第23話:灰燼の果て
夜空を焦がす炎の咆哮が、レオナルドの発した冷気によって一瞬で掻き消された。
静寂が訪れる。
アルベルトが放った短剣を素手で掴み、掌から鮮血を滴らせながらも、レオナルドは微塵も揺らがなかった。そのエメラルドの瞳は、もはや兄を肉親とは見ていない。ただ排除すべき「害悪」として、冷徹にその存在を否定していた。
「……レオ、手が」
アンジェリカが駆け寄り、レオナルドの傷ついた手を支えようとする。だが、レオナルドはそれを優しく制した。
「下がっていろ、アンジェ。……僕が、この男に引導を渡す」
レオナルドの一歩ごとに、石畳が凍りついていく。
アルベルトは、自らの渾身の一撃が防がれたことに絶望し、後ずさりした。その背後では、魔力に呑み込まれたプリシラが、焼け爛れた皮膚を晒しながら「痛いですぅ、熱いですぅ」と壊れた人形のように繰り返している。
「……化物め。貴様こそ、人の心を持たぬ化物だ、レオナルド!」
アルベルトが叫ぶ。その声は震え、膝は笑っていた。
「番という運命さえも欺き、偽造し、排除する……。そんな冷酷な男が王になるなど、この国は呪われるぞ! 私の方が、私の方がずっと人間らしく、愛を知っていた……!」
「愛、か」
レオナルドは自嘲気味に口角を上げた。
「……お前の言う愛とは、甘えと依存の別名に過ぎない。自分を正当化するために『番』という仕組みを利用し、隣に立つべき者の献身を踏みにじった。……その報いが、今のその姿だ」
レオナルドが手をかざすと、アルベルトの足元から氷の棘が噴き出した。
逃げ場を失ったアルベルトは、背後の炎の中へと追い詰められていく。かつて彼が「真実の愛」を誓ったプリシラは、既に正気を失い、足元に迫る冷気と背後の炎の間で、奇妙な踊りを踊っているようだった。
「アンジェリカ様ぁ! 助けて……助けてくださいぃ!」
プリシラがアンジェリカに向かって、泥にまみれた手を伸ばす。
アンジェリカは、その手を冷ややかに見つめ返した。アメジストの瞳には、かつての憐れみすら残っていない。
「……さようなら、プリシラ。貴女は最後まで、自分が何を奪い、何を壊したのか理解できなかったのね」
アンジェリカの言葉が終わるのと同時だった。
「番の間」の屋根が、轟音と共に崩落した。
火の粉が舞い上がり、アルベルトとプリシラの姿を飲み込んでいく。
「嫌だ……! 私は王だ! 私は、ベインツの王になる男だぁぁ!」
アルベルトの最期の絶叫は、崩落の音にかき消された。
炎と氷が混ざり合い、激しい水蒸気が立ち込めるなか、二人の気配は完全に消え失せた。自らが火を放った「愛の檻」が、そのまま彼らの墓標となったのだ。
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静寂が戻った庭園で、レオナルドは静かに剣を鞘に収めた。
彼の掌からは依然として血が流れていたが、その顔には、憑き物が落ちたような静かな決意が宿っていた。
「……終わったよ、アンジェ」
レオナルドが振り返る。
アンジェリカは無言で彼に歩み寄り、自身のドレスの裾を裂いて、彼の傷ついた手に固く巻きつけた。
「ええ。……すべて、終わったのね」
アンジェリカは、レオナルドの胸に顔を寄せた。
王宮のあちこちから、消火に当たる兵士たちの声や、避難する人々の喧騒が聞こえてくる。けれど、この庭園だけは、世界の終わりのような静けさに包まれていた。
「レオ。貴方は、私を守るためにその手を汚した。……その罪も、その傷も、私が半分背負うわ」
「……いや。僕が、君を光の中へ連れて行くんだ。あのような泥沼の愛ではなく、僕たちが一歩ずつ築き上げてきた、この確かな絆で」
レオナルドは、血の滲む手でアンジェリカの頬を包み込んだ。
二人の背後では、燃え盛っていた「番の間」が、無惨な骸を晒している。
王族の特権、番という呪縛、そしてそれに溺れた者たちの末路。そのすべてが、今、灰となって夜空に消えていこうとしていた。
「……行きましょう、レオ。陛下と王妃様が待っておいでです」
アンジェリカはレオナルドの手を引き、炎を背にして歩き出した。
明けない夜はない。
けれど、その先に待つ夜明けが、どのような色をしているのか。
二人はまだ知らない。ただ、互いの掌に残る確かな熱だけを信じて、崩れゆく王宮の回廊を、前だけを見て進んでいった。
その足取りは、どこまでも気高く、そして残酷なまでに美しかった。




