第20話:共鳴の不協和音
カレン・バーネット伯爵令嬢が「番の間」に招き入れられてから、レオナルドの変節は王宮中の知るところとなっていた。
かつての冷徹な才気は影を潜め、彼は何かに怯えるようにカレンの元へ通い、そして逃げるようにアンジェリカの元へ戻ってくる。
「……おかしいわ」
アンジェリカは、執務室の机に広げられた「バーネット伯爵家」の家系図を指先でなぞった。
アメジストの瞳には、疑念の火が灯っている。
王家の血筋に現れる「番」は、絶対的な魂の共鳴だ。しかし、レオナルドがカレンに見せる反応は、共鳴というよりは「中毒」に近い。彼女の前に立つと理性が混濁し、離れると激しい禁断症状に襲われる。
「ソフィア。カレン様が召し上がっているハーブティーの茶葉、そして彼女が常に身につけている香袋を調べさせて。……極秘よ」
「アンジェリカ様、まさか……。番の認定は、陛下の御前で行われた神聖な儀式ですよ?」
「神聖な儀式だからこそ、利用価値があるのよ」
アンジェリカは冷たく言い放った。
あの立太子式のあの日、レオナルドがカレンに触れた瞬間の違和感。彼の手が震えていたのは、歓喜ではなく「拒絶」に抗うための震えではなかったか。
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深夜。アンジェリカは隠し通路を通り、カレンが幽閉されている「番の間」の裏側へと向かった。
魔法障壁の隙間から、室内の様子を窺う。
そこには、レオナルドの膝にすがりつき、瞳を潤ませるカレンの姿があった。
「レオ様ぁ……。私を置いていかないでください。私は貴方の運命なのでしょう……?」
その声、その仕草。
アンジェリカの背筋に、冷たいものが走った。
(……プリシラに、似ている)
下位貴族特有の卑屈さと、それを覆い隠すような過剰な媚態。
レオナルドは、まるで泥濘に足を取られた男のように、虚ろな目で彼女の髪を撫でていた。その指先が、カレンの首元にある「紋章」に触れる。
「ああ……カレン。君は、僕の番だ。……そうだろう?」
「ええ、そうですよぅ。あんな冷たいアンジェリカ様のことなんてぇ、忘れちゃいましょう……?」
カレンがレオナルドの唇を奪おうとしたその時、レオナルドが激しく突き飛ばした。
「……黙れ! アンジェの名を、その汚れた口で呼ぶな!」
レオナルドは嘔吐くように胸を押さえ、よろよろと部屋を飛び出した。
彼の瞳には、依然として情欲の火が灯っているが、心はそれを激しく拒絶している。
「……やはりね」
アンジェリカは闇の中で確信した。
カレンが持っているのは、番の共鳴ではない。王族の血が持つ「番を求める本能」を強制的に誤作動させる、禁忌の魔導薬か呪術の類だ。
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「……見つけたわよ、アルベルト」
翌日、アンジェリカは地下牢の記録から、アルベルトが廃嫡直前にメルフィール家を通じて「ある禁書」を取り寄せていた事実を突き止めた。
それは、古代の術式。
特定の香料と血を混ぜ合わせることで、偽りの「番の紋章」を一時的に浮かび上がらせ、対象者の理性を奪う「擬似共鳴」の呪い。
アルベルトは、自分を地獄に落としたレオナルドとアンジェリカへの復讐として、カレンという「生ける毒」を送り込んだのだ。
「自分の番さえ利用して、レオを壊そうとしたのね」
アンジェリカは、手元の報告書を握りつぶした。
カレンがレオナルドに近づくたび、彼女が発する香気はレオナルドの神経を焼き、やがては彼を廃人にするだろう。
「……ソフィア。解毒薬の調合を。……それから、騎士団を動かしなさい。カレン・バーネット……いいえ、偽物の番を、今夜のうちに『処理』するわ」
アンジェリカの瞳に、獲物を屠る獣のような鋭い光が宿る。
運命が自分たちの仲を裂こうとするならば、その運命の首を刎ねるまで。
愛する男の魂を取り戻すため、アンジェリカは自ら血塗られた道を選択した。
その頃、何も知らないカレンは、「番の間」で不気味な笑みを浮かべていた。
彼女の袖口からは、アルベルトから授かった、どす黒い紫色の香煙がゆらゆらと立ち昇っていた。




