表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

万能スキル【調律】で捨てられた聖女、辺境で伝説の癒やし手になる。~「お前のスキルは地味すぎる」と追放した第一王子が国を滅ぼしかけて泣きついてきましたが、もう遅いので私は最強の騎士様と幸せになります~

作者: 月影の書記
掲載日:2025/12/31

本作をお読みいただきありがとうございます。 地味だと言われた才能が、実は世界を支える唯一無二の力だった……そんな逆転と救いの物語を書きました。リリアとアラリックの旅路の結末を、どうぞ見届けてください。

「お前のスキルは、ただの音合わせだろうが! そんな地味な能力で、よくも聖女を名乗れたものだな。今日この時をもって、貴様との婚約を破棄し、国外へ追放することを命ずる!」


 王立宮廷の豪奢な大広間。天井に吊るされた数千の魔晶石が冷たい輝きを放つ中、第一王子ジュリアンの怒号が響き渡りました。彼の傍らには、華美なドレスに身を包んだ一人の令嬢が寄り添っています。彼女はリリアをあざ笑うかのような、勝ち誇った笑みを浮かべていました。


 リリア・フォン・アルメリアは、その静寂の中でただ一人、背筋を伸ばして立っていました。彼女の細い肩にかかるプラチナブロンドの髪が、窓から差し込む冬の陽光に透けています。


「……ジュリアン様、お言葉ですが、私の『調律』は単なる音合わせではありません。この国の魔導回路、そして人々の魔力の循環を……」


「黙れ! 言い訳など聞きたくない。お前が夜な夜な魔導炉の地下で何をしていたかなど、誰も興味はないのだ。目に見える奇跡も起こせぬ無能は、我が王家には不要。これからは、真の聖女であるマリアが、光の魔力でこの国を導く。貴様のような日陰者は、辺境の泥の中で余生を過ごすがいい!」


 ジュリアンの言葉に、周囲の貴族たちが失笑を漏らします。彼らにとって、聖女とは華々しい癒やしの光を振りまき、あるいは戦場で敵を討つ強大な力を持つ象徴でした。


 リリアのように、魔導具の歪みを整えたり、空気中の魔力の不純物を取り除いたりといった「地味な作業」に没頭する娘は、王家の権威を損なう存在としか映っていなかったのです。


 リリアは瞳を閉じ、深く息を吐きました。彼女の耳には、この王宮が奏でる「音」が聞こえていました。それは、かつて彼女の父が作り上げた壮大な魔法体系が発する、美しいはずの旋律。


 しかし今、その音には微かな不協和音が混じり始めています。彼女が調律を止めた瞬間から、歪みは確実に広がっている。それを理解している者は、ここには一人もいませんでした。


「……承知いたしました。殿下のお望み通り、この国を去ります」


 リリアは深く一礼し、きびすを返しました。罵声と嘲笑が背中に投げつけられますが、彼女の心は不思議といでいました。


 十年間、この国の平和のために、一睡もせず魔力の糸を紡ぎ続けてきた日々。それが今日、終わる。それは絶望であると同時に、あまりに長い義務からの解放でもありました。


 彼女に許されたのは、古びた旅鞄一つと、聖女の証であるはずの調律用の銀の音叉おんさだけでした。王家から与えられた名前も、領地も、すべてが剥奪されました。


 城門を出る際、彼女を見送る者は誰一人いません。かつて彼女が「調律」して救ったはずの騎士たちも、今は新しい聖女マリアの機嫌を取ることに夢中でした。


 リリアは王都を囲む高い城壁を抜け、人気のない街道を歩き始めました。目指すは、地図の端に記された「辺境の地」。そこは魔物の蔓延はびこる不浄の地とされ、王宮の華やかさとは無縁の場所です。


 しかし、彼女の足取りは軽やかでした。道端に咲く名もなき花が、魔力の枯渇によって枯れかけているのを見つけ、リリアはそっと銀の音叉を鳴らしました。


 キィーン……という、澄んだ音が空気に溶け込みます。すると、枯れかけていた花弁が瑞々(みずみず)しさを取り戻し、感謝するように揺れました。


「私の力は、やっぱり地味ね……。でも、これでいいの」


 リリアは自嘲気味に微笑みました。自分を必要としない場所に、未練などありません。彼女はただ、自分が自分らしくいられる場所を求めて、冷たい風の中を進んでいきました。


 その頃、王宮の最深部にある魔導炉室では、一人の技術者が首を傾げていました。


「おかしい……。いつもなら一定のリズムを刻んでいるはずの針が、先ほどから妙に震えている」


 彼はその震えを、一時的な電圧の変化だろうと楽観視しました。しかし、魔導炉の奥底では、リリアが長年抑え込んできた「歪み」が、主を失ったことで濁流のように膨れ上がり始めていたのです。


 王国の心臓部は、静かに、しかし確実に、崩壊へのカウントダウンを刻み始めていました。一方のリリアは、そんな異変など知る由もなく、地平線の向こう側に広がる広大な原生林を眺めていました。


 そこには、王宮の誰もが恐れ、忌み嫌う「死の森」が広がっています。


「……あそこなら、静かに暮らせるかしら」


 リリアは呟き、最後にもう一度だけ王都を振り返りました。夕闇に包まれる黄金の都。その空気が、彼女の目にはよどんで見えました。彼女は二度と振り返ることなく、深い森の中へと足を踏み入れました。


 森の入り口で、彼女を待っていたのは、想像を絶する光景でした。本来、清浄な魔力で満たされているはずの森は、どす黒い瘴気しょうきに覆われ、木々は苦しげに枝を歪めています。


 リリアは眉をひそめ、音叉を握りしめました。


「なんてこと……。ここも、調律が必要ね」


 彼女は立ち止まり、深く膝を折って、汚染された大地に手を触れました。リリアの物語は、この捨てられた辺境から、新しい旋律を刻み始めようとしていたのです。


 ◇


 深い霧が立ち込める「死の森」の奥深く、リリアは一歩一歩、慎重に地面を踏みしめていました。王宮で教えられた伝説によれば、この森はかつての魔王の呪いが色濃く残り、立ち入った者は二度と生きては戻れない不浄の地とされています。


 しかし、リリアの鋭敏な耳に届くのは、恐ろしい怪物の咆哮ほうこうではなく、調律を失い、悲鳴を上げている自然界の「不協和音」でした。


 大気を満たす瘴気は、あまりに密度が高いために、物理的な質量を持って彼女の肌を刺します。リリアは立ち止まり、懐から使い古された銀の音叉を取り出しました。


 キィーン……。


 澄んだ音が、重苦しい空気を切り裂きます。彼女が音叉を空に向かって一振りすると、その振動が波紋のように広がり、周囲の瘴気を一時的に「整列」させ、無害な魔力へと変質させていきました。


「……やっぱり。これは呪いなんかじゃない。ただ、魔力の流れが極端にねじ曲がっているだけ。誰かが正しく調律してあげれば、ここは豊かな恵みに満ちた場所になるはずだわ」


 リリアは、霧の向こう側に広がる微かな光の揺らぎを見つけました。そこには、一人の男が倒れていました。


 漆黒の甲冑をまとい、背中には折れた大剣を背負ったその人物は、全身から禍々(まがまが)しいほどの黒い霧を噴き出しています。それを見た瞬間、リリアの背筋に冷たいものが走りました。


 それは「死」の気配ではありません。あまりに強大すぎる魔力が、制御を失って持ち主の体を内側から破壊しようとしている、暴走の響きでした。リリアは躊躇することなく駆け寄り、男の胸元に手を当てました。


「うっ、あ……。来るな、離れろ……。俺に触れれば……お前も、壊れる……」


 男は苦しげに瞳を開きました。その瞳は、燃えるような深いあか色をしていました。リリアは彼を安心させるように、穏やかな微笑を浮かべます。


「大丈夫ですよ。私は調律師。あなたの不協和音を、少しだけ整えさせてください」


 リリアは音叉を男の胸の中央に構えました。全神経を集中させ、彼の体内を巡る魔力の奔流を「聴き」取ります。


 それは、幾千もの戦場を駆け抜け、裏切りと孤独を積み重ねてきた者の、荒々しくも気高い旋律でした。しかし、その旋律のあちこちに、棘のような不純物が突き刺さり、音を歪ませています。


「……ここね」


 リリアは音叉を優しく叩き、特定の周波数を発生させました。彼女のスキル「調律」は、破壊することも、創造することもありません。ただ、そこにあるべきものを、あるべき姿へと戻すだけの力です。


 キィィィィィン……。


 高周波の音が森に響き渡ると、男の体から噴き出していた黒い霧が、粒子となって空中に霧散していきました。激しくのたうち回っていた魔力の糸が、リリアの指先に導かれるように、静かに整列していきます。


 やがて、男の顔から苦悶の色が消え、深い眠りに落ちたような穏やかな表情へと変わりました。リリアは額の汗を拭い、ふぅと小さく息をつきました。


 数時間が経過し、月が森のこずえを照らし始める頃。男はゆっくりと意識を取り戻しました。


「……ここは、冥府か?」


「いいえ、まだ死の森ですよ。目覚めてよかったです、騎士様」


 焚き火を囲んでいたリリアが声をかけると、男は跳ね起きるようにして身構えました。しかし、自分の体が驚くほど軽いことに気づき、驚愕に目を見開きます。


「馬鹿な……。俺にかけられた呪魔じゅまの刻印が消えている……? 王都の魔導師たちが、誰一人として解けなかったはずの絶望が、なぜ……」


「消えてはいませんよ。あなたの魔力を、あなたの体に適した形に整え直しただけです。……私はリリア。ただの、しがない調律師です」


 男の名は、アラリック。かつて帝国最強とうたわれながら、ある陰謀によって呪いを受け、この森に捨てられた「伝説の騎士」でした。


 アラリックは、リリアがたった一振りの音叉で自分の命を救ったことを理解し、深々と頭を下げました。


「……リリア。お前のような力を持つ者が、なぜこんな場所にいる。その腕があれば、王宮でぜいの限りを尽くせるはずだ」


「無能だと罵られて、追放されてしまったんです。私の力は地味すぎて、王子様には理解できなかったみたいで」


 リリアが苦笑いしながら話すと、アラリックは激しい憤りを瞳に宿しました。


「無能だと? これほどの奇跡を、あの愚か者たちは捨てたというのか……」


 それから数日の間、二人は森の奥にある廃屋を修繕し、共同生活を始めました。リリアの「調律」は、アラリックの体だけでなく、周囲の環境にも変化をもたらしました。


 彼女が森の土を調律すれば、一晩で瑞々しい果実が実り、泥水を調律すれば、それは聖域の湧き水よりも清らかな水へと変わりました。


 瘴気に満ちていた「死の森」の一部は、リリアの手によって、誰も知らない「隠れ里(楽園)」へと姿を変えつつあったのです。アラリックは、リリアの無垢な願いを叶えるために、森を徘徊はいかいする魔物から彼女を守る盾となりました。


「リリア。お前の調律があれば、俺は以前よりも強く戦える。お前の望む場所を、俺が切り拓こう」


「ありがとうございます、アラリックさん。私、ここでたくさんの人を助けたい。王宮では叶わなかった、本当の聖女としての仕事を」


 その頃。リリアを追放した王宮では、不穏な空気が漂い始めていました。


 第一王子ジュリアンは、謁見の間で苛立ちを募らせ、足元の絨毯を強く踏みつけます。


「どういうことだ、マリア! 魔導炉の不調を直せと言ったはずだ! 王都の街灯が半分も消え、国民の間で不満が高まっているのだぞ!」


「……そ、そんなことを言われましても! 私の光魔法は、傷を癒やすためのものですわ! こんな巨大な機械の調整なんて、聞いたこともありません!」


 新聖女マリアは、涙目で叫びました。彼女がどれほど清らかな光を炉に注いでも、内部の複雑な魔導回路の「歪み」を解消することはできませんでした。


 リリアがかつて、指先を血に染めながら繊細な魔力の糸を一本ずつ解きほぐし、数万箇所の接点を「調律」し続けていたことの重要性に、ジュリアンはようやく気づき始めたのです。


「……リリアだ。あの女だ。あの女を連れ戻せば、すべては元通りになる。おい、騎士団を呼べ! 今すぐリリアを連行してこい!」


 ジュリアンの怒号が虚しく響きます。しかし、彼らはまだ知りませんでした。


 リリアが去った後の王国は、単なる機能不全に陥っているのではない。長年積み重なってきた「魔力のよどみ」が、主のいなくなった空洞で、巨大な爆弾となって爆発の瞬間を待っていることを。


 物語は、平穏を取り戻しつつある辺境と、崩壊へと向かう王国の対比を鮮明に描き出していきます。リリアの奏でる「調律」の調べは、もはや一つの村に留まらず、世界全体の運命を左右する旋律へと変容しようとしていました。


 次なる嵐の予感。王国の使者が森の入り口に現れたその時、アラリックの大剣が、リリアを守るように鋭くひらめきました。


 ◇


 かつて「死の森」と呼ばれ、人々に忌み嫌われていた辺境の地は、今や「緑の揺り籠」という新しい名で呼ばれるようになっていました。


 リリアの「調律」がもたらした奇跡は、単に瘴気を払うだけに留まりませんでした。彼女が音叉を振るうたび、土地の魔力は整えられ、枯れ果てた土壌からは見たこともないほど瑞々しい作物が実り、澄み切った水が湧き出したのです。


 噂を聞きつけた周辺の貧しい村人たちや、王国の圧政に耐えかねた人々が一人、また一人と集まり、森の入り口には活気ある集落が出来つつありました。


「リリア様、見てください! 先月植えたばかりの薬草が、もうこんなに立派に育ちましたよ」


 元は病に伏せっていた老婆が、元気な足取りで駆け寄ってきます。リリアは微笑みながら、彼女が差し出した薬草にそっと触れました。


「ええ、とても良い旋律を奏でているわ。これなら、多くの人の傷を癒せるはずよ」


 リリアの側には、常にアラリックが控えていました。かつての禍々しい呪いは完全に消え去り、今の彼は洗練された強者としてのオーラをまとっています。


 リリアの調律によって魔力の循環を最適化された彼は、以前にも増して強大な力を発揮できるようになっていました。


 しかし、その穏やかな時間は、唐突に響き渡ったひづめの音によって破られました。森の境界線に現れたのは、白銀の甲冑に身を包んだ王立騎士団の一個小隊。その中心には、リリアがよく知る人物がいました。


「見つけたぞ、リリア! こんな泥臭い森に隠れ住んでいたとはな」


 先頭に立つのは、王宮騎士団長・ボルド。かつてリリアを「地味な女」とさげすみ、城から追い出す際に冷たい笑みを浮かべていた男です。彼は尊大な態度で馬を下りると、リリアに向かって一通の書状を突きつけました。


「喜べ。ジュリアン殿下の慈悲により、貴様の国外追放は取り消された。今すぐ王都へ戻り、魔導炉の修理に当たれ。……ああ、それから新しい聖女マリア様の補助も任せてやるそうだ。光栄に思えよ」


 ボルドの言葉に、リリアを守るように一歩前に出たアラリックが、鋭い殺気を放ちました。


「……貴様、誰に向かって口を利いている」


「あぁ? どこの馬の骨だお前は……。っ!? 貴様、その顔は……死んだはずのアラリック・ベルンハルトか!?」


 ボルドの顔が、驚愕で青ざめました。帝国最強の騎士が、なぜ追放されたはずのリリアと共にいるのか。その疑問が彼の脳内を駆け巡ります。


 リリアは静かにアラリックを制し、ボルドの目を真っ直ぐに見つめ返しました。


「お断りいたします、ボルド団長。私はすでにアルメリアの姓を捨て、聖女の称号も返上しました。今の私は、ただのリリア。この地で私を必要としてくれる人たちのために、この力を使うと決めたのです」


「ふん、贅沢なことを。貴様の勝手など許されると思っているのか! これは王命だ。力ずくでも連れて行く!」


 ボルドが剣を抜こうとしたその時でした。天を突くような轟音が、遥か遠く、王都の方向から響いてきたのです。


 リリアは息を呑み、空を見上げました。昼間だというのに、東の空が不気味な赤黒い色に染まっています。


「そんな……。魔導炉が……臨界点を超えたのね」


 リリアには聞こえていました。大地を通じて伝わってくる、断末魔のような悲鳴。彼女が十年間、一日の休みもなく整え続けてきた王国の魔導回路が、ついに修復不可能なほどに「ねじ切れた」音です。


 ボルドたち騎士の無線魔導具からも、悲鳴に近い通信が漏れ聞こえてきました。


『団長! 王宮が……王宮の地下が爆発しました! 聖女マリア様の光魔法も全く通じません! 魔力の暴走が市街地にまで溢れ出し、もう手が付けられません!』


「な、何だと……!? マリアは何をしていたんだ! あれは選ばれた聖女ではないのか!」


 ボルドが狼狽うろたえ、リリアに詰め寄ります。


「おい、リリア! 今すぐ何とかしろ! お前の地味なスキルなら、こういう時のためにあるんだろうが!」


「地味なスキル、ですか」


 リリアの声は、冷徹なまでに静かでした。


「ボルド様。魔導炉の歪みは、一朝一夕で溜まったものではありません。私がいた時は、毎晩私がそれを受け止め、調律し続けていた。それを『地味だ』『無能だ』と切り捨てたのは、あなたたちです」


「うるさい! いいから来いと言っているんだ!」


 逆上したボルドがリリアの腕を掴もうとしましたが、その手は空を斬りました。次の瞬間、アラリックの大剣がボルドの喉元に突きつけられていたのです。


「二度目はないぞ。我があるじに触れるな」


 アラリックの瞳に宿る真紅の光に、ボルドは腰を抜かしてへたり込みました。


 リリアは、赤く染まった空を悲しげな目で見つめていました。


「マリア様では、あの暴走は止められません。彼女の魔法は『付加』する力。すでに飽和している魔導炉にこれ以上の力を注げば、火に油を注ぐようなものです……」


「だったら、お前が行くしかないだろう! 頼む、リリア! このままでは王国が、我々の家がなくなる!」


 ボルドが泣きつきますが、リリアはゆっくりと首を振りました。


「……もう、遅いのです」


 彼女の脳裏には、かつて「ただの音合わせ」と笑い飛ばしたジュリアン王子の顔が浮かびました。彼らがリリアという「安全装置」を外したその瞬間に、この結末は決わっていたのです。


「私はもう、あなたの騎士でも、王国の聖女ではありません。私の音叉は、私を信じてくれるこの森の人たちを守るためにだけ、鳴らされるべきものです」


 その時、王都の方向からさらなる衝撃波が押し寄せ、森の木々が激しく揺れました。空から降ってくるのは、魔力の燃えカスである黒い灰。


 絶望に染まる騎士たちを置き去りにし、リリアは集落の人々に指示を出しました。


「皆さん、結界の内側へ! 余波が来ます。アラリックさん、森の『調律』を最大出力にします。手伝ってください!」


「了解した、リリア」


 リリアが音叉を天に掲げると、辺境の森全体が白銀の光に包まれました。王国の崩壊を告げる「転」の旋律。


 すべてを失った都と、すべてを手に入れ始めた辺境。運命は今、完全に逆転しようとしていました。


 リリアは、自分を信じて集まった人々の手を取り、押し寄せる時代の激流を真正面から見据えました。物語は、もっとも残酷で、もっとも慈悲深い「結末」へと向かって、一気に加速していきます。


 ◇


 王都の空が、真っ二つに割れたようでした。魔導炉から溢れ出した濁流だくりゅうのような魔力は、かつての黄金の都を容赦なく飲み込み、虚飾に満ちた建物を次々と崩壊させていきます。


「ああ、あああ……! 私の、私の国が……!」


 ジュリアン王子は、瓦礫の山となった玉座の間で、力なく膝をついていました。彼の自慢だった金糸の法衣は煤に汚れ、その目は狂気と絶望に染まっています。


 隣では、マリアがもはや魔法の輝きを失った杖を握りしめ、ガタガタと震えながら泣き叫んでいました。


「嫌……嫌よ! 私は聖女なのよ! こんなの、何かの間違いだわ!」


 しかし、彼女たちの叫びに答える者は誰もいません。王宮を支えていた魔導回路という名の神経系が死に絶えた今、この国はただの巨大な石の塊へと成り果てていたのです。


 一方、その災厄の波動は、リリアたちが住む辺境の森にまで到達しようとしていました。地平線の向こうから押し寄せる、禍々しい赤黒い衝撃波。


「リリア、来るぞ!」


 アラリックが叫び、大剣を地面に突き立てて身構えます。集落の人々は、恐怖に震えながらリリアの背中を見つめていました。


 リリアは、静かに銀の音叉を掲げました。彼女の目には、世界を巡る魔力の糸が、絡まり合い、悲鳴を上げているのが見えていました。


 それは王国という一つの生命体が死にゆく音であり、同時に、制御を失ったエネルギーがすべてを無に帰そうとする暴動の音でもありました。


「……大丈夫。私が、この音を終わらせます」


 リリアは音叉を、己の心臓に近い場所で一度、強く叩きました。


 キィィィィィィィィン……。


 かつてないほど長く、そして深い音が、リリアの体を中心に放射状に広がっていきます。それは「拒絶」の音ではなく、「受容」と「調律」の音でした。


 リリアは、押し寄せる暴走魔力を正面から受け止めました。本来なら一人の人間に耐えられる量ではありません。しかし、彼女にはこの数ヶ月、辺境の自然と人々と共に紡いできた「清浄な魔力の盾」がありました。


 アラリックが背後から彼女の肩を支えます。彼の強大な魔力が、リリアの音叉を通じて一つの巨大な旋律へと編み込まれていきました。


調律チューニング――世界よ、あるべき静寂へ戻りなさい!」


 リリアの声が響いた瞬間、辺境の森から放たれた白銀の波紋が、押し寄せる赤黒い衝撃波と衝突しました。激しい光が世界を包み込み、耳をろうするような静寂が訪れます。


 光が収まったとき、森の境界線で赤黒い濁流はピタリと止まっていました。それはリリアの調律によって牙を抜かれ、ただの無垢な魔力へと還り、温かな雨のように大地へと降り注いでいきました。


「……終わったのね」


 リリアは力尽きたように、アラリックの腕の中に倒れ込みました。


「ああ。お前が、この地を守り抜いたんだ。リリア」


 アラリックの声は、どこまでも優しく響きました。背後からは、集落の人々の歓喜の声が上がります。死の恐怖から解放された彼らは、涙を流しながらお互いの無事を確かめ合っていました。


 数日後、王国の崩壊は決定的なものとなりました。王都の大半は失われ、ジュリアン王子とマリアは、激怒した民衆によってその地位を追われました。彼らがその後どこへ消えたのか、知る者は誰もいません。


 皮肉なことに、王国を完全な消滅から救ったのは、彼らが無能と蔑み、追い出したリリアの調律でした。彼女が辺境で放った鎮静の波動がなければ、大陸の半分が地図から消えていたと言われています。


 さらに数年の月日が流れました。かつての死の森は、今や「緑の聖域」と呼ばれる、世界で最も美しく平和な自治区となっていました。


 リリアの指導のもと、人々は自然と調和した新しい魔導技術を確立しました。奪うのではなく、整える。消費するのではなく、循環させる。


 その中心に立つリリアは、今や王宮で着せられていた豪華なドレスではなく、動きやすい麻の服をまとい、庭仕事に精を出しています。


「リリア、お茶が入ったぞ」


 声をかけてきたのは、アラリックでした。彼は今や、この地の守護騎士団長として、そしてリリアの最愛の伴侶として、彼女を支え続けていました。


「あら、ありがとうございます。アラリックさん」


「さん、はよせと言っているだろう。もう、俺たちは夫婦なのだから」


 アラリックが少しだけ照れたように微笑みます。リリアはクスクスと笑い、彼の差し出したカップを受け取りました。


 カップから立ち上る湯気の向こう、集落では子供たちが元気に走り回り、かつての不協和音はどこにも聞こえません。リリアは、腰に下げた銀の音叉をそっと撫でました。


 かつて、自分を無能だと信じ込まされ、王都の地下で孤独に魔力の糸を解いていた日々。それは遠い昔の出来事のようです。


「……私の音、届いたかしら」


「ああ。世界中に届いた。そして、今もこうして俺たちの心に響いている」


 アラリックがリリアの細い指を握りしめます。リリアは満足げに微笑み、高く澄み渡った空を見上げました。


 彼女が奏でたかったのは、誰かを支配するための魔法ではなく、すべての命が心地よく呼吸できるための、優しい旋律でした。


「これからも、整えていきましょうね。この新しい世界を」


 辺境の森に、美しい夕暮れの鐘の音が響き渡ります。それはかつての聖女が、新しく手に入れた幸せという名の、至高の調律ハーモニーでした。

最後までお付き合いいただき、心より感謝申し上げます。 失ってから気づく大切さ、そして自分らしく生きることの尊さを描けたのではないかと自負しております。もし本作が、皆様の日常に少しでも温かな響きを残せたなら、これ以上の喜びはありません。また別の物語でお会いしましょう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ