第1章 08
「リリヤ・アウッティ嬢」
午前の授業を終えて片付けをしていると、教室の入り口から声が聞こえた。
見ると、先日王宮のお茶会の時にいた、ラウリの従者ヘンリクが立っている。
「……はい」
「失礼。一緒に来て頂けますか」
リリヤが側へ行くと、そう言ってヘンリクは声をひそめた。
「王太子殿下がお呼びです」
(殿下が? 何の用?)
訝しんだが、断る訳にもいかずリリヤはヘンリクについて行った。
「ねえ。あの方ヘンリク・ヒルヴェラ様じゃない?」
「公爵家の?」
「王太子殿下の側近よね」
「隣にいるのはどなたかしら」
「ほら……あの人が例の、呪われた」
「ああ」
二人で廊下を歩いているとひそひそ声が聞こえる。
(たしか……生まれた時から側近になることが決まっていたんだよね)
父親から聞いたことを思い出してリリヤはそっとヘンリクを見上げた。
公爵家の次男であり、ラウリより半年後に生まれたヘンリクは、王妃の懐妊を受けて男子ならば側近として、女子ならば妃候補となるよう作られた子だという。
(すごい世界だなあ)
感心していると、リリヤを見たヘンリクと視線が合った。
「先日の茶会では殿下が失礼しました」
「え?」
「権力争いに巻き込まれた被害者であるリリヤ嬢にはご不快な言葉でした」
「……ああ、いえ、大丈夫です。私の方こそ、生意気なことを言って申し訳ありません」
王太子に反論するなど、もしかして不敬罪になったりするのだろうか。
少し不安に思っていると、ヘンリクは首を横に振った。
「いいえ。リリヤ嬢には感謝しています」
「感謝?」
「あの言葉がきっかけで学園に行くようになりましたし、剣の稽古も始めましたから。――本当ならば私が促すべきなのですが」
ヘンリクは立ち止まるとリリヤに向いた。
「殿下が外に出るようになったのはリリヤ嬢のおかげです。ありがとうございます」
「……いえ……お役に立てたようで、良かったです」
よく分からないけれど、アマンダも同じようなことを言っていたからリリヤの言葉がきっかけなのは事実なのだろう。
「あの……ところで、私はどうして呼ばれたのでしょう」
周囲は喜んでくれているようだけれど、やはり当人は怒っているのだろうか。
「ご一緒に昼食をとのことです」
「え?」
「こちらです」
リリヤたちが着いたのは、大きくて豪華な扉の前だった。
「ここは王族とそれに準じる者が使用できる貴賓室です」
ヘンリクはドアをノックすると、重たげな音を立てながら扉を開いた。
「殿下。リリヤ嬢をお連れしました」
「ああ」
室内の奥には執務用に使うのだろうか、大きな書斎机が置かれている。
手前にはこれも大きなソファが向き合って置かれ、間には食器類が並んだテーブルがある。
「そこに座れ」
ソファに座っていたラウルは、目の前のソファに視線を送った。
「……はい」
リリヤが腰を下ろすと、ヘンリクは給仕の支度を始めた。
(え、本当に一緒に食事するの?)
お茶会よりもマナーのハードルが高すぎるのではないか。
先日言われた言葉を思い出してしまう。
「そう警戒しなくとも、何も言わぬから自由に食べるといい。私も今日は気にせずにいく」
並べられていく料理を前にリリヤが固まっているのを見てラウルはそう言うと、無造作にカップを手にし残っていたお茶を呷るように飲み干した。
「……ありがとうございます」
そうは言われても、本当に自由に振る舞う訳にはいかないだろう。
リリヤはなるべく音を立てないように、慎重にティーカップを口へ運んだ。
(それにしても、気まずい……)
二人で向き合って、特に会話もなく淡々と食事をしていく。
所作に気を配れるから会話がない方が助かるけれど、沈黙も落ち着かない。
(どうして一緒に食事しているんだろう)
「君は、杖を壊すほど魔力量が多いそうだな」
疑問に思っているとラウリが口を開いた。
「昨日ルスコ教授に診てもらった時に、君のことを色々と聞いた」
「……そうですか」
「君ほどの魔力があれば、私が魔力を失ったまま王となるのに問題はないだろうと」
青い瞳がリリヤを見据えた。
「君は、自分が私の婚約者候補になっていることを知っているか」
「……はい。聞いています」
「そのことをどう思っている」
「どう、とは」
「こんな片目で魔力なし、初対面の令嬢に嫌味を言うような男の妃になるなど、嫌だろう」
リリヤは青い瞳を見つめ返した。
確かに先日のお茶会での言葉は、失礼だと思ったし不快に感じた。
けれど自分を見つめる眼差しには、あの時と異なり揺らぎを感じる。
(反省? 後悔……不安? ――ああ、そうか)
完璧王子と呼ばれていたのだ、誰よりも優秀で欠点などなかったのだろう。
それが突然身体の一部を失い不自由になった。
いくら王太子とはいえ、そんな自分と結婚したい女性がいるだろうかと不安なのかもしれない。
実際、公爵令嬢には拒否されたと聞く。
(でも……憐れむのは違う)
同情はされなくないだろう。
それはリリヤも同じだ。
自分の境遇を憐れだとは思いたくはないし、思われたくない。
「――命じられるなら、妃になります」
リリヤは口を開いた。
「それが貴族令嬢の生き方だと教わりましたので」
「嫌な相手とでもか」
「……殿下のことは、よくは知りませんが。嫌いではありません」
青い瞳がわずかに見開かれた。
「確かにお茶会の時は少しムカつきましたけど、おあいこですし。これから殿下のことを理解できればいいなと思います」
リリヤはにっこりと笑った。
「生まれや環境など、自分でどうにもならないことは悩まず、その中で出来ることをする。それが私のモットーですから」
*****
「自分でどうにもならないことは悩まない、か」
午後の授業があるからとリリヤが退出すると、ラウリはぽつりと呟いた。
「強い方ですね」
新しいお茶を入れながらヘンリクが言った。
「――そうだな」
「あの強さは殿下に必要だと思いますよ」
「……私に必要であっても、彼女に私が必要とは限らないだろう」
「それは……」
「国にとっては必要だろうがな」
ラウリはため息をついた。
(本当に……殿下は弱気になってしまった)
主の様子にヘンリクも内心ため息をついた。
誰よりも強い心を持ち、自分にも他人にも厳しかった王太子が、呪いで片目と魔力を失ってしまった。
それは周囲の者が想像する以上に堪えたのだろう。
ラウリは王宮に引きこもるようになってしまった。
そんなラウリに、腫れ物に触るように誰も何も言えなかったのだが、リリヤだけは面と向かってそれは怠慢だと言い放ったのだ。
(別の世界で暮らしていたから王族に対する恐れがないのか……いや、違うな)
彼女もまたラウリと同じ、呪われた身だ。
身体の一部を失うことはなかったが、わずか二歳で家族と引き離され孤独の身となった。
十五年間一人で生きてきた彼女の経験があるから言えたのだ。
怠慢だと言われたラウリは、その翌日から剣の稽古を始めた。
身体の動きを確認し、日常生活ならば問題ないと判断したのだろう。
学園にも行くと宣言した。
リリヤの言葉をきっかけに、ラウリは復帰への一歩を踏み出したのだ。
(このままリリヤ嬢が支えとなって、強い殿下に戻ってくれればいいのだが……)
一歩を踏み出したとはいえ、まだ本来の姿とは遠い主の姿にヘンリクは心からそう願った。




