第49話「守戦」
(Side:リーシャ・ヴァレンティア)
心臓が、肋骨を内側から蹴り飛ばしているみたいにうるさい。
私は、ミラボーの東郊外。かつて資材置き場として使われていた廃墟の瓦礫の陰に、ヴェリアルと共に息を潜めていた。
『おい、小娘。脈が早すぎるぞ。落ち着かんか』
頭の上――コックピット内の私のシートのヘッドレストにしがみついているセラフィが、呆れたように声をかけてくる。
「…無理だよ。だって、来るんだよ?本物の『戦争』が」
私の指先は、キーボタンの上で微かに震えていた。
この震えを止めるために、私は両手を強く握りしめる。
モニターに映るのは、平和な街道の風景と、そこに布陣する味方の背中。
でも、私の肌は感じ取っていた。東の空気が、ビリビリと震えているのを。
昨日の夕方のことだ。
私たちは突然、学院長室に呼び出された。
そこで学院長の通信機から聞こえてきたカタリナ様の声は、いつもの凛とした響きがなく、震えるような悲痛なものだった。
『…恥を忍んで、あなたたちにお願いがあります。…ミラボーを守って』
精鋭と見られる九騎の敵が街に迫っていること。
ミラボー騎士団の守備隊が全滅したとと思われること。
もう、この街を守れる戦力が私たちしかいないこと。
カタリナ様は涙を堪えながら、言葉を絞り出した。
『学生を盾にするなんて』と自分を責める言葉と共に。
怖かった。正直、足がすくんだ。
ようやく帰れたのに。やっと平和な日常に戻れたのに。
でも、私たちは即答した。誰も、一瞬たりとも迷わなかった。
「行きます。私たちの街ですから」
母さんがいる。父さんが残した工房がある。私の大切な日常がある場所。
それを土足で踏み荒らそうとする奴らがいるなら、追い返す。理由はそれだけで十分だった。
今朝、私たちは指定された防衛ラインで、カタリナ様の護衛ミディたちと合流した。
隊長のレオンさん、大柄なフリントさん、鋭い雰囲気の女性騎士レーミラさん。
『…君たちが、カタリナ様が言っていた学生か』
隊長のレオンさんが、私たちの機体を見て言った。
その声には、明らかに不安の色が混じっていた。無理もない。歴戦の騎士から見れば、私たちはただの子供だ。
彼らの装備は、標準的な盾と片手剣。対して私たちは、実験機や試作装備のオンパレードだもの。
でも、その空気を一変させたのは、エミリアと、彼女の相棒だった。
『プルル!お願い!』
(うん!)
エミリアの掛け声と共に、彼女のヴェリアルの周囲に、水の精霊『プルル』が展開した水滴、目視するのが難しいくらいに微細な粒子が瞬時に広がっていく。
『レオン隊長。データリンク、承認してください。周辺二十キロ圏内の索敵情報を共有します』
『二十キロ!?馬鹿な、そんな広域探査ができる機体が…』
レオンさんが絶句する中、エミリアは瞬時に回線を繋ぎ、プルルが集めた湿度の変化や風の揺らぎを解析したマップデータを共有してみせた。
モニターに表示された精細な地形データを見て、騎士たちの目の色が変わった。
『…信じられん。我々の五倍以上の範囲だ』
ルシア先輩が、作戦を提案した。
『正面からぶつかれば、数で押し切られます。まずは、私たちが「目」と「長距離打撃」を担当します。どれだけ削れるかはわかりませんが、接敵するまでは私たちに任せてください』
レオン隊長は短く息を吐く音が聞こえた。
『…了解した。接敵してからが本番ということだな。君たちの力量に期待しよう』
こうして、即席の混成部隊は配置についた。
正面の街道上に、五騎の「壁」が展開する。
レオンさんたち護衛隊の三騎。
そして、両手持ちの大剣を構え、氷の精霊『フロスティア』の冷気を纏わせたクラウディウス。
その隣には、大盾と細身のエストックを構え、炎の精霊『イグニス』の熱気を揺らめかせているルシア先輩。
その後方の高台に、長距離狙撃を行うマルセル先輩と、サポートのエミリア。
そして私――小剣二刀を携えたヴェリアルと、風の精霊『セラフィ』は、遊撃のために、ここに隠れた。
『…来た!』
エミリアの鋭い声が、回想を断ち切った。
『プルルが捉えたよ!距離二十キロ!方角、東!…速い!通常のパンターの倍近い速さ!』
全員のモニター上のマップに、プルルが生成した真っ赤な光点が九つ、表示された。
ものすごい速度で、こちらの防衛ラインへ直進してくる。
隠れる気配すらない。
完全に、私たちを蹂躙する気だ。
『…プリズム、補正を頼む』
高台に陣取ったマルセル先輩の声。
彼の相棒である光の精霊プリズムが、レンズのように光を収束させ、長距離の照準ラインを完璧にガイドする。
彼が構えるのは、身の丈ほどもある巨大な「試製・重装甲貫通弩」。
弦の部分には、風の精霊石が埋め込まれている。
遠距離からシヴァルリィを撃ち抜くための切り札。精霊風圧による加速機構付きのボルトだ。
おかげで有効最大射程が三キロもある。
これは、王都で、おやっさんから預かってきた試作クロスボウ。やっぱり、こういうロマンのあるもの作るって楽しいよね。でも、実戦で使うのは今回が初めてだから少し怖い。テストは何回もしたけど。
『距離、三千』
『私も撃ちます!』
エミリアも、マルセル先輩から借りた予備のクロスボウを構える。
『撃てッ!』
マルセル先輩が思念を込める。
大気を引き裂くような発射音。
風の精霊石が輝き、放たれたボルトが音速を超えて空を駆ける。
数秒後。
先頭を走っていた機体が、不自然に体勢を崩した。
右脚が根元から粉砕され、盛大に土煙を上げて転倒する。
『命中!一騎、行動不能!』
『…なんて威力だ』
レオンさんが息を呑む声が聞こえる。
続けて、エミリアが矢を放った。
狙うは、集団の中央にいる白銀の機体。
硬質な音がセンサー越しに響く。
直撃コースだった。
でも、あの銀色の機体は、着弾の瞬間に最小限の動きで肩をずらし、矢を弾いたのだ。
火花が散り、装甲が削れ飛ぶのが微かに見えたが、機体の動きは止まらない。
『硬っ!?』
エミリアが悲鳴のような声を上げる。
敵集団が散開した。
直進をやめ、ジグザグに機動しながら、さらに速度を上げて突っ込んでくる。
『させるか!』
マルセル先輩が次弾を装填し、放つ。プリズムが敵の位置を予測し、光の点を灯す。
狙いは正確だった。
だが、敵も速い。
回避動作をとった敵機の左腕を吹き飛ばすに留まった。
腕一本を犠牲にして、突撃速度を緩めないつもりだ。
『速すぎる…!』
エミリアの二射目は、完全に回避された。
距離が詰まる。千五百、千二…。
マルセル先輩が三発目を放つが、これは敵の機動に追いつけず、虚しく地面を抉った。
『…チッ、ここまでか!』
マルセル先輩がクロスボウを置き、短剣を抜く。
もう、狙撃の距離じゃない。
土煙を上げて迫る、七騎のパンターブリッツと、一騎の銀色の機体。
そのプレッシャーは、アルトリーベの時とは比べ物にならない。
殺意の純度が違う。
まるで、死神の鎌が喉元まで迫っているような寒気。
『来るぞ!フロスティア!』
最前列の中央、クラウディウスが叫んだ。
彼の大剣に、氷の精霊フロスティアが冷気を収束させ、刀身が白く輝く。
隣のルシア先輩も、盾を構えながらエストックを突き出す。炎の精霊イグニスが、蜃気楼のように熱気を揺らめかせている。
私は、瓦礫の陰で息を殺した。
指先が、汗で冷たく濡れている。
セラフィが、私の頭をギュッと掴んだ。
『ビビるなよ、小娘。おぬしならやれる』
「…うん。わかってる」
私の役目は、彼らが正面からぶつかり、乱戦になったその瞬間に、背後から飛び出して敵を掻き乱すこと。
それまでは、存在を消さなきゃいけない。
心臓の音が、やけに大きく響く。
視界の端で、銀色の狼が牙を剥くのが見えた。




