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第15話:選別の儀

 立太子式当日の朝。王宮を包む空気は、冷たく張り詰めていた。

 アンジェリカは、鏡の中に映る自分を見つめた。深い紫のドレスを纏い、アメジストの瞳を峻烈に輝かせるその姿は、一国の運命を背負う王妃のそれだった。


「アンジェリカ様、お時間です」


 ソフィアの声に導かれ、アンジェリカはゆっくりと歩き出した。

 広間へと続く回廊には、色とりどりのドレスを着飾った令嬢たちが並んでいる。国中から集められた十四歳以上の貴族の娘たち。彼女たちは皆、期待と不安の入り混じった表情で、次期王太子となるレオナルドの登場を待っていた。


 その列の端、目立たない場所に、一人の少女が立っていた。

 質素だが手入れの行き届いたドレスを着た、地方貴族の娘だろうか。アンジェリカがその横を通り過ぎようとした時、不意に、言いようのない「震え」が空気を伝わった。


(……何かしら、今の感覚は)


 アンジェリカは足を止めず、前だけを見て歩き続けた。


 ---


 大広間の壇上。国王ジェイスと王妃クリスティーヌが並び、その傍らにアンジェリカが控える。

 やがて、重厚な扉が開かれ、レオナルドが入場した。


 プラチナグレーの髪を端正に整え、正装に身を包んだ彼の姿に、会場の令嬢たちから吐息が漏れる。アルベルトのような傲慢さはない。だが、その瞳に宿る冷徹な覇気は、見る者をひれ伏させる圧倒的な威厳に満ちていた。


 レオナルドは壇上に登り、国王の前に膝を突いた。

 立太子の儀式は、厳粛に、滞りなく進んでいく。レオナルドが王太子の剣を授かり、立ち上がったその時。


「……これより、番の見極めを行う」


 国王の声が、広間に響き渡った。

 レオナルドの体が、微かに強張ったのをアンジェリカは見逃さなかった。


 レオナルドはゆっくりと、令嬢たちが並ぶ列へと歩み寄る。

 一人ひとりの顔を、感情の失せた瞳で見つめていく。それは見極めというよりは、自分の中に潜む「魔物」が目覚めないかを確認するような、拒絶の歩みだった。


「……大丈夫よ、レオ。貴方は、私のもの」


 アンジェリカは壇上から、その背中を見守り続けた。

 半分、そして三分の二。

 レオナルドが通り過ぎるたび、選ばれなかった令嬢たちは安堵と落胆の入り混じった溜息をつく。


 だが、列の終端に近づいたその時。

 レオナルドの足が、ぴたりと止まった。


 広間を支配していた空気が、一瞬で熱を帯び、そして凍りついた。

 レオナルドの肩が激しく震え、その手から王太子の剣が滑り落ちる。


「……あ」


 レオナルドの口から、掠れた声が漏れた。

 彼が凝視していたのは、先ほどアンジェリカが違和感を覚えた、あの地方貴族の少女だった。


 少女が顔を上げる。その瞳が、レオナルドのエメラルドの瞳と重なった瞬間。

 目に見えない衝撃が、二人の間に走った。


「レオナルド殿下……?」


 少女が困惑したように声を上げる。

 レオナルドの瞳からは理性が消え、代わりに飢えた獣のような熱が宿っていく。彼は抗おうとするかのように自分の胸を掻きむしったが、その足は既に、磁石に引き寄せられるように少女へと向かっていた。


 会場の貴族たちがざわめき始める。

 王妃クリスティーヌが、唇を噛み締めて立ち上がった。


 アンジェリカは、その光景をただ静かに見つめていた。

 視界が白く染まり、心臓の音が耳元でうるさく鳴り響く。


「……嘘よ」


 アンジェリカの呟きは、誰にも届かない。

 レオナルドは少女の前に跪き、その手を力任せに掴んでいた。

 あんなにも「番なんて信じない」と言っていたレオナルドが。

「君が刺してくれ」とまで願った彼が。

 今、アンジェリカには一度も見せたことのない、魂を奪われたような顔で、見知らぬ少女を見上げている。


「見つけた……僕の、番……」


 レオナルドの声は、狂喜と絶望が混ざり合った異様な響きを湛えていた。


「レオ……!」


 アンジェリカが壇上から駆け下りようとした、その時。

 背後の影から、低い笑い声が聞こえた。


「……言っただろう、レオナルド。番からは、逃げられないんだよ」


 地下に繋がる扉の向こう側。

 かつて自分を虐げたアルベルトの、呪詛に満ちた笑い声が、アンジェリカの脳裏に直接響いたような気がした。


 完璧だったはずの計画。

 積み上げてきた愛と野心。

 それらすべてが、たった一瞬の「血の反応」によって、音を立てて崩れ去っていく。


 アンジェリカは立ち尽くしたまま、動けなかった。

 レオナルドが、その少女を抱きしめる。

 広間は祝福の拍手に包まれるが、アンジェリカにとっては、それは自分の葬送の鐘の音に他ならなかった。


 アメジストの瞳が、静かに絶望に染まっていく。

 だが、その奥底で、冷たく暗い火が灯った。


(……いいわ。ならば、その運命ごと、壊してあげる)


 アンジェリカは、再び完璧な微笑みを顔に貼り付けた。

 これから始まるのは、愛を巡る戦いではない。

 運命という名の神を殺すための、真の暗躍だった。

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