12
「リリヤさん」
午前の授業が終わると、アマンダがリリヤの元へやってきた。
「次のお休みに、またお茶会にお招きしていいかしら」
「あ……すみません。その日は用事があって……」
「用事?」
「――王太子殿下と、ダンスの練習をしないとならなくて」
リリヤは小声で答えた。
「まあ、そうでしたの」
声を抑えながらもアマンダは目を輝かせた。
「しばらく通わないとならないらしくて……なので、当分お茶会は無理かと」
「ふふ、構いませんわ。――その代わり、この後お昼をご一緒しましょう?」
リリヤに顔を近づけると、アマンダは笑顔でそう言った。
*****
食堂で昼食を食べながら、リリヤはアマンダに経緯を説明した。
「それでは、リリヤさんは夏の夜会で殿下のパートナーを務めますのね」
「パートナーとまでは……一緒に踊るとは言われましたけど」
社交のパートナーになると、会場に一緒に入り、基本行動を共にする。
家族や婚約者、または特に親しい相手がなるものだ。
「……そうでしたわね、王家主催の夜会で殿下が婚約前の女性をパートナーにするのは、あまり常識的ではありませんわね」
夜会には格式がある。
一番格が高いのは王家主催のもので、夏と新年の他、慶事や国賓の接遇などで開かれる。
夏の夜会は王都にいる全ての貴族が参加することになっている。
そのような格式の高い夜会で主催側の王太子がパートナーにするのは、正式に認められた婚約者でなければならないだろう。
「それでも、リリヤさんをダンスのパートナーに指名して一緒に練習までするなんて。やっぱりリリヤさんが本命なのね」
「本命……んー、どうなんですかね」
リリヤは首をひねった。
ラウリがリリヤのことを気にかけているようなのは分かる。
初対面で嫌味を言った反省なのかもしれない。
婚約者候補とされているから、ダンスやマナーを教育した方が良いと思っているのかもしれない。
(他にも理由があるのかもしれないけど……)
「私にはよく分かりません」
推測で言うのは良くないと思い、リリヤはそう答えた。
「そう。でも良かったわ、順調に交流を深めているようで」
アマンダは微笑んだ。
「父がうるさいの、リリヤさんと王太子殿下の関係はどうなっているか確認しろって」
「お父様……宰相でしたっけ」
「ええ。来年殿下が卒業する時までに婚約者を決めたいんですって。……呪いの件で王家もダメージを受けているから、信頼回復のためにもって」
アマンダはため息をついた。
「……殿下が魔力を失ったから信頼がなくなったということですか?」
「そうね、これまで魔力のない王はいなかったらしいの」
王族が魔力を持っているかは、とても重要だというのはリリヤも聞いたことがある。
魔力量が多ければ多いほど良い王とされるのだと。
「魔力は戻らないのでしょうか」
「色々と調べているみたいだけれど。呪いの術はどんな作用が起こるか分からないから、戻せるかも分からないらしいわ」
「そうなんですか……」
「だから魔力量の多いリリヤさんが王妃になれば、貴族たちも安心するだろうって」
(そんな単純なのかなあ)
疑問を抱きながら、リリヤはアマンダの話を聞いていた。
*****
「はい、ここから早くなります! 音に遅れないで!」
音楽と共に講師の手拍子も早くなった。
(右、左……一歩下がって……あれ?)
「あっ」
混乱して足がもつれて、倒れそうになる。
思わずぎゅっと目をつぶったリリヤの背中を大きな手が止めた。
「大丈夫か」
リリヤの身体を支えながらラウリは尋ねた。
「は、はい……すみません」
身体を起こし自力で立とうと右足に力を込めるとズキリと痛む。
「っ……」
「どうした? 足をひねったか」
顔をしかめたリリヤに事態を察すると、ラウリはリリヤの身体を抱き上げた。
「ひゃあ⁉︎」
「今日は終わりだ」
周囲に指示すると、リリヤを抱きかかえたままラウリは歩き出した。
(……これって……もしかしてお姫様だっこ⁉︎)
ぶわっとリリヤの顔に血が昇る。
(――顔近い……めっちゃ綺麗……)
ダンスを踊っている時は、相手を見る余裕なんてなかったけれど。
すぐ目の前にあるラウリの顔は、近くで見てもとても整っている。
艶やかな髪と肌、良い香りがリリヤを包み込む。
(本当に王子様なんだなあ)
見惚れていると、ラウリはソファにリリヤを下ろし、その前に膝をついた。
「どっちの足だ、見せてみろ」
「え? あ、いえ、大丈夫です!」
「大丈夫ではないだろう」
「いえ、本当に……」
「殿下。医師でもないのに女性の足に触れようとするのは失礼ですよ」
ラウリの後ろに立ったヘンリクが口を開いた。
「……そうか」
「治癒師を呼んでいますので、それまでお休み下さい」
「ありがとうございます。……下手ですみません」
リリヤはぺこりと頭を下げた。
ラウリとのダンスの練習が始まった。
同じ曲を何度も踊っているが、同じ所で何度ももたついてしまう。
更に足までくじいてしまった。
(うう、心が折れそう……)
思わずため息が出てしまう。
「下手というより練習不足だな」
立ち上がりながらラウリは言った。
「それから練習に耐えられる体力が足りていない。体力をつければふらつく事はなくなる。何度も練習すれば良くなるはずだ」
「……はい」
「あとはそうだな、音に乗れていない」
「音に乗る……」
「何度も曲を聴いて身体に音楽を染み込ませれば、頭で考えなくとも自然に身体が動くようになる」
(それは……向こうの世界でもそうだったかも)
ダンスは下手だけれど、よく知っている曲の方がまだ踊りやすかった。
頭で考えるよりも身体で覚えた方が良いのは確かだろう。
となると、ひたすら曲を聴いて練習する必要がある。
(でも練習は一人じゃできないし、音楽を聴くのも演奏してくれる人がいないと……)
向こうの世界ならば、音楽は手軽に好きなだけ繰り返して聴くことができたのに。
「録音が出来ればいいのに……」
「ろくおん?」
呟くとラウルが聞き返した。
「あ、ええと。演奏を保存できればいいなあと思いまして。向こうではそうやって何度も同じ曲を聞けたので」
「演奏を保存? そんなことができるのか」
「はい。音に関する魔術はないのですか?」
「音か。風魔術で遠くまで音を送ることはできるが」
「風魔術で?」
「杖を通して音を遠くまで響かせるんだ」
(拡声器みたいな感じかな)
施設にあった拡声器には、声を録音して何度も再生できる機能がついていた。
「――その音を杖の中に閉じ込めて、それを後で取り出して音を出すことはできますか?」
「音を閉じ込める?」
「はい。すぐに送らないで、一度杖の中に溜めておくんです」
「ふむ……面白いな」
しばらく思案するとラウルは小さく頷いた。
「研究してみる価値がありそうだ。城の魔術師たちに伝えてみよう」
「はい。ありがとうございます」
「殿下。治癒師が参りました」
「失礼いたします」
白いローブ姿の女性が現れた。
「こちらのご令嬢ですね」
「ああ。足を痛めたようだ」
「どちらの足でしょうか」
「……右です」
「ドレスの上から失礼いたします」
リリヤの前に屈んだ治癒師は、手にしていた青い杖をリリヤの右足に当てた。
杖が淡く光ると、触れた部分がじんわりと温かくなってくる。
(これが治癒魔術……)
受けるのは初めてだ。
まるでカイロのように温かくて気持ちがいい。
やがて光が消えると共に、じんじんとした痛みも消えていった。
「わ……すごい、痛くないです」
「軽い捻挫でしたので完治しましたが、念のため今日は無理しないでください」
「はい。……どんな怪我かも分かるんですか」
「ええ。魔力を相手の体内に流した時の変化で分かります」
治癒師は微笑んだ。
「凄いですね」
まだ魔力を調節するだけで手一杯のリリヤには、どうしたらそんなことが出来るようになるのか想像がつかなかった。
「治癒魔術……私も使えるようになるかな」
「治癒師になりたいのか」
リリヤの呟きを聞いたラウリが尋ねた。
「人の役に立ちますし、祖父が治癒師だったので。……でも、魔力が多すぎるので難しいかもしれないと言われていて……」
多すぎる薬が毒になるように、多すぎる魔力は軽い怪我や病気には強すぎる。
だから一般的な治癒師には向かないだろうと教師たちに言われていた。
「そうか。私も言われたな、魔力が強いから治療はしない方が良いと」
「そうでしたか」
「だが強い魔力でなければ治せない怪我や病気もある。君の力が役に立つ時もあるだろう」
「……はい」
リリヤはこくりと頷いた。




