第1話「ちっちゃい?」
「リーシャ・ヴァレンティア!」
ヴァルデマール学院長の厳かな声だ。
父さん!いよいよだよ!
心臓が口から飛び出そうだけど…やるしかない!
父さんが誕生日にくれたペンダントをギュッと握りしめた。
王立精霊騎士学院の地下深く。古代遺跡「精霊の泉」。
そういや、「精霊の泉」って、ここと首都ヴェラムにしか残ってないんだよね。
私の生まれたリュクスカイン王国の街ミラボー。今は戦争のせいで国境近くの街になっちゃったし、住んでる人も減っちゃったけど、昔はたくさんの人がいたよなぁ。
円形の広間は、薄暗い中にも神秘的な光に満ちていた。壁には古代の文字が刻まれ、その意味を知る者は今やいない。天井は高く、そこから差し込む光が、中央の泉を照らしている。泉とは呼ばれているけれど、そこに水はない。金と銀、そして虹色の光が液体のように絡み合い、音もなく渦を巻いているだけだ。
「精霊の泉」は、精霊との契約が許される場所。
人類が作り出すことのできない、古代からの神秘。誰が、何のために作ったのかは分からない。ただ一つ確かなのは、精霊との契約が可能なのは、この「精霊の泉」だけだということ。
そして、夢にまで見た「精霊騎士」への第一歩を踏み出せるかどうかが決まる、運命の分岐点だ。
ミディとエメルの精霊力が、精霊騎甲を構成する、フラクタル鉱という金属に浸透することで、初めて関節が滑らかに動き、巨体が動く。ミディの思念をエメルが読み取り、それを機体の動きに変換する。人と精霊、二つの存在が一体となって、初めてシヴァルリィは生きる。
この国では、十二歳で「精霊感応力」の検査を受け、才能を認められた者だけがこの学院に入学できる。
けれど、入学できたからといって、将来が約束されているわけじゃない。
十四歳になった者が挑む、この「精霊契約の儀」。ここで呼びかけに応じて契約してくれた精霊の力が弱ければ、巨大な精霊騎甲を動かすことはできない。
その時点で「精霊騎士」への道は閉ざされ、簡単な精霊魔法を使える便利な人「精霊使い(エメリム)」として生きるしかなくなるのだ。
父さんのような、シヴァルリィ整備士であり技師になるのも夢だ。でも、父さんが追い求めた「最高の機体」を完成させたい!そのためには、自分自身がシヴァルリィに乗って、機体の声を聞かなければならない。なんとなくそう思っていた。
エメリムではダメなんだ。ミディにならなきゃ意味がない!
「ヴァレンティア。君が本日最後の契約者だ」
ヴァルデマール学院長が告げる。
「心を静め、精霊界へと意識を開け。おぬしと波長の合う精霊が、必ず応えるだろう。よいな。では、前へ」
学院長の手招きに、一歩前へ出る。足音がやけに大きく響く気がする。
周囲には、既に契約を終えた同期生たちが並んでいた。
あ、エミリアだ!
親友のエミリアは、青く透き通る水滴みたいな精霊「プルル」を抱きしめて、祈るようにこっちを見てくれてる。ありがと、勇気出るよ。
…と、思ったら。その横から、氷みたいに冷たい視線が飛んできた。
「フン。工場の煤と埃の臭いが漂ってきそうだな」
うわ、出た。
あからさまな嘲笑を投げかけてきたのは、銀髪の美少年、クラウディウス・エルデンベルク。
髪はサラサラ、制服は特注。名門貴族の次男坊で、肩にはこれまた高慢そうな白い狐の精霊「フロスティア」を侍らせている。入学初日から私を目の敵にする、いけ好かない奴ナンバーワン。
「あんな薄汚れた労働階級が、神聖な泉に立つなど。儀式の格が下がるというものだな」
わざと聞こえるような声量。取り巻きたちがクスクス笑う。
カチンときた。
私を馬鹿にするのはいいよ。実際、手は荒れまくりだし。
でも、父さんの仕事を「薄汚れた」なんて言うのは、絶対に許せない!
言い返そうと息を吸い込んだ、その時。
「そこまでになさい、エルデンベルク」
凛とした声が響いた。
人垣が割れ、腰まで届く黒髪ポニーテールの先輩が現れる。鋭い琥珀色の瞳と、堂々とした立ち振る舞い。
高等部首席、ルシア・アルトリーベ先輩だ!わぁ、本物だ!
「ル、ルシア先輩…」
「神聖な儀式の場で、同期を侮辱するなど騎士道に反します。名門の品位が疑われますよ」
先輩の氷のような一瞥に、クラウディウスはバツが悪そうに顔を背けた。ざまぁみろ、だ。
先輩は私に向き直ると、ふわりと微笑んだ。
「気にすることはないわ、ヴァレンティア。貴女の父上が素晴らしい技師であったことは、私も聞いているわ」
「は、はいっ! ありがとうございます!」
憧れの人に庇われて、勇気百倍だ。もう何も怖くない!
私は顔を上げ、泉の縁に膝をついてから、足元の光の渦を見つめた。
目の前で揺らめく光の渦。近づくと、熱とは違う、生命の鼓動のような温かさが肌を撫でた。
心の底からの願いを泉へと沈めていく。
静寂。
物理的な音が消え、ただ光の脈動だけが視界を埋め尽くす。
――誰か。
意識を深く、深く潜らせていく。
怖い。もし、誰も応えてくれなかったら?もし、私の力が足りなかったら?
不安を振り払うように、心のなかで叫んだ。
(私は…乗りたい。自分で作った機体に、自分で乗って。誰よりも速く、誰よりも自由に駆けたい!)
願いを、思いをぶつける。
一瞬の沈黙。そして――。
『…なんの話じゃ?』
(え?)
『乗りたいとは、馬か何かか?わしは馬ではないぞ』
(あ、ごめんなさい!えっと、馬じゃなくてシヴァルリィです!シヴァルリィに乗るために、力ある精霊さんと契約してミディにならなくちゃいけないんです!)
私は慌てて心の中で弁解した。
すると、声の主はつまらなそうに鼻を鳴らした。
『ふん、シヴァルリィとな?人間が作る、あの無粋なデカい人形か。あんなものを動かして何が楽しいのじゃ。どうせまた、くだらぬ戦争の道具にするのじゃろう?』
(違います!)
私は強く否定した。
(父さんが愛した、精霊と人とをつなぐ機械なんです!父さんは、シヴァルリィで人を守りたかった。私はそれを証明したいの!ただの兵器じゃない。人と精霊が心を重ねれば、もっとすごいことができるって!)
『ほう?』
声の主が、興味深そうに息を呑む気配がした。
『煤けた匂いの中に、熱い芯があるのう。おぬし、名は?』
(リーシャ!リーシャ・ヴァレンティア!)
『リーシャか。悪くない響きじゃな』
声のトーンが変わった。試すような冷たさが消え、楽しげな響きが混じる。
『くくく…ならば喜べ、小娘。おぬしの目の前に――いや、頭の中におるわしこそが、その「力ある精霊」じゃ』
(えっ!?本当!?)
『うむ。なぜかは思い出せぬが…わしの魂がそう告げておる。わしは高貴で、強大で、とにかく凄いのじゃ』
(す、すごい自信…お願い!力を貸して!)
『仕方ないのう。そこまで熱烈に求められては、無下にもできん。契約してやらんこともないぞ?』
(本当!?ありがとう!)
『うむ、感謝し敬うがよい!これからわしのことは、セラフィ…うん、セラフィと呼ぶがよいぞ!』
次の瞬間、泉の光が弾けた。
眩い輝きの中から一つの影が飛び出してくる。
「契約成立じゃな」
光が収まると、私の目の前には――手のひらに乗るほど小さな、少女の姿をした精霊が浮かんでいた。
赤と白の巫女服っぽい装束に、プラチナブロンドの長い髪。そして、勝ち気な翠玉の瞳。
え?ちっちゃい?
二十センチくらい?
通常、精霊は四十センチほどの大きさだ。しかしセラフィは、その半分しかない。
広間が静まり返り、次の瞬間、爆笑が起きた。
「なんだあれ、小さい!」
「虫かと思ったぞ!」
「人型は珍しいが…あれじゃあ、精霊力もたかが知れているな」
その言葉に、私の目の前の精霊――セラフィのこめかみが、ピキリと音を立てた。
「…虫?じゃと?」
セラフィはバッと観衆へ向き直り、その小さな胸を目一杯に反らせて怒鳴った。
「控えよ人間風情が!わしはセラフィミナーレ・ディ・ヴェントゥス・アルカナトリクス・エテルニア・ノーヴァ・フィロソフィカ・ミストリアム・リルフェアリル・ザンフィスティンじゃ!大きさなど飾りじゃということが分からぬか!この節穴どもめ!」
長っ!そして声でかっ!
予想外の剣幕に、笑っていた生徒たちがたじろぐ。
しかし、クラウディウスだけは鼻で笑った。
「やれやれ、名前だけはご立派なことだ。だが、所詮は『ハズレ』か。主人が三流なら、精霊も三流ということだな」
「なっ!」
私が言い返そうとした時、学院長が床に杖を打ち鳴らした。
硬い音が広間に響き、場を制する。
「静粛に!諸君、おめでとう。今日から、君たちは精霊と共に歩む者だ。精霊騎士ミディを目指す者も、精霊使いエメリムとして生きる者も、それぞれの道で精進せよ。本日の儀式はこれで終了だ。各自、速やかに地上へ戻り、午後の実技訓練に備えよ」
学院長の鋭い眼光に、クラウディウスはフンと鼻を鳴らして背を向けた。
去り際、彼は私の横を通り抜けざまに囁く。
「精霊学院は遊び場じゃないんだ。身の程を知って、さっさと古ぼけた工場に籠るんだな。目障りだ」
遠ざかる背中を見つめる私の拳は、怒りで微かに震えていた。
「…おい、小娘」
不意に、肩の上から不機嫌そうな声が降ってきた。
見ると、セラフィが頬を膨らませて私を睨んでいる。その緑色の瞳は、値踏みするように細められていた。
「あやつ、言いたい放題じゃったな。悔しくはないのか?」
私は唇を噛み、一度深呼吸をしてから彼女を見つめ返した。
「悔しいよ!すっっっごく!」
小さく、けれどはっきりと答える。
「私のことはいいよ。でも、父さんの仕事を馬鹿にされたことと、あなたが『ハズレ』だなんて言われたことは絶対に許せない」
私の言葉に、セラフィは少しだけ驚いたように目を見開いた。
「ふん。お人好しな奴じゃ。会ったばかりのわしのために怒るのか」
彼女は呆れたように肩をすくめたが、その口元は僅かに緩んでいるようにも見えた。
セラフィは小さな腕を組み、ふんぞり返る。
「まあよい。わし自身、記憶が曖昧で自分が何者かはよく分からぬが、あの長い名だけは魂が覚えておる。そして、あのような不遜な輩に負ける気はせぬこともの」
セラフィが、私の耳元でニヤリと笑う気配がした。
「どうじゃ、小娘。黙って引き下がる気がないなら、わしが力を貸してやろう」
偉そうな物言い。でも、それは私を試しているようでもあり、同時に鼓舞してくれているようでもあった。
私は涙を拭い、力強く頷いた。
「うん。お願い、セラフィ。絶対に見返してやろう。実技で、私たちの力を証明する!」
「うむ! その意気じゃ!…ところで小娘、腹が減ったのじゃが?」
「ええっ、今!?」
私たちの前途は多難かもしれないけど、立ち止まってる暇はない。
午後の実技訓練で、絶対に証明してやるんだから!




