第20話「野良犬」
王立技術院の地下に広がる、広大な屋内試験場。
無機質な灰色の壁に囲まれたその空間は、新型機『ヴェリアル』の性能評価試験のために開放されていた。
「マルセル・ロシュフォール対エミリア・ノーヴェ。始め!」
管制室からのブザー音が響くと同時に、二騎の機体が動いた。
距離を取ろうと後退するのはマルセル先輩の機体だ。彼らしく慎重な立ち上がりを見せている。彼の手には、この機体のために新造された高精度クロスボウが握られていた。
『風速、湿度、補正完了。…射線確保』
マルセル先輩の冷静な声が通信機越しに聞こえる。
彼のヴェリアルは、射撃時の安定性を高めるために脚部のアンカーで地面を捉え、上半身の揺れを極限まで抑え込んでいた。
対するエミリアの機体は、落ち着きなく左右にステップを踏んでいる。
背中には三本の短槍。頭部には、水の精霊プルルの感知能力を増幅するための大型センサーユニットが取り付けられていた。
『そこっ!』
訓練用のボルトが、空気を切り裂いて一直線に飛翔した。
誰もが命中を確信したタイミング。
『プルル、右ね!』
エミリアの機体が、まるでダンスを踊るようにくるりと回転した。
ボルトは彼女の機体のすぐ横をすり抜け、後方の壁に当たって跳ね返った。
『なっ…!?完全に死角からの射撃だったはずだ!』
『プルルが教えてくれたの!』
エミリアは笑いながら、機体の背中から短槍を引き抜き、投擲の構えを取る。
その動きは洗練されているとは言い難いが、エメルのサポートを受けた勘のようなものが、ヴェリアルの高反応によって実現されていた。
『ふむ。あの眼鏡の小僧、理論値に頼りすぎて相手の「勘」を計算に入れてねぇな。だが、あのクロスボウ、悪くねぇな』
通信機から、ポゾスのおやっさんのしわがれた声が聞こえてくる。
『あの娘っ子の方もだ。センサーの同調率が異常に高い。ありゃあ機体の性能っていうより、精霊との相性勝ちだな。おもしれぇ』
おやっさんは、自分が直接手掛けたわけではないヴェリアルの動きを、まるで我が子を見るような厳しい、けれど温かい目で見守っていた。
続いて行われたのは、ルシア先輩とクラウディウスだ。
こちらは打って変わって、激しい近接戦闘となった。
鋭い金属音が試験場に反響する。
ルシア先輩の長剣が、炎のような揺らぎを纏って斬りかかる。
『遅い!』
クラウディウスが、身の丈ほどもある大剣でそれを受け止めた。
火花が散り、二騎の装甲が擦れ合う嫌な音が響く。
以前の彼なら、力任せに振り回してバランスを崩していただろう。だが、今の彼の動きには「タメ」があった。
大剣の重さを利用し、遠心力と機体自体のトルクを同調させている。
『くっ…重い!』
ルシア先輩が呻き、バックステップで距離を取ろうとする。
彼女の機体は、ヴェリアルの装甲を削ぎ落した機動性重視。正面からの押し合いでは分が悪い。
瞬時にキーボタンを操作し、出力を調整して側面へ回り込もうとする。
『逃がさん!』
クラウディウスの機体が、強引に踏み込んだ。
床が砕け散るほどの踏み込み。
大剣が唸りを上げて横薙ぎに払われる。
『あの馬鹿力、フレームが悲鳴を上げてやがるぞ。だが、出力伝達のロスがねぇ。…ふん、あの銀髪の坊主、ミラボーでへし折られたっていう鼻っ柱を、自分で継ぎ直してきたか』
おやっさんが、煙草の代わりに咥えた清涼スティックを噛み砕く音が聞こえた。
『お嬢ちゃんの方は、ちと真面目すぎるな。機体のスペックを信じて、もう少しラフに動かしてもいいんだが…ま、そこが彼女の良さか。駆動系の排熱処理は完璧だ』
二戦が終わり、それぞれの機体が整備ドックへと下がっていく。
試験場の空気が、熱を帯びたまま静まり返る。
そして、私の番が回ってきた。
◇
私はヴェリアルと共に開始位置についた。
腰には二振りの小剣。
シートに深く体を沈め、感覚を研ぎ澄ます。
「準備いい?セラフィ」
「うむ。いつでも来るがよい!」
けれど。
いつまで待っても、対戦相手が現れない。
誰も来ない。
「あれ?おやっさん、私は誰と…?」
私は通信機のスイッチを入れた。
予定では、近衛騎士団の部隊長が相手をしてくれるはずだった。
『スタークのやつなんだが、おっかしいな。時間には厳しい男なんだが』
おやっさんの困惑した声が返ってくる。
その時だった。
試験場の入り口から、一人の男が入ってくるのが見えた。
だらしない格好をした、無精髭の男だ。
その背後には、闇が凝縮したような黒い獣の形をしたエメルが付き従っている。
そして、男の足元には――近衛騎士の制服を着た男性が転がっていた。
「団長…!」
転がされている男性――おそらくスターク部隊長が、うめき声を上げながら顔を上げる。
「おれがやりますって…」
「うるせぇ、おまえは黙ってろ」
鈍い音が響いた。
男がスターク部隊長を無造作に殴りつけたのだ。部隊長は白目を剥いて再び沈黙した。
(ひっ…!)
私は思わず息を呑んだ。
乱暴なんてレベルじゃない。
男は気絶した部下を邪魔くさそうに跨ぐと、管制室に向かって手を振った。
「ジェラール!てめぇ、おれのシマで何してやがる!」
おやっさんの怒声がスピーカーから響く。
男――ジェラールと呼ばれた人物は、私の方を見ながら悪びれる様子もなくニヤリと笑った。
「お嬢ちゃん、おまえさんの相手はおれだ」
マイクも使っていないのに、その声はよく通った。
腹の底に響くような、低い声。
「おやっさん!おれのヴェリアルは!?」
『…組上がっちゃあいるがな。まだなんも調整してねぇぞ』
「上等上等!ハンデとしちゃあちょうどいい!武装も訓練棒一本で充分」
『…仕方ねぇなぁ…おい!準備してやんな!』
『「…へい!」』
管制室の奥から、技師たちの困り果てたような、しかしどこか諦めを含んだ返事が聞こえた。
私は呆気にとられて、その様子を見ていることしかできなかった。
何が起きているのか分からない。
ただ一つ分かるのは、あの男が纏っている空気が、尋常ではないということだけだ。
「おやっさん…誰?」
私は震える声で尋ねた。
『ジェラール・バグラムっていうヤツでな』
おやっさんが、ため息交じりに教えてくれた。
『近衛騎士団の団長で、どんだけ功績をあげても叙爵したがらねぇ変わりもんだ。戦場以外の表舞台にはでてこないヤツだからな、知らねぇのも無理はねぇ』
「団長…!?」
そんな偉い人が、あんな浮浪者みたいな格好で、部下を殴って割り込んでくる!?
『だがな、とんでもなく強ぇぞ。あいつは「王宮の野良犬」なんて呼ばれてるが、噛みつかれたらただじゃ済まねぇ』
おやっさんの声が、急に低くなった。
『ヤツのエメル、あの後ろにいる漆黒の雷獣『ヴォルグ』も規格外だしな。…嬢ちゃん、気をつけろよ。あいつは訓練だろうが実戦だろうが、手加減を知らねぇからな』
その言葉と共に、試験場の搬入口から一機のヴェリアルが運ばれてきた。
塗装もされていない、剥き出しの金属色をした機体。
それを、あの男が駆るのだ。
◇
挨拶もそこそこに、ジェラール機がすっと右手を挙げた。
指先をクイクイと曲げる。
挑発。
カチンと来た。
「行きます!」
念じるよりも速く、機体が弾丸のように加速する。
腰の小剣二振りを抜き放ち、左右から挟み込むように斬りかかる。
速い。自分でも驚くほどの速度だ。これなら――!
硬質な衝撃音が、鼓膜を震わせた。
視界が激しく揺れる。
斬った感触がない。
ジェラール機は、最小限の動き――半歩だけ重心をずらし、私の剣を訓練棒一本で受け流していた。
「遅い」
直後、腹部に重い衝撃が走った。
蹴られたのだ。
私のヴェリアルはボールのように吹き飛ばされ、地面を転がった。
「なっ、なんじゃあやつは!?動きがわからん!」
セラフィが悲鳴を上げる。
私はすぐに体勢を立て直した。
悔しい。未調整のヴェリアルで遊ばれている。
「これなら!」
私は肩の裏に仕込んだ予備の小剣二本を射出した。
四本の剣による、不規則な軌道の同時攻撃。
ポゾスのおやっさんが「ジャグリング」と言った、私の切り札!(予定)。
「ほう」
ジェラール機が初めて反応した。
だが、彼は避けない。
訓練棒を無造作に振るう。
連続する乾いた音が響き、四本の剣が全て弾き飛ばされた。
まるで、最初から軌道を知っていたかのように。
「悪くないアイデアだ。だが、殺気が漏れすぎだぜ、お嬢ちゃん」
眼前。
いつの間にか、ジェラール機が目の前にいた。
速いのではない。気配が消えていたのだ。
「しまっ――」
反応する暇もなかった。
胸元に、冷たい訓練棒が突きつけられていた。
実戦なら、コックピットごと貫かれている。
「…詰み、だな」
ジェラールの欠伸混じりの声が聞こえた。
完敗だ。
手も足も出なかった。
ヴェリアルの性能を極限まで引き出したつもりだったのに、子供扱いされた。
ジェラール機が訓練棒を下ろす。
「まあ、学生にしちゃ上出来だ。機体のクセも悪くねぇ。…精進しな」
それだけ言い残し、塗装もされていない灰色の機体は背を向け、悠然と去っていった。
まるで嵐が過ぎ去った後のような静寂が、試験場に取り残される。
私は大きく息を吐き出し、震える指先でシートの肘置きを掴んだ。
完敗だ。
手も足も出なかった。
ふと、視線を感じて顔を上げる。
頭上の観覧席。ガラス張りの部屋の最上段。
そこに立っていた豪奢な服の老人が、ゆっくりと踵を返して部屋を出ていくところだった。
その表情は見えない。
けれど、その背中は雄弁に語っていた。
今の無様な敗北も、ジェラールの圧倒的な力も、すべては想定内だとでも言うような、謁見の間では見せなかった威圧感。マクシミリアン公爵。
「あやつらが…王都の「魔物」か」
セラフィが忌々しげに、けれどどこか警戒を含んだ声で呟く。
私は、去りゆく老人の背中と、ジェラールの消えた搬入口を交互に見つめた。
私たちには、まだ見えていない壁がある。
王都という場所は、ただ技術があれば生き残れるほど甘い場所ではない。
それを骨の髄まで思い知らされた、ほろ苦い模擬戦だった。




