第52話「代償」
(Side:ロルフ・ガリアード(ミラボー騎士団長))
戦場に、風が吹いていた。
それは、戦いの終わりを告げる風ではなく、嵐の前の不気味な静けさを孕んだ風だった。
目の前で、ガルドラムの大軍が退いていく。
整然と、一糸乱れぬ隊列で。
追撃などできない。我々ミラボー騎士団も、国境守備隊も、立っているのがやっとの状態だ。
丸三日に及ぶ不眠不休の防衛戦。
機体は限界を迎え、ミディやエメルたちの精神も擦り切れかけている。
これで何度目だ…。常に優勢に戦を運んでいながら、こちらにある程度の損害を与えると退いていく。
残存機は、…ヴェリアル二十六騎か。
敵の数はさほど減っていない。百を少し割ったくらいだろうか。
五十を割った辺りから、敵は波状攻撃だけではなく、包囲殲滅攻撃と交互におこなっている。順番からいけば…次は包囲殲滅。そろそろ詰みかな。
せめて…せめて後三日は持たせたかったが…
「そこまでは付き合ってくれんだろうなぁ」
「…なにか言ったか?ロルフ」
マグニスが聞いてくる。誰に聞かせたいわけでもない繰り言だったが聞かれてしまったらしい。
「ただのグチだ。気にせんくれ」
「ところでだ。敵の動きがいつもと違うように見えるのだが気のせいかね」
マグニスの問いに応えるように、モニターの敵の動きを注視する。言われてみれば確かに。
開戦当初よりは随分と押し込まれたから、一概には判別が難しいが、いつもよりも退いている…?
「…あれは…もしかして、撤退しているのか…?」
「まさか。いや、でも、あの動きは…」
なぜ奴らは、最後の一押しをせずに退いた?
その時。
死にかけた通信機が、受信要請のシグナルを告げた。
発信元は、敵軍の指揮官機と思われる白銀のシヴァルリィ。
モニターの『受信受諾』をタッチする。
『ガルドラム軍、中将、グリュメルだ。貴官の名は?』
ノイズ混じりの、しかし朗々とした男の声。
「…ミラボー騎士団長、ガリアードだ」
『やはりか』
「やはり…?」
前線指揮官の情報を持っていたのか。ガルドラムからすれば当たり前なのかもしれんな。
『私の「波」をここまで堰き止めたのは、貴官が初めてだ。その用兵、称賛に値する』
余裕のある声だ。
まるで、チェスの対局を終えた紳士のような。
私は、湧き上がる怒りを抑えて問い返した。
「グリュメル中将…なぜ退いた?貴軍の現戦力なら、我々をすり潰すこともできたはずだ」
『政治だよ』
グリュメルは短く答えた。
『アストラムの聖職者たちが、うるさくてな。ノルドグラードだけでなく、貴国とも停戦しろと喚き散らすのだ。これ以上進めば、我々は大陸の敵になってしまう』
思いがけない名前がでてきた。アストラムだと?アストラム聖教国…停戦調停をしてきたということか。
「…それだけか?それだけの理由で、この大軍を動かし、そして退くのか」
『十分な理由だろう?…それに』
通信機越しに、彼が口角を上げた気配がした。
『私の「本命」は、既に喉元に届いている。貴官らがここで踊っている間にな』
心臓が、早鐘を打った。
本命。喉元。踊っている間に。
全ての単語が、最悪のパズルのピースとして組み合わさる。
「…置いてきた守備隊が交戦を開始したとの連絡はあったが…それか」
『祈るがいい、ガリアード団長』
グリュメルの声が、冷酷な響きを帯びる。
『貴官が必死に守ろうとした帰る場所が、まだ残っていることをな』
通信が切れた。
私は、血の気が引いていくのを感じた。
この大規模な戦場ですらも陽動だったのか…。
「全軍、撤退!全速力でミラボーへ戻るぞ!!」
私は喉が裂けんばかりに絶叫した。
急げ。
急げ!
悪い予感が、黒い雲のように私の心を覆い尽くしていた。
カタリナ様との通信を思い出す。
『あの子たちもいます』
私は、それを断った。大人の矜持で。
侵入した敵軍と誰が戦った!?
騎士団のミディとシヴァルリィは私と共にここにいる。
残っているのは…。護衛のミディと…!
「…頼む。無事でいてくれ」
私は祈ることしかできなかった。
◇
帰還の道中、ミラボーとの通信が回復した。
もたらされた報告は、私の最悪の予想を裏切り、そして最悪の形で的中していた。
『街への被害はなし。民間人の死傷者はゼロです』
『領主館も無事。カタリナ様もご無事です』
そこまではよかった。だが、通信兵の声は沈んでいた。
『…ただし、迎撃に出たカタリナ様の護衛隊三騎は全滅。そして、急遽防衛の任に就いた学院の学生五騎も…全機大破。パイロットは全員生存していますが、重軽傷を負っています』
私は、手に爪が食い込むのを感じた。
街は守られた。だが、その代償は、未来ある子供たちが支払ったのだ。
私の甘さが、彼らを盾にさせたのだ。
五日目の朝。
私たちはミラボーの街にたどり着いた。
静まり返った街を抜け、私は真っ直ぐに領主館へと向かった。
まずは報告だ。どんなに心が急いても、騎士団長としての責務を放棄するわけにはいかない。
領主館の執務室。
カタリナ様は、やつれた表情で私を迎えた。
「…戻りました」
「お疲れ様でした、ガリアード団長。よくぞ国境を支えてくれました」
労いの言葉が、今は痛い。私は兜を脱ぎ、深く頭を下げた。
「…私の失態です。敵の陽動を見抜けず、みすみす本懐を遂げさせてしまった」
「いいえ。それは私も同じよ」
カタリナ様は首を振った。
そして、デスクの上に置かれた書状に視線を落とす。
「先ほど、王都から連絡がありました。アストラムの仲介による停戦協定…その期間は、三年だそうです」
「三年…ですか」
「ええ。三年。長いようで、あまりにも短い猶予。ガルドラムは必ずまた来ます。今度こそ、万全の準備を整えて、この国を飲み込むために」
私は拳を握りしめた。
三年。それが私たちに残された時間。
首の皮一枚で繋がった命運。
だが、その時間を稼ぐために支払われた代償は、あまりにも大きかった。
カタリナ様が顔を上げ、私を直視する。
「敵の侵入を許したのは、私たちの責任。そして…あの子たちに出撃を命じたのは、私です」
カタリナ様の声が震えた。
領主として、街を守るために非情な決断を下した。その重圧と罪悪感が、彼女の肩に重くのしかかっている。
「学生たちは…?」
「自宅療養か、学院の医務室にいるはずよ。命に別状はないけれど…」
カタリナ様は、窓の外、学院の方角へ視線を向けた。
「…あの子たちが乗っていたヴェリアルは、学院が回収されました。格納庫にあることでしょう。もし、この街が支払った『代償』の重さを知りたいのなら、見てきなさい」
「…はっ」
私は踵を返し、学院へと向かった。
学院にある、シヴァルリィ用の格納庫。
重い扉を開け、中に入る。
「…あ…」
私は、言葉を失った。
五機のヴェリアル。いや、かつてヴェリアルだったモノ。
両腕をもぎ取られ、脚部を粉砕され、装甲はひしゃげ、無残な姿を晒している。
誰もいないはずの静まり返ったハンガー。
しかし、一番奥にある機体の残骸の前に、小さな人影があった。
頭に包帯を巻き、松葉杖をついた少女。
リーシャだ。
彼女は、両腕を失った愛機を見上げ、立ち尽くしていた。
「…リーシャ」
私が声をかけると、彼女の肩の上で、ふわりと風が舞った。
風の精霊、セラフィだ。
『なんじゃ、騎士団長殿か』
セラフィの声色には、皮肉と、隠しきれない疲労が混じっていた。
リーシャがゆっくりと振り返る。
その顔は青白く、目の下には隈ができている。
「…おっちゃん」
彼女の声は、掠れていた。
「…すまない」
私の口から出たのは、そんな陳腐な言葉だった。
「おれが…おれたちが不甲斐ないばかりに、おまえにこんな…」
かける言葉が見つからない。
「よくやった」? 違う。そんな言葉で誤魔化してはいけない。
「無事でよかった」? あの壊れた機体を見て、そんなことが言えるか。
重苦しい沈黙が流れる。
誰かが泣き出してもおかしくない空気だった。
だが。
「…おっちゃん、謝らないで」
リーシャは、泣かなかった。
彼女の瞳は、乾いていた。
そこにあるのは、悲しみよりも深く、暗い、熾火のような感情。
「私たちは、負けた。ヴェリアルがあっても、セラフィたちがいても、手も足も出なかった」
彼女は、握りしめた拳を震わせていた。
「連携も、作戦も、全部通用しなかった…」
「まったくだ。わしの風をもってしても、手玉に取られおったわ」
セラフィが、悔しそうに鼻を鳴らす。
「個の力、数、それぞれの有為性を考え、そのうえでどう動くべきか。奴らはそれを知っておった。我々は、ただの子供扱いされたのじゃ」
セラフィの言葉が、私の胸を抉る。
そうか。知ってしまったのか。
騎士道精神など通用しない、本物の暴力の形を。
「おっちゃん」
リーシャが、私を見据える。
その視線は、私を射抜くように鋭かった。
「…教えて」
「…何をだ」
「あいつらに勝つ方法を。軍隊とは何かを。戦うための、全てを」
彼女は、松葉杖を強く握り直した。
「今のままじゃ、次は本当に何も守れないから。…悔しいままじゃ、終われないから」
その言葉は、懇願ではなく、決意表明だった。
私は、息を呑んだ。
彼女は、折れていない。
絶望の底で、叩きのめされた瓦礫の中で、それでも立ち上がろうとしている。
私は、自分自身を恥じた。
後悔に浸り、俯いていたのは私の方だ。
この少女は、もう前を見ている。
ならば、大人の私がすべきことは、謝罪ではない。
導くことだ。
二度と、彼女を無力なまま戦場に立たせないために。
「…やるとなったらおれは厳しいぞ」
あえて厳しい声を出したが、リーシャはすぐにうなづいた。
「学院もちゃんと通え。卒業まであと二年、学ぶことはまだたくさんある。その上で、学院が終わったら騎士団に来い。そこでおれが教えられることはすべて教える」
リーシャの瞳に少しだけ熱気が戻った気がした。
「騎士ごっこは終わりだ。おれが教えるのは、生き残るための泥臭い技術と、敵を殺すための冷徹な戦術だ。学生気分ではいられない」
リーシャは、即答した。
「望むところです」
『フン、言うようになったのう、小娘』
セラフィがニヤリと笑う。
その笑みは、共犯者のそれだった。
破壊された機体の残骸が、陽に照らされて輝いている。
それは敗北の象徴であり、そして再起への墓標でもあった。




