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第17話:絶対正義の貌

「番」の認定から数日。王宮の表面は、かつてないほどの祝祭ムードに包まれていた。

 新王太子レオナルドと、その運命の番カレン。二人の美談は吟遊詩人によって語られ、国民は「今度こそまともな王家が戻ってきた」と手放しで喜んでいる。


 だが、その熱狂の陰で、アンジェリカは静かに「番の間」の統治を完成させようとしていた。


「アンジェリカ様、カレン様の『番の間』の改装が終わりました」


 ソフィアの報告に、アンジェリカは手元の書類から目を上げた。

 改装。それはアルベルトがプリシラに施したような、贅の限りを尽くしたものではない。

 窓には精巧な彫刻を施した鉄格子が嵌められ、出入り口は魔法障壁によって管理される。それは「聖域」という名の、世界で最も美しい監獄だった。


「……彼女の様子は?」

「はい。何が起きているのか、まだ理解しておられないようです。ただ、レオナルド殿下がお姿を見せないことに、ひどく怯えていらっしゃるようで……」

「そう。……では、殿下を送り込んであげて。それが彼の『公務』だもの」


 アンジェリカの言葉には、刃のような冷たさが宿っていた。


 ---


 その日の午後、アンジェリカは地下の「罪人の間」を訪れた。

 ここはもはや王宮の一部ではない。湿った石壁と、腐った藁の匂いが充満する死の空間だ。


「……あら。随分と仲睦まじいこと」


 格子の向こう側。

 アルベルトとプリシラは、一つの薄汚れた毛布を奪い合い、互いを罵り合っていた。

 アンジェリカの声を聞いた瞬間、二人の動きが止まった。


「ア、アンジェリカ……! お前、何しに来た! 私を……私をここから出せ!」


 アルベルトが鉄格子にしがみつき、血走った目で叫ぶ。その指先は爪が割れ、かつての気品など微塵もない。


「アンジェリカ様ぁ! お願いですぅ、助けてくださいぃ! プリシラ、もうこんなところ嫌ですぅ! アルベルト様なんて、もう大嫌いですぅ!」


 プリシラが泥に汚れた顔で泣きつく。

 アンジェリカは、扇で鼻先を隠しながら、冷ややかに二人を見下ろした。


「……面白いことを仰るのね。貴方たちが選んだ『真実の愛』ではありませんか。番とは、運命に選ばれた絶対の結びつきなのでしょう?」

「あんなの……あんなの、嘘だ! レオナルドもそうだろう! あいつも番を見つけたんだ! お前は捨てられたんだよ、アンジェリカ!」


 アルベルトが狂ったように笑う。その瞳には、自分と同じ地獄に落ちた者を見つけたという、浅ましい悦びが宿っていた。


「……いいえ。レオナルド殿下は、私を選びましたわ。番という『本能』に、理性と愛で打ち勝とうとしておいでです」


 アンジェリカは一歩、格子に近づいた。


「貴方たちは、番を『甘えるための免罪符』にした。けれど、私たちはそれを『国を支配するための道具』にした。……その違いが、この場所の差ですわ」


 アンジェリカは懐から一通の書類を取り出した。


「今日、貴方たちの『廃嫡』と『家名剥奪』が正式に完了しました。明日から、貴方たちの食事は一日一回になります。……ああ、そうそう。アルベルト殿下……いえ、もうただのアルベルトね。貴方が疎んでいた『レオナルド殿下』は、今頃、若くて純粋な番の少女を、死ぬほど憎みながら抱いていますわ」

「な……っ」

「……これが、貴方たちが壊そうとした『王家の形』の結末よ」


 アンジェリカは、絶望に顔を歪める二人を背に、ゆっくりと地下道を戻っていった。

 背後で響く絶叫と呪詛。それはもはや、彼女の心にさざ波ひとつ立てることはなかった。


 ---


 地上に戻ると、夕闇の中にレオナルドが立っていた。

 彼は「番の間」から戻ったばかりなのだろう。衣服は乱れ、その首筋には新しい爪痕が刻まれていた。

 彼のエメラルドの瞳は、激しい嫌悪と、アンジェリカへの壊れそうなほどの執着で濁っている。


「……アンジェ。……殺してくれ。あそこへ行くたびに、僕は自分を汚している気分になる」


 レオナルドはアンジェリカの足元に崩れ落ち、彼女のドレスの裾を強く握りしめた。


「あの娘の声が、肌が、……僕の脳を掻き回すんだ。でも、心は一ミリも動かない。……不快だ。あんなもの、愛でも何でもない」


 アンジェリカは、膝をついて彼を優しく抱きしめた。

 彼の体から漂う、見知らぬ少女の香水の匂い。それを塗り潰すように、アンジェリカは彼の耳元で囁く。


「……いいのよ、レオ。貴方はよくやっているわ。……あの娘を、この国を繋ぎ止めるための『生贄』だと思いなさい。……そして、汚れた体は、私が何度でも清めてあげる」


 アンジェリカは、レオナルドの首筋にある爪痕を、指先でなぞった。

 少し強く、爪を立てる。

 レオナルドは痛みに顔を歪めながらも、救いを求めるようにアンジェリカの唇を奪った。


「……愛している。アンジェ……僕を、捨てないでくれ……」

「捨てませんわ。……貴方は、私の王だもの」


 アンジェリカは、月の下で微笑んだ。

 その笑みは、救済の女神のようでもあり、魂を喰らう悪魔のようでもあった。


 アルベルトという愚かな王を排除し、レオナルドという歪な王を創り上げた。

 そして、その傍らで微笑む自分こそが、この王国の真の支配者。

 運命が自分を捨てたというのなら、運命そのものを奴隷にしてやればいい。


 アンジェリカの長い影が、夜の王宮に深く、深く伸びていった。

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