第8話:毒を孕んだ祝宴
王宮の大広間は、今宵も絢爛たる光に包まれていた。
しかし、その輝きはどこか刺々しく、集まった貴族たちの視線は一点に集中している。
「あははっ! アル様ぁ、このお酒、とっても甘くて美味しいですぅ!」
広間の中央。王太子の席に座るプリシラは、既に幾杯目かのワインを空け、頬を赤く染めていた。
彼女が身に纏っているのは、王家の象徴である純白の絹に、過剰なまでの金糸を施したドレスだ。それは本来、正妃となるアンジェリカが公式行事で着用すべき格の品であり、下位貴族の娘が袖を通すなど、儀礼上あり得ない光景だった。
「そうか。プリシラが気に入ったのなら、この醸造所をまるごと買い取ってやろう」
アルベルトは鼻高々に言い放ち、プリシラの肩を抱き寄せた。
彼の周囲からは、側近たちが一人、また一人と姿を消している。残っているのは、プリシラの機嫌を取ることで利を得ようとする、質の悪い若手貴族ばかりだ。
アンジェリカは、その喧騒から離れた壁際で、静かにグラスを傾けていた。
アメジストの瞳は、まるで舞台上の喜劇を鑑賞するかのように冷めている。
「……アンジェリカ様。お顔色が……あ、いえ、怒っていらっしゃらないのが、逆に恐ろしいです」
ソフィアが隣で小声で囁く。
アンジェリカは、わずかに口角を上げた。
「怒る? まさか。……ただ、これほどまでに分かりやすい終わり方を見せてくれるとは思わなかっただけよ」
その時、プリシラがフラフラと立ち上がり、アンジェリカの方へと歩み寄ってきた。
アルベルトを従え、周囲の注目を一身に浴びるその姿は、自分が世界の中心であると信じて疑わない。
「あらぁ、アンジェリカ様ぁ。こんな隅っこで独りぼっちなんて、可哀想ですぅ」
プリシラはわざとらしく扇で口元を隠し、クスクスと笑った。
「アル様に愛されないと、そんなに暗いお顔になっちゃうんですかぁ? 私、アル様の『番』として、アンジェリカ様が不憫でならないんですぅ。ねぇ、アル様ぁ」
「ああ、全くだ。プリシラは本当に優しいな」
アルベルトがアンジェリカを見下し、冷笑を浮かべる。
「アンジェリカ。お前は有能だが、女としての魅力に欠ける。……見ろ、プリシラのこの愛らしさを。王妃にふさわしいのは、お前のような氷の人形ではなく、私に心から寄り添う彼女の方だ」
広間の空気が凍りついた。
婚約破棄を公の場で示唆するに等しい発言。それは公爵家への宣戦布告であり、王国の秩序に対する反逆でもあった。
アンジェリカはゆっくりとグラスを置き、アルベルトの目を真っ直ぐに見つめた。
「……殿下。今のお言葉、王太子としての正式な意思表明と受け取ってよろしいのでしょうか」
「ああ、そうだ! 私は、お前のような女を妻にするつもりはない!」
アルベルトが声を張り上げた、その時。
「……残念だよ、兄上」
人混みを割って、レオナルドが姿を現した。
その手には、一枚の羊皮紙が握られている。レオナルドの顔にはいつもの柔和な笑みはなく、ただ圧倒的な威圧感だけが漂っていた。
「レオナルド! お前、何をしに来た。今は私の……」
「先ほど、陛下より全権を委任された『監察官』としてここに来たんだ。……プリシラ・メルフィール嬢。君がメルフィール子爵家の負債を帳消しにするため、王家の公金を横領させた証拠が揃っている。そして、兄上」
レオナルドは、冷徹な視線をアルベルトに向けた。
「君がプリシラ嬢に買い与えた宝石やドレスの代金……その出所は、隣国との治水事業のために用意されていた国庫だ。……これが何を意味するか、理解しているのか?」
アルベルトの顔から、一気に血の気が引いた。
「な、何を……そんなもの、私が王太子なのだから、どう使おうと勝手だろう!」
「勝手ではない。それは民の税であり、国の未来だ」
レオナルドの声は低く、そして重い。
周囲の貴族たちが、一斉に後ずさった。アルベルトに味方する者は、もはやこの場に一人もいない。
「……ひ、ひどいですぅ! レオナルド様ぁ、私をいじめるんですかぁ?」
プリシラが泣き真似をしながらレオナルドにすがろうとするが、レオナルドはその手を無造作に振り払った。
「触るな。不浄だ」
その一言に、プリシラは絶句してその場にへたり込んだ。
「アンジェリカ嬢、行こう。……これ以上、ここにいる必要はない」
レオナルドがアンジェリカの隣に立ち、その手を取った。
公衆の面前で、第二王子が兄の婚約者の手を取る。それは明白なルール違反だ。だが、今のこの場において、それを咎める者はいなかった。
アンジェリカは、床に崩れ落ちたプリシラと、震えるアルベルトを最後に見据えた。
「……さようなら、殿下。貴方の選んだ『真実の愛』とやらを、どうぞ最後までお守りください」
アンジェリカの微笑みは、月の光よりも冷たく、そして美しかった。
二人が広間を去った後、残されたのは、崩れゆく王太子のプライドと、不気味なほどの静寂だけだった。
夜風の吹き抜けるバルコニーで、レオナルドはアンジェリカの手を強く握りしめた。
「……始まったね、アンジェ」
「ええ、レオ。すべては貴方の筋書き通りに」
二人の視線の先には、暗闇に沈む王都の街並みが広がっていた。




