第13話:死へと導く、レッドライン
「鴨葱くん! 君のその胆力、男と見込んで、この場を任せる。……本当にやれるんだな!?」
ロイさんの悲痛な叫びが、背中に突き刺さる。
振り返らない。
今の僕は、もう迷うような子供じゃない。
覚悟は、すでに飲み込み始めている。
「はい。こういう事態は慣れてるので、心配しないでください。ロイさんは、エレナさんをかっこよく守ってて」
ロイさんがクロスボウを握り直した。
指に嵌った黒い指輪が、木目の上でだけ鈍く沈んで見える。
「っ……! ああ、任せろ! 俺は必要最低限の援護に回る! 死ぬなよっ!」
その言葉だけで十分すぎる。
本音を言えば——全く恐怖がないわけじゃない。
できることなら今すぐにでも、おうちに帰ってホットミルクを飲んで寝たい。
——でも、その恐怖は冷蔵庫の奥にしまっておこう。
今はただ、目の前の食材に向き合う時間だ。
僕は深く息を吸い込み、スイッチを一段深くまで押し込む。
「……さて。どの子から『仕込み』をしようかな」
ドアの向こう側に、三メートルほどのハクゲツがいるのがわかる。
足音は静かだが、荒い鼻息でわかる。
ハクゲツなのに、気配を隠す気は毛頭ないらしい。
ガァァァァァッ!
先頭の二頭が、競うようにドアを突き破って雪崩れ込んできた。
ドアの木片が、跳ねるように高速で飛び散る。
顔にまっすぐ飛んできた一つの木片を、僕は反射でキャッチした。
五十センチほどの大きな木片だ。
タイミングが悪ければ、僕の頭が串刺しになってたかもしれない。
(あ、あぶな~~っ!?)
冷や汗をさっと拭う。
対峙する相手は、成体ハクゲツ。
奴らはすぐには襲いかかってこなかった。
蹄が床板を深く削りながら、僕の数メートル手前でピタリと停止する。
その二頭が、僕の様子をうかがうように睨む。
ドアの破れ方を見るに、その突進のエネルギーは計り知れない。
まともにぶつかれば、人間の骨なんてメレンゲみたいに粉々になるだろう。
青白く発光する角は、僕の柔らかい臓腑を突き破るためのものに見えた。
荒い鼻息が、部屋の空気を震わせる。
奴らは充血した目で、僕という『餌』をじっと値踏みし続けている。
初仕事の現場としては、嫌になるほどブラックだ。
しかし、仕事をとちるわけにはいかない。
こちらもすぐ対応しようと、ポケットを探った手が——空を切る。
(——しまった!)
冷や汗が噴き出た。
ない。
(……包丁がない!)
そうだ。
研ぎに出したまま、机の上に忘れてきたんだった。
なんてことだ。
現場に包丁を忘れる料理人がどこにいる。
(まったく、僕のおっちょこちょい!)
今、手元にあるのは、さっきハクゲツが突き破ったドアの破片だけ。
ささくれだった木の棒。
握れば掌が裂けそうで、振り回せば折れそうだ。
——こんなもので、鋼鉄の皮膚を持つ成体が傷つくわけがない。
だが——。
(切れ味がないなら、足せばいいよね)
入学試験の時、僕は泥のヌンチャクを「鉄以上の硬度」に変えた。
あれは、ただの強化魔法じゃない。
約十人に一人が、生まれた時に獲得すると言われる魔法——生粋魔法。
属性魔法みたいに、みんなが同じ系統を学んで伸ばす“共通規格”とは違う。
生粋魔法は、もっと個人的だ。
生活に食い込む癖だったり、才能の形だったり、魂の歪みだったり。
同じ名前で括れない——その人だけの仕様。
そして、僕の仕様はこれだ。
生粋魔法《調理》。
僕だけの特別な魔法。
それは料理と調理のための魔法。
でも実は、こういう緊急事態にも意外に役立つ。
僕は吹き飛んだ木片に魔力を込めた。
そもそも、木材はなぜ脆いのか。
水分を含んでいるから。繊維の密度が低いから。
なら——水分を飛ばして、極限まで焼き締めればいい。
生粋魔法:調理——《乾燥焼成》ッ!!
ジュワァッ!!
僕が掴んだ木片から、一気に白煙が上がった。
茶色かった木材が瞬時に水分を失い、黒く収縮していく。
木目が潰れ、表面が金属みたいな光沢を帯びた。
黒く、鈍く反射する。
これはもはや、ただの木じゃない。
超高密度に圧縮され、焼き締められた——即席の炭素包丁だ。
(やっぱり、解体には包丁が必要でしょ)
僕は完成した“黒い包丁”を逆手に持ち直す。
握った瞬間、手の中で重心がすっと定まった。
「道具は揃った。あと必要なのは——『ガイドライン』だけ」
僕は両目を細め、世界を見る。
狙うは、生命をパーツへと還元するための道しるべ。
生粋魔法:調理——《解体》。
——スッ。
色彩とノイズが消え、視界が冷たいモノクロに染まる。
その静寂の中で、咆哮を上げて突進してくる二頭のハクゲツの体に、鮮やかな「赤い切断線」が浮かび上がった。
(ここからが本番だ)
僕は視線を、二体の顔ではなく首元へ落とす。
否——二か所の「継ぎ目」に集中する。
筋肉の重なり。骨の隙間。腱の通り道。
いくら硬く分厚くとも、構造は生命体だ。
関節があり、可動域があるなら——そこには必ず、刃の通る「隙間」がある。
「……そこだね」
二頭のハクゲツが、後ろ脚の筋肉を異様に膨張させ、床がひび割れるほどグッとためを作った直後、同時に突進してきた。
息を合わせたかのようなタイミング。
狙いはおそらく、各個撃破を防ぐためか。
しかし、その動きはむしろこっちからしたら好都合。
僕はタンッと、一度だけ地面を強く踏みこむ。
死の突進を、馬鹿正直に迎え撃つ必要はない。
無理に力む必要もない。
大事なのは入射角。炭素包丁を、ラインに沿って撫でるように滑らせる勇気。
僕は真正面から、迎え入れるように二頭の間に飛び込んだ。
角が空気を裂く。
冷たい風圧が頬を殴り、青白い光が視界の端を舐めた。
視界の中心は、ずっと赤いラインから決して外さない。
枝分かれする角にだけ細心の注意を払い、躱す。
二頭のハクゲツはトップスピードで駆け抜けてきている。
急には止まれない。
そして、その二頭の中心にいるのは炭素包丁を逆手で構えた僕。
交差する一瞬。
世界が、息を止めたみたいに静かになる。
(命を——いただきます)
脱力のまま、赤いラインをなぞった。
体を回転させて、二頭の首元のラインを一薙ぎで素早くなぞる。
スパァンッ!
乾いた音が一回。
すれ違いざま、二頭の頭が——まるで最初から繋がっていなかったかのように、ぽろりと外れ、空中に舞った。
刎ねられた首が血しぶきをまき散らしながら回転する。
その横で——
ズザザザザッ!
支えを失った巨体が、左右へ割れて滑っていく。
突進の勢いだけを残したまま、僕の脇をかすめて流れていった。
右の一頭は、床板を削りながら柱へ——
ドガァンッ!!
太い梁がうなる。壁の板が弾け、粉塵が舞った。
衝突の反動で角が跳ね、青白い光が天井を舐める。
左の一頭は、倒れ込みながら家具を薙ぎ払う。
ガシャァンッ!!
木の椅子が砕け、棚が横倒しになる。
金具が鳴り、食器が悲鳴みたいな音を立てて散った。
それとほぼ同時に——
ガガンッ!!
二つの連続する刺突音。
一頭の角が壁に刺さり、もう一頭は深々と天井に刺さった。
背後で、息を呑む気配がする。
——エレナさんだ。
血しぶきがかかったのだろう。
ごめんね、エレナさん。
「か、鴨葱くん……? や、やるな……! すごいじゃないかっ!」
ロイさんの声が背後から飛んだ。
驚きと、それでも信じきれないような温度が混ざっている。
嬉しい気もするが、今は気を抜くタイミングじゃない。
その気恥ずかしい疼きを、ぐっと鍋の底に沈める。
「ありがとうございます。でも油断しないでください。まだ命のやりとりは、始まったばかりです」
言い終えるより先に、鼻孔が玄関の向こう側の気配を拾った。
静かな足音。
荒い呼吸。
角が床を擦る微かな音。
天井のハクゲツの頭からぽたぽたと血の滴る音を聞きながら、僕は淡々とカウントした。
「——残り、五頭」




