02
翌朝、目を覚ましたリリヤは部屋のカーテンを開けた。
「わあ……」
窓の外には山を背に木々に囲まれた湖が広がっていた。
その水はとても青く、朝日を浴びて煌めいている。
「綺麗……。外に出られるのかな」
窓の外はベランダになっているようだ。
部屋を見回して見つけたドアを開けて外へ出ると、心地よい風が吹き抜けた。
「緑の匂いだ……」
深呼吸すると気持ちが良い空気で身体が満たされる。
召喚されてから王都の外へ出たことはなかった。
王都の中に公園や植物園はあるけれど、皆人工的に作られたもので。
自然のままの景色を見るのも、その空気を感じるのも久しぶりだ。
この離宮は湖のすぐほとりに建てられているようで、ベランダから見下ろすと足元にまで湖が広がっている。
木々の向こうには山も見える。
鳥の声が風に乗って響いていく。
「……王都って暑かったんだなあ」
今が夏だと忘れそうになるほど、日本より快適だけれど。
その王都よりもここは涼しくて心地良い。
「温泉もあるし、ここって最高なのでは?」
少しぬるくて塩気のあるお湯は気持ちよくて、馬車に座りっ放しで痛くなった腰とお尻を癒してくれた。
「本当に気持ちがいいなあ」
ベランダにもたれながら、リリヤは侍女が来るまで湖を眺めていた。
「おはようございます」
食堂へ向かうと既にラウリたちは席についていた。
「おはよう。良く眠れたか」
「はい、久しぶりにぐっすり眠れました」
「久しぶり?」
ラウリは眉をひそめた。
「眠れていないのか」
「え? ……あ……そう、ですね」
ラウリに聞き返され、リリヤは自分の睡眠状況を思い出そうと首をひねった。
「……よく寝たなあと思ったのって……もしかしたらここに来てから初めてかも」
突然現れた血のつながった家族との生活、慣れない文化や魔術のある世界。
召喚されて以来、いつも緊張していたように思う。
目が覚めてもどこか夢の続きのような気持ちが消えることはなかった。
「初めてだと?」
「……あ、ええと……。田舎育ちでいつも皆同じ部屋だったので。王都は人工物ばかりなのと、一人で広くて豪華な部屋だと落ち着かなくて。久しぶりに自然の中に来て、温泉にも入ったのでよく眠れたんだと思います」
本当のことを言っては余計な心配をかけると思い、リリヤは思案しながら言葉を選んだ。
「――そうか」
リリヤを見つめてラウリは口を開いた。
「眠れないならば、王宮の魔術師に、安眠に効く薬草茶を調合させよう」
「いえ、大丈夫です」
「大丈夫な訳がないだろう」
ラウリは眉をひそめた。
「長期間の寝不足は身体に悪影響を与える。医師にもしっかり診てもらうからな」
「……はい。ありがとうございます」
(やっぱり、優しいよね)
口調は強いけれど、自分を気遣ってくれるラウリにリリヤは改めて思った。
*****
泉は離宮からさらに山を登るため、馬で向かう。
「リリヤ嬢は私の馬へお乗り下さい」
ヘンリクが言った。
「……はい」
(えっ二人乗り⁉︎)
リリヤは馬に乗れないから当然なのだろうけれど。
馬の背に乗るのは少し抵抗がある。
(森の中も山道も慣れているから歩いて行きたいって言ったら怒られるよね)
内心思いながら、リリヤは護衛たちの手でヘンリクの馬に乗せられた。
(ひいっ高い)
思ったより馬の背は高かった。
「ただ座っていれば大丈夫ですから」
リリヤの緊張を感じ取ってヘンリクは言った。
「それでは行くぞ」
ヘンリクをちらと見て、ラウリは一行を出発させた。
「殿下は、本当はご自身の馬にリリヤ嬢を乗せたかったんです」
馬が歩き出すと、小声でヘンリクは言った。
「けれどまだ片目での乗馬に不安があるので、安全を優先して私になったのです」
「……そうなんですか」
前を行くラウリは問題なく馬に乗っているように見えるけれど。
「二人乗りは重心も変わりますし、バランスを取るのも難しくなります。馬の負担も増えますし、ここは足場も悪いですからね」
「馬に乗るのって大変なんですね……私も乗れるようになりますか?」
リリヤは尋ねた。
「リリヤ嬢がお一人でですか?」
「はい。最初は怖かったんですけど、結構気持ちがいいなと思って」
いつもより高い視界で森の中を歩くのは楽しい。
一人でも乗れるようになれたらいいなと思ったのだ。
「そうですか。あとで殿下に相談してみましょう」
「よろしくお願いします!」
やがで川が流れる音が聞こえてきた。
馬がようやく通れるほどの道をしばらく進むと木々が開け、白い小さな建物が見えた。
「あれは馬小屋です。ここに馬を繋ぎ、ここからは徒歩で向かいます」
「泉はまだ遠いのですか?」
「いえ、もう少しです」
馬小屋へ着くと、先に着いていたラウリが待っていた。
リリヤたちの馬の脇へ来ると、リリヤに向かって両手を差し出した。
(え、これは……)
ラウリに掴まれということだろうか。
「早くしろ」
王太子の手を煩わせるなんてと戸惑ったけれど、ラウリが促すのでリリヤは仕方なくラウリへと身を乗り出すと、ラウリはリリヤの身体を抱き上げた。
「何を話していたんだ?」
リリヤを地面に下ろさず、抱きかかえたままラウリは尋ねた。
「え?」
「リリヤ嬢も馬に乗れるようになりたいとお望みです」
首を傾げたリリヤの代わりにヘンリクが答えた。
「馬に?」
ラウリは眉をひそめた。
「はい……一人で乗れるようになりたいなと思って」
「一人乗りなど危ないぞ。やめておけ」
「……でも、馬に乗れたら楽しいですよね」
この国の女性で馬に乗るのは騎士くらいだが、貴族男性にとっては必修だし、弟のマティアスも幼い頃から乗っていたと聞く。
リリヤがいた日本でも、年齢性別問わず誰でも乗馬を習えた。
「それはそうだが」
「殿下。一緒に遠乗りできれば楽しいと思いますよ」
しぶるラウリにヘンリクが言った。
「それに、私や他の者と一緒に乗らなくとも済むので殿下も気が楽では?」
「――そうだな」
ヘンリクを一瞥すると、ラウリはため息をついて抱き抱えたままのリリヤを見た。
「だが馬に乗るにはもう少し身体を鍛えないとならないな」
「鍛える……」
「大体君は軽すぎる。今朝も果物ばかり食べていただろう。肉も食べているか?」
「……朝からそんなに重いもの、食べられないです」
向こうの世界にいた時は、朝食でも肉や魚を食べていた。
けれどこちらの肉料理は味付けも濃くボリュームもありすぎて、朝からは食べられないのだ。
「そうなのか」
「それに、向こうでは山道も歩いていたので体力はあります!」
「体力だけあっても馬には乗れないぞ」
ラウリはふっと笑った。
「――そうだな、ダンスを完璧に踊れるようになってからだな」
「ダンスを完璧に……」
「乗馬もダンスもバランス力や持久力が必要だ。まずは今度の夜会で私のパートナーとしての役目を果たしてもらう」
ラウリはリリヤを地面に下ろした。
「そうすれば君に合いそうな馬を探してやろう」
ぽん、とラウリはリリヤの頭を撫でた。




