第6話 それでも光は
開鈴(07:07)まで 7分
鈴が鳴り、音は店の奥で丸くなった。
彫り師は煙草を揉み消し、鷹取 仁は壁と同化する角度で立つ。
灯心は笑わない。笑わないことが、彼の礼儀だ。
「祐子は——君の妹か」
瑞希の声は低いまま、刃先のように真っ直ぐだった。
灯心は頷かない。否定もしない。
ただ、真鍮のライターの角に視線が落ちる。それだけで十分だった。
「二年前の夜」灯心が言葉を置く。「誤誘導で事故が起きた。構造の過失だ。だから、俺は“俺が殺した”と声明した」
「使ったんだな」瑞希は遮る。「妹の死を、舞台に」
「使った」
赦しも言い訳もない肯定。胸の内で何かが割れ、抜け、静まる。
「謝罪はいらない」瑞希。「要るのは真相だ」
開鈴まで 6分
外を風が走り、鈴が微かに震える。ルミの声が回線に落ちる。
「私服が市場に入った。二筆目。——裏口へ」
彫り師が棚をずらし、隠し扉を開けた。油の薄い通路。冷えた水の匂い。
灯心が先に、瑞希、鷹取が続く。彫り師は最後に灯りを落とし、鈴を外した。
「ここで戦う必要はない」灯心が視線だけで示す。
瑞希は頷き、真鍮の蓋を撫でた。火は証言を終え、案内に変わる。
開鈴まで 5分
地下排水へ降りる鉄梯子。
水音が均質なノイズを作り、上の意味を洗い落とす。三人は腰をかがめ、青果市場の腹を横切る。
「二筆目は誰だ」瑞希。
「名前はいらない」灯心。「境界で稼ぐ連中——広報、外注、私服。定義で現場を縛る。名は取り替えられる」
「癖は取り替えられない」瑞希。「字形、刃角、呼吸。祐子が残した。あなたも残した」
灯心は答えない。壁の振動を指先で拾い、「ここから上」と蓋を押し上げた。冷えた空気が頬を撫でる。
開鈴まで 4分
路地に出る。私服が二人、影の角でこちらを測る。
鷹取が一歩前。「話が早い連中か?」
靴が地面を蹴る角度で分かる。力は前へ、論は後から。
短い音が二度。制圧は三手。声は上がらない。
灯心の足が静かに手首を踏み、骨が鳴る。精度だけが残る。
瑞希は倒れた男の耳に、数字を淡々と並べた。
「事故期待値、導線幅、群衆密度。封鎖は適法。賠償は上が払え」
男の目が恐怖と侮蔑の間で揺れる。二筆目はいつも、この目をしている。
開鈴まで 3分
回線が震え、ルミが戻る。
「彫り師の記録拾った。弟子——祐子の筆跡、一致。当日の現金発注の行先が広報外注。二筆目の経路、押さえられる」
「記録は私が書く」瑞希。「封鎖の根拠、匂い二系統、短絡、遮断。名のない役割も含めて。改竄しづらい順序で」
鷹取が肩で笑う。「件数より嫌がられるやつだ」
開鈴まで 2分
灯心が瑞希を見る。縫い針みたいに細い視線。
「君はまだ現場にいるのか」
「現場に居る」瑞希は真鍮を出す。火は点けない。角だけ光に滑らす。「件数のためじゃない。事実のために」
「火は、触れ方で——」
「灯にも武器にもなる」瑞希が継いだ。「分かってる」
沈黙が一枚、間に入る。選択の重みがちょうどいい厚さで乗る。
「行け」瑞希は言う。「署名のない真相を置け。私は記録を残す」
灯心は頷かない。真鍮に映る光を一瞥し、背を向けた。匂いを残さず去る。
開鈴まで 1分
路地の角で、風が鈴の代わりに配管を鳴らす。
瑞希の端末が震えた。未登録の発信。
招待状 —— 続くか
返信は打たない。画面を閉じ、前を見る。
——数字は盾ではなく、足場になる。理は壁ではなく、梯子になる。
鈴が鳴った
東の縁が薄く剥がれ、朝が色を変え始める。
瑞希は真鍮の蓋を開け、火を点けた。青が揺れ、黄がふくらむ。
掌で一拍だけ囲い、息で弱める。灯は小さくなるが、消えない。
鷹取が横目で見て、短く頷く。「選んだな」
「選び続ける」瑞希は火を消し、心臓の上に戻す。「これからも」
遠くで市場が目を覚まし、水音と声が交じる。
小春から短いメッセージ。
——兄、無事。臨時出口、維持。怒鳴られ続けてるけど大丈夫。
瑞希は親指で返す。
——よくやった。深呼吸して。
それでも光は、触れ方で灯る。
誰が持つかで、街の色が変わる。
瑞希は歩いた。朝は、まだ浅い。迎える準備だけは——もう済んでいる。