第27話「雑草」
(Side:エリーゼ・ホッホベルク子爵)
ミラボー領の東端。断崖絶壁の上に張り付くように存在する小さな漁村、「海鳴りの村」。
鉛色の空と海に挟まれた、世界の果てのような場所だ。
その「海鳴りの村」へ続く道、潮風が吹き付ける荒涼とした道を、二頭の馬が疾風のごとく駆け抜けていく。
「はぁ、はぁ…! なんで、私が、こんな辺鄙な、場所で、泥にまみれて、馬を走らせなきゃいけないのさ!」
手綱を握りながらボヤきしか出てこない。
動きやすい乗馬服に身を包み、愛馬を駆っているが、強烈な潮風で髪はボサボサ。優雅な貴族の休日とは程遠い。肌に張り付く塩の不快感に、私は眉間の皺を深くした。
「エリーゼ様、愚痴をこぼしている暇はありません。もう少し急ぎましょう。このままでは刻限に遅れてしまいます」
並走する馬から涼しい声が返ってくる。
私の侍女、クララだ。
信じられないことに、彼女はいつものロングスカートの侍女服のまま、鞍に跨っている。しかも、私より速い。
ひらひらと舞うスカートとヘッドドレスが、この殺伐とした風景の中でシュールすぎて頭が痛くなる。
「あんたねぇ…その格好で乗馬とか、常識を疑うよ」
「侍女たるもの、いついかなる時も正装であるべきですので」
クララは無表情のまま手綱を操る。この侍女は何をさせても超一流だが、時々そのスペックが人外じみていて怖い。
「…それにしても。まさかねぇ、ミラボーにオウラム連邦の裏拠点が複数あるだなんて思いもしなかったよ」
馬上の揺れに身を任せながら、私は昨夜の報告を反芻する。
一見沈静化しているミラボーの皮を一枚めくれば、そこには無数の蛆が湧いていた。
「ミラボーは現在、戦時下における前線の街です。平時に比べれば治安レベルが落ちている状態ですので、そのようなことがあっても不思議ではありません」
「カンサン、エシュリス、ダッチー、バルドール、ブルリアンにタドヴォニア。まさか、オウラム連邦八市の内、六つがねぇ…多すぎでしょ」
オウラム連邦は一枚岩ではない。八つの都市が互いに牽制し合い、利益を奪い合っている。
だが、そのうちの六つまでもが、このミラボーに何らかの拠点や協力者を忍ばせているという事実は、背筋が寒くなるものだった。
「それだけ今のリュクスカインは与しやすい国だと侮られている証拠です」
「…で、なんで、あんたはそれに気づいたわけ?」
「昨日も申し上げましたが、善意の情報提供者が、モノと人の流れを教えてくれたので」
「…昨日はぶったまげたよ。大荷物抱えて帰ってきたと思ったら、怪しげな書類の束、タバ、たばの山。おまけに『オルベン商会』の刻印が入った金塊まで入ってるし。これ、よくも今まで誰も気付かなかったものだね」
「正規の手続きを経た不正というのは気づきにくいものです」
「…善意の情報提供者のおかげなんだね?」
「そうです」
この「情報提供者」が何者なのか、深く聞くのは野暮というものなのだろう。
重要なのは、その情報が正確であり、致命的だったということだ。
「…そのおかげさまのおかげで、いろいろなことがわかったからいいけどさ。まさか、ガルドラムとエシュリス市が手を組んでいるとはね。カタリナ叔母様の読みもまんざらじゃなかったってことか。…で、その情報提供者とやらによれば、今日、この時間にここに『バルドール市』の実質的支配者、ドミニクがいるってわけ?」
「はい。ドミニク氏は非常に用心深い性格で知られています。部下が上げる報告書を信用せず、月に一度、現地の帳簿と現物を自らの目で確認しに来る。それが今日です」
「なるほどね。トップが直々に泥棒の親玉みたいなことをしているとは、ご苦労なこった」
話している間に、目的地である「海鳴りの村」が見えてきた。
村とは名ばかりだ。
断崖をくり抜いて作られた天然の入り江には、漁船にしては喫水の深い大型船が数隻停泊している。積み上げられたコンテナの数も、寒村の漁獲量とは釣り合わない。
ここは漁村でなければ、密輸拠点でもない。オウラム連邦バルドール市が、西大陸へ直接進出するために極秘裏に築き上げた、軍事的な「橋頭保」だ。
「…本気だね、バルドールは」
私は手綱を引き、丘の上で馬を止めた。
眼下に見える光景に、私は貴族としての顔を引き締める。
今日ここに来たのは、ただの視察ではない。国の未来を賭けた、毒を以て毒を制する交渉のためだ。
「行くよ、クララ。大人の仕事を片付けるとしよう」
◇
村の入り口にある大きな網元の屋敷――に見せかけた、物流管理棟の前で私たちは馬を降りた。
私たちが敷地に足を踏み入れると、すぐさま屈強な男たちが十数人、わらわらと出てきて行く手を阻んだ。
全員、漁師の格好をしているが、その身のこなしは完全に傭兵のそれだ。腰には隠そうともしない武器が見える。
「何だあ?ここは観光地じゃねえぞ」
リーダー格の男がドスの効いた声で威嚇する。
私は優雅に扇子を取り出し、パチンと開いて口元を隠した。
「ここの責任者、ドミニク氏に会いに来た。取り次いでおくれ」
「あぁ?ドミニクだぁ?知らねえな。それに、ここは関係者以外立ち入り禁…」
男が私の肩に手を伸ばそうとした、その時だった。
「エリーゼ様に気安く触れないでいただけますか」
涼しい声と共に、クララが一歩前に出た。
男が鼻で笑う。
「なんだ、この侍女は。痛い目にあいたくなけ…がっ!?」
鈍い音が響き、男がくの字に折れ曲がって吹き飛んだ。
一瞬の出来事だった。クララがスカートを翻し、目にも止まらぬ速さで男の鳩尾に蹴りを入れたのだ。
「なっ…!?」
他の男たちが色めき立ち、剣や棍棒を抜く。殺気だった空気が場を支配する。
だが、クララは埃を払うようにスカートを整え、優雅に会釈をしただけだった。
「少々、ゴミが舞いましたが、これでお分かりいただけましたでしょうか。私共は『話し合い』に参りました。ですが、邪魔をするなら『掃除』するのもやぶさかではございません」
たった一撃。しかし、その洗練された暴力の質に、プロである彼らが一番恐怖している。
誰も動けない。
そこへ、屋敷の奥から低い声が響いた。
「…通せ。客人のようだ」
男たちが道を開ける。
私はクララに目配せをし、堂々と屋敷の中へと入っていった。
◇
通された応接室には、日焼けした肌に派手な金のネックレスを下げた男、ドミニクが座っていた。
卓上には書きかけの帳簿と、隠しきれない軍事地図が広げられている。
いかにも成金といった風体だが、その目は鮫のように冷たく、油断なく私たちを値踏みしている。
「へぇ、ホッホベルクの子爵様が何の用だ? ここはリュクスカインの法が通じねえ場所だぜ?」
ドミニクは葉巻をふかしながら、ふてぶてしく笑った。
「あらま、私もいつのまにか有名になったものね」
「ミラボーでな、何度か見かけたことが…な」
「ふーん。単刀直入に言うよ、ドミニクさん。エシュリス市のオルベンが、ガルドラムに付いたことは知ってるね?」
私が切り出すと、ドミニクの葉巻を持つ手がピクリと止まった。
「…知っていたらどうだと言うんだ」
「あんたたちバルドール市は、長年エシュリス市と大陸交易のシェアを争っている。そして、この『海鳴りの村』は、あんたたちがエシュリスを出し抜いて西大陸へ進出するために築いた、虎の子の橋頭保だ」
私は扇子で部屋を見渡すように示した。
「もし今回、ガルドラムが勝てばどうなる?ガルドラムは協力者であるオルベンに、リュクスカイン全土の商権を独占させるだろうね。そうなれば、この秘密拠点もガルドラム――ひいてはオルベンの手に落ちる。あんたたちの長年の投資は、すべて水の泡だ。今はあんたらの好きにさせちゃいるけど、元はミラボー領の一部だからね」
ドミニクの表情から笑みが消えた。
「…俺たちに、負け馬に乗れと言うのか?落ち目のリュクスカインに加担したところで、ガルドラムに潰されれば同じことだ」
「負け馬、ね。本当にそうかな?」
私はニヤリと笑った。
「確かに今は押されている。だが、我が国には新たな『力』が芽吹きつつある。それに…もし、私が今ここで帰って、『ミラボー領内にバルドール市の非合法軍事拠点がある』と国軍に通報したらどうなるかな?」
ドミニクの目が殺気を帯びる。周囲の空気が張り詰めた。
だが、私は怯まずに続ける。
「もちろん、あんたたちは私たちを消すこともできるだろう。だが、この子がそれを許すかな?さっき、外の騒ぎが聞こえたんだろ?この子なら、ものの数秒でここにいる全員を無力化するもできるからね?…そして、私が戻らなければ、別の者が情報を公にする手筈になっている」
話しながら、頑張って獰猛そうな笑みを作ってみた。こんな感じかな…。
「…脅しか」
「取引だよ」
私は声を和らげ、提案した。
「バルドール市は、エシュリス市――つまりオルベンの足を引っ張ってほしい。奴の補給路の情報、ガルドラムへの資金の流れ、そういった情報を私たちに流すだけでいい。表立って戦う必要はない」
「…その見返りは?」
「この『海鳴りの村』の存在を、私が領主に口添えして黙認させてやる。さらに、戦後はリュクスカインにおけるバルドール市の『正規の交易港』として使用許可を出そう。オルベンが独占しようとしていたパイを、あんたたちが奪えるチャンスだ」
ドミニクが黙り込んだ。
葉巻の煙が、天井へと昇っていく。
沈黙の時間。彼は商人の頭脳で天秤にかけているのだ。
ガルドラム勝利によるエシュリスの独占か、リュクスカイン勝利によるバルドールの正規参入か。
そして、目の前の貴族を敵に回すリスクを。
「…黙認だけでなく、関税の優遇措置も追加しろ。最初の五年間だ」
ドミニクが低い声で条件を出した。
「三年だね」
関税交渉を想定していた私は即答した。
「…妥当だな」
食えない男だ。ふっかけたな。だが、それだけ本気ということ。
「…いいだろう。ただし、戦時中に限る特例措置だ。戦後は改めて契約を結ぶ。…それで手打ちといこうか」
「フン…悪くねえ話だ。オルベンの野郎がデカイ顔をするのは気に食わなかったんでな」
ドミニクは葉巻を灰皿に押し付け、ニヤリと笑った。
交渉成立だ。
◇
帰路。
夕日が海を赤く染める中、私たちは再び馬を走らせていた。
行きよりも風が心地よく感じるのは、肩の荷が下りたからだろうか。
「お見事でした、エリーゼ様。あそこまで強気に条件を引き出すとは」
並走するクララが、珍しく称賛の言葉を口にする。
「あんたが入り口で派手にやってくれたおかげだよ。あれでドミニクも、私たちがただのお飾りじゃないと悟ったんだ」
私はため息をついた。
毒を制するために、別の毒を盛る。
優雅とは程遠いが、これが貴族の、大人の戦い方だ。
あんな危険な橋頭保を国内に認めさせるなど、本来なら売国行為に近い。だが、今は綺麗事を言っている場合ではない。
「それにしても、クララ。あの『善意の情報提供者』ってのは、一体何者なんだい?こんな辺境の秘密拠点まで把握しているなんて、ただの情報屋じゃないだろう」
ふと気になって尋ねると、クララは悪戯っぽく微笑んだ。
夕日に照らされたその横顔は、侍女の仮面の下にある、底知れぬ何かを感じさせた。
「さあ?ただ、この国には『雑草』のように根を張り、決して表には出ずに国を支える者たちがいる…とだけ」
「…『雑草』、ね。踏まれても抜かれても、しぶとく生き残るってわけか」
私は苦笑した。
得体の知れない侍女と、見えざる協力者たち。
まあいい。彼らが味方である限りは、この国もまだ捨てたものじゃない。
「さて、急ごうか。カタリナ叔母様への良い土産話ができたよ」
私たちは速度を上げ、夕闇の迫るミラボーの街へと急いだ。
街の明かりが、いつもより少しだけ暖かく見えた。




