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第19話:模造された運命

「番」が見つかったという歓喜の余韻は、王宮の空気を歪なものに変えていた。

 レオナルドがカレン・バーネットという地方貴族の伯爵令嬢を伴い、「番の間」へ入ってから三日が経過している。表向きは運命の成就を祝う声に溢れていたが、その中心にいるレオナルドの様子は、明らかに常軌を逸していた。


 アンジェリカは、王太子妃としての実務を淡々とこなしながら、密かにレオナルドの動向を監視させていた。


「……アンジェリカ様。レオナルド殿下は、本日も政務をすべてキャンセルされました」


 ソフィアが沈痛な面持ちで報告する。

 アンジェリカは羽ペンを置かず、無機質な声で応じた。


「理由は?」

「カレン様と離れると、激しい動悸と頭痛に襲われるのだと……。一刻も彼女の側を離れようとせず、まるで何かに取り憑かれたように、彼女を求めていらっしゃいます」


 アンジェリカの手が、わずかに止まった。

 アメジストの瞳が、机の上に置かれた一通の調査書に向けられる。


「……レオナルド殿下は、番を嫌悪していた。本能に支配されることを、死よりも恐れていたはずよ。それが、出会った瞬間にこれほどまで心変わりするものかしら」


 アンジェリカは立ち上がり、テラスへと出た。

 視線の先には、高くそびえ立つ「番の間」がある。そこはかつて、アルベルトがプリシラを囲い、すべてを失った場所だ。


「ソフィア。バーネット伯爵家の財政状況を調べなさい。それから、メルフィール子爵家――プリシラの実家との接点も。……この『偶然』は、あまりに出来すぎているわ」


 アンジェリカの勘は、鋭く、そして冷徹だった。

 彼女はレオナルドを信じている。だが、それ以上にレオナルドという男の「強靭な理性」を信じていた。その理性が、たかが血の反応だけでこうも容易く瓦解するはずがない。


 ---


 その夜、アンジェリカは人目を忍び、レオナルドの私室を訪れた。

 しかし、そこに主の姿はない。部屋には、彼が愛用していたインクと、そして……嗅ぎ慣れない、ねっとりとした甘い香りが残っていた。


「……この香りは?」


 アンジェリカは顔をしかめた。

 それは花のような芳香でありながら、どこか腐肉を隠すためのような、神経を逆撫でする不快な甘さを含んでいる。


 彼女はそのまま、レオナルドがいるはずの「番の間」へと続く回廊を歩いた。

 魔法障壁で守られた扉の前には、レオナルドの側近たちが立ち尽くしている。彼らはアンジェリカの姿を認めると、申し訳なさそうに視線を伏せた。


「……殿下は?」

「……カレン様と、お休みです。どなたも入れるなと、激しい口調で命じられました」


 アンジェリカは側近を押し退け、強引に扉を開けた。

 室内は、あの不気味な甘い香りに満たされていた。


「レオナルド殿下」


 アンジェリカの声に、寝台に座り込んでいたレオナルドが顔を上げた。

 彼のプラチナグレーの髪は乱れ、エメラルドの瞳は濁っている。その腕には、怯えたような表情を作ったカレンがしがみついていた。


「……アンジェ、リカ……。来るなと言っただろう」


 レオナルドの声は、地を這うように低く、そして掠れていた。

 彼はカレンを抱きしめているが、その指先は彼女の肌を愛しむのではなく、引きちぎらんばかりに強く握りしめられている。


「殿下、貴方は疲れていらっしゃるわ。一度、自室へ戻りましょう。王妃様も心配されています」

「嫌だ……。ここを離れると、胸が、焼けるように……」


 レオナルドは嘔吐くように自分の胸を掻きむしった。

 その様子を、カレンがレオナルドの背後に隠れながら見つめている。その瞬間、アンジェリカは見た。

 カレンの瞳に宿った、嘲笑うような、昏い光を。


「アンジェリカ様ぁ……。レオ様は、私のそばにいたいと仰っているんですぅ。そんなに無理強いするのは、可哀想じゃありませんかぁ?」


 カレンの口調。語尾を伸ばす独特の響き。

 それは、今や地下深くで朽ち果てようとしているプリシラのものと、戦慄するほど酷似していた。


 アンジェリカの脳内で、バラバラだったピースが噛み合っていく。

 これは「番」ではない。

 これは、誰かが仕組んだ、レオナルドの理性を破壊するための「劇薬」だ。


「……下がりなさい、カレン・バーネット。貴女が誰の手先であれ、私の男に触れることは許さない」


 アンジェリカの全身から、凍てつくような殺気が放たれた。

 カレンは悲鳴を上げてレオナルドの胸に顔を埋めたが、アンジェリカは一歩も引かなかった。


(アルベルト……貴方ね。自分が落ちた地獄へ、レオを引き摺り込むつもりかしら)


 アンジェリカは、理性を失いかけているレオナルドの頬を強く打った。

 乾いた音が響き、レオナルドの瞳に一瞬、正気の火が灯る。


「……正気に戻りなさい、レオ。貴方は、こんな『偽物』に膝を屈する男ではないはずよ」


 アンジェリカはレオナルドを睨みつけ、そして背後にいるカレンを見据えた。

 王国を揺るがす最大のスキャンダルは、まだ始まったばかりだった。

 アンジェリカは、愛する男を救うため、そして自分たちの未来を汚す全ての存在を排除するため、かつてないほど冷酷な「処刑人」としての顔を露わにした。

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