第34話「狼煙」
(Side:グリュメル中将(ガルドラム王国 南部方面軍))
ガルドラム王国南部、城塞都市「レグシム」。
無機質な石壁に囲まれた司令室には、今日も冷たい空気が澱んでいた。
私は壁一面に貼られた巨大な作戦地図を見上げる。
そこには、我が軍の支配領域を示す赤と、リュクスカイン王国の青が複雑な曲線を描いて対峙している。その境界線は、ここ数ヶ月ピクリとも動いていない。
「先にアルトリーベに送り込んだ傭兵共はうまくやっているようだな」
私は手元の報告書を指で弾きながら、背後に控える副官に声をかけた。
「そのようです。ナーンデルの森、北部、南部の旧街道周辺を暴れてるようですね。略奪、放火、小規模な遭遇戦…彼らは『仕事』熱心ですよ」
パイトネス少佐の声は、いつも通り抑揚がない。
だが、その報告内容は私の口元を緩ませるには十分だった。
「やつらに支給したのはパンターなのだろう?」
「はい。現在、合計九騎のパンターを貸与しています。整備状態は最低限、武装も旧式のものですが」
「パンターも、そろそろお役御免のシヴァルリィだ。ここで使い潰してもらっても問題はないな」
型落ち寸前の量産機。それを金で雇った傭兵に使わせ、敵地で暴れさせる。
壊れようが奪われようが痛くも痒くもない。
むしろ、敵の戦力を分析するための捨て駒としては上等すぎるくらいだ。
傭兵たちは自分たちが「主戦力」だと思い込んでいるようだが、滑稽な話だ。
「そういや、今回の中央からの補給…新型の『ヴォルフラム』は何機配備されたんだ?」
私は本題を切り出した。
今回、私が中央司令部に頭を下げてまで要請した補給の目玉。
パンター、パンターブリッツの上位機種として開発された最新鋭機だ。
その装甲硬度と出力係数は、既存のシヴァルリィを過去にするとの触れ込みだった。戦局を単騎で変えうる「怪物」。
「二騎です」
パイトネスが事務的に答えた。
「…は?」
私は思わず振り返った。聞き間違いかと思ったが、副官は涼しい顔で指を二本立ててみせた。
「二騎だと!?二十騎の間違いではないのか!?」
「二騎ですよ?間違いなく」
「中央はなにを考えてるんだ…!」
私はデスクを拳で叩いた。重い音が室内に響く。
書類の束が崩れ落ちたが、気にする余裕などない。
こちらの戦力を増強しろとあれほど要請したというのに、たったの二騎だと?南部戦線を軽視するにも程がある。
ジグムント陛下の威光も、中央の腐った官僚どもの手にかかればこのザマだ。
「これでも優遇された方ですよ、閣下。北部のノルドグラード連合戦線が泥沼化して、予備戦力まで食われていますから。新型を二騎も回してくれたのは、ある意味奇跡です」
「…チッ」
パイトネスの正論が余計に癇に障る。
北が押されているのは知っている。だが、だからこそ、手薄な南からリュクスカインを食い破り、資源と「精霊の泉」を確保する必要があるというのに。
戦略というものがまるでわかっていない。
「…いいだろう。ないものねだりをしても始まらん」
私は怒りを腹の底に沈め、思考を切り替えた。
手札が少ないなら、使い所を見極めるだけだ。
虎の子のヴォルフラムを、アルトリーベごときの前哨戦で消耗させるわけにはいかない。
「ヴォルフラムの一騎は私が使う」
「閣下が、ですか?」
パイトネスが目を丸くした。
「ああ。私が直接、ミラボー攻略の本隊を指揮する。国境を越え、正面から奴らを粉砕してやる」
「司令官自ら最前線とは…中央が渋い顔をしますよ」
「構わん。安全な後方でふんぞり返っているだけの指揮官など、兵はついてこんよ。それに、新型の性能をこの目で確かめたい。…この体の血が錆びつかないようにな」
私は自分の手を強く握りしめた。
軍人としての本能が、戦場を求めている。
「では、残りの一騎は?」
「それは君に使ってもらう、少佐」
「…はい?」
パイトネスが初めて動揺を見せた。
「話を進めよう。アルトリーベ戦線だ。プラキス中佐とネカルダ中佐に、それぞれパンター三十騎とブリッツ六騎の指揮権を与える」
「…あの二人に?猪突猛進だけが取り柄の無能ですよ。緻密な作戦行動など期待できません」
「だからいいんだ。有効活用だよ。ナーンデルの森の北部と南部は、現在の傭兵のように、派手に暴れてもらえればいい。オルベン氏から送ってもらった、残りの傭兵もすべてここに配備だ」
私は地図上のアルトリーベ領、その両翼を指でなぞった。
派手な音を立て、敵の目を引きつける案山子。それには、あの二人のような騒々しい男たちが適任だ。
敵は必ず釣られる。
「あとリヴェノ大佐を呼んでくれ。彼に中央湿地帯の本命を任せたい」
「わかりました。リヴェノ大佐なら、隠密行動も適任でしょう」
リヴェノは冷徹で忍耐強い男だ。
敵が両翼の騒ぎに気を取られている隙に、音もなく湿地帯を抜け、喉元に噛み付く。
その役目は彼にしか務まらない。
「そして、本番のミラボー戦だ。国境側の本隊戦力、パンター六十騎、ブリッツ三十騎は近郊に配備済みだな?」
「はい。いつでも動けます」
「よし。私がヴォルフラムを駆り、この本隊を率いて国境の砦を叩く。敵の主力は必ずここに出てくる。そこを釘付けにする」
私は地図上のミラボー国境を拳で叩いた。
そして、意味ありげに笑みを浮かべ、副官を見た。
「そこでだ、パイトネス少佐。君には『別動隊』を率いてもらう」
「別動隊…ですか?」
「ああ。残りの八騎は精鋭のブリッツを選抜しろ。その少数精鋭で、ミラボーの『無防備な背中』を刺すのだ」
パイトネスが怪訝な顔をする。
「背中?ミラボーの背後は険しい山脈か、海しかありませんよ。まさか山越えをしろと?」
「ふふふ。オウラムの商人、オルベン氏から、面白い『裏口』の鍵を預かっていてな」
私は地図の東端、誰もが通行不能だと思っている場所を指差した。
「まさか、こんなところに抜け道があるとは、リュクスカインの連中も夢にも思うまい」
「…なるほど。商人の情報網、恐るべしといったところですか」
パイトネスが納得したように頷く。
金さえ払えば、国の門さえ開かれる。つくづく嫌な時代だが、利用できるものは利用させてもらう。
「私が国境で派手に花火を上げ、敵の主力を引きつけている間に、君はそこから侵入し、一気にミラボーを制圧し、占領しろ。ヴォルフラムの性能があれば、留守番の予備兵など紙屑同然だろう」
「…過分な評価ですね」
「君の事務処理能力だけを買っているわけではない。中央からの目付役として送り込まれるほどの男だ。腕の方も錆びついてはいないのだろう?」
パイトネスは一瞬沈黙し、やがて静かに眼鏡の位置を直した。
「…ヴォルフラムで、久しぶりの前線を楽しんできます。無人の野を駆け抜け、即時占領して事後処理。…了解しました」
「ああ、期待しているぞ」
最新鋭機ヴォルフラム。それを駆る司令官と副官。
正面からの鉄槌と、誰も予想し得ない方角からの毒針。
これだけの布陣を敷けば、落ち目のリュクスカインなどに負ける要素はない。
「さあ、始めようか。豚どもを食らい尽くす祝宴を」
私の呟きは、冷たい司令室の空気に吸い込まれて消えた。
歯車は回り始めた。もう、誰にも止められない。




