目だ。

 闇の中で、一体僕は何を見ようとしている。


 今は——いらない。

 暗闇を見るためだけの視覚情報は、意識のリソースを食いつぶす。


 僕は役立たない視力を完全に捨てるために、ぱちっと目を閉じた。

 

 肌感覚で空気の流れを察知する。

 音の微細を逃さないように耳を澄ませる。

 ピクピクと、鼻を小刻みに利かせる。

 

 もっとだ、もっと——。


 冷や汗がたらぁっと額から垂れる。


 自らの神経をゴリゴリと削り落とすような途方もない集中を見せた——そのときだった。


 ……ドクン。


 大地と接する足の裏が、まるで第二の心臓へと変貌したみたいに、唐突な熱を持って脈打った。


 ブーツの分厚い底。

 そのわずかな接地面の皮膚感覚を通して、地面の「形」と「動き」が、暴力的なまでの情報量となって脳へ直接流れ込んでくる。

 危機情報が足裏から波打つように背骨を走り、脳天を突き抜けた。


(……なんだ、これ)


 見えている「これ」は……視覚じゃない。

 

 満天の星空から星座の線を結び出すみたいに、暗闇の中に獣の『骨組み』が光を帯びて立体的に“わかる”。


 地面を伝う微細な振動が光の点となり、それが光の線になり、僕の脳内の完全な闇に、透き通った獣の骨格をくっきりと描き出していく。

 

 まるで光の道しるべだ。


 そして——いた。


 後方。距離ゼロ。すでに跳躍済み。


 気配を完全に殺した六頭目は、一切の音を立てることなく、僕の真後ろの空中にいた。

 やはり、ハクゲツは諦めていなかった。

 今まさに、明確で純粋な殺意の塊となって、僕の背中へ“衝突”しようとしている。


 狙いは首裏、延髄への一撃。

 完璧に計算された必殺の奇襲だ。


 このままでは、コンマ数秒後に即死するのは僕の方だ。


 でも。


(——見えた)


 僕は、決して後ろを振り向かなかった。

 足裏のソナーが脳内に鮮明に映し出す獣の「骨格」の輪郭。

 そこに、僕の中に深く刻み込まれている《解体(ブッチャー)》のイメージをガッチリと重ね合わせる。


 瞬間。

 脳内の暗闇に構築された骨格の映像に、くっきりと『赤い切断線(レッドライン)』が浮かび上がった。


 手元に炭素包丁(カーボンブレード)はない。

 さっきの戦闘で投げてしまった。

 ——だが、そんなものは関係ない。


 おまえの骨の脆い場所も、関節の可動域も、僕は自身の目で“解体”して、隅から隅まで知っている。

 そのうえ、肉眼では見えない背中側の(キルライン)まで、今は脳内の《解体(ブッチャー)》がスポットライトみたいに的確に照らし出してくれている。


 目で見る必要なんてない。

 首を一撃で折るための致命の急所(ツボ)は——そこだ。


 僕はノールックのまま、背後へ向かって最短距離で手を伸ばした。

 凶悪な角の軌道を紙一重で(かわ)しながら、襲いかかるハクゲツの太い首に腕を絡め——。


 相手が放つ凄まじい突進エネルギーを逃さず、そのまま円の動きで回転力へと変換する。

 僕自身の筋力ではなく、ただ緻密な体重移動の連動だけで、へし折る。


 バキィッ!


 硬質な骨が砕け散る、乾いた破砕音。

 大質量の衝突エネルギー。その逃げ場を失った全負担が、首の一点に完全に集中した結果だった。


 絡めた腕の中で、激しく燃えていた命の灯火が、ふっと吹き消されるように消失する。

 絶対的な死の感触を肌で確認しつつ、僕は静かに腕の力を緩めた。


 ハクゲツの首がだらんと脱力して、僕の肩に頬をすりつける。

 僕はゆっくりとハクゲツの頭を地面に置いた。


 ただの肉塊となったハクゲツの生きた気配はもうない。

 抵抗する余地すら与えない、完全な即死だった。


 即死させることができて良かった。


「ふぅ~……」


 ……さすがに今のはヤバかった。

 なんとかできた安堵感で、思わず吐いた息とともに集中力が散りそうだ。


 しかし、まだ命のやりとりは終わっていない。

 深く息を吸って、分散しそうな集中力を維持させた。


「残り……一頭」

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