第1章 05
「リリヤ・アウッティさん」
朝、教室へ到着し授業が始まるまで魔術の本でも読もうかと思っていると声をかけられた。
顔を上げると、金髪を巻いた、いかにも貴族令嬢といった華やかな雰囲気の女子生徒が立っている。
「私、アマンダ・ハルヴォニですわ」
女子生徒は笑顔で名乗った。
(ハルヴォニ……侯爵家だっけ)
入学前に国内の貴族名と爵位、家族構成をなるべく覚えるようにと言われた。
三ヶ月で全ては無理だったが公爵家と侯爵家、それから伯爵家の半分くらいは覚えられただろうか。
「ええと……おはようございます、アマンダ・ハルヴォニ様」
会話をしたことがないとはいえクラスメイトに初めましてはおかしいかと思い、リリヤは立ち上がると挨拶した。
「ふふ、昨日は面白いものを見せて頂いたから、お礼を言おうと思いましたの」
アマンダは笑みを深めた。
「昨日?」
何のことだか分からずリリヤは首を傾げた。
「授業が終わった後、やり込めていたでしょう」
アマンダが視線を送った先には、こちらを不安げな顔で見る、昨日陰口を言っていた三人の女子生徒がいた。
「……ああ」
「覚えておくまでもないことだったようですわね」
ようやく思い出したという表情のリリヤにアマンダは微笑んだ。
「あ、いえ。昨日は魔術の実技で杖を何本も割ってしまって……そのことで頭がいっぱいだったので」
最初の挑戦後、ルスコ教授に見守られながら何度も試したのだが、結局一度も成功しなかった。
魔力の流れは感じることができる。
それを杖に少しずつ流そうと、急須からお茶を注ぐ感じでイメージするのだが、毎回コップを倒したように勢いよく流れてしまう。
教授は「まだ初日だから出来なくとも問題ない」と言ってくれたが、破壊された杖の山に落ち込んでしまったのだ。
そのせいで、午前中のことなどすっかり忘れていた。
「杖を割った⁉︎」
リリヤの言葉に教室内がざわついた。
「凄かったぜ、真っ二つに割れてたんだ」
授業に出ていた男子生徒が言った。
「二つに⁉︎」
「杖って割れるのか……?」
「滅多にないってさ」
「魔力検査の時も凄い光だったもんな」
(……今の会話聞いてたの?)
そんなに大きな声では話していないのに。
「皆リリヤさんに興味があるのね」
ざわざわするクラスメイトに眉をひそめているとアマンダが言った。
「呪いで他国に飛ばされたのに、無事に戻って来られて。しかも高い魔力を持っているなんて凄いもの」
「そうでしょうか」
「ええ、とても凄いことよ」
アマンダはリリヤの耳元に口を寄せた。
「私の父は宰相なのだけれど、リリヤさんは王太子殿下の婚約者に選ばれるだろうって言っていたわ」
「……そうなんですか?」
「今まで有力な婚約者候補が二人いましたの。一人が殿下に呪いをかけたイザベラ・キースキネン侯爵令嬢で、もう一人がユーリア・コイヴィスト公爵令嬢ね」
「……二人しかいないのですか」
「侯爵家以上で十分な魔力を持つ令嬢が少ないの。……私も魔力はないし」
アマンダは小さくため息をついた。
「キースキネン侯爵令嬢が呪いまで使い、婚約者になろうとして失敗して。コイヴィスト公爵令嬢に決まるかと思ったのだけど、『片目で魔力なしの王子なんて嫌』と拒否したのですって」
「……拒否できるのですか」
「コイヴィスト公爵は名門で、令嬢もプライドが高いらしいわ」
名門だからといって、呪いの被害者である王太子をそんな風に否定していいものなのだろうか。
「確かに、王太子殿下のお妃になるのを渋るのも分かる部分はあるのですけれど」
「どうしてですか」
「王太子殿下は厳しい方なんですの」
更に声をひそめてアマンダは言った。
「恐ろしい方とも聞きますし……」
「……アマンダ様は、殿下と会ったことがあるのですか」
「何度かお見かけしたことはありますの。いつも気難しそうなお顔をしていましたわ」
「そうなんですか」
「でも、リリヤさんは王太子妃になるのが良いと思いますわ」
リリヤを見つめてアマンダは言った。
「それは、どうしてですか?」
「お妃という立場を得れば、面と向かって昨日のような陰口を叩く者はいなくなりますもの。貴族はどうしても平民を下に見たがりますから」
アマンダはちらと再び昨日の女子生徒たちへ視線を送った。
「……アマンダ様もですか?」
「あら。ふふ、どうかしら」
リリヤの言葉に一瞬目を丸くして、すぐにアマンダは笑みを浮かべた。
(この人はあまり偏見がなさそう)
学園に入ってから、リリヤに向けられる視線には好奇と、それから平民暮らしだったことへの軽蔑のようなものもそれなりに感じられた。
けれどアマンダの表情や言葉からは、純粋な好奇心しか感じられなかった。
(王太子殿下は厳しくて怖い人かあ)
マティアスもそんなことを言っていた。
結婚する相手がそんな人だと、確かに辛いだろうけれど。
(本当はどんな人なんだろう)
それが噂話だけであって欲しいとリリヤは思った。
*****
「今日はどうだったの?」
学園から帰り、お茶の席へ向かうと母親が尋ねた。
「また杖を割ってしまいました……」
昨日に続いて魔力をコントロールする練習をしたのだが、どうしてもうまくいかない。
「それで、特別に強力な杖をお借りして、それに慣れてから弱い杖へ変えていこうということになりました」
普通は強い杖へと変えていきながら魔力をより多く引き出すことを覚え、魔術の練習へと移る。
だが魔力量が多すぎるリリヤの場合は逆の方が良いだろうと教授が判断したのだ。
「そう。早く制御できるようになるといいわね。マティアスは?」
「僕は普通です」
「普通?」
「マティアスはとても優秀なんです!」
淡々とした息子の答えに首を傾げた母親に、リリヤは代わりに答えた。
「魔力が安定しているし、コントロールも正確だって先生が褒めていました」
「……まだ初歩的なことしかやっていないから」
「もー、謙遜しいなんだから」
この弟は、リリヤのことは褒めるのに自分のことになると素っ気なくなる。
「ふふ。二人とも頑張っているのね」
そんな息子の性格を知っている母親はにっこりと笑みを浮かべた。
「それでリリヤ、お友達は出来そうかしら」
「……まだ分かりません」
「でも姉上、ハルヴォニ侯爵令嬢と親しく話していたよね」
マティアスが言った。
「まあ、ハルヴォニ侯爵のお嬢さんと」
「親しくというか……向こうから話しかけてくれました」
「今度お茶会に招待するって言われていたよね」
「うん……」
授業が終わったあと、アマンダは再び話しかけてきて帰り際に言われたのだ。
(お茶会かあ。まだマナーとかよく分からないんだよね)
ティーカップの持ち方などは、毎日母親に指導されているからそれなりに形になっていると思う。
けれど家族以外とのお茶会はまだ経験がなく、会話などどうすれば良いかも分からない。
「宰相のお嬢さんが友人になってくれるなら心強いわね」
微笑んで、けれど母親はすぐにその眉をひそめた。
「……お茶会といえば、リリヤに招待状が届いているの」
「招待状?」
母親が視線を送ると、侍女の一人がトレイに封筒を乗せて持ってきた。
バラの模様が入った薄紅色の封筒は、女性からだろうか。
「どなたからですか」
「王妃様よ」
「……え?」
リリヤは目を見開いた。
「え、どうして王妃様から……」
「ここにはあなたがいた所の話を聞きたいと書いてあるけれど、おそらく主目的は王太子殿下の婚約者に相応しいか、見たいのでしょうね」
母親はため息をついた。




