第11話:砂の城の崩落
アルベルトが廃嫡されてから、王宮の機能は驚くべき速さで正常化していった。
それは、彼がいかに「何もしていなかったか」という残酷な事実の裏返しでもあった。アンジェリカが整えた書類を、レオナルドが実効性のある施策へと変えていく。二人の流れるような連携に、当初は困惑していた閣僚たちも、次第に心酔に近い信頼を寄せるようになっていた。
アンジェリカは今、王宮の最深部にある、今は主を失った「王太子の間」の整理に立ち会っていた。
金糸をふんだんに使ったカーテンや、豪奢な家具。それらすべてに、アルベルトの無知な虚栄心がこびりついているようで、アンジェリカはわずかに鼻をついた。
「……アンジェリカ様、これをご覧ください」
ソフィアが、引き出しの奥から一束の紙を取り出した。
それは、プリシラからアルベルトへ送られた、膨大な数の「おねだり」のメモだった。
『アル様ぁ、お隣の公爵夫人が持っている真珠、とっても素敵でしたぁ。私もあれが欲しいですぅ』
『王妃様の執務室、広すぎてずるいですぅ。私の間も、もっと壁を壊して広くしてくださいねぇ』
稚拙な文字で綴られた欲望の数々。アンジェリカはそれを一瞥し、無感情に呟いた。
「……王家の財産を、自分の庭の石ころか何かだと思っていたのね」
その時、背後で重厚な扉が開く音がした。
現れたのは、レオナルドだ。彼は騎士団との演習を終えたばかりなのか、普段の優雅な装いとは異なる、革のチェストピースを纏った勇猛な姿をしていた。
「レオナルド殿下。……お疲れではありませんか?」
「君の顔を見れば、疲れなんて吹き飛ぶよ」
レオナルドは周囲の視線も構わず、アンジェリカの隣に並び、その肩にそっと手を置いた。
「兄上たちの様子はどう?」
「……相変わらずよ。先ほど報告があったわ。プリシラは、与えられた食事に毒が入っていると騒ぎ立て、アルベルト殿下はそれを宥めるどころか、彼女の分まで奪って食べようとしたそうよ」
レオナルドは、底冷えのするような薄笑いを浮かべた。
「極限状態に置かれれば、番としての情愛よりも、生存本能が勝る。……あんなにも『真実の愛』を謳歌していた二人にしては、あまりに惨めな結末だね」
レオナルドの視線が、室内に置かれたアルベルトの肖像画に向けられる。
かつて自分を蔑み、不義の子として影で嘲笑っていた兄。その男のすべてを、今、自分は塗り潰そうとしている。
「アンジェ。……僕が十八歳になる立太子式のパーティーには、国中の適齢期の令嬢が招かれる。形式上、避けられない儀式だ」
レオナルドの声が、わずかに沈んだ。
王族の血を引く者が十八歳を迎える時、国全土から選ばれた少女たちの前で、己の「番」を見極めなければならない。それがこの国の呪われた不文律だ。
「……分かっているわ、レオ。それが王家の定めですもの」
アンジェリカは、彼の胸元に手を添えた。
「もし、そこで貴方が番を見つけたとしても……」
「見つけない。そんなもの、僕が拒否してみせる」
レオナルドは彼女の手を強く握りしめ、その指先に執着を込めた。
「番の認定なんて、ただの脳の錯覚だ。あのような無残な姿になり果てるのが番だというなら、僕はそんなものに未来を委ねはしない。……僕にとっての運命は、五歳のあの日に、僕を見つけてくれた君だけだ」
アンジェリカは目を伏せ、彼の腕に身を委ねた。
アルベルトは、番さえいれば王になれると信じていた。
だが、レオナルドは違う。彼は番という概念そのものを敵と見なし、自らの力で運命を捩じ伏せようとしている。
「……レオナルド、アンジェリカ嬢。国王陛下がお呼びです」
廊下から王弟グレイン公爵の声が響いた。
二人は一度視線を交わし、互いの決意を確かめ合うと、主を失った華美な部屋を後にした。
その足取りに、迷いはない。
砂の城が崩れた後の荒野に、二人は自分たちだけの、鋼の城を築こうとしていた。
たとえその土台が、血と裏切りで汚れていたとしても。




