第30話「調整」
目の前にそびえ立つ王都の城壁は、見上げるほどに高く、威圧的だった。
厚い石材で組まれた壁の向こうには、女王陛下がおわす王城があり、幾多の人々が暮らす巨大な都市が広がっている。
私たちは街道から少し外れた、城壁近くの木陰にエキュイエを停めた。エキュイエが入れる場所は限られているし、あまり目立ちたくない。
運転席から降りて地面に立つと、王都特有の少し埃っぽくも活気のある風が頬を撫でた。
さて、ここまでは順調に来たけど。
「母さん、ここからどうするの?」
隣で伸びをしている母さんに、私は素朴な疑問をぶつけた。
母さんは、かつて王城に住んでいたわけだし、きっと何かしらの考えがあるに違いない。
「どうしましょ?」
母さんは、小首をかしげて可愛らしく言った。
「…へ?」
「どうしましょ…って。王太后様に会うための伝手とか」
「ないわねぇ。このまま王城に乗り付けるわけにもいかないし…」
あっけらかんとした答えに、私は思わず天を仰いだ。
嘘でしょ?勢いで来たの?いや、勢いで来たのは私だけど、母さんなら裏口の一つや二つ知ってるものだとばかり!
「いやいや、そんなことしたら討たれるよ!いきなり武装したエキュイエが王城に突っ込んだら、反乱軍扱いだよ!」
「あら、大丈夫よ。私の顔パスでなんとかならないかしら?」
「十数年前の、しかも引き籠ってた人の顔パスなんて通用しないでしょ!それに、今の母さん、すごく優しい顔してるから昔の面影なんてないと思うし!」
二人であーでもないこーでもないと、エキュイエの影で言い争う。
これから国の行く末に関わるような重大な話をしようとしているのに、入り口で躓くなんてあんまりだ。
どうしよう。やっぱり正規の手順で申請を出すべき?でもそれだと何日かかるか分からないし、そもそも門前払いされる可能性が高い。
私たちが不毛な会話を続けていると、背後から砂利を踏む音と共に、聞き覚えのある野太い声が聞こえてきた。
「ほう、嬢ちゃんだったのか。ん?そっちは…ベアトリスか!」
心臓が跳ねる。反射的に振り返ると、そこには作業着姿の人物が立っていた。
白髪交じりの髪を無造作にかき上げ、金属粉の匂いを漂わせた、王立技術院の長。
「おやっさん!?どうしてここに!」
「ポゾスさん!」
「衛兵から、見慣れない珍しいタイプのエキュイエが留まってると聞いてな、様子を見に来たのだ。まさかお前さんたちだとは思いもしなかったが」
ポゾスさんは呆れたように笑うと、鋭い視線を母さんに向けた。
「今日はどうした?観光ってわけじゃなさそうだが」
その問いに、母さんの纏う空気が一変した。
先ほどまでのふんわりとした雰囲気は消え、かつて戦場を駆けたミディとしての凛とした気配が立ち上る。
「ポゾスさん、お願いがあります。王太后様かマクシミリアン公爵様にお取次ぎをお願いできませんか?」
「ああ、それはかまわんが…理由は?」
ポゾスさんの眼光が鋭くなる。ただの世間話ではないことを察しているのだ。
母さんは一歩も引かず、静かに、けれど力強く告げた。
「ベアトリスとリーシャが『返事を言いに来た』と言っていただければ」
返事。
その言葉の意味を、ポゾスさんは即座に理解したようだった。彼はわずかに目を見開き、そして深く頷いた。
「…ふむ、よかろう。承った」
「ありがとうございます」
母さんが深々と一礼する。
ポゾスさんは視線を私に移し、ニヤリと笑った。
「…嬢ちゃん、こいつを技術院の方にまわせ。こんなものがここにあると物騒だ!中に入れてしまえば、誰にも文句は言わせん!」
「はーい!ありがとう!」
渡りに船とはこのことだ。
ポゾスさんは手早く衛兵に指示を出すと、王城の方へと歩いていった。
私たちは再びエキュイエに乗り込み、彼の指示通り、王宮の裏手にある技術院の搬入口へと車体を滑り込ませた。
◇
技術院の広大な格納庫にエキュイエを停め、中から二騎のヴェリアルを降ろす。
周囲には、以前も手伝ってくれた技師たちが集まってきていた。
この匂い。ここは私が一番落ち着く場所だ。
しばらくして、ポゾスさんが戻ってきた。
彼は周囲の技師たちに作業の指示を出しながら、自然な動作で私たちの近くに来ると、声を潜めて囁いた。
「四日後に会われるそうだ。…詳しくは聞かんがな。後悔のないようにだけするんだぞ?」
「はい」
母さんが短く答える。
四日後。それが私たちの決断の刻限だ。
ポゾスさんの計らいに感謝しつつ、私も小さく頷いた。
すると次の瞬間、ポゾスさんがいきなり大声を張り上げた。
「で!嬢ちゃん!なにが気に入らねぇんだ!?おれの仕上げたヴェリアルに文句があるんだろ!?」
格納庫中に響き渡る怒鳴り声に、周囲の技師たちがギョッとしてこちらを見る。
私は一瞬驚いたけれど、すぐにポゾスさんの目を見て理解した。
これは「隠れ蓑」だ。私たちがここに滞在する理由を、「機体の調整」にするための。
そして何より、彼の目には職人としての純粋な闘争心も宿っている。「文句があるなら言ってみろ」というのは、半分以上本音だ。
だったら、受けて立つしかない。
私だって、この数日間、ずっと我慢していたことがあるのだ。
私は腹の底から声を張り上げた。
「あるー!あれさ!あれ!」
私は自分のヴェリアルに駆け寄り、その右肩を指さした。
「あの位置だと、小剣がスムーズに抜けないよ!もう少し角度つけるかしないと無理!」
周囲の空気が張り詰める。技術院の長に対して、小娘が楯突いたのだから当然だ。
けれど、ポゾスさんはさらに声を荒げた。
「なんだと!?そいつは、おまえさんが未熟なだけじゃねぇのか!?肩の可動域を使えば抜けるはずだ!」
「それは否定しないよ!ルシア先輩なら抜けるかもしれない!でも!未熟なミディでも扱いやすくしてこその技師でしょ!緊急時にコンマ一秒でも遅れたら、それで死ぬかもしれないんだよ!」
私の言葉に、ポゾスさんが口角を吊り上げた。
獰猛な笑みだ。
「なんだと!?言いやがったな!?やってやろうじゃねぇか!ヴェリアルに乗れ!動きを見てやる!」
「へへ!そうこなくっちゃ!」
不満点を抱えたまま戦場に行くなんて真っ平ごめんだ。ここで完璧に仕上げてやる。
私がステップを駆け上がろうとした時、エミリアがポゾスさんに近寄ってきた。
「私も相談にのってほしいことがあります!リーシャの後でいいのでお願いします!」
遠慮がちに、でもはっきりとした声だった。
ポゾスさんが足を止め、エミリアを見る。
「おうおう!かまわんぞ!その顏だと、なんか面白れぇこと考えてるんだろ?そういうのは大歓迎だ!」
エミリアの瞳には、確かな光があった。
私たち四日間の戦いは、ここからが本番だ。
◇
それからの四日間は、まさに怒涛のような日々だった。
日中は技術院の片隅を借りて、機体の改修と調整。夕方からは中庭で母さんの指導による戦闘訓練。寝る間も惜しんで、私たちはヴェリアルと向き合った。
「この角度だと肘関節の装甲が干渉するのっ!」
私はヴェリアルの腕を動かしながら、ポゾスさんに食って掛かる。
私の思念に合わせて、ヴェリアルの右腕が肩部のマウントラッチへ伸びる。だが、柄を掴む瞬間にわずかな空白時間ができる。
「むぅ…確かに、お前の言う通りスムーズじゃねぇな。だがな、これ以上角度をつけると、肩で敵の攻撃を流すのが難しくなる」
「あ!じゃあさ!じゃあさ!肩部装甲と肩の間をもう少し上げて、その隙間に、可動式にしたマウントを取り付けるとかは!?抜刀の思念に合わせて、ここがポップアップするように!」
「…なるほど!抜刀時の思念をトリガーにして、バネ仕掛けで跳ね上げるか!?…む!その形なら片方に二本ずつ、いや三本ずつにすることもできるか!もっと肩の装甲は大きく長くして、角度を変えて干渉しないようにして…」
「そうそう!胴体部と肩の装甲は別にして、肩の可動域を邪魔しないようにして…そっか!というかね!関節の可動域を邪魔する装甲はいらないかも!」
「む!それは良いな!その方がわしもやりやすい!」
セラフィが賛同した。
おやっさんが図面を広げ、猛烈な勢いで書き込みを始める。
私もその横から覗き込み、構造上の欠点がないかチェックする。
◇
私の方が一段落したので、おやっさんはエミリアの相談を聞き始めた。
「ポゾスさん、私、プルルの力をもっと引き出せるようなヴェリアルにしたいんです」
「ほう、どういうことだ?」
「学院の時の戦いで、ヴェルドルに乗って霧を発生させたことがあって…」
エミリアが、あの時のことを説明する。
プルルの水の力を使って、広範囲に霧を発生させた話。
「同じようなことを、もっとスムーズにできないかなって」
「なるほどな」
おやっさんが、顎に手を当てて考え込む。
「精霊力を外部に、スムーズに放出するための機構が必要だな。通常、精霊力は機体の駆動に使われるが、それを意図的に外に出すとなると…」
「放出口を設けるとか?」
「いや、それだとエネルギーロスが大きい。むしろ、機体表面全体から微細に放出できるようにする方がいい」
「おお、それは面白い」
別の技師が会話に加わってくる。
「装甲の表面に、微細な精霊力伝達回路を張り巡らせるんだ。そうすれば、機体全体が精霊力の放出装置になる」
「だが、それだと防御力が犠牲になる。それは問題だろう」
「…ならば、背部マウントラックの側面に、その機構をつけるとかは?元々、斬撃が直接当たらないような場所だ。全面に施すよりはスムーズにいかないかもしれないが、そこは制御を頑張ってもらうということで…」
「それだ!」
おやっさんが目を輝かせる。
「嬢ちゃん、それなら、機体を霧で包むことも、広範囲に散布することもスムーズにできる!制御は必要だが、嬢ちゃんの要望に応えることは可能だ!」
「本当ですか!?制御はします!やってみせます!」
エミリアが嬉しそうに声を上げる。
(プルル、すごいことになりそうだよー!)
(やったー!わたし、もっと頑張るー!)
プルルも喜んでいる。
その話は、他の技師たちにも伝わり、いつの間にかアイディア大会になっていた。
「霧だけじゃなくて、他のこともできるんじゃないか?」
「ああ、外部に放出した精霊力を集束させれば可能だろうな」
「いや、それより防御に使う方が面白い。水の膜で攻撃を受け流すんだ」
「おお、それもいいな」
技師たちが、次々とアイディアを出していく。
私も、自分の機体のことで精一杯だったけど、エミリアの機体がどんどん面白くなっていくのを見て、ワクワクしていた。
◇
改修作業の合間を縫って、母さんの指導も続く。
中庭での立ち会い。母さんが持つのはただの木の棒なのに、私とエミリアが二人掛かりで挑んでも全く歯が立たない。
「リーシャ、まだ考えすぎ。動きを分割するのはいいけど、それを繋げる時は流れるように」
母さんの棒が、私の剣をいなす。
「エミリア、突きが甘い。機体に乗っている時と同じイメージを持って」
エミリアの槍をかわし、軽く額を突く。
私たちは息を切らして地面に座り込むけれど、その表情は晴れやかだった。
身体で覚えた感覚を、すぐに機体の調整にフィードバックする。
思考と機体が、日に日に一体化していくのが分かった。
三日目の夜。
私のヴェリアルの肩部マウント改修が終わった。
試験運転。
運転席に座り、目を閉じる。
肩部の内側にある小剣を意識する。
右手を伸ばすイメージ。同時に「抜く」という明確な意思を送る。
カシャン。
小気味よい金属音と共に、マウントが跳ね上がる感覚。
そのまま流れるように柄を掴み、前へと抜き放つ。
抵抗がない。生身で体を動かすような自然さで、小剣が手の中にあった。
「できた…!」
思わず声が漏れる。
モニター越しに見えるポゾスさんが親指を立てていた。
エミリアの方も、画期的なシステムが完成していた。
試験では、一瞬にして格納庫の半分が真っ白な霧に包まれ、技師たちが「見えねぇ!」「すげぇ!」と大騒ぎになった。
でも、エミリアとプルルは、これならもっと他にもできそうと試行錯誤している。
◇
明日、私たちは王太后様とマクシミリアン公爵様に会う。
それまでに仕上げなければならないことじゃないけど、それでも区切りまでには形になって良かった。
会うのは私と母さんだけ。セラフィにも遠慮してもらった。
セラフィは、プルルとエミリアと組んでいろいろ画策しているっぽい。楽しそうではあるけど、ちょっと怖くもあるかな。
ふと、胸の中で、ペンダントが微かに熱を持った気がして、手で包み込んだ。
父さん、見ててね。
私、ちゃんと伝えるから。




