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「ハズレ精霊の飼い主」と馬鹿にされた整備士の娘ですが、機体の悲鳴が聞こえるので、貴族の皆様より上手く操れますよ?  作者: 秋澄しえる


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第25話「過去」

 ミラボーに到着し、伯爵夫人と学院長への報告を済ませた私は、はやる気持ちを抑えながら自宅へと急いだ。


 ヴァレンティア工房。


 使い込まれた木の扉を開けると、鼻腔をくすぐる匂いが私を出迎えた。


 冷却液のツンとした刺激臭と、切削された金属の匂い。


 王都の洗練された香水なんかより、ずっと落ち着く。


「ただいま!母さん!」


 私が声を上げると、奥の作業場から母さんが顔を出した。


 作業用のエプロン姿で、手には油汚れのついたウエスを持っている。


「おかえりなさい、リーシャ。思ったより早かったわね」


 母さんの声はいつも通り穏やかだった。


 久しぶりの再会だというのに、泣きついてくるわけでも、大げさに抱きしめてくるわけでもない。


 ただ、私の顔をじっと見つめ、少しだけ目を細めただけ。


「…いい顔になったわね」


「えへへ、そうかな?」


「ええ。王都の風に揉まれて、少しは大人になったみたい」


 母さんは短くそう言うと、作業の手を止めてお茶の準備を始めた。


 やっぱり、母さんのこの距離感、好きだなぁ。


 ベタベタしないけど、ちゃんと見てくれてる感じがして。


 私はテーブルにつき、母さんが淹れてくれたハーブティーを飲みながら、王都での出来事を一気に話した。


 最新鋭機『ヴェリアル』のこと。


 ジェラールという凄腕の騎士に、手も足も出ずボッコボコにされたこと。


 そして、オーレリア女王陛下にお会いしたこと。


 母さんは時折相槌を打ちながら、静かに私の話を聞いていた。


 女王陛下の話になった時、ふと母さんの視線が揺れた気がしたけど、私が口を閉ざすと、母さんはいつもの優しい笑顔に戻っていた。


「そう。頑張ったのね、リーシャ。父さんもきっと喜んでるわね」


「うん。…あ、そうだ」


 話が一区切りついたところで、私は腰の工具袋を探った。


 底の方にしまっておいた、あの一通の封書を取り出す。


「これ、王都を出る時に侍女の人から渡されたの。母さん宛てだって」


 私が封筒を差し出した瞬間。


 母さんの動きがピタリと止まった。


 宛名のない、真っ白な封筒。


 そこに押された、のっぺらぼうの赤い封蝋。


 母さんの表情から、すっと感情が抜け落ちた。


 動揺…じゃない。


 もっと冷たくて、硬質な何かに切り替わったみたい。


 部屋の空気が、一瞬で張り詰める。


 え、なにこれ。怖いんだけど。


「…そう。来たのね」


 母さんは短くそう呟くと、封筒を受け取った。


 え?来た?母さんはこの手紙が来ることを知ってた?


 母さんの指先には迷いがなかった。


 ペーパーナイフを取り出し、封を切る。乾いた音が静寂に響く。


 中の便箋を取り出し、目を通していく母さん。


 その横顔は、私が知っている優しい「お母さん」じゃなかった。


 鋭い眼光。


 背筋を伸ばし、唇を真一文字に引き結んだその姿は、まるで戦場に立つ騎士みたいだ。


 やがて、母さんは読み終えた手紙をテーブルに置いた。


 深く、重い息を一つ吐く。


「リーシャ」


「は、はい」


「店を閉めてきてちょうだい。鍵もしっかり掛けて」


 その声音の冷たさに、私は思わず背筋を正した。


 ただ事じゃない。


 私は言われた通りに店の表戸を閉め、鍵を掛けた。


 工房は完全な密室となり、昼間だというのに薄暗い静寂に包まれた。


「座って」


 母さんに促され、私は正面に座った。


 テーブルの上には、開封された手紙。


 母さんは私を真っ直ぐに見据えた。


「貴女に、話さなければならないことがあります」


「…うん」


「今まで隠していてごめんなさい。でも、これは貴女の命に関わることだったから」


 母さんは一度言葉を切り、意を決したように口を開いた。


「私の本当の名前は、ベアトリスではありません。『アリス・ロッシェ』。それが私の本当の名です」


「アリス…ロッシェ?」


 どこかで聞いたことがあるような…あれ?アリスって、公爵様が・・・


 同じタイミングで、セラフィが素っ頓狂な声を上げた。


「なんと!アリス・ロッシェじゃと!?アストラムの『疾風の騎士』!最強の騎士ではないか!」


「セラフィ!知ってるの!?」


「精霊界で知らぬ者はおらんわ!『おしゃべり』ヴィルトが事あるごとに散々吹聴しておったわ!ヤツが帰ってきてからというもの、口を開けば、アリス強い!アリス凄い!アリスと一緒だと楽しい!と自慢げに話しまくっておったからのう。元々とぼしかった風の大精霊としての威厳なぞ、どこぞに捨ててきおったようじゃ」


「そう。私のエメルは、風の大精霊ヴィルトでした」


(でした…?)


 過去形。


 私が首を傾げると、母さんは寂しげに微笑んだ。


「でも、今はもういません。契約は解除されました」


「どういうこと?」


「大精霊との契約には、強大な力と引き換えに『加護と制約』という絶対のルールが存在します。私とヴィルトが交わした制約は、『次代の命を育む時、その契約は白紙に戻る』というものでした」


 次代の命。


 それって、つまり…。


「リーシャ、貴女が生まれた瞬間、私とヴィルトの契約は終わりを告げました。ヴィルトは風と共に去り、私はミディとしての資格を失ったのです」


 言葉が出なかった。


 母さんが、私のために力を手放した?


 あの優しくて強い母さんがシヴァルリィに乗らないのは、乗りたくないからじゃなくて、乗れなくなってしまったから。


 私のせいで?


「アストラム聖教国はいまだに私の行方を追っているようですが、足取りは掴めていないでしょう。アストラムに私の居場所が知られていれば、今ここにはいません」


 母さんは遠くを見るような目をした後、再び私に向き直った。


「私はアストラムのミディでした。でも、父さん――ギリクと出会い、恋に落ちて、国を捨てました。…その時、私がアストラムから持ち出したシヴァルリィは、今もリュクスカイン王宮の地下深くに封印されています」


「王宮の…地下?」


「ええ。シルファリオン・カレスティア。あの美しくも恐ろしいシヴァルリィを見ることはもう二度とないでしょう。あれは、この世にあってはいけないものです」


「…そんなに危ないシヴァルリィなの?」


「ええ。アストラム聖教の聖地、聖マリア湖の湖底深くに、何百年も眠っていた古代の遺産…いや、もうこの話はいいでしょう…」


 母さんは言ったことを後悔するようなため息をつき、ゆっくりと再び話し始めた。


「私たちは国境を越え…行き場を失った時に匿ってくれたのが、当時のエレオノーラ様と、マクシミリアン公爵でした」


 話が唐突すぎて、頭が追いつかない。


 え?なんでここで、そんなお偉い人たちの名前がでてくるの!?


 でも、母さんの言葉は淡々と、事実だけを積み重ねていく。


「父さんはただの技師ではありませんでした。父さんは、マクシミリアン公爵の弟君のご落胤…庶子だったのです」


「えー!?待って待って待って待ってーー!!母さん!待って!父さんが公爵様の甥!?」


「ええ、そうよ」


「…嘘じゃないんだよね?」


「そう思うのも無理はないわね…でも、事実なのよ」


「うー…」


 私は頭を抱えた。こんなのすぐに理解しろってのが無理だよー。


 …でも、母さんは嘘を言ってない。そんなことは顔を見ればわかる。そっかー、世の中には嘘だと言ってもらった方が楽なことがあったんだ…


「あれ?じゃあ…もしかして…もしかしてだけど、私と女王陛下って…『はとこ』…なの?」


 はとこ。


 あの、雲の上の存在だと思っていた女王陛下と、私が???


 うそでしょ。あんなキラキラしたお姫様と、煤まみれの私が親戚?


「私たちは身分を隠し、王城で約四年間暮らしました。リーシャ、貴女が生まれたのは、このミラボーではありません。王都ヴェラムです」


 女王陛下って、私の二つ下だから一緒に過ごしてたことになるのかな?


 …王城で感じたあの変な既視感は気のせいじゃなかったってことかぁ…。


「そして、あなたが三歳になり、ほとぼりが冷めた頃合いを見て、私たちはこのミラボーへと移り住みました。全ては、過去を捨てて静かに暮らすため。…でも、過去は追いかけてくるものね」


 母さんは視線をテーブルの手紙に落とした。


「この手紙は、エレオノーラ様からです。『オーレリアを守るために、力を貸してほしい』と」


「…母さんは…どうしたいの?」


 私が尋ねると、母さんは少しだけ目を伏せ、しかしすぐに顔を上げた。


 その瞳に、迷いはなかった。


「断れば、私たちはここで静かに暮らせるでしょうね。誰も私たちを責めはしないわ。エレオノーラ様もなにも言ってこないでしょう…でも、それはできない」


 母さんは私の手を、そっと握った。


 整備仕事で荒れた、温かくて強い手。


「私たちが今こうして生きていられるのは、あの方たちが守ってくれたからです。リーシャが無事に産まれ、育つことができたのも、あの方たちが危険を冒して匿ってくれたおかげ。…借りたものは返す。それがギリクの、いいえ、私の流儀でもあるわ」


 ああ、母さんらしいや。


 逃げて生き延びるよりも、恩に報いて戦うことを選ぶ。


 筋を通す。そういうとこ、ほんとかっこいいと思う。


 それは、父さんが最期に戦場へ向かった理由と同じなのかもしれない。


 母さんは私を真っ直ぐに見据えた。


 そこには、娘を案じる母親の顔と、共に戦う同志を求める騎士の顔が混在していた。


「リーシャ。これは、父さんと母さんの過去の清算です。だから…あなたに負担をかけることは筋違いかもしれない。それでも、あの子を…オーレリアを守ってあげてくれない?」


 オーレリア女王陛下。


 覚えてはいないけど、母さんの口ぶりだと、彼女が赤ん坊の時に私があやしたりしたとかあったのかもしれない。


(セラフィ。どう思う?)


(わしの答えなぞ決まっておろう)


(だよね…)


 私は自分の胸に手を当てた。


 運命という名の歯車が、最初からそこへ噛み合うように回っていたんだ。


 本当は『運命』とか『宿命』なんて言葉は嫌い。


 だって、自分じゃないとこで勝手に未来が決められてるなんて絶対イヤだ。


 いつでも私が私であるために、私が決めた未来に進みたい。


 怖いかと聞かれれば、そりゃあ怖い。


 でも、不思議と嫌じゃなかった。


 父さんが命を懸け、母さんが力を手放してまで守り抜いた「借り」のある命。


 それを、大切な人たちのために使うことは、きっと間違っていない。


 母さんからのお願いだからじゃない。


 エレオノーラ様からのお願いだからでもない。


 私は…私がオーレリアを守りたい!あの子を!あの可愛い子を!


「母さん、大丈夫!任せといて!私がどこまでやれるかわからないけど、私はオーレリアを守る!とりあえず、なにをすればいいのかもまったくわからないけどね!」


 私は母さんの手を握り返して笑った。


「父さんと母さんの借りは、私の借りでもあるんだよ?だって、エレオノーラ様達から助けてもらわなかったら私は生まれなかったんだから!だから、そんな水くさいこと言わないで!それにさ!オーレリア様は私の妹みたいなものでしょ?妹を守るのは、姉の役目だしね!」


 私が努めて明るく言うと、母さんは初めてふっと表情を緩めた。


 張り詰めていた騎士の顔が消え、いつもの優しい母さんの顔に戻る。


「…そう。ありがとう、リーシャ…」


 部屋の隅で話を聞いていたセラフィが、ニヤリと笑う気配がした。


(「アリス・ロッシェ」か。その力を受け継いでおるかもしれない…ということになるかの…。ヴィルトに話を聞いておきたいところじゃな。『精霊の泉』もあることだし、今度聞いてみるか…面白くなってきたではないか)


「ところで母さん、エレオノーラ様への返事ってどうしよう?」


「そうねぇ、一度、王城に出向いた方が良いかしら」


「え!じゃあ、母さんと旅行!?わーい!やったー!!」


 私は子供のように両手を上げて飛び跳ねた。


 重い宿命も、複雑な過去の話も、全部どこかへ吹き飛んでしまったみたいに。


 そんな私を見て、母さんは呆れたように、けれどどこか救われたような表情でふっと相好を崩した。


「…ふふ。そうね、旅行みたいなものかしら」


「やった!お弁当は!?おやつは!?」


「はいはい、準備するから落ち着きなさい」


 工房に、久しぶりに明るい笑い声が響く。


 回り出した運命の歯車。その軋みを塗り潰すように、私は母さんのエプロンにしがみついた。


 どんな旅になるとしても、母さんと一緒なら、きっと大丈夫だ。


 使い込まれた工房の匂いの中で、私たちは束の間の団欒を噛み締めていた。


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