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番外:落日の虚飾

アルベルトのお話しになります。

 アルベルト・ベインツは、生まれた瞬間からこの国の全てを手に入れていたはずだった。

 国王ジェイスと、その「番」であるフィオナとの間に唯一生まれた王子。王族に子供が生まれにくいという宿命の中で、番同士の熱情の果てに授かった彼は、まさに王国の希望そのものとして、目も眩むような賞賛の中で育った。


「アルベルト殿下は将来、この国を統べる偉大な太陽になられるお方です」


 周囲の大人たちは、彼の顔色を窺い、耳に心地よい言葉ばかりを並べ立てた。教育係も、侍従たちも、彼の浅はかな理解を「王としての鷹揚さ」と呼び、未熟な剣技を「天賦の才」と称えた。その結果、アルベルトの中に育ったのは、自分は何もしなくても愛され、敬われ、王座へと昇り詰める存在なのだという、肥大化した傲慢さだけだった。


 しかし、その黄金の揺り籠の中にあって、アルベルトの心には常に、埋まることのない隙間風が吹いていた。


「……お母さま。今日、お庭できれいな鳥を見つけたました!」


 幼いアルベルトが、母フィオナの膝に縋ろうと歩み寄る。だが、その願いが叶うことは稀だった。

 母の傍らには常に、父王ジェイスがいた。父は「番」であるフィオナを狂おしいほどに愛していたが、その愛は排他的で、独占欲に満ちていた。父にとって、息子であるアルベルトさえも、最愛の女との時間を遮る「不純物」に過ぎなかったのだ。


「アルベルト、下がれ。フィオナは今、疲れている。……お前には、立派な乳母も教師もついているだろう」


 父の冷たい拒絶。母フィオナもまた、父の腕の中で困ったように微笑むことが大半で、アルベルトを強く抱き締めてくれることは少なかった。

 ベインツ王国の慣例では、王妃が執務を司り、国王は「番」との愛を育む。ゆえに、アルベルトが愛情を求めるべき相手は、本来ならば実の母ではなく、育ての母である王妃クリスティーヌであったはずだ。


 だが、王妃クリスティーヌの瞳は、アルベルトを映すとき、常に憐れみと軽蔑が混ざり合ったような、凍てついた色を湛えていた。


「……アルベルト。貴方は、陛下によく似ていらっしゃるわね。ただ本能に従うだけの、空っぽな器」


 その言葉の意味を、当時のアルベルトは理解できなかった。ただ、王妃が自分ではなく、その傍らに控える「弟」レオナルドに向ける眼差しが、自分へのものとは決定的に違うことだけは、直感的に察していた。


 レオナルド。

 王妃クリスティーヌと、その恋人である王弟グレイン公爵との間に生まれた「不義の子」。

 ベインツ王国の風習では、王妃の不義は公に認められた権利であり、その子供は「王子」の肩書きを持つ。しかし、王家の血を引かぬため、父親の爵位を継ぎ、将来は王太子を裏から支える盾となる定めだ。だが、レオナルドの父親は王弟のため、彼にも継承権はある。

 勉強を嫌うアルベルトは、この事実を学んではいたが、覚えてはいなかった。


 アルベルトにとって、レオナルドは格下の存在でしかなかった。王位継承権も持たず、ただ自分の踏み台として用意された道具。そう自分に言い聞かせなければ、アルベルトの自尊心は保てなかった。

 なぜなら、レオナルドは常に、アルベルトが持たぬものを全て持っていたからだ。


 王妃クリスティーヌからの深い信頼。

 実の父であるグレイン公爵からの、厳格ながらも確かな愛情。

 そして、その聡明な頭脳。


「……何が王子だ。不浄な血のくせに」


 アルベルトは、事あるごとにレオナルドを虐げた。泥を投げ、言葉で罵り、彼が自分より優れているという事実を力ずくで否定しようとした。レオナルドが孤独に泣き喚く姿を期待していたのだ。


 だが、レオナルドが六歳の時。その「期待」は最悪の形で裏切られることになる。


 ある日、広大な庭園で迷子になり泣いているレオナルドを見つけ出したのは、アルバスタ公爵家の令嬢、アンジェリカだった。

 アルベルトが見下していた、暗く沈んでいたはずの弟の瞳に、あの日から「色」が灯った。二人は庭園の隅で密やかに交流を重ね、いつしか魂の深い部分で結びついていった。


 レオナルドが、自分には決して向けられないような、優しく、穏やかな笑顔でアンジェリカと語り合っている。

 アンジェリカが、自分の知らないレオナルドの価値を認め、慈しんでいる。


 その光景を見るたび、アルベルトの胸の奥で、黒くどろどろとした嫉妬が渦を巻いた。

 愛されたいと願っても拒絶された自分と、最初から「愛」を手に入れているレオナルド。

 王太子である自分よりも、不義の子である彼の方が、ずっと「王」に近い輝きを放っている。


(許さない。……お前の持っているものは、全部壊してやる)


 アルベルトの愚鈍な頭が導き出した答えは、あまりに短絡的で、あまりに残酷な嫌がらせだった。


「父上。私、アンジェリカ・アルバスタを婚約者に望みます。彼女こそが、将来の王妃に相応しい」


 レオナルドからアンジェリカを奪い取れば、弟は再び絶望の底へ沈むだろう。そう信じて疑わなかった。

 しかし、その決断が、自分自身の首を絞めることになるとは、当時のアルベルトには思いも寄らなかった。


 ---


 アンジェリカを婚約者に据えたことで、アルベルトの優越感は絶頂に達した。レオナルドから唯一の光を奪い、絶望に沈む顔を見るのは、何よりも甘美な愉悦となるはずだった。


 しかし、現実は非情だった。

 王太子妃教育を難なくこなし、完璧な淑女として立ち振る舞うアンジェリカは、アルベルトにとって救いではなく「鏡」となった。彼女が有能であればあるほど、裏で実務を代行されているアルベルトの無能さが際立ち、彼の中に卑屈な劣等感が(おり)のように溜まっていく。


「……何が公爵令嬢だ。人形のように冷え切った女め」


 自分を敬わず、ただ義務として接してくるアンジェリカを、アルベルトはいつしか疎むようになった。そして訪れたのが、運命の日ら十八歳の立太子式である。


 運命は、彼に最後で最悪の悪戯を仕掛けた。

 式典の最中、会場にいた下級貴族の令嬢、プリシラ・フィルメール。彼女を一目見た瞬間、アルベルトの全身を、かつて父ジェイスが母フィオナに抱いたのと同じ、暴力的なまでの「熱」が貫いた。


(……(つがい)だ。これこそが、私の求めていた真実の愛だ!)


 雷に打たれたような衝撃に、アルベルトの乏しい理知は霧散した。自分を支えてきたアンジェリカを「可愛げのない女」と罵り、衆人環視の中で婚約破棄を突きつける。それが王家を、そして自分自身を破滅させる愚行であることなど、その時の彼には微塵も理解できていなかった。


「本能こそが正義だ! 番を否定する者こそが、この国の敵なのだ!」


 狂ったように叫ぶアルベルトの姿を、王妃クリスティーヌとレオナルドは、冷めた憐憫の眼差しで見つめていた。

 結局、彼は父と同じ地獄を選んだのだ。しかし、父にはクリスティーヌという国の盾がいたが、アルベルトが切り捨てたアンジェリカは、すでにレオナルドの手を握っていた。


 廃嫡され、地下牢へと落とされたアルベルトは、最期まで自分の愚かさを認めなかった。


「私が王だ! あの不義の子に、何ができる!」


 荒れ果てた独房で、彼は自分を見捨てた父を、自分を愛してくれなかった母を、そして何より、自分よりも愛されていたレオナルドを呪い続けた。


 寂しさを埋めるために権力を振りかざし、他者の愛を奪うことでしか自尊心を保てなかった男。

 彼は、自分が仕掛けた火災が王宮を焼き尽くす中、誰にも看取られることなくその命を散らした。

 灰となった彼の記憶は、新時代の夜明けとともに、静かにかき消されていったのである。


(完)

番外編も含め、これにて本当に完結となります。


まだ設定を活かしきれていない部分も多く、書きたいお話がたくさんあります。

王妃や、国王のお話など別サイドのお話もそのうち書いていければと思いますので、その時はぜひお付き合いくださいませ。

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