第1章 03
「今日の授業はここまでだ。昨日の検査で魔力を持っていると判定された者は午後、中庭へ行くように」
翌日。
座学の授業が終わると担任はそう言って教室から出て行った。
「姉上。授業はどうだった?」
リリヤが荷物を片付け終えて立ち上がると、後ろの席のマティアスが声をかけた。
「うん、まあ初日だし。今の所余裕だよ」
今日教わったのは、魔力や魔術についての基本的な知識で既に家庭教師から学んだものだ。
それに学園と言っても授業時間は向こうの世界よりかなり少なく、午前は一、二コマしかない。
(数学の授業もないんだよね)
魔術以外に学園で学ぶのは、語学や歴史、地理といった社交界で最低限持っていた方が良い知識で、それ以外は各自必要に応じて個人で学ぶのだ。
入学式もなかったし、ホームルームのようなものもない。
リリヤの知っている学校とはずいぶん違うようだ。
「まあ、聞きました? 今の言葉遣い」
小声で、けれどはっきりと声が聞こえた。
「貴族令嬢とは思えませんわ」
「仕方ありませんわ、最近まで平民だったのでしょう」
くすくすと笑い声も聞こえる。
見ると三人の女子生徒がこちらへ視線を送っていた。
「失礼な……って、姉上!?」
わざと聞こえるような悪口に眉をひそめたマティアスは、リリヤがスタスタと声の主たちの方へ歩き出したのを見て慌ててその後を追った。
「な、何ですの?」
言った方もまさか相手が向かってくるとは思いもよらず、慌てているその前にリリヤは立った。
「不快にさせていたらすみません。私、ご存知のように平民として暮らしていたので、お嬢様言葉って恥ずかしいんですよね」
笑顔でそう言うと、リリヤは首を傾げた。
「ところで私、今家庭教師にマナーを習っているんですが、爵位が上の者には敬意を払わないといけないと聞きました。失礼があってはいけないので皆様のお名前とお父様の爵位を教えてくれますか」
リリヤの言葉に女子生徒たちの顔がさっと赤く染まった。
「それから、人の悪口を言わないのはマナーだと思っていたのですが。貴族社会では違うのでしょうか」
「――迎えの馬車が待っているので帰りますわ!」
一人がふいと真っ赤な顔をそむけて教室から出ていくと、他の二人も慌てて出て行った。
「逃げるなら言わなきゃいいのに」
言い返されるとは思っていなかったのだろう。
「……姉上って、結構気が強いよね」
マティアスがため息をついた。
「マウントにはマウントで返さないと」
「ちなみに今の子たちは伯爵以下の家だよ」
「でしょうね。しかも帰るってことは魔力もないってことだし」
リリヤには貴族としての常識やマナーは足りないけれど、侯爵令嬢という立場と、強大な魔力量がある。
(その二つは、この国では絶対的なものなんだよね)
数ヶ月前まで平民だったリリヤが自分たちよりも格上の貴族、しかもかなりの魔力持ちであることが気に入らないといったところだろう。
だから貴族らしくない欠点を見つけて陰口を叩き、笑う。
(無視してもいいんだろうけど。こういうのは最初に牽制しておかないとつけあがるだろうし)
今のやりとりをクラス中が注目しているのを肌で感じる。
皆、自分を見下して絡んだら面倒だと思っただろうか。
「お腹空いちゃった。食堂があるんでしょう?」
リリヤはマティアスを振り返った。
「……そうだね。行こうか」
「うん」
背中にクラスメイトたちの視線を感じながらリリヤは教室を出た。
*****
「姉上って、果物が好きだよね」
食堂はビュッフェ式で、各自食べたいものを取っていく。
リリヤが手にしたトレイの半分が果物で占められているのを横目で見ながらマティアスは言った。
「向こうでは果物は高くて少ししか食べられなかったんだもの。柿なら庭にあったけど、干し柿ばかりで食べ飽きたし……」
「ほしがき?」
「秋に実るんだけど、そのままだと渋くて食べられないから干して甘くするの」
養護施設の庭には大きな柿の木があった。
秋になると皆で収穫して、皮を剥き紐で縛り吊るして干す。
干し柿作りは楽しかったけれど、毎日そればかり食べるのはさすがに辛かった。
「果物を干す……そんな食べ方があるんだね」
「ここにはないの?」
「聞いたことはないな」
二人は空いているテーブルに腰を下ろすと食事を取り始めた。
「姉上は向こうの世界でも学園に通っていたんだよね」
「うん。向こうは六歳くらいから、最低でも九年間、長い人はそこから七年以上通うよ」
「そんなに?」
「家庭教師をつける人もいるけど、基本勉強は学校でするから。学ぶことも多いし」
「大変だ。こっちと違うんだね」
「そうだね。食べ物は似てるけど、社会の仕組みは全然違うかな。私がいた国には王族に近い人たちはいるけど、貴族はもういなかったし」
「そうなんだ。――王族といえば、姉上は昨日の婚約話……いいの?」
手を止めるとマティアスは声をひそめた。
「いいも何も、私に決定権はないんでしょう?」
自分が王太子妃になれるとは、とても思わない。
けれど、この国で一番偉い国王からの要請に逆らえるとも思えない。
できればなりなくないのが本音だが、この世界で生きていくためにその道へ進まないとならないならば、仕方ない。
「貴族の結婚は政略結婚だから、当人の意見なんか関係ないって習ったけど」
「それはまあ、そうなんだけど。でも自分で相手を決める場合もあるし」
「私じゃ王太子妃は務まらない?」
「いや、それはないよ」
マティアスは首を振った。
「姉上はすごく頑張っているし、責任感もある。でもお妃って大変だし王太子殿下も怖い人だって聞くから、呪いの被害者である姉上はこれ以上苦労しなくてもいいと思うよ」
「そうかな……気遣ってくれてありがとう」
弟の優しさを感じながらリリヤは微笑んだ。




