第23話「帰還」
(Side:ルシア・アルトリーベ)
エキュイエの談話室で、私は紅茶を啜りながら窓の外を眺めていた。
流れる荒野の景色。王都を出発してから、もう二日が経とうとしている。
テーブルの向こう側では、リーシャとエミリアが何やら楽しそうに笑い合っている。
二人の間には、設計図らしき紙が広げられていた。
「ねえねえ、リーシャ。この部品、もっと軽くできないかな?」
「うーん、軽くすると強度が落ちちゃうから…あ、でもこっちの素材を使えば…」
整備の話だろう。
リーシャは本当に、機械の話をしている時が一番生き生きとしている。
平民の娘。整備士の娘。
「どうした、ルシア。浮かない顔をしているぞ」
膝の上で丸くなっていた炎の精霊イグニスが、顔を上げた。
「…別に、何でもないわ」
「嘘をつくな。お前の心は、わしには筒抜けだ」
イグニスが尻尾を揺らす。
この相棒は、私の気持ちを敏感に感じ取る。
「…少し、複雑なだけよ」
「あの平民の娘たちのことか?」
「イグニス」
私は小声で叱った。
でも、イグニスは正しい。
私は、リーシャとエミリアに対して、複雑な感情を抱いている。
◇
尊敬している。
あの戦いで、彼女たちがどれだけ勇敢だったか、私は知っている。
エミリアは恐怖を乗り越えて戦場に出た。
リーシャは、誰も倒せなかった敵を倒した。
それは紛れもなく、称賛に値する行いだ。
でも、同時に。
私の中には、小さな棘が刺さっている。
嫉妬、というほど醜いものではない。
ただ、「高等部首席」として、「アルトリーベ家の娘」として、常に完璧であることを求められてきた私にとって、リーシャの存在は少し眩しすぎるのだ。
「お前は真面目すぎるのだ、ルシア」
イグニスが、私の膝の上で寝返りを打った。
「真面目?」
「ああ。お前は『首席だから』『貴族だから』と、自分を縛りすぎている。あの娘たちを見てみろ。身分も何も気にせず、ただ自分のやりたいことをやっている」
「それは…」
言葉に詰まる。
確かに、リーシャもエミリアも、貴族社会の「しがらみ」から自由だ。
私のように、家名を背負い、父の期待に応え、武門の誇りを守る必要がない。
「羨ましいのか?」
「…少しだけ、ね」
正直に答えた。
イグニスが、満足そうに目を細める。
「ルシアちゃん、お茶のおかわりいかがですか?」
エリーゼ叔母様が、ポットを持ってやってきた。
「ありがとうございます、叔母様」
私はカップを差し出した。
温かい紅茶が注がれる。
「王都では本当にお疲れ様でした」
エリーゼ叔母様が、私の隣に座った。
「いえ、叔母様こそ。私たちが技術院にいる間、大変だったのでしょう?」
「まあ、それなりにね」
叔母様が、少し疲れた顔で微笑む。
「和平派の貴族たちとの交渉は、本当に骨が折れたわ。特にエルデンベルク伯爵は…」
叔母様が、そこで言葉を切った。
クラウディウスが、少し離れた場所にいる。
彼の父親の話を、あまり大っぴらにするわけにはいかない。
「でも、なんとか補給線は確保できたわ。ロシュフォール子爵が協力してくれたの」
「マルセル君のお父様が」
「ええ。不器用だけど、実直な方よ」
叔母様が、マルセルの方を見る。
彼は図面を見比べながら、何やら確認している。
「ルシア、貴女のお父様も、カタリナ叔母様との連携を考えているようよ」
「父上が?」
父の顔が浮かぶ。
厳格で、時に冷酷なまでに厳しい父。
でも、私のことを大切に思ってくれていることは分かっている。
「父上に、恥ずかしくない報告ができるでしょうか」
「大丈夫よ。貴女は立派に戦ったわ」
叔母様が、私の頭を撫でてくれる。
「でも、無理はしないでね。貴女は一人で戦っているのではないのだから」
「はい」
私は頷いた。
叔母様の言葉が、胸に染みる。
「仲間を信じて、そして自分自身も信じてちょうだい」
「…はい」
私は、リーシャとエミリアの方を見た。
二人は相変わらず、設計図を見ながら楽しそうに話している。
(仲間を信じる…か)
◇
その時、エキュイエが大きく揺れた。
「揺れるぞ!みんな、掴まれ!」
バーツさんの声がスピーカーから響く。
私たちは慌てて、手すりや椅子に掴まった。
大きな揺れが続く。
だが、やがて揺れは収まり、エキュイエは再び滑らかに走り出した。
「…ふう」
エミリアが、安堵の息を吐く。
「もうすぐミラボーだな」
クラウディウスが窓の外を見ながら呟いた。
その言葉通り、遠くに見慣れた街の輪郭が見えてきた。
ミラボー。
私たちが守った街。
そして、これから再び戦う場所。
「見えたぞ!ミラボーだ!」
ジムさんの声が響く。
私たちは、窓に駆け寄った。
そこには、夕日に照らされた美しい街並みが広がっていた。
無事だ。
あの戦いの傷跡はまだ残っているだろうけれど、街は生きている。
「帰ってきたのね」
私は小さく呟いた。
イグニスが、私の肩で小さく炎を揺らす。
「ああ、帰ってきた。そして、これからまた戦いが始まる」
「ええ」
◇
(Side:ミラボー伯爵夫人カタリナ)
「叔母様、ただいま戻りました」
執務室に入ってきたエリーゼを、私は立ち上がって迎えた。
「おかえり、エリーゼ。いろいろ頑張ってくれたようね。おかげで支援物資が続々と届いています。疲れているところ悪いんだけど、まずは報告をお願いできるかしら」
「はい、そのつもりです」
エリーゼが椅子に腰を下ろす。
ゲオルグが紅茶を運んできて、二人の前に置いた。
「では、王都の状況から聞かせてもらえる?」
「はい。まず、和平派の動きですが…予想以上に活発です」
エリーゼが、懐から小さなメモ帳を取り出した。
「エルデンベルク伯爵を中心とする一派は、ガルドラムとの講和を本気で画策しています。彼らの主張は『ミラボーと精霊の泉を譲渡すれば、戦争は終わる』というものです」
「相変わらず短絡的ね」
私は冷ややかに笑った。
「譲歩すれば平和が来る、なんて甘い話があるわけないでしょう。あちらは味を占めたら、次はもっと大きなものを要求してくるわ」
「その通りです。ですが、彼らは王都の貴族たちに『戦費の削減』『増税の回避』といった甘言で支持を広げています」
「金か。分かりやすいわね」
「一方、マクシミリアン公爵閣下は抗戦派の結束を図っておられます。今回の学生たちへのヴェリアル下賜も、その一環です」
「『英雄』の創出ね」
「はい。特にリーシャさんとエミリアさんのような平民出身者を前面に出すことで、『貴族だけの戦争ではない』という演出をされています。ただ、『英雄』という言葉を前面には出されていません」
「なるほど。士気高揚と、和平派への牽制を兼ねているわけね。『英雄』という単語もそう。貴族が吹聴すれば民衆は白けるわ。自然発生的にそうなるよう、状況を作り上げている状態でしょうね」
私はカップを傾けた。
「で、補給線は?」
「ロシュフォール子爵が協力してくれました。一部の補給路を『演習用』の名目で確保し、帳簿操作で和平派の目を欺いています」
「アンリ・ロシュフォール…あの実務家気質の子爵ね。息子のマルセル君も優秀だわね」
「はい。父親譲りの頭脳派です」
「それで、肝心の物資は?」
「子爵のおかげで、当座は充分な量を確保できました」
私は満足気にうなづいた。
「他には?」
「ヴェリアルの追加配備ですが、当初の予定通り、ミラボーに優先的に回されています。現在十六機が配備済みと聞きましたが」
「ええ、そうよ。うち十二機が稼働可能。残り四機は調整中」
「順調ですね」
「いいえ、全然足りないわ」
私は首を振った。
「ガリアード団長が毎日訓練場に張り付いて、騎士たちにヴェリアルの扱いを叩き込んでいるけど、旧式機との性能差が大きすぎて、みんな苦労しているわ。特にF値の違いが顕著で、精霊力の伝達速度に慣れるまで時間がかかる」
「なるほど…」
「それに、ミラボー騎士団の戦力は、あの戦いで四十騎から十三騎に激減したのよ。戦死者は少なかったから助かったけど、戦線復帰するまでには時間がかかる者もいるわ。ヴェリアル十六騎を加えても、総勢二十九騎。今はまだ数を揃えてるだけね」
「ですが、性能は段違いでは?」
「ええ。だから『質』で補うしかない。学生さん達にも協力をお願いしないといけないかもね」
「学生たちを?」
「一度とは言え実戦経験があるし、ヴェリアルの扱いにも慣れている。騎士団から不満がでるかもしれないけど、そこはガリアード団長になんとかしてもらいましょ」
ガリアード団長の困った表情を想像したのか、エリーゼが苦笑していた。
◇
「それで、こちらの状況だけど」
私は立ち上がり、壁にかけられた大きな地図の前に立った。
「街の復興は順調よ。学院の修復も終わったし、市民の避難訓練も定期的に行っている。あの戦いで、みんな危機感を持ったようね」
「それは良いことです」
「ええ。でも、問題は国境よ」
私は地図上の国境線を指でなぞった。
「ガルドラム側は、あの戦闘以降、大規模な侵攻はしてきていないわ。こちらも痛手を負わせたからね」
「小康状態、ということでしょうか」
「表面上はね。でも、偵察部隊の報告によれば、向こうは着々と戦力を増強しているわ」
「次の侵攻に備えて、ですね」
「ええ。そして、もう一つ気になる動きがあるの」
私は地図の北部、アルトリーベ侯爵領を指差した。
「北方の最前線。ここ最近、ガルドラム側の動きが活発になっているの」
「動きがあるだけでもイヤですね」
「そう。大規模な戦闘ではないけれど、小隊規模の襲撃が頻発しているわ。偵察、物資略奪、住民への嫌がらせ…まるで、わざと挑発しているみたいに」
エリーゼの表情が険しくなった。
「もしかして…」
「ええ。私も同じことを考えているわ。ガルドラムは、アルトリーベ侯爵領とミラボー、両方を同時に攻めるつもりかもしれない」
「二正面作戦…」
「そうなれば、戦力を分散せざるを得ない。こちらの新型機は優秀だけど、数が足りない。向こうがそれを見越して動いているなら、かなり厄介よ」
「ノルドグラード連合とはどうなったのでしょう」
「そこはゲオルグに調べてもらっているわ。ゲオルグ」
「少し前の情報にはなりますが、お互いに相当数の戦死者がでているようです」
私は地図から離れ、再び椅子に座った。
「そうなると…わからないわね。こちらにちょっかいかけるような余裕もないはずだけど…」
考え込んでいたエリーゼが、なにかに気づいたように顔を上げた。
「もしかして…」
「どうしたの?」
「ただの推測ですが…いえ、王都で収集した情報を含めての考えですが、ガルドラムが傭兵を大規模に雇ったという可能性はないでしょうか?」
「傭兵…どうしてそう思ったのかしら」
「王都で、幾人かの有力商人にも会ったのですが、最近、オウラムとガルドラムの交易が盛んになっているとか」
「オウラム連邦…中央大陸の自由都市国家群…そうか!それならばガルドラムから和平派へのお金の流れも説明がつくし、ノルドグラードと、うちの二正面で戦争をおこなう余裕があるかもしれないわね!オウラムのすべての都市がガルドラムにつくわけはないけど、一つの都市だけでも味方につけば…それだけで局面は変わるわ!ゲオルグ!」
「はっ」
「王都とアルトリーベ侯爵へ通信連絡!ガルドラムからの侵攻が本格化する可能性あり。厳重に警戒されたし!と」
「承知しました」
「それと、エリーゼ」
「はい」
「あなた、オウラムに行って、情報収集と、こちらの味方につきそうな都市を探してきてくれないかしら。ガルドラムについたのがどこかはわからないけど、そこと敵対している…いえ、積極的な敵対でなくても、対抗しようとしている都市があれば、交渉次第では味方になってくれると思うのよね。よしんば味方になってもらえなかったとしても、リュクスカインがそのような動きを見せてきたと警戒してくれれば儲けものだわ」
「なるほど!確かに!わかりました!」
「お願いね」
エリーゼはすぐに外に走っていった。
それを見送ってから私は立ち上がり、窓の外を見た。
夕日が沈み始めている。
今の街は静かで、平和そのものだ。
でも、その平和は脆く、崩れやすい砂のようなものだった。




