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第24話:再誕の静寂

 王宮を呑み込もうとした炎は、夜明けの訪れとともにようやく鎮まった。

 黒く煤けた「番の間」の残骸からは、細い煙が立ち昇り、冷たい朝の空気に溶けていく。


 アルベルトとプリシラが炎の中に消えてから、数時間が経過していた。

 アンジェリカは、王宮の一角にある応接室で、レオナルドの手当てを終えたところだった。彼の掌に巻かれた包帯には、僅かに赤い血が滲んでいる。


「……アンジェ。もういい。君まで汚れてしまう」


 レオナルドが、掠れた声で彼女を制した。

 エメラルドの瞳は、燃え盛る業火を見届けたことで、どこか透明な鋭さを増している。彼は自らの手を見つめ、静かに言葉を続けた。


「兄上は……あの人は、最期まで『王』であろうとしていた。だが、彼が求めたのは王座という椅子ではなく、そこから得られる際限のない肯定だったんだ。番という運命に甘え、すべてを許される子供のままでいたかった……」

「……ええ。そして、その未熟さが多くの人を傷つけた」


 アンジェリカは、レオナルドの隣に腰を下ろした。

 彼女の紫のドレスも、裾が焼け、灰で汚れている。けれど、その気高さは一分も損なわれてはいなかった。


「レオ。あの方が遺した負の遺産は、私たちがすべて清算しましょう。それが、生き残った者の義務だわ」


 ---


 正午、国王ジェイスと王妃クリスティーヌが、レオナルドたちの元を訪れた。

 ジェイスの顔には、実の息子を失った悲しみよりも、王としての責任を果たせなかったことへの深い落悔が刻まれていた。


「……レオナルド、アンジェリカ嬢。二人とも、無事であったか」


 ジェイスの声は、驚くほど老け込んで聞こえた。

 彼は焼け落ちた塔の方向を一瞥し、重い溜息をついた。


「アルベルトのことは、私の不徳だ。番というものに固執し、あの子の心の歪みを見過ごしてきた。……レオナルド。お前に、これ以上の重荷を背負わせたくはないが……」

「分かっております、陛下」


 レオナルドは立ち上がり、国王の前で深く頭を下げた。


「私は、この国の王太子として、崩れた秩序を立て直します。番という運命に頼るのではなく、人の手による統治を。……そして、アンジェリカ嬢を僕の唯一の妃として迎え、共に歩むことをお許しください」


 ジェイスは、隣に立つクリスティーヌを見た。

 王妃は、静かに頷く。彼女の瞳には、かつて自分が歩んできた「義務と愛」を、より強固な形に昇華させようとする若き二人への、確かな信頼が宿っていた。


「……よかろう。立太子の儀は、改めて執り行う。今度は形式などではない。真にこの国を支える主としての、誓いの場だ」


 国王の許しを得て、アンジェリカは静かに一礼した。

 だが、彼女の心には、まだ一つの「澱」が残っていた。


 偽りの番、カレン。

 そして、彼女を操っていた禁忌の術式。

 アルベルトが放った最後の一撃は、レオナルドの体を傷つけるだけでなく、この国の「番」という制度そのものに、決定的な疑問を突きつけたのだ。


 ---


 その日の夕刻、アンジェリカは一人、地下牢へと続く階段を下りていた。

 そこには、魔力が枯渇し、抜け殻のようになったカレンが横たわっている。


「……アンジェリカ、様……」


 カレンの声は、もはや聞き取れないほどに細い。

 アンジェリカは格子の外に立ち、冷ややかに彼女を見下ろした。


「貴女が使った『擬似共鳴』の薬……あれは、どこで手に入れたの?」

「……アルベルト様が……メルフィール家の伝てで、バーネット家宛に……。でも、私は……本当に、殿下の番になりたかっただけ……」

「……滑稽ね」


 アンジェリカは、小さく鼻で笑った。


「貴女が愛していたのはレオナルド殿下ではなく、『番』という甘美な地位だった。……番という運命さえあれば、努力も信頼も必要ないと信じた、貴女のその浅ましさが、この結果を招いたのよ」


 アンジェリカは、持っていた手紙を格子の隙間から投げ入れた。

 それは、カレンの実家であるバーネット伯爵家が、全ての爵位を剥奪され、国外追放になったことを示す公文書だった。


「貴女の居場所は、もうどこにもない。……一生、その冷たい石畳の上で、偽りの夢の続きを反芻していなさい」


 アンジェリカが背を向けた時、背後でカレンのすすり泣く声が響いた。

 けれど、彼女は一度も振り返らなかった。


 地上へ戻る階段を上りながら、アンジェリカは自らの胸に手を当てた。

 カレンが偽物であったことは証明された。

 だが、いつかレオナルドに「本物の番」が現れたら、自分はどうするだろうか。


(……いいえ、そんなことはさせない)


 アンジェリカは、唇を強く引き結んだ。

 運命がレオナルドに牙を剥くなら、自分がその運命を支配する。

 王族の血に刻まれた呪いさえも、自らの手で書き換えてみせる。


 その決意を胸に、彼女は光の差す出口へと歩みを進めた。

 そこには、怪我を負った手で再びペンを握り、国の再建に着手しているレオナルドが待っているはずだ。


 二人の歩む道は、清らかな花道ではない。

 血と灰、そして消えない罪悪感の上に築かれる、茨の王道だ。

 けれど、その先に待つ景色がどんなに過酷なものであろうとも、二人の手が離れることは決してない。


 いよいよ明日、王太子としての再認定が行われる。

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