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第7話:裏庭の密約

 アルベルトが放った「公爵家取り潰し」の放言は、静かに、けれど確実に王宮の深部へと浸透していった。

 翌日、アンジェリカは父であるアルバスタ公爵に一通の手紙を送った。内容は、日々の挨拶に紛れ込ませた、アルベルトの近況報告。しかし、その行間から読み取れる危うさを、老練な政治家である父が見逃すはずもなかった。


「アンジェリカ様。ご実家……次期公爵閣下から返信が届いております」


 ソフィアが持ってきた手紙には、ただ一言。「案ずるな。すべてはレオナルド殿下と協議済みだ」とだけ記されていた。

 アンジェリカはそれを暖炉の火に投じ、炎が紙を飲み込むのを冷ややかに見つめた。


「……動き出したのね」


 彼女の呟きは、パチパチとはぜる薪の音に消えた。


 ---


 その日の午後、アンジェリカは「王妃の間」に呼び出された。

 そこには王妃クリスティーヌだけでなく、国王の「番」であるフィオナの姿もあった。


「アンジェ、座りなさい。……フィオナ、貴女からも話してあげて」


 クリスティーヌが促すと、儚げな美貌を持つフィオナが、申し訳なさそうにアンジェリカの瞳を見つめた。


「アンジェリカ様。……アルベルトのことは、本当に申し訳なく思っています。あの子、私に似てしまったのか、感情が先走ってしまって……」


 フィオナの声は、鈴を転がすように可憐だ。彼女は国王ジェイスに深く愛されているが、決して政治には口を出さない。それが「番」としての唯一の生存戦略であることを知っているからだ。


「フィオナ様。お心を痛めないでくださいませ。私は、王太子妃としての職務を全うするのみでございます」

「いいえ。ジェイス……陛下も、あの子の振る舞いには限界を感じておられるわ。昨日、レオナルド様が提出した『予算報告書』を見て、お顔を曇らせていらしたの」


 フィオナは、そっとアンジェリカの手を握った。その手は、驚くほど冷えていた。


「番というものは、理性を狂わせる。私とジェイスは、クリスティーヌ様という素晴らしい支えがあったからこそ、この形を保てているけれど……。アルベルトには、それを受け入れる度量がない」


 クリスティーヌが、皮肉めいた笑みを浮かべて茶を啜る。


「あの子は、プリシラを理由に、王家が長年守ってきた均衡を壊そうとしているわ。……アンジェリカ様。貴女は、これからの自分の身の振り方を、もう決めているのでしょう?」

「……はい」


 アンジェリカは、はっきりと答えた。

 クリスティーヌとフィオナ。正妃と番という、本来なら対立してもおかしくない二人が、これほどまでに親密である理由。それは、お互いの役割を明確に分かち合い、利害が一致しているからだ。


 アルベルトには、それができない。彼は正妃であるアンジェリカから尊厳を奪い、番であるプリシラを政治の場に上げようとしている。それは、この国の根幹を揺るがす禁忌だった。


 ---


 クリスティーヌとフィオナとの面会を終えた帰り道、アンジェリカは人気のない裏庭の東屋に立ち寄った。

 生い茂る薔薇の陰で、一人の影が彼女を待っていた。


「……母上とは、うまく話せたかい?」


 レオナルドが、影から静かに歩み寄る。

 彼はアンジェリカの腰に手を回し、吸い寄せられるようにその首筋に顔を埋めた。


「ええ。フィオナ様もいらしたわ。……陛下も、アルベルト殿下の無能ぶりを重く受け止めていらっしゃるようね」

「そうだろうね。僕が、少しだけ資料を『整理』しておいたから。プリシラが子爵家の借金を王家の公金で肩代わりさせようとした証拠も、すべて陛下の机の上に置いてある」


 レオナルドの声は甘く、けれど内容は冷酷そのものだった。

 彼はアンジェリカの首筋に顔を埋めたまま、深く息を吸い込む。


「……レオ。貴方、やりすぎではないかしら?」

「いいや、足りないくらいだ。あの女は君から母上の形見を奪おうとした。……それだけで、死に値する罪だよ」


 レオナルドの指が、アンジェリカのプラチナブロンドを愛しげに梳く。

 アンジェリカは、彼の胸に身を預け、目を閉じた。


「……もうすぐ、兄上の廃嫡が決まる。そうすれば、僕が王太子だ。そうなれば、アンジェ。君は僕の妻になる」

「王妃にはなれる……。けれど、私は貴方の『番』ではないわ」


 アンジェリカが自嘲気味に言うと、レオナルドは彼女の顎をすくい上げ、力強く唇を重ねた。

 深い口づけ。息が切れるほどの情熱の裏に、確かな執着が透けて見える。


「番なんて、ただの血の呪いだ。僕はそんなものに君を譲らない。……もし僕に番が現れたとしても、僕はその女を殺してでも、君を選ぶ」


 その言葉に、アンジェリカは微かに震える。

 それは恐怖ではなく、熱い悦びだった。


 二人は、狂気にも似た愛情を共有している。

 アルベルトとプリシラが、おままごとのような「真実の愛」に浸っている間に、二人は王国という盤面をひっくり返す準備を完了させていた。


「……行きましょう、レオ。夜会の準備があるわ」

「ああ。……今夜は、面白い『出し物』がありそうだ。楽しみにしているといい」


 レオナルドは不敵な笑みを浮かべ、アンジェリカの手を引いた。

 嵐の前の静けさは、今夜、終わりを告げる。

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