第43話「帰路」
(Side:リーシャ・ヴァレンティア)
「やー、終わった終わったー!」
ガルドラム軍が撤退を開始してから、六日が過ぎた。
あれから、敵の姿は一度も確認されていないみたい。
偵察に出た部隊の報告だと、敵はまるで潮が引くように痕跡を消し、森の向こう側へ消えていったらしい。
私たち五人のヴェリアルも、あらかたの整備が終了。
装甲の張り替え、駆動系の洗浄と調整、精霊力伝達回路のチェック。やることは山積みだったけど、実戦の緊張感から解放された後の整備作業はご褒美でしかないのよね。
ようやく一息ついた私は、領主館の食堂でぼんやりとお茶を飲んでいた。
温かいハーブティーが、疲れた体に染み渡る。
「…ふぅ。生き返るぅ」
窓の外には、久しぶりに穏やかな青空が広がっていた。
戦火の煙はもう見えない。
そんなことを考えていると、向かいの席に誰かが座る気配がした。
顔を上げると、マルセル先輩がいた。手には私と同じような陶器のカップを持っている。
「お疲れ、リーシャ」
「あ、マルセル先輩。お疲れ様です」
先輩は一口お茶を啜ると、周りを気にするように少し声を潜めた。
「聞いたか?上層部はガルドラムへの警戒態勢を一段階弱めるそうだ」
「え?そうなんですか?」
「これまでは、アルトリーベ騎士団とベルクト騎士団がそれぞれ小隊を出して厳戒態勢で哨戒していたが、その数を大幅に減らすらしい」
それって、実質的な「もう大丈夫」宣言みたいなものだよね。
私はほっと胸を撫で下ろした。
「じゃあ、とりあえずは終わりってことですか?」
「そう見ているようだが…」
先輩はカップの縁を指でなぞりながら、難しい顔をしている。
「なにか気になることでも?」
「諦めが良すぎると思ってね。湿地帯での奇襲失敗があったとはいえ、あれだけの戦力を投入しておいて、あっさり引きすぎだ」
さすが先輩、分析癖は相変わらずだなぁ。
でも、今回は少し考えすぎなんじゃないかな。
「敵も『これ以上は割に合わない』って思ったんじゃないですか?」
「…まあ、そうかもしれないな」
先輩は自分を納得させるように頷いた。
「戦力を分散させ、隙あらば食らいつく。駄目なら深追いせずに引く。…いやらしい戦法だが、理には適っている」
「ですねぇ。まあ、帰ってくれるならそれに越したことはないですよ」
私が苦笑すると、先輩も少しだけ表情を緩めた。
その時。
「あ!リーシャ!ここにいたの!?」
食堂の入り口から、元気な声が飛んできた。
エミリアだ。パタパタと小走りでこちらに向かってくる。その後ろには、少し不機嫌そうなクラウディウスと、ルシア先輩もいる。
「エミリア!どうしたの、みんな揃って」
「聞いた?近衛騎士団は王都に帰るって!」
「え!ほんと!?」
私は身を乗り出した。
ジェラール団長たちが帰るということは、「とりあえずの脅威は去った」と判断したってことかな。
「ほんとほんと!確かな情報!さっきジェラール団長が『そろそろ帰るぞ』って、騎士団の人たちに言ってたもん!」
エミリアの言葉に、マルセル先輩が「やはりか」と呟いた。
「近衛だけでなく、ベルクト騎士団も引き上げるそうだ。ここに残るのは、アルトリーベ騎士団だけになるな」
「ええ。お父様もそれで同意されたわ」
ルシア先輩が頷いて、私の隣に座った。
「今回の防衛戦、私たちの勝利よ。敵は完全に戦意を喪失して逃げ帰ったわ」
「ふん。当然の結果だ」
クラウディウスが腕を組んで鼻を鳴らす。相変わらず自信満々だなぁ。
「我が剣の前では、ガルドラムなど案山子も同然だったということだ。…まあ、どこぞの整備士のおかげで、機体の調子が良くなったのは事実だがな」
知ってる。さっき念入りに確認しながら動かしてるの見たもん。
「あ、ちょっと素直になった?」
私が茶化すと、クラウディウスはバツが悪そうに咳払いをした。
「勘違いするな。事実を述べたまでだ。貴様の腕は認めるが、その無礼な態度は相変わらず目に余るぞ」
「はいはい、わかってますよ」
「…ふん。わかればいい」
クラウディウスは満足げに頷いた。
貴族としてのプライドは高いままだし、相変わらず偉そうだけど、彼なりの信頼は見せてくれるようになった気がする。
「それでね、リーシャ。近衛騎士団もベルクト騎士団も帰るなら、私たちも帰ってもいいんじゃないかって話になって」
ルシア先輩が切り出した。
「公爵閣下の要請は『アルトリーベへの出動』だったわ。敵を撃退した今、私たちの任務は完了したと言えるでしょう?」
「…そうですね。そうですよね!」
私の目が輝く。
もう、ここにいる理由はないのだ。
ミラボーの工房、母さんの手料理。
ここ数日の緊張感から解放された反動か、無性に日常が恋しくなっていた。
「帰ろう!帰ろう!そうしよう!長居は無用だよ!」
「賛成!美味しいもの食べて、お風呂入って、泥のように眠りたい!」
エミリアも諸手を挙げて賛成する。
「あれ?でも、ルシア先輩は大丈夫だったんですか?」
「大丈夫よ。お父様もミラボーに戻ることを許してくれたわ」
「あ、良かった!」
「俺も異論はない。ここまできたら学院もちゃんと卒業しておきたいし、実家の父にも報告しないといけない」
マルセル先輩が立ち上がると、クラウディウスも重々しく頷いた。
「仕方あるまい。勝利の凱旋といこうではないか。ミラボーの民も、我らの帰還を待っているはずだ」
私たちは顔を見合わせて笑った。
ようやく終わったのだ。長い長い一週間だった。
◇
翌朝。
スタルマーの正門前には、王都へ向かう近衛騎士団とベルクト騎士団の長い長い隊列ができていた。
煌びやかな装甲に身を包んだシヴァルリィたちが、朝日を浴びて輝いている。
それは、まさに「勝利の凱旋」に相応しい光景だった。
沿道の兵士たちも、誰もが安堵し、笑顔で手を振り合っている。
敵の脅威は去った。平和が戻ってきたのだと、誰もが信じて疑わなかった。
「それじゃあ、私たちも行こうか」
私たちは、それぞれのエキュイエに愛機と共に乗り込んで、ミラボーへ向かう道へと進み出た。
目指すは南。懐かしき我が家。
空はどこまでも青く、高く澄み渡っている。
最高の気分だった。




