第48話「侵入」
(Side:ドミニク・パンテーン(バルドール市商人))
海鳴りの村。
早朝の白い靄が、ようやく晴れてきた頃だった。
俺は港の倉庫前で、荷運びの指揮を執りながら、ふと先日会った女狐――エリーゼ・ホッホベルク子爵のことを考えていた。
貴族にしちゃあ、話のわかる女だ。
金と情報の価値を理解している。エシュリス市のオルベンなんぞより、よほど商売人としてのセンスがある。
個人的には、リュクスカインを応援してやりたい気持ちもある。
あの謎めいた侍女――クララとか言ったか?あれの正体も気になるしな。
だが、商売ってのは感情でするもんじゃねぇ。
そろそろ潮時かもしれん。
ガルドラムの動きが怪しすぎる。ドブに金を捨てる前に、手を引く準備だけはしておかねぇとな。
「…ん?」
水平線の彼方から、何かが滑り込んでくるのが見えた。
船だ。それも、商船じゃねぇ。
喫水線が異常に深い。
三隻。
旗印は…ねぇな。
「おい、ありゃどこの船だ?入港予定なんぞ聞いてねぇぞ」
現場監督に声をかけるが、あいつも口を開けて呆けてやがる。
船は減速する様子もなく、静かに、しかし恐ろしい速度で入り江に突っ込んできた。
波を切り裂き、強引に桟橋へ横付けする。
船体が岸壁を削る音が、朝の静寂を引き裂いた。
「な、なんだ!?襲撃か!?」
「逃げろ!潰されるぞ!」
作業員たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
俺も館から飛び出し、手すりに身を乗り出した。
船の腹――巨大な格納ハッチが、音もなく開く。
そこから吐き出されたのは、積み荷じゃない。
鈍い光を放つ、殺戮の道具だ。
一、二、三…全部で九騎。
先頭に立つのは、見たこともない白銀の機体。
それに続くのは、…パンターブリッツか!
「…ッ!ガルドラムだと!?」
俺の叫び声など、奴らの耳には届かない。
九騎のシヴァルリィは、まるで散歩でもするように桟橋を踏みしめ、上陸してくる。
その進路上には、荷運び用のシヴァルリィが二騎、立ち尽くしていた。
非武装の作業用だ。
どけ、と言わんばかりに白銀の機体が近づく。
止まらない。避けない。
ただ、歩く速度のまま、すれ違いざまに腕を振るった。
金属が金属を噛み砕く、不快な音が響く。
粗末な装甲が、紙細工のように引き裂かれた。
爆発も、炎もない。
ただ純粋な質量と運動エネルギーによる破壊。
上半身をねじ切られたシヴァルリィが、バランスを失って崩れ落ちる。
「…おいおい、冗談だろ」
俺は手すりを握りしめた手が震えるのを感じた。
瞬殺、ですらねぇ。
あれは「草刈り」だ。進路上の小石を蹴飛ばした程度にしか思ってねぇ。
九騎の群れは、崩れ落ちたスクラップには目もくれず、そのまま港を抜け、街道へと躍り出た。
方角は西。
先にあるのは――ミラボーだ。
奴らは、俺を一瞥もしなかった。
声明も、警告もなし。
俺たちに用はないらしい。
ただ、ミラボーの喉笛を喰いちぎるためだけの、無言の行軍。
直後、役目を終えた軍船が離岸し、沖へと去っていく。
あとに残されたのは、無残に破壊された二騎の残骸と、恐怖に凍りついた港だけ。
ほんの一瞬の出来事だった。
嵐が通り過ぎた後のような静けさの中で、俺は冷え切った頭で状況を分析していた。
ガルドラムの精鋭が、背後からミラボーを突く。
国境の主力は釘付けにされているはずだ。
つまり、今のミラボーは裸同然。
これを防ぐ手立ては、リュクスカインにはねぇ。
「…こりゃミラボーも終わりかな」
俺は懐から手帳を取り出すと、パラパラとめくり、ミラボーとの取引記録が書かれたページを破り捨てた。
紙片が風に舞い、海へと落ちていく。
「面白い商売相手になりそうではあったがな。死人と商売はできねぇよ」
俺は部下たちに向かって、短く手を振った。
「撤収だ!ここにある荷物は全部船に戻せ!本国へ帰るぞ!」
損切りは早いほうがいい。
それが、俺たち商人の生き残る術だ。
エリーゼ、あんたとは美味い酒が飲めそうだったが…残念だ。
あばよ。
◇
(Side:ミラボー伯爵夫人カタリナ)**
ミラボー領主館、執務室。
窓の外は、残酷なほど穏やかな青空が広がっている。
だが、私の心臓は早鐘を打っていた。
バンッ!
執務室の扉が、乱暴に開かれた。
普段は冷静沈着な執事のゲオルグが、顔面蒼白で飛び込んでくる。
「奥様!緊急事態です!」
「…落ち着きなさい、ゲオルグ。何があったの?」
私は努めて冷静な声を装った。
だが、ゲオルグの次の言葉が、私の仮面を剥ぎ取った。
「国境とミラボーの中間地点…ミラボー騎士団、駐屯の陣より入電!『敵襲!数は九!交戦中!』…それきり、通信が途絶えました!」
「…え?」
思考が一瞬、空白になる。
駐屯の陣?
あそこは、ガリアード団長が念のためにと残していった、予備の守備隊がいる場所だ。
国境の砦から遠く離れた後方。敵がいるはずのない場所。
そこに、敵襲?
「数は九…交戦中ですって?」
「こちらはヴェルドルが十一騎。対する敵は…通信兵によれば、パンターブリッツが八騎、そして白銀の正体不明機が一騎!」
「パンターブリッツ…!」
あんなものが、どうやって国境をすり抜けてきたの?
騎士団や国境からの連絡はない。つまり戦場から来たものではない。
空から?いえ、そんな技術はない。
まさか、海から?
背筋に冷たいものが走る。
敵の狙いは、最初からこれだったの?
国境に大軍を集めて私たちの目を釘付けにし、手薄になった背後から、精鋭部隊で心臓をひと突きにする。
「駐屯所の部隊は…」
「…ヴェルドル十一騎では止めるのさえ困難です。その敵戦力では…」
ゲオルグが悔しげに俯く。
私も唇を噛み締めた。
あそこを守っていた騎士たちにも、家族がいたはずだ。
彼らの命を、私は…。
「…敵の現在地から、ここまでの距離を考えると…」
私は壁の地図を見上げた。
シヴァルリィの足なら、そう時間はかからない。
「一日…」
明日には、この街が戦場になる。
王都へ救援要請は出している。
でも、どんなに急いでも数日はかかる。
間に合わない。
国境のガリアード団長たちは、今も百騎以上の大軍と対峙している。
もしここでミラボーが落ちたという知らせが届けば、彼らは動揺し、背後を気にせざるを得なくなる。
そうなれば、前線は崩壊。
国境から雪崩れ込む大軍と、この奇襲部隊に挟まれ、ミラボー騎士団は全滅する。
そして、リュクスカインの国土が蹂躙される。
詰み、だわ。
「…ゲオルグ。私の護衛ミディたちを呼んで」
「はっ」
すぐに三人のミディが入室してきた。
私の身辺警護を任せている、腕利きの騎士たちだ。
彼らのヴェリアル三騎が、今、この街に残っている唯一の正規戦力。
「状況は聞いたわね。…率直に聞きなさい。あなたたち三騎で、迫りくる九騎の精鋭を相手に、どれくらい保つ?」
隊長を務めるミディが、苦渋の表情で顔を歪めた。
彼は、先日のパンターブリッツ戦の生き残りだ。
正確な状況分析ができるだろうし、嘘もお世辞も言わない実直な彼だからこそ、その沈黙が答えだった。
「…無理です。相手がパンターであれば、地形を利用して数時間は稼げますが…ブリッツ八騎と未知の新型…。一時間も保つかどうか…」
彼は拳を握りしめ、頭を垂れた。
「申し訳ありません、カタリナ様!我々の力が及ばないばかりに…!」
「いいえ、謝らないで。あなたたちは優秀よ。ただ、相手が悪すぎるわ」
私は彼らに退出を命じ、準備にかからせた。
たとえ一時間でも、彼らは命を賭して戦ってくれるだろう。
でも、それでは足りない。
市民を逃がす時間すら稼げない。
どうすればいい?
他に手はないの?
誰か、この絶望的な状況を覆せる力を持った者は…。
ふと、窓の外を見た。
昨日のことだ。
「帰ってこれた!」と無邪気に喜んでいた子供たちの笑顔。
彼らなら。
あの規格外の「ヴェリアル」と、常識外れの戦い方をする彼らなら。
でも。
あの子たちは学生よ?
ようやく激戦を生き延びて、家族の元へ帰したばかりなのよ?
それをまた、あんな化け物たちが待つ死地へ送り出すというの?
大人の私たちが守るべき子供たちを、盾にするというの?
胸が張り裂けそうだ。
領主としての義務と、人としての倫理が、私の中で激しくぶつかり合う。
「…奥様」
ゲオルグが、静かに声をかけてきた。
彼もまた、同じことを考えていたのだろう。
「…もはや、手段を選んでいる場合ではありません。この街に生きる全ての民を守るためです」
その言葉に、私は閉じていた目を開けた。
そうね。
私は領主。この土地と民を守る義務がある。
たとえ、鬼と呼ばれようとも。
「…通信を繋いで。学院長に要請を…」
声が震えないように、腹に力を入れる。
「心苦しいけれど…あの子たちにお願いしましょう。彼女たちだけが、最後の希望よ」
私は祈るように両手を組み合わせた。
どうか、許して。
そして、どうか生きて。




