第1章 01
「ねえ、ご覧になって。マティアス様の隣にいる黒髪の……あの方がアウッティ侯爵令嬢よ」
「呪いをかけられて行方不明になっていた?」
リリヤが廊下を歩いていると、ざわめきの間から声が聞こえてきた。
「ずっと他国で平民として生きていたのでしょう?」
「まあ、じゃあマナーも知らないのかしら」
「ダンスも踊れないのではなくて?」
(……こっちでもこういうのはあるのね)
噂話と、見下すような言動と。
この世界は、リリヤが住んでいた国では過去のものとなっている、国王と貴族が統治する封建制社会で身分も厳格に分けられているという。
文化や生活習慣も異なり戸惑うことも多いが、人の心はそう変わらないようだ。
(育ちで差別されるのは慣れてるけど……面倒くさいなあ)
リリヤは心の中でため息をついた。
「呪いをかけたのはキースキネン侯爵ですって」
「あの王太子殿下に魅了の呪いをかけようとした……?」
「ええ、その事件があって発覚したんですって。それで見つかって連れ戻したとか」
「大騒ぎだったわよねえ。教会派は大きな打撃を受けたのでしょう?」
「王太子殿下も……」
「急ごう」
マティアスが歩みを早めた。
「私は気にしないから」
話し声が遠ざかるのを感じながらリリヤは口を開いた。
「気分のいいものじゃない。僕はああいう噂話は嫌いだ」
(優しい子よね)
自分に似た面差しの横顔を見てリリヤは思った。
十七歳なんて、血が繋がっているとはいえ十五年間と離れていた、突然現れた姉に反発する年頃だろうに。
この双子の弟は貴族の生活に不慣れなリリヤをいつも気遣ってくれる。
(その弟が一緒とはいえ、学園生活なんて憂鬱だなあ)
三ヶ月前まで、養護施設暮らしだったから平凡とは言えないけれど。
日本という国で、自然に囲まれた田舎の高校に通って。
進路の悩みはあったけれど、大学に行って就職して、それなりの大人になるのだと思っていたのに。
(どうして……こんなことになったんだろう)
もう一度ため息をつきながら、リリヤはマティアスと共に教室へ向かった。
「この王立魔術学園は魔力や魔術についての正しい知識を学ぶ場だ」
教室内を見渡して、担任のエクロース先生は言った。
「魔力のある者ない者、貴族と平民。さまざまな立場の者がいるが、学園内での生徒の扱いは平等だ。まずはそれをしっかりと覚えるように。一年生はそこで揉める事が多いからな」
(このクラスは貴族だけなんだっけ)
事前に聞いたことを思い出しながら、リリヤは担任の言葉にざわつく教室内を眺めた。
扱いは平等と言いながら、午前中に行われる座学の勉強は貴族と平民とで分かれているという。
一緒になるのは魔力持ちのみが参加する実技の授業だけだ。
(魔力かあ)
リリヤは自分の手のひらに視線を落とした。
魔力や魔術、呪いといったものは、創作の中だけに存在するものだと思っていたのに。
「それでは、最初に魔力検査を行う。こちらは皆の魔力を鑑定していただく魔術部の責任者、ルスコ教授だ」
担任は隣に立っていた、いかにも魔術師といった雰囲気の、ローブを纏った白髪の男性を紹介した。
「教授は我が国有数の魔術研究者でもある。名前を呼ばれた者から前へ来るように」
(あの人……見覚えがある。教授だったんだ)
確かリリヤがこの世界に召喚された時、最初に見た人間の一人だ。
名前を呼ばれた生徒は、教壇に置かれた石板の上に手を乗せた。
魔力を持つ者が触れると石板は光を放ち、強さや質といったものが分かる。
リリヤも三ヶ月前に検査をしていた。
見ていると、三十人ほどいるクラスメイトの内魔力があるのは半分もいないだろうか。
「次、マティアス・アウッティ」
名前を呼ばれた弟のマティアスが教壇へ向かった。
石板へ手を乗せると、青みがかった明るくて綺麗な光が放たれる。
「これはいい魔力だ。量も多い」
教授は満足そうに目を細めた。
「人を癒す力に長けている。いい治癒師になれるだろう」
「ありがとうございます」
マティアスは軽く頭を下げると席に戻ってきた。
(治癒師って偉い職業なんだよね)
この世界には、魔力という特別な力を持った人間がいる。
魔力持ちはその力を使い、魔術と呼ばれる自然の法則に反した現象を生じさせることができるのだ。
かつてその魔術を使い大きな戦争が起き、いくつもの国が滅んだ。
そのため各国で協定を結び、人を傷つける魔術の使用は固く禁じられることとなった。
この学園も、魔術を正しく使うための知識と技術を身につけるために設立されたもので、貴族の子女は必ず入らなければならない決まりだ。
魔術の中で特に重宝される術は、怪我や病気を癒す治癒魔術だ。
そのため治癒師は最も尊い仕事の一つとされ尊敬されている。
(人を癒す魔術なんて、優しいマティアスにぴったりね)
「リリヤ・アウッティ」
そんなことを考えていると、名前を呼ばれる声が聞こえた。
「……はい」
リリヤが立ち上がると教室内がざわついた。
(目立ちたくないなあ)
無理だろうとは思いつつ、探るような視線を感じながらリリヤは教授の前に立った。
「久しいな」
リリヤを見ると教授は笑みを浮かべた。
「ここの生活には慣れたか」
「はい。家族がとても気を遣ってくれます」
笑顔を返して、明るい声でリリヤは答えた。
「それは良かった。では石板に手を」
「はい」
リリヤが手を乗せると、石板は強い光を放った。
「強い……」
「真っ白だわ」
生徒たちがどよめく。
リリヤの光は、他の者たちよりも強く色も純白に近い色だった。
(え……光が多くなってない?)
三ヶ月前より明らかに強い光にリリヤも動揺した。
「ほう、これは素晴らしい」
ただ一人教授だけが嬉しそうな顔を見せた。
「白い魔力は純粋ということだ、いかようにも育てる事ができる。これは楽しみだ」
長い髭を撫でながら教授は満足そうに頷いた。




