第5話「温もり」
シヴァルリィの初搭乗から三ヵ月が経ち、忙しい学院生活を過ごしていたある日の放課後。
私は親友のエミリア・ノーヴェと廊下を歩いていた。
「ねえリーシャ、聞いた?来週の模擬戦、見学席にすごい人が来るって噂!」
エミリアが興奮気味に囁いてくる。
栗色の巻き毛を揺らす彼女は、いつもニコニコしているけれど、実は学院内の噂話や情報にやたらと詳しい。どこにそんな情報網があるのか不思議なくらいだ。
「すごい人?誰?」
「ミラボー騎士団長のロルフ様よ!『鉄壁のロルフ』って呼ばれてる英雄なんだから!」
私は思わずきょとんとした。
「え、ロルフのおっちゃん?」
「はあぁっ!?」
エミリアが素っ頓狂な声を上げてのけぞった。
「お、おっちゃん!?ロルフ様をおっちゃん呼ばわり!?待って待って、どういう関係なの!?」
「どういうって…父さんの幼馴染で、よく家に夕飯食べに来るし、私のこと子供扱いしてくる普通のおじさんだけど…」
「全然普通じゃないから!雲の上の人だから!」
エミリアが肩を揺さぶってくる。へえ、おっちゃんってそんなに有名だったんだ。
「あ、それとね、対戦カードのリストも教官室で盗み見ちゃった。リーシャの相手、クラウディウスくんだったよ」
「え…」
「やっぱり、教官たちも注目してるんだよ。あの時の因縁」
エミリアの情報網、恐るべし。おかげで心の準備ができた。
ロルフのおっちゃんが見に来る。しかも相手はクラウディウス。
絶対に、無様な姿は見せられない!
◇
エミリアの情報通り、ロルフのおっちゃんは来週の模擬戦に来るらしく、今日はその事前視察のついでに、私の様子を見に来てくれてた。
夕方、私とおっちゃんは並んで下校していた。
「なあ、リーシャ。お前、昨夜遅くまで勉強していたそうだな」
「えっ、なんで知ってるの?」
「グレゴールから聞いた。『昨日遅くまで本を読んだ』と言ったとな」
おっちゃんは苦笑し、そして優しく目を細めた。その表情は、厳格な騎士団長のものではなく、昔から私をよく知る近所のおじさんの顔だ。
「良いことだ。なにごとも努力しなきゃ伸びるものではない」
「でも、まだまだだよ!」
私は首を横に振った。カデットでの訓練は順調だ。セラフィとの相性もいい。でも、コックピットの中で聞いた「音」は、まだ完全な調和を奏でてはいなかった。
「今日だって、跳躍の着地でバランスを崩しかけたし。もっと練習して、機体の声をもっと深く聞けるようにならなきゃ」
「そうか」
おっちゃんが深く頷く。
しばらくの沈黙。と二人の足音だけが響く中、私は胸に秘めていた不安を口にした。
「ねえ、ロルフのおっちゃん。私、本当にミディになれるかな?」
「なれるさ」
おっちゃんは即答した。迷いのない、力強い声だった。
「お前には、ギリク譲りの『耳』がある。努力もしている。それに、セラフィという強力な相棒もいる」
「うむ!もっと言うがよい!」
私の肩でセラフィがふんぞり返る。おっちゃんはそれを見て、表情を引き締めた。
「ただし、これから先はもっと厳しくなるぞ。訓練だけじゃない。いつか本物の戦場に立つ日も来るかもしれない」
おっちゃんの視線が鋭くなる。騎士団長としての厳しい目だ。
「それでも、お前はやるか?」
私は逃げずにその視線を受け止めた。
「やるっ!…私、強くなりたいの。父さんみたいに、誰かの役に立てる人になりたい。それに――」
私は胸元のペンダントを握りしめた。
「四年前、父さんは帰ってこなかった。 …もう二度と、大切な人を失いたくない。おっちゃんや母さんの悲しむ顔を見なくて済むように、私がみんなの盾になりたい!」
おっちゃんは一瞬驚いたように目を見開き、それから大きな手で、私の頭を乱暴に、けれど温かくワシャワシャと撫でた。
「そうか。お前は、本当に優しいな」
◇
家に着くと、母さんが出迎えてくれた。
「おかえりなさい、リーシャ。あら、ロルフも」
「ただいま、母さん!」
私は玄関に飛び込んだ。
「聞いて聞いて!今日もね、カデットに乗ったの!それでね、この間よりもすっごくスムーズに動かせて、グレゴール教官も驚いてて、それでね——」
言葉が止まらない。
興奮しすぎて、息継ぎするのも忘れそうだ。
母さんは、優しく微笑みながら私の話を聞いてくれている。
「まあ、すごいじゃない。良かったわね、リーシャ」
「うん!セラフィがね、すごく優秀なの!」
「ふふん」
セラフィが、私の肩で胸を張る。
「セラフィ、いつもありがとうね」
母さんが、優しくセラフィに微笑む。
「ロルフ、夕食一緒にどうかしら?」
「ああ、ありがとう、ベアトリス。お邪魔するよ」
夕食の準備を手伝いながら、私は母さんに今日の出来事を話し続けた。
母さんは、時折相槌を打ちながら私の話を聞いてくれている。
野菜を切りながら、スープをかき混ぜながら、ずっと話していた。
やがて夕食の準備が整った。
質素だが温かい食卓。
パン、スープ、野菜の煮込み、チーズ。
私と母さんとロルフのおっちゃん、そしてセラフィがテーブルを囲む。
「いただきます」
食事が始まった。
温かいスープが、体に染み渡る。
「リーシャ、本当にすごいんだ」
ロルフのおっちゃんが母さんに話しかけた。
「動きがどんどん良くなってる。ギリクが見たら、きっと——」
おっちゃんの言葉が少し詰まる。
母さんの目も少し潤んだのが見えた。
「そう…あの人、きっと喜んでるわね」
しばらく誰も何も言わなかった。
食器がぶつかる音だけが静かに響く。
やがて、母さんが話題を変えた。
「そういえば、ロルフ。最近、街の様子が少し変わってきたわね」
「ああ、気づいたか」
ロルフのおっちゃんが頷く。
「国境の警備が厳しくなってる。シヴァルリィの配備数も増えたらしい。国境の砦は国軍の管轄だからな。おれのとこに直接情報はこないが、まず間違いないようだ」
「…また、戦争になるの?」
私はスープを飲む手を止めて、二人の会話を聞いた。
「分からん」
おっちゃんが、真剣な表情で答える。
「だが、五ヶ月前に休戦協定が結ばれたとはいえ、ガルドラムが本当に守るかどうか」
「あの国は…四年前も突然…」
母さんの手が少し震えている。
父さんを失った日を思い出しているんだ。
「ガルドラムの『鉄血王』ジグムントは、リュクスカインを完全に併合するまで止まらないだろう」
おっちゃんが、遠くを見るような目で言う。
「四年前の大侵攻で、リュクスカインは国土の半分以上を失った。首都ヴェラムと、ここミラボー、そしていくつかの都市を残すのみだ」
「精霊の泉も…」
「ああ。ヴェラムとミラボーの二箇所だけになった。もし、どちらかが奪われれば、新しいミディを育てるのが難しくなる。それは国の危機を意味する」
おっちゃんの言葉が重くのしかかる。
私は拳を握りしめた。
「私、強くなるよ」
自分でも驚くほど、強い声が出た。
「この国を守りたい。おっちゃんや、母さんや、みんなを守れるくらい、強く」
母さんが、私を見つめた。
「リーシャ…」
「大丈夫。セラフィもいるし」
「うむ。小娘を助けるのは、わしの役目じゃからの」
セラフィが、力強く頷く。
ロルフのおっちゃんは、私たちを見つめて、ゆっくりと口を開いた。
「ベアトリス、リーシャ。おれは、絶対に二人を守るとギリクに誓った」
おっちゃんの声には、強い決意がこもっている。
「四年前、おれはギリクを守れなかった。親友を失った。だから——」
おっちゃんの拳が、テーブルの上で握られる。
「だから、もう誰も失いたくない。特に、ギリクの家族は」
母さんの目から、一筋の涙が流れた。
「…ありがとう、ロルフ」
私も目頭が熱くなった。
「おっちゃん…」
「まあ、暗い話はここまでだ」
おっちゃんが笑顔を作った。
「そうね」
母さんも涙を拭いて笑顔を作った。
食事は再び和やかな雰囲気に戻った。
私は、今日の出来事をまた母さんに話してた。
母さんは優しく微笑みながら聞いてくれている。
おっちゃんも、時折思い出したように父さんとの思い出を語ってくれた。
温かな時間が流れていった。
◇
夕食後、シャワーを浴び、寝る準備をすませると、私は自室で父さんが残したシヴァルリィの設計図、未完の設計図を見上げていた。
おっちゃんの言葉が胸に残っている。
『本物の戦場』
怖い。でも、逃げるわけにはいかない。
私は机の引き出しから、小さな工具セットを取り出した。そして、胸元のペンダントを外す。
銀色の歯車と結晶のペンダント。十歳の誕生日に、父さんが「お守りだ」と言ってくれたものだ。
裏蓋を開けると、そこには極小のフラクタル回路がびっしりと刻まれている。ただのアクセサリーじゃない。これは父さんが「いつか役に立つ」と言っていた、何か重要なパーツの一部だ。
「小娘、それはなんじゃ?」
枕元からセラフィが覗き込んでくる。
「父さんの形見。これを持ってるだけで、なんか安心するんだ」
「ふむ。妙な波長を感じるの。まるで小さな命が眠っているような…」
セラフィが興味深そうにペンダントに触れる。その瞬間、ペンダントの回路が微かに明滅した気がした。
「…?」
「まあよい。ところでだ、おぬしの母上はミディなのか?」
「え!?そんな話聞いたことないけど!契約精霊も見たことないし」
「そうか、ならば、わしの気のせいかもしれんな」
「なにか気になることでもあった?」
「なに、気のせいならば良いのだ…そろそろ寝るぞ、小娘。あやつとの決戦の日は近いのじゃろう?」
「うん!ありがと、セラフィ!」
私は相棒の頭を指で優しく撫でた。
窓の外で風が鳴っている。
それはまるで、私たちの門出を祝福するファンファーレのように聞こえた。




