第3話「ワクワク」
ハッチから中へと入った。コックピット内部は思ったより広い。
中央には、宙に浮いた座席。黒い革張りで、使い込まれている。その両脇には肘置きがあり、そこには無数のキーボタンが並んでいる。足元には二つのフットペダル。
周囲の壁には、配管や配線が走っている。時折、微かに光っているのは、精霊力の流れを示すものだろうか。
「これが、シヴァルリィのコックピット…」
授業で習った通りだと思いながら、座席へと近づくと、背後でハッチが閉まる音がした。
重い金属音。
瞬間、周囲が真っ暗になった。
「うわっ」
「落ち着け、小娘。授業で習ったのじゃろう?」
「う、うん…」
目を閉じて息を整えた。確かに授業で習った。ハッチが閉まると暗くなるが、すぐに——
ほんのりと、コックピット内部が明るくなった。
淡い光。光源は見えないが、壁全体が微かに発光しているようだ。
「ほらな」
「うん、すごい。本当に授業で習った通りだ」
もう一度、座席を確認し、フットペダルの位置を確認する。
「ちょっと遠いな」
小柄な私には、標準設定のままでは足が届かない。
「調節できたはず」
座席の横にあるレバーを探した。教科書通りの位置に確かにある。金属製で少し冷たい。
「よし、これを」
レバーを引き上げると、小さな音がして、フットペダルの位置がスライドしてくる。機械的な精密な動き。
何度かレバーを操作して、ちょうど良い位置に調整する。
「これでよし!」
フットペダルの感触を確かめながら座席に座った。
革の感触。少し硬いが体にフィットする。
瞬間——
視界が、一気に開けた。
「うわぁ…!」
コックピット内部が一気に明るくなった。
全周囲の外の光景が見える。まるで、何もない空間に座っているかのよう。
前方には練兵場が広がっている。グレゴール教官や同期生たちの姿が見える。ロルフのおっちゃんの姿も。エミリアが心配そうにこちらを見ている。
左右も、後方も、すべて見える。
空も、雲も、鳥が飛んでいるのも見える。
そして、視界を遮らない位置——正面の左右に、計器類が投影されている。
精霊力の流れを示す青いゲージ。
機体の姿勢を示す簡易的な図。
周囲の状況を示す、ぼんやりとした感知図。
不思議なことに、カデットの腕や体は見えない。視界を遮るものが何もない。
「これも授業で習った通り。でも、実際に見ると、すごい」
ゆっくりと周囲を見回した。
視線を動かすだけで、あらゆる方向が見える。まるで、自分が巨人になったかのような感覚。
「ほほう、面白い仕掛けじゃの」
セラフィが、リーシャの頭上の小さなスペースに座りながら、きょろきょろと周囲を見回している。
「わしも、こんなものは初めて見るぞ。記憶にはない光景じゃ」
「セラフィって、何歳なんだろ」
「さあの。思い出せぬ」
セラフィが飛んでいき、小さな手で計器に触れようとして手がすり抜けた。投影だからだ。
「ふむ、触れぬのか。不思議な技術じゃ」
セラフィの行動を微笑ましく見ながら、大きく深呼吸をした。
心臓が早鐘を打っている。
ついに、この時が来た。
「…よし」
意を決してセラフィに声をかけた。
「行くよ!セラフィ!力を貸して!」
「うむ!任せい!」
目を閉じ、これまで学んだことを思い出す。起動時の注意点。精霊力の流れ。重心の位置。すべてを、頭の中で確認する。
そして、心の中で念じた。
(起動して)
その瞬間——
機体全体が、微かに震えた。
それは、精霊力がフラクタル鉱の結晶構造に浸透していく振動。温かな力が、機体の隅々まで、まるで血管を流れる血液のように行き渡っていく。
低い共鳴音がコックピットに響いた。静かで神秘的な音。まるで巨大な生き物が目覚めるような。
計器が次々と点灯する。
青いゲージが、ゆっくりと上がっていく。
機体姿勢、正常。
精霊力流量…増大…規定値到達…安定。大丈夫、これならいける。
「セラフィ、ありがとう」
「なんじゃ?まだなにもしとらんぞ?」
「言いたかっただけ」
続けて駆動系の起動が完了したことを告げるシグナルが点灯した。
「すごい…これが、シヴァルリィ…」
視界が、さらに鮮明になった気がする。
そして——
耳を澄ませた。父から受け継いだ「耳」。シヴァルリィの音を聞き分ける力。
機体全体から、様々な音が聞こえてくる。
精霊力が流れる、微かな共鳴音。
関節部の僅かな軋み。
フラクタル鉱の結晶が振動する音。
(この音…右脚の第二関節、少し引っかかってる)
機体は古い。何年も何年も生徒に使われてきた精霊騎士学院のカデットだ。完璧な状態であるはずがない。
(左腕の肘関節も、精霊力の流れが少し滞ってる)
でも、それは問題ではない。
むしろ——
(機体の癖が分かれば、それに合わせて動かせる)
手元のキーボタンをいくつか操作した。いくらか音がマシになった気がする。
外の音も聞こえてきた。
風の音。生徒たちのざわめき。遠くで鳥が鳴いている。そして——
『ヴァレンティア、聞こえるか?』
グレゴール教官の声が外部音声として聞こえてくる。まるで、すぐ隣で話しているかのようにはっきりと。
「は、はい!聞こえます!」
『起動に時間がかかっているようだが大丈夫か?』
「はい!大丈夫です!今から動かします!」
(立ち上がって)
念じると同時に、機体が滑らかに立ち上がった。
視界が一気に高くなる。
「うわぁ…高い…」
十メートルの高さから見下ろす世界。
人が小さく見える。地面までの距離が恐ろしいほど遠い。
「すごい!すごいよセラフィ!」
「ふふん、これくらい朝飯前じゃ」
セラフィが得意げに言う。
「じゃが、おぬしもなかなかじゃな。思念が明確じゃ」
「本当!?うれしい!」
『では、歩いてみろ』
教官の声が響く。
『ゆっくりでいい。一歩ずつ確認しながら進め』
「はい!」
(右脚、前に。バランス重視で)
カデットの右脚が前に出た。
滑らかに。
視界が少し前に移動する。
そして着地。
足が地面を踏む音。土が僅かにへこむ。
でも、衝撃はほとんどなかった。
座席が宙に浮いているおかげもあるが、それ以上に機体自体が衝撃を吸収している。
(重心を中心に保って…)
「小娘、重心の補正やバランス調整はわしがやる。おぬしは行動を示してくれればよいぞ」
「うん、わかった」
(次は左脚)
左脚が前に出る。
また滑らかに着地。
やはり衝撃はほとんどない。興奮で胸が高鳴るのを感じた。
「…すごい。思った通りに動く…思っただけで動いてる!」
「それが、わしの力じゃ」
セラフィが得意げに胸をそらした。
「おぬしの思念を、わしが読み取って、最適な動きに変えておるのじゃ。じゃが、おぬしの思念が明確だから、わしも動かしやすい」
「セラフィのおかげだよ!」
その時——
機体が、僅かに傾いた。
(あ、バランスが…!)
外から見ている人には分からないほどの、僅かな傾き。
(落ち着いて…重心を中心に…)
父から学んだ重心管理の知識。
授業で習った機体制御の理論。
それらを総動員して思念を集中させた。
(戻して)
機体が体勢を立て直した。
「おぬし、今、自分で立て直したのか?わしがやるよりも早く?」
セラフィが驚いた声で言った。
「うん…ちょっと焦ったけど」
「見事じゃ。驚いたぞ。普通ならそのまま倒れておる。まぁ、わしがそんなことはさせんがな!」
右、左、右、左。
カデットが歩き始める。
滑らかに。自然に。機体の癖を理解し、それに合わせて動かす。
父から受け継いだ力と、授業で得た知識と、セラフィの力。
三つが合わさって初めて実現できた動きだった。
「ふふん、悪くない。だが小娘、これだけでは終わらんぞ?」
セラフィが不敵に笑う。
「え…?」
「あの小僧に見せつけてやるのじゃ!本当の『格の違い』というやつをな!」




