第32話「水玉?」
王城での緊張感あふれる、けれど温かい時間を終え、私と母さんは技術院の格納庫へと戻ってきた。
心の中は、来る時とは比べ物にならないほど晴れやかだった。
私には戦う理由ができた。守るべき「妹」ができた。
その決意を胸に、愛機であるヴェリアルの元へと急ぐ。
はずだった。
「…なに、あれ?」
格納庫に足を踏み入れた瞬間、私の目に飛び込んできたのは、理解不能な光景だった。
そこにはエミリアのヴェリアルが立っていた。それはわかる。整備用のラックから離れ、試験用のスペースに堂々と立っている。
異常なのは、その周囲だ。
無数の「なにか」が、機体の周りを浮遊していた。
透明で、周囲の照明を反射してきらきらと輝く球体。
「…水玉?」
大きさはバラバラだ。大きいものでは直径五十センチくらいありそうだし、小さいものだと十センチもないかもしれない。それらが、エミリアのヴェリアルの周囲をフヨフヨと漂っている。
そして、その異様な光景に似つかわしくない、あきらかなどよめきと、高らかな笑い声が響き渡っていた。
「わーっはっは!そうじゃ!もっと固く!もっと鋭くじゃ!」
「いいぞ!そのまま固定だ!射角調整よし!放てぇ!」
この品のない、けれど楽しそうな声は、間違いなくセラフィとポゾスのおやっさんだ。
母さんと顔を見合わせる。母さんも目をぱちくりさせている。
その時だった。
ヴェリアルの周辺に浮いていた水玉のいくつかが、すっと前方に移動した。
まるで弓に矢をつがえるような、静かな動き。
だが、次の瞬間。
空気を切り裂く鋭い風切り音と共に、水玉が消失した。いや、目にも止まらぬ高速で射出されたのだ。
直後、格納庫の奥から、硬質なものが砕け散る激しい音が連続して響いた。
私が目を凝らすと、そこにはマルセル先輩がクロスボウの試射用に使っていた積層金属板(特殊加工のフラクタル鉱)の的があった。
以前、マルセル先輩が全力で撃った時は、三枚を撃ち抜くのが精一杯だった、あの頑丈な的だ。
それが、四枚目まで綺麗に穴が開き、五枚目の表面がひしゃげて大きく削り取られていた。
「嘘…」
あんな、ただの水が?
呆然とする私の目の前で、次々と水玉が発射される。
一直線に飛翔した水玉は、金属板に衝突すると、弾けるのではなく、その運動エネルギーを一点に集中させて「穿つ」。
的がボコボコに破壊されていく。
そして最後に、一際大きかった五十センチほどの水玉が放たれた。
重い衝撃音が響き、的が三枚目まで完全に粉砕され、破片が四散した。
「なにあれ…」
隣で母さんが呟く。
私もあんぐりと口を開けたまま、声が出なかった。シヴァルリィの武装といえば、剣や槍、あるいは弓やクロスボウといった物理的な武器が常識だ。精霊力はあくまで機体の動力や身体強化に使われるもので、あんなふうに「飛礫」として飛ばすなんて見たことがない。
水煙が晴れると、エミリアのヴェリアルが、ゆっくりと駐機姿勢を取って片膝をついた。
コックピットハッチが開き、中からエミリアとプルル、そしてなぜかセラフィが出てきた。
「疲れたー!あなたたち容赦なさすぎ!」
エミリアがへたり込む。その顔は汗だくだ。
対照的に、セラフィはふんぞり返っている。
「楽しいのだから仕方あるまい!これぞ風と水の芸術じゃ!」
(すごい威力だったよー!頑張った!)
プルルも満足げに体を揺らしている。
そこへ、おやっさんが興奮した様子で駆け寄っていった。
「うまくいったな!まさか、こんなにうまくいくとは!理論上は可能だとは思っていたが、ここまでとは!」
「ふふん!わしの力じゃ!崇めよ!」
セラフィが胸を張る。
その時、エミリアが入り口にいる私たちに気づいた。
「あ!リーシャ!お帰り!今の見た!?すごくないこれ!」
エミリアが、ぱあっと笑顔になって手を振る。さっきまでの疲れが嘘のように元気だ。
私と母さんは、もう一度顔を見合わせてから、エミリアたちの元へ歩み寄った。
「…見たけど、どういうこと!?あれ、プルルの水だよね?」
「うむ。プルルとなにかやれぬか相談した結果じゃ!」
セラフィが私の肩に飛び乗ってきた。
「霧で目隠しをするのも良いが、それだけでは芸がないからの。プルルに水を球状に出させ、それを極限まで圧縮・硬化させる。そこへわしの風を叩きつけて、加速、撃ち出すのじゃ!名付けて『水礫』じゃ!」
「圧縮して、撃ち出す…」
理屈は分かる。分かるけど、それをシヴァルリィの制御下で行うなんて、どれだけ複雑な思念操作が必要なんだろう。
「小娘!早くおぬしのヴェリアルに乗れ!エミリアでは風の制御がいまいちじゃ。おぬしならばもっとうまく風を使えるはずじゃ!」
「…え?あ…はい…」
勢いに押され、私は頷いてしまった。
まあ、あの威力の正体と感覚は知っておきたい。
「エミリア、もう一回いける?」
「うん!リーシャが撃つなら、私は水玉を作ることに専念できるから、さっきより楽かも!」
エミリアとプルルが再びヴェリアルに乗り込む。
私もセラフィと共に、自分のヴェリアルのコックピットに滑り込んだ。
キーボタンを操作し、システムを起動する。
機体の感覚が繋がる。おやっさんの調整のおかげで、ノイズが減り、よりクリアになっている。
私は機体を立たせ、射撃位置についた。
少し後ろに、エミリアの機体が位置取る。
モニター越しに後方を確認すると、エミリアの機体の背部ラック周辺から、きらきらとした光の粒が集まり、先ほどと同じような水玉が生成され始めていた。
「よしよし、準備はできたようじゃな」
肩の上のセラフィが、楽しそうに声を上げる。
「小娘、余計なことは考えるな。あの水玉で、あの的を撃ちぬくイメージだけを強くもつのじゃ。強弓を引き絞り、解き放つ感覚じゃ。風の制御と加速は、わしがやる」
「う、うん…」
私は深呼吸をした。
標的は、新しくセットされた十枚の積層金属板。
意識を集中する。
私の思考が、機体を通じて外部へと広がる。
後ろにある水玉を感じる。
それを掴み、見えない矢としてつがえる。的の中心へと導く線を描く。
――貫け。
強く、短く、念じた瞬間。
私の意思に呼応するように、背後で爆発的な風が生まれた。
ドンッ!という衝撃が機体を揺らす。
速い。
さっき見た時よりも、さらに直線的で、鋭い軌道。
水玉は一瞬で空間を跳躍し、的に突き刺さった。
耳をつんざくような金属の悲鳴と、轟音。
水玉は砕け散ることなく、金属板を貫通していく。
一枚、二枚、三枚…勢いは止まらない。
そして。
六枚目の裏側から、破砕された金属片と共に水しぶきが飛び出した。
貫通。
「ほら見ろ!やはりこっちの方が上じゃ!よくやったぞ、小娘!次々行くぞ!」
「え!?ちょ、ちょっと待っ…!」
私の制止も聞かず、セラフィが次を促す。
後ろから供給される水玉が、次々と私の支配下に入ってくる。
狙え。放て。
狙え。放て。
私の思念が合図となり、セラフィの風が推進力となる。
圧倒的な破壊の嵐。
最後の大きい水玉が放たれた時、的はもはや原形をとどめていなかった。五枚目までが完全に消滅し、ただのガラクタと化していた。
「はぁ…はぁ…」
すべての水玉を撃ち尽くした時、私は座席に深く沈み込んだ。
「すごい…すごいけど、すっごい疲れる…」
頭がずきずきと痛む。
身体を動かしたわけではないのに、全力疾走した後のような倦怠感。
思念を「水玉の誘導」という精密動作に使い続けた反動だ。
「そうじゃろうな、あっちの小娘もそうじゃった。よかろう、このくらいで勘弁しておいてやる」
セラフィも満足したのか、少し息を弾ませている。
私は重い体を動かしてハッチを開け、外の空気を吸い込んだ。
タラップを降りると、エミリアとプルルも降りてきていた。二人ともぐったりしている。
「リーシャ…すごかったね…」
「うん…でもこれ、連発したら倒れるよ…」
私たちがふらふらと歩いていくと、母さんとおやっさんが難しい顔で話し込んでいた。
「…シヴァルリィであんなことできるの…?」
母さんが、穴だらけになった的を見つめて呟く。
「わしも初めて見たわ!面白い!実戦で使えるかは別としてな!」
ポゾスさんが腕を組む。技術者としては興奮しているようだが、冷静な視点も忘れていない。
「準備に時間がかかるし、射手と供給手が別々というのも連携が難しい。何より、ミディへの精神負荷が高すぎる」
それに、私の肩で息を整えていたセラフィが反論した。
「使えるじゃろう!使えるに決まっておる!遠距離で、あの威力じゃぞ!?まぁ、消耗が激しいから連続では無理じゃろうがな」
確かに。
ここぞという時の一撃、あるいは敵の射程外からの先制攻撃としては、これ以上ない武器になる。
でも、乱戦の中でこれを使うのは自殺行為だ。
母さんが私たちを見て、小さく頷いた。
「…なんにしても、戦いのオプションが増えるのは良いことね。二人とも、イメージトレーニングはしておきなさい。いざという時の切り札になるかもしれない」
「はい…」
「がんばります…」
私とエミリアが力なく返事をした、その時だった。
技術院の構内に、けたたましい警報音が鳴り響いた。
空気が一変する。
楽しげだった職人たちの顔が強張り、走り出す音が聞こえる。
そして、無機質な全体通信が響いた。
『緊急警報!緊急警報!』
その声は、ただの訓練ではない切迫感を帯びていた。
『先ほど、アルトリーベ侯爵領において、ガルドラム軍との本格的な戦闘が始まったとの連絡あり!繰り返す、アルトリーベ侯爵領にて戦闘開始!各員!緊急事態に備えよ!』
とうとう、始まった。
私は拳を握りしめる。
ついさっき、王城で誓ったばかりだ。
オーレリアの笑顔を守ると。
そして、妹に「行ってきます」と言ったのだ。
私は顔を上げ、北の方角を見上げた。
あそこが、私の戦場だ。
「行くよ、セラフィ、エミリア」
「おう!」
「うん!」
迷いはない。
私たちは、新たな翼と、新たな牙を持って、戦場へと向かう。




