第16話「旅路」
「風が気持ち良いなぁ」
私はエキュイエの左舷側に設けられた外通路の手すりに頬杖をつき、流れる景色をぼんやりと眺めていた。
遮るもののない荒野。巨大な車輪が巻き上げる土煙が、後方へと流れていくのが見える。頬を撫でる風には乾いた土の匂いと、微かな草の香りが混じっていた。
ミラボーでの激戦から二週間。
私たちは今、王都ヴェラムを目指して街道をひた走っていた。
「ねえ、セラフィ」
肩に乗った小さな相棒に話しかける。
「なんじゃ?」
「セラフィたちに助けてもらうと、ミディってこんな大きなものまで動かせるんだね。一昨日、初めて運転席に座った時はビックリしたよ」
「そうじゃなぁ。わしもこんな巨体を操ったのは初めてじゃ」
「シヴァルリィ運搬車『エキュイエ』。全長三十メートル、総重量は数百トンだったっけ?。八騎ものシヴァルリィを積んで、整備もできて、私たち十人以上が寝泊まりできる生活空間まである。それなのに、早馬みたいな速さで荒野を走れるなんて」
私は足元の床を見つめた。この分厚い装甲の下には、八つの巨大な車輪と、それを支える複雑なサスペンションが存在している。それら全てを、たった一人のミディと一体のエメルで制御しているのだ。
改めて、精霊技術の凄まじさを実感する。
「じゃがのう…なんか…こう、どうも」
セラフィが腕を組み、不満げに鼻を鳴らした。
「どうも?」
「んー、しっくりこん。デカすぎるからじゃろうか、シヴァルリィを動かしている時ほどには、隅々まで力が浸透している感じがせん。膜が一枚隔たっているような、もどかしさがある」
セラフィの言葉に、私は深く頷いた。
「あ、それ、ちょっと分かるかも。私も運転した時、意識がなんか引っかかるというか、ザラつく感じがして…。たぶん、フラクタル鉱の純度『F値』のせいじゃないかなって」
「F値?」
「うん。シヴァルリィの装甲やフレームに使われるフラクタル鉱には純度の等級があって、高ければ高いほど精霊力の浸透率が良くなるの。人間で言うなら、神経の伝達速度みたいなものかな」
私は手すりをコンコンと叩いた。硬く、少し冷たい感触。
「練習機のカデットに使われてるのがF35前後。軍用機のヴェルドルだとF42くらいの高純度鉱が使われてるはず。でも、このエキュイエは図体が大きい分、コストを抑えるためにF30くらいのフラクタル鉱を使ってるんだと思う」
「なるほどな。だからヴェルドルに乗った時は、手足のように滑らかに動いたわけか」
「そう。F値が10違うと、体感速度は倍くらい違うって父さんが言ってた。その代わり、エキュイエは純度が低い分、分厚い装甲で頑丈に作られてるんだけどね」
「ふん。まあ、この鈍重な感じも、慣れれば悪くはないがの」
「あ、ここにいたんだ」
背後のハッチが開き、エミリアが顔を出した。
彼女の腕の中では、水のエメルであるプルルが、その透き通った体をぷるぷると震わせながら、気持ちよさそうに外の空気を吸い込んでいる。
「あれ?もう交代の時間?」
「ううん。今はミラボー騎士団のジムさんと、ルシア先輩が運転席に入ってるから、リーシャの出番はまだ先かな」
エミリアが隣に並び、手元のメモ帳(シフト表)を覗き込む。
今回、この巨大な輸送車『エキュイエ』に乗っているのは、総勢十一名と一体のエメルだ。
「えっと、次の運転交代は…騎士団のガレックさんと、マルセル先輩だね。その次が私とクラウディウス君で、最後がリーシャと専任運転手のバーツさん」
王都までは不眠不休で三日間の強行軍となる。
そのため、私たち学生五人と、護衛としてついてきてくれたミラボー騎士団のガレックさんとジムさん、そして専任運転手のバーツさんの計八人がローテーションを組み、二十四時間体制でエキュイエを走らせ続けているのだ。
「他のお三方は、今頃、優雅にティータイムかな?」
私が冗談めかして言うと、エミリアが苦笑した。
「そうでもないみたいだよ。正使のエリーゼさん…ホッホベルク子爵様だっけ?あの方はすごく気さくで優雅でゆったりしてるけど、副使のハンスさんはずっとカリカリして書類仕事してるし」
「あー、あの神経質そうな眼鏡の事務官さんね。『予定より三分遅れています!』が口癖の」
「そうそう。従者のクララさんも、私たち全員分のご飯作ったり洗濯したりで、一番忙しそうだし」
正使エリーゼさん、副使ハンスさん、従者クララさん。
この三人が、私たちを王都へ連れて行く使節団だ。
普通の馬車なら馬が潰れてしまう行程だが、精霊力で動くこの車両と、これだけの人数がいればこその強行軍だ。
「そっか。…ねえ、王都ってどんなところかな」
「すごい都会だって聞くけど…私、ちょっと緊張しちゃう」
エミリアが不安そうに眉を下げる。戦いを経て、彼女の顔つきは少し大人びた気がするが、根本的な愛らしさは変わらない。
「大丈夫だよ。なんとかなるって。なんか美味しいものあるかなぁ」
「…あ、そろそろお昼ご飯だってクララさんが言ってたよ」
「本当!?行こう!」
風に乱れた髪を手櫛で整えながら、私たちは車内へと戻った。
◇
昼食の前に、格納庫の様子を見に行くことにした。
居住区を抜け、重い隔壁扉を開ける。
瞬間、冷却用の精霊液特有のツンとした匂いと、微かな金属臭が鼻をくすぐる。私にとって一番落ち着く場所だ。
高い天井の下、そこには独特の緊張感が漂っていた。
ガレックさんと、マルセル先輩が、積載された「荷物」の前で何やら難しい顔をして話し込んでいる。
「…なるほど。ここの関節構造、ヴェルドルとは根本的に設計思想が違いますね」
マルセル先輩が神経質そうに眼鏡の位置を直しながら、覗き込んでいるのは――『パンターブリッツ』の残骸だ。
ミラボーで私たちが倒した敵機。頭部を失ったり、あちこち破損しているけど、その漆黒の装甲は薄暗い格納庫内でも異様な存在感を放っている。
その横には、幾何学的な結晶体の姿をしたマルセル先輩のエメル『プリズム』が浮遊し、残骸の断面に光を当てて、なにやら調べているように見える。
「おう、来たか整備士の娘」
ガレックさんが、無精髭を撫でながら片手を挙げた。
彼が腰掛けているのは、自身の愛機であるヴェルドルの足元だ。その肩には、ゴツゴツとした岩亀のような姿をしたエメル『バストン』が鎮座している。
「どうですか?何か分かりました?」
私が尋ねると、ガレックさんは「お手上げだな」と肩をすくめた。
「この『人工筋肉』とでも言うべき駆動系…フラクタル鉱の編み方が異常に細かい。顕微鏡で見なきゃ分からねぇレベルだ。今の俺たちの技術じゃ、とても再現できねぇよ」
ガレックさんが、千切れた敵機の腕を指差す。そこには、金属繊維がまるで本物の筋肉のように複雑に絡み合った断面が見えた。
「これを作った奴は天才か、狂人だ。効率を突き詰めすぎて、整備性を完全に無視してやがる。壊れたら直すんじゃなくて、ユニットごと交換するつもりなんだろうな」
「王都技術院での詳細な解析が必要です。現在の設備では、ブラックボックスの解明確率は三%未満です」
プリズムが、抑揚のない声で告げた。
「だそうだ。…悔しいが、技術レベルでは敵の方が数段進んでるな」
マルセル先輩が悔しげに唇を噛む。
その視線の先には、昨日の敵であり、明日の脅威ともなりえる黒い機体がある。沈黙していてもなお、その威圧感は消えていない。
「でも、弱点がないわけじゃないですよね?」
そう言うと、離れた場所で壁に寄りかかっていたクラウディウスが鼻を鳴らした。
「フン。関節の耐久度だろ?貴様の入れ知恵のおかげで、耳にタコができるほど聞かされた」
彼は不機嫌そうだが、その顔色はだいぶ良くなっていた。肩には白い狐のエメル『フロスティア』が乗り、心配そうに主人の頬を舐めている。
「あら、クラウディウス君も来てたの?」
エミリアが驚いたように声をかける。
「…負けた相手だ。分析くらいしておくさ。次は絶対に負けん」
彼はそっぽを向いたが、その手にはびっしりと文字が書き込まれたメモ帳が握られていた。努力家な彼らしい。
「ちょっと、触ってみてもいいですか?」
私はガレックさんに許可を求めた。
「ああ。だが、気をつけろよ。まだ残留精霊力が残ってるかもしれん」
私は恐る恐る、黒い装甲に手を触れた。
ひやりとした冷たさが指先に伝わる。
目を閉じて、その感触を確かめる。表面の滑らかさ、指に吸い付くような独特の質感。そして、叩いた時の微かな反響音。
「…嘘でしょ」
思わず、呟きが漏れた。
「どうした?」
「この装甲のF値…間違いなく、50を超えてる」
「はぁ!?」
私の言葉に、ガレックさんが素っ頓狂な声を上げ、マルセル先輩が目を見開いた。
「F50だと?馬鹿な。ヴェルドルですらF42だぞ?F50オーバーなんて、一点物のシヴァルリィに使われるレベルだ。そんなものを量産したら国が傾く…いや、それも昔の話か。うちの国が遅れているだけかもしれんな」
「そうかもしれません。ヴェルドルは、傑作騎とはいえ三十年前のシヴァルリィです。もしかしたら、他国の今の標準がこれくらいなのかも…」
私は戦慄した。
さっき、エキュイエの鈍重さとヴェルドルの軽快さの違いを話したばかりだ。
F値が10違うだけで、体感速度は別次元になる。
もしこいつがF50を超えているなら、F42のヴェルドルが「止まって見える」のも当然だ。あんなアクロバティックな機動も、精霊力のロスが少ないからこそ可能なのだ。
「平和に胡坐をかいていたツケが回ってきているのかもな」
ガレックさんが忌々しげに舌打ちをする。
その時、車体が大きく揺れた。
悪路に入ったようだ。巨大な車輪が岩を乗り越える音が、床下から響いてくる。
「おっと、揺れるぞ。ここは危ないから、居住区に戻りな。飯の時間だろ?」
ガレックさんに促され、私たちは格納庫を後にした。
去り際、もう一度だけ振り返る。
薄暗い格納庫に並ぶ、二つの鉄の墓標。
圧倒的な性能差と、底知れぬ敵の技術力。
それは、これから私たちが向かう未来が、決して平坦ではないことを告げているようだった。




